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ヤクザ映画にもお国柄を感じる


偶然見つけた映画です。昭和40年(1965)の正月公開の東映映画「顔役」という映画を見ました。鶴田浩二さん、高倉健さんが主演している映画です。

私は、この映画を見て、日本的だなと思ったのです。


映画の概略

関東の埋立地の整地作業の入札に、関西の暴力団が食い込みを図ろうとします。そこに関東の暴力団が阻止しようとします。その過程が物語になっています。


映画の中で展開する事件の背景

埋立地は、漁民が漁場を放棄する見返りに、酪農地にするという所なのです。しかし、関東側の大親分は、国会議員らしい建設会社(?)の会長と組んで、整地する埋立地に、牧草が生える土ではなく、舗装用の草の生えない土を入れて工事を進め、漁民から埋立地を安く買い叩き、宅地として転売し、大儲けしようとしていたのです。そのことを伏せて、実行部隊の責任者である鶴田浩二さんや、その部下の高倉健さんに、工事を進めさせようとしていたのです。

もし、何か問題があれば、大親分は、鶴田浩二さんや、高倉健さんたちに責任を被せて逃げようとする意図がちらつきます。

また、鶴田浩二さんは、大親分の組織では最古参ですが、殺しの命令を引き受けさせられて、10年網走刑務所に入っていたという設定になっています。本来であれば、次期、大親分という立場です。

一方、大親分の秘書は、自分が次期大親分を狙っていますので、鶴田浩二さんが邪魔です。この部分は、説明場面が無いので分かりにくいです。それで、埋立地の整地作業の入札をめぐって、関西と関東が策略を巡らしながら敵対しているのに乗じて、大親分の秘書は、鶴田浩二さんの部下の一人をそそのかして、関西の暴力団の現場事務所を襲撃させ、幹部を含む組員を射殺します。それを受けて、関西側は、ヒットマンを送って、関東の大親分を暗殺します。

ところで、関西側の事務所襲撃の原因となる、関西側が最初に仕掛けた関東側への放火事件は、この秘書は関係なさそうです。

この一連の騒動の原因を、関東の大親分の秘書が影で引き起こしているのですが、鶴田浩二さんや高倉健さんたちに、責任を被せ、2人を殺し、その死体を関西側に差し出すことで、秘書は、関東と関西の争いを収めようという魂胆なのです。そして、めでたく関東の大親分になろうとしています。


日本的だと思ったところ


そういう背景を知りながらも、鶴田さんは責任を被り、高倉健さんに、自分と一緒に死んでくれと話すと、これから弔い合戦を始めようとして埋立地に集結した、関東と関西の大集団の間に進み出て、自分たちの死をもって、争いを納めてほしいとお願いし、お互いに銃を向け合って撃ちます(その結果は意外な内容です)。

不条理であっても、鶴田さんが、責任を取って組織に殉じる姿が日本的だと思ったのです。

これが外国映画ですと、責任を取って自ら死のうという展開にはなりにくいです。
そもそも誰が死のうが関係なく、利権を奪うまで、複数の関係者が入り乱れて、お互いに、何度でも騙し合い、殺し合う展開になるかと思います。そのため、敵対勢力を皆殺しにしない限り油断ができません。

ところが、この映画では、責任を取って死んだ人に免じて、敵対する陣営がお互いにもう争わないと手を引くところは、外国人が見たら理解できないかも知れません。道徳が存在しているところが有り得ないと思われそうです。


顔役4.jpg
関西から焼き討ちに合う関東



顔役1.jpg
大親分に埋立地の土を、牧草が生える土に変えるよう、お願いする鶴田浩二さん


顔役2.jpg
鶴田さんから直訴を受けた大親分(一番左)


上の写真は、鶴田さんが、漁業組合長との約束を守り、漁民を救うため、大親分に工事現場の土の件で直訴する場面です。親分は鶴田さんに俺に説教する気かと言います。

しかし、鶴田さんは直訴する場面も含めて、怒らず冷静に、関東側の評判が悪くなり信用を失うので、悪巧みはやめて正攻法にすべきだと話し、親分に服従する姿を見せながらも、これはお願いですと返します。

更に、今のやりかたでは、漁民が生活できなくなるので良い返事を待っていますと良心に訴えてから帰っていきます。外国のギャング映画では、見かけない光景です。外国なら、大親分が襲撃される展開になりそうです。

この絶対服従すべき親分に意見したということも、自分が責任をかぶって死のうと決意させる遠因になっていると思います。外国映画では、例外はあるでしょうが、そもそも自分が責任を取って死のうとする発想がありません。


顔役5.jpg
自分たちの死をもって争いをおさめてほしいと周囲に話しかける鶴田さんと健さん


血気あふれる部下の、先走った軽率な行動の全責任を、文句も言わず全て鶴田さんが受け入れる姿です。今の日本ではもう見なくなった光景です。現在は責任を取らない人のほうが多いのではないでしょうか。

以上が、ヤクザ映画ながら道徳的に教えられたことです。また、悪党にも節度、道徳があるところが日本的だと思ったのです。



それではまた!








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