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2020年07月30日
平成切手ニホンミツバチ20円ペアの分室局和文ローラー印(麹町局東京逓信病院内分室)
平成切手ミホンミツバチ20円はテッポウユリ20円を引き継いだ切手ですが、テッポウユリを優先して消化販売されました。20円という郵便料金は第3種障害者定期刊行物用なので、多くは加貼り用に使用されています。この切手は平成切手ニホンジカ発行まで約18年間という長期発行の切手です。消印は麹町郵便局東京逓信病院内分室の和文ローラー印、前回の松山中央局NTT四国ビル内分室と同じく平成9年の直線式和文ローラー印です。分室では平成10年頃まで直線式が使用されていたようです。
(局の変遷)
・1938年2月21日〜2014年7月26日
(局の変遷)
・1938年2月21日〜2014年7月26日
2020年07月27日
平成切手キジバト62円ペーンペアの分室局和文ローラー印(松山中央局NTT四国ビル内分室)
平成切手キジバト62円には3種類のペーン切手が発行されています。62円と41円ペーンが5枚ずつと表紙の付いた切手帳「ゆうペーン」、まったく同じ構成で表紙のないもの、62円10枚で表紙のない物です。表紙が付いていないペーンは郵便局や郵趣会が独自に表紙を作成することを前提としたものです。今回の台切手は62円ペーンのタテペアですが、このようにペアや田型での使用済みは多くは収集家によるものです。消印は松山中央局NTT四国ビル内分室、平成8年の直線式和文ローラー印です。いわゆるエラー印です。
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1967年5月31日=松山郵便局 通信局内分室
・1967年6月1日〜1985年4月30日=松山中央郵便局 通信局内分室
・1985年5月1日〜2000年8月19日=松山中央郵便局 NTT四国ビル内分室
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1967年5月31日=松山郵便局 通信局内分室
・1967年6月1日〜1985年4月30日=松山中央郵便局 通信局内分室
・1985年5月1日〜2000年8月19日=松山中央郵便局 NTT四国ビル内分室
2020年07月23日
近代美術13集「富岡鉄斎」60円の分室局櫛型印(名古屋中央局第二豊田ビル内分室)
近代美術シリーズは1979年から1983年まで全16集が発行されています。額面が50円と60円ですが、発行期間には一部の局で試行印、直彫和文ローラー印、また鉄道郵便印なども使用されており消印のバラエティが多い記念切手です。また印面が大きいことで消印全体が判読できるので、この切手での消印収集は面白いと感じます。今回の消印は分室局の櫛型印、印面が暗いので消印が良く映えないのが残念です。名古屋中央局第二豊田ビル内分室です。
(局の変遷)
・1955年11月1日〜1973年12月9日名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日〜2012年10月9日=古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
(局の変遷)
・1955年11月1日〜1973年12月9日名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日〜2012年10月9日=古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
2020年07月20日
弥勒菩薩像50円茶のD欄分室名入櫛型印(大阪中央局大阪駅内分室)
弥勒菩薩像50円茶の発行は1952年6月20日、書留用として多く使用されました。当時(1951年11月1日〜)の書留料金は1000円まで35円で超2000円毎に1円、封書は20グラムごとに10円でした。また、外信航空書状が第2地帯宛や小包郵便に50円に該当する額面があり、そちらにも使用されています。大阪中央局大阪駅内分室は戦前にも存在しておりますが、今回は戦後の消印ですが実質には1969年に閉鎖になっています。
(局の変遷)
・1942年10月21日〜1945年7月22日=大阪中央局大阪駅内分室
・1949年1月6日〜1978年10月1日(1969年6月9日閉鎖)=大阪中央局大阪駅内分室
(局の変遷)
・1942年10月21日〜1945年7月22日=大阪中央局大阪駅内分室
・1949年1月6日〜1978年10月1日(1969年6月9日閉鎖)=大阪中央局大阪駅内分室
2020年07月16日
平成切手キジバト62円の分室局和文ローラー印(大阪中央局空港内分室)
オオイトカケガイ62円を引き継いだのが、平成切手キジバト62円切手です。動植物国宝図案切手が後半になると図案統一が無くなったとして、郵政省が有識者の意見から「日本の自然シリーズ」をテーマに発行を始めたのが平成切手です。オオイトカケガイ62円が大量に残っていたことから、平成切手キジバトへの切り替えには時間がかかったようです。平成6年(1994年)1月24日に郵便料金値上げで定形書状料金が80円になり、この切手の販売は停止されました。使用期間は1年1ヶ月ですが使用済みは豊富にあります。消印は平成6年、大阪中央局空港内分室の和文ローラー印です。
(局の変遷)
・1930年10月6日〜1952年3月9日=大阪中央郵便局 飛行場分室
・1952年3月10日〜1958年9月30日=大阪中央郵便局 飛行場内分室
・1958年10月1日〜2006年7月31日=大阪中央郵便局 空港内分室
・2006年8月1日〜2014年1月17日=豊中郵便局 伊丹空港内分室
・2014年1月18日〜=豊中郵便局 大阪国際空港内分室
(局の変遷)
・1930年10月6日〜1952年3月9日=大阪中央郵便局 飛行場分室
・1952年3月10日〜1958年9月30日=大阪中央郵便局 飛行場内分室
・1958年10月1日〜2006年7月31日=大阪中央郵便局 空港内分室
・2006年8月1日〜2014年1月17日=豊中郵便局 伊丹空港内分室
・2014年1月18日〜=豊中郵便局 大阪国際空港内分室
2020年07月13日
オオイトカケガイ62円の分室局和文ローラー印(東京中央局日比谷パークビル内分室)
前回に引き続いて、東京中央局日比谷パークビル内分室の和文ローラー印です。オオイトカケガイ62円は消費税3%導入に伴う郵便料金値上げで定形書状料金が60円から62円に値上げになるため、発行された切手です。リンボウガイ同様に「日本の自然」をテーマに貝をモチーフとしています。発行から料金改正直後まで約6億枚が販売されたたため、初期使用が多くあります。平成4年11月にキジバト62円が発行され急速に処分されました。
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
2020年07月09日
リンボウガイ60円の分室局和文ローラー印(東京中央局日比谷パークビル内分室)
リンボウガイ60円は梵鐘60円に変わり、「日本の自然」をテーマにした題材で40円バイ貝とともに昭和63年(1988年)4月1日に発行されました。1年後に消費税3%により郵便料金が値上げされ、オオイトカケガイ62円が発行されましたが、定形書状用料金であるために梵鐘からの切り替えも早く大量に印刷され出回りました。消印の変更も含めてこの切手にはエラー印が多く存在しています。消印は平成元年、東京中央局日比谷パークビル内分室の和文ローラー印です。
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
2020年07月06日
ソメイヨシノ10円ペアの分室局櫛型印(広島中央局県庁内分室)
ソメイヨシノ10円は定形書状用に発行された切手です。昭和41年(1966年)7月1日の郵便料金改正前までは定形外郵便という項目はなく、書状は10グラムごとに10円でした。20グラムは20円で30グラムが30円、それぞれ2倍重量や3倍重量便と呼ばれています。今回の消印はペアで昭和40年印ということは2倍重量だったのでしょうか。県庁内には多くの分室が存在していました、消印は広島中央局県庁内分室の櫛型印です。
(局の変遷)
・1949年3月1日〜1956年4月24日=広島駅前郵便局 広島県庁内分室
・1956年4月25日〜1958年10月31日=広島郵便局 県庁内分室
・1958年11月1日〜1961年3月5日=広島西郵便局 県庁内分室
・1961年3月6日〜1964年4月19日=広島郵便局 県庁内分室
・1964年4月20日〜2013年3月31日=広島中央郵便局 県庁内分室
・2013年4月1日〜=広島県庁内郵便局
(県庁内分室が存在した親局)
・前橋中央局、岡山中央局、山口中央局、鹿児島東局、
(局の変遷)
・1949年3月1日〜1956年4月24日=広島駅前郵便局 広島県庁内分室
・1956年4月25日〜1958年10月31日=広島郵便局 県庁内分室
・1958年11月1日〜1961年3月5日=広島西郵便局 県庁内分室
・1961年3月6日〜1964年4月19日=広島郵便局 県庁内分室
・1964年4月20日〜2013年3月31日=広島中央郵便局 県庁内分室
・2013年4月1日〜=広島県庁内郵便局
(県庁内分室が存在した親局)
・前橋中央局、岡山中央局、山口中央局、鹿児島東局、
2020年07月02日
新ホトトギス3円ペーン田型の分室局三日月欧文印(東京中央局比谷パークビル内分室)
昭和47年(1972年)2月1日の郵便料金値上げに伴い、ハガキ額面が7円から10円になることから3円切手の大量需要を考慮して、通常の100枚シートの3円とは別に20枚ペーンを前日に発行しました。発行は1回限りで数か月で販売が終了しています。ハガキへの加貼りが主な用途ですが実逓便もあまり見かけず、複数使用は収集家以外では見かけない切手です。消印は東京中央局比谷パークビル内分室も三日月欧文印です。
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
(局の変遷)
・1952年4月1日〜1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日〜2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室