2016年07月10日

第287回 柿色






文●ツルシカズヒコ




 野枝が大杉に面会したのは一九一九(大正八)年七月二十二日だったが、彼女は七月十九日か七月二十日にも警視庁に来て吉田一(はじめ)に面会している(「或る男の堕落」)。

 吉田は電気料不払いのために切られた電線を接続して電気を窃盗、七月十九日に警視庁(刑事課)に召喚され、七月二十一日から東京監獄の未決監に収監された(『日録・大杉栄伝』)。

 そのころのことを野枝はこう書いている。

 Yは吉田、Oは大杉。


 それは大正八年の夏のことで、労働運動の盛んに起つて来た年の夏で、警視庁は躍起となつて、此の機運に乗じて運動を起さうとする社会主義者の検挙に腐心したのです。

 そしてYと同時に、Oも次から次へと、様々な罪名で取調べを受けてゐる時でした。


(「或る男の堕落」/『女性改造』一九二三年十一月号・第二巻第十一号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)

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 吉田の収監を同志たちは「いい機会が来た」と喜んだという。

 増長しすぎていた彼にとって良い薬になるからだ。

 読み書きができない吉田である。

 獄中から葉書一枚書くこともできない、手紙をもらっても読むことができない。

 野枝も同情したが、しかし、吉田はあくまで図々しく我がままだった。

 吉田に面会し面倒を見たのは村木だった。

 吉田は印刷した振り仮名があればなんとか読めるようだったので、村木は苦心して振り仮名つきの本を探して差し入れた。

 しかし、振り仮名つきの本は耳学問のある吉田には物足りない。

 彼は怒った。

 さりとて、吉田好みの運動関係の本は初歩のものでも、振り仮名がついていないものがほとんどだった。





 あるとき、村木は肩の凝らない本として、講談調の『西郷隆盛』を差し入れた。

 喜んで読んでくれるかと思ったが、吉田は怒った。

「講談本なんぞを入れてもらうと、看守どもが馬鹿にする」というわけである。

 獄中の同志に書物を差し入れるという作業は、実は厄介で骨の折れることなのである。

 少しでも身になるように、無駄をしないように、当人の精神状態も考慮しなければならない。

 しかし、そんなことにはまったく無頓着な吉田は、未決監にいる間は我がままを通した。

 一審判決が出ると、吉田は既決監に下って豊多摩監獄に送られた。

 吉田はそこで六ヶ月の刑期を送ったが、刑期中の仲間への消息は絶えた。

 振り仮名の本を読むことも許されず、手紙も書けなかったからだ。





 七月二十三日、大杉は尾行巡査殴打事件の傷害罪で起訴され、東京監獄の未決監に収監された。

 野枝は獄中の大杉に手紙を書いた。

 宛て先は「東京市牛込区市谷富久町 東京監獄内」、発信地は「東京市本郷区駒込曙町一三番地 労働運動社」である。


 御気分いかがですか?

 警視庁での二晩は随分お辛らかつた事と思ひます。

 あの警部の室(へや)で会つた時の最初の顔がまだ目についてゐて仕方がありません。

 ずゐぶん疲れた顔をしてゐましたね。

 どうせ仕方のない事だと思つてゐても、あんな様子を見ますと何んだか情けなくなつてしまひます。

 けれど、とんだ余興がはいつたりして、思ひの外自由に話が出来たり、永々と休めたのは本当に嬉しうございました。

 獄中記は今月中に出来るさうです。

 今日一寸(ちよつと)よつて表紙の色と、林(倭衛)さんの絵の工合を見て来ました。

 表紙は思つたよりはいい色が出ました。

 しかし、さめた色は商品として困ると云ふやうな話でした。

 さう云はれて見るとそのやうな気もしますから、また真新しい柿色で我慢をしますかね。

 着物と羽織を入れます。

 あんなつむじまがりを云はないで裁判所に出る時は、チヤンとしたなりをして出るようにして下さい。

 あんまりみつともないのは厭やですから。

 これは私のたつた一つのお願ひです。

 でなければ、私が一生懸命縫つたのが何にもなりませんわ。

 それではあんまり可哀さうぢやありませんか。

 本当にくれ/″\も体をわるくしないようにして下さい。

 お願ひ致します。

 今度の事件は、知識階級の間だけでなく、一般にも本当に問題にされてゐます。

 本当につまらない事でしたけれど、結果から考へれば決してつまらない事ではありません。

 私はあなたとの生活には、まだ/\もつと悲惨な、もつと苦しい辛い生活だつて喜んで享受するつもりだつたのです。

 まだこれからだつて予期しています。

 あなたがそちらで不自由な月日を送るのに、私達がべん/\と手を束(つか)ねて怠けながら、あなたの帰へりを待つと云ふ事は出来ません。

 めい/\に出来るだけの仕事をして待ちます。


(【大正八年七月二十五日・東京監獄内大杉栄宛】・「消息 伊藤」・大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛 一九一九年七月二十五日」・『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)





「とんだ余興」というのは、例の愛国者の一件のことである。

『獄中記』は八月一日に春陽堂から出版された。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、『新小説』一月号、二月号、四月号に掲載した「獄中記」「続獄中記」と書簡「獄中消息」を併せて単行本にしたのである。

『新小説』に連載した「獄中記」「続獄中記」は評判がよく、このころから大杉の原稿が売れるようになったという。

 単行本『獄中記』の表紙を柿色にしたのは、当時の囚人服が柿色だったからと思われる。

 大杉は獄中から野枝に返信を書いた。


 はじめての手紙だ。

 まだ、どうも、本当に落ちつかない。

 いくら馴れているからと云つても、さうすぐにアトホオムとか行かない。

 監獄は僕のエレメントぢやないんだからね。

 先づ南京虫との妥協が何んとかつかなければ駄目だ。

 次ぎには蚊と蚤だ。

 来た三晩ばかりは一睡もしなかつた。

 警視庁での二晩と合せて五晩だ。

 しかし、いくら何んだつて、さう/\不眠が続くものぢやない。

 何が来ようと、どんなにかゆくとも痛くとも、とにかく眠るようになる。

 今では睡眠時間の半分は寝る。

 どんなに汗が出てもふかずに黙つてゐる僕の習慣ね、あれが此のかゆいのや痛いのにも大ぶ応用されて来た。

 手を出したくて堪らんのを、ぢつとして辛棒してゐる。

 斯う云ふ難行苦行の真似も、ちよつと面白いものだ。
 
 蚊帳の中に蚊が一匹はいつても、泣つ面をして騒ぐ男がだ、手くびに二十数ケ所、腕に十数ケ所、首のまはりに二十幾ケ所と云ふ最初の晩の南京虫の手創(てきず)を負ふたまま、其の上にもやって来る無数の敵を、斯ふして無抵抗主義的に心よく迎へてゐるんだ。

 大便が二日か三日に一度しか出ない。

 監獄に入るといつも、最初の間はさうだ。

 そして、それが、一日に一度と規則正しくきまるやうになると、もう〆たものだ。

 其の時には、何にもかも、すつかり監獄生活にアダプトして了ふのだ。


(【伊藤野枝宛・大正八年八月一日】・「獄中消息 市ヶ谷から(四)」・大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/大杉栄研究会編『大杉栄書簡集』・海燕書房・一一一)


中野刑務所 ※中野刑務所2



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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