2017年02月15日
可能動詞
その動詞1語で「〜することができる」という意味を含む動詞を、
【可能動詞】といいます。
「読める」「書ける」「聞ける」「話せる」「飛べる」…
このような動詞のことです。
それぞれ、
「読む」「書く」「聞く」「話す」「飛ぶ」…
が、もとの形で、
これらに可能の助動詞「れる」をつけて「ar」を省略したのが、
可能動詞です。
「ar」とは何か。
上記の単語に助動詞「れる」をつけ、ローマ字で書いてみます。
「読まれる」「書かれる」「聞かれる」「話される」「飛ばれる」
「yomareru」「kakareru」「kikareru」「hanasareru」「tobareru」…
どの単語にも、真ん中あたりに「ar」が入っていますね。
それでは、その「ar」を抜いてみましょう。
「yomeru」「kakeru」「kikeru」「hanaseru」「toberu」…
はい、可能動詞ができました。
助動詞「れる」「られる」には、4つの意味があります。
「受身・可能・自発・尊敬」の4つです。
上記の「ar」を抜く前の言葉を見て、
「読まれる、なんていうと、『秘密の手紙を読まれる』みたいに受身の文に見える」
と思いませんでしたか。
「話される、なんていうと、なんだか偉い人がお話しになっている感じがする」
とかね。
実は、たぶん、昔の人もそう思っていました。
文脈で判断できるとはいえ、紛らわしいな、と。
そこで、可能の意味で使う時だけ、
「ar」を省略することにしました。
「読める」「書ける」…といえば、誤解されずにすみますね。
ちゃんと「〜できる」という意味が伝わります。
ひとつ注意が必要なのは、
このルールは五段活用動詞にのみ適応されるということ。
たとえば、
上一段活用動詞の「見る」に可能の助動詞「られる」をつけると、
「見られる」
「mirareru」
となり、真ん中の「ar」を抜くと、
「mireru」…あら不思議。
「見れる」という「ら抜き言葉」になってしまいます。
下一段活用動詞の「食べる」に可能の助動詞「られる」をつけると、
「食べられる」
「taberareru」
となり、真ん中の「ar」を抜くと、
「tabereru」…あら不思議。
「食べられる」という「ら抜き言葉」になってしまいます。
実は、これらの変化は、
五段活用動詞から可能動詞を作り出した流れと同じなので、
これから何十年か経てば、
下一段活用や上一段活用の動詞から可能動詞を作ること(ら抜き言葉)が、
文法的にも容認されるでしょう。
そういえば、最近、「ら抜き言葉」についてうるさく言うひとが
少なくなってきた気がします。
むしろ、「れ入れ言葉※」のほうが気持ち悪いです。
(※「れ入れ言葉」とは、すでに可能の意味を持つ可能動詞に「れ」を入れてしまうことです。「読めれる」「書けれる」…というのが、それです。)
しかし、今のところは文法的に正しいとされる可能動詞は
五段活用動詞からしか作れませんので、ご注意ください。
ちなみに、五段活用動詞からできた可能動詞は、
全て下一段活用に変わります。
【可能動詞】といいます。
「読める」「書ける」「聞ける」「話せる」「飛べる」…
このような動詞のことです。
それぞれ、
「読む」「書く」「聞く」「話す」「飛ぶ」…
が、もとの形で、
これらに可能の助動詞「れる」をつけて「ar」を省略したのが、
可能動詞です。
「ar」とは何か。
上記の単語に助動詞「れる」をつけ、ローマ字で書いてみます。
「読まれる」「書かれる」「聞かれる」「話される」「飛ばれる」
「yomareru」「kakareru」「kikareru」「hanasareru」「tobareru」…
どの単語にも、真ん中あたりに「ar」が入っていますね。
それでは、その「ar」を抜いてみましょう。
「yomeru」「kakeru」「kikeru」「hanaseru」「toberu」…
はい、可能動詞ができました。
助動詞「れる」「られる」には、4つの意味があります。
「受身・可能・自発・尊敬」の4つです。
上記の「ar」を抜く前の言葉を見て、
「読まれる、なんていうと、『秘密の手紙を読まれる』みたいに受身の文に見える」
と思いませんでしたか。
「話される、なんていうと、なんだか偉い人がお話しになっている感じがする」
とかね。
実は、たぶん、昔の人もそう思っていました。
文脈で判断できるとはいえ、紛らわしいな、と。
そこで、可能の意味で使う時だけ、
「ar」を省略することにしました。
「読める」「書ける」…といえば、誤解されずにすみますね。
ちゃんと「〜できる」という意味が伝わります。
ひとつ注意が必要なのは、
このルールは五段活用動詞にのみ適応されるということ。
たとえば、
上一段活用動詞の「見る」に可能の助動詞「られる」をつけると、
「見られる」
「mirareru」
となり、真ん中の「ar」を抜くと、
「mireru」…あら不思議。
「見れる」という「ら抜き言葉」になってしまいます。
下一段活用動詞の「食べる」に可能の助動詞「られる」をつけると、
「食べられる」
「taberareru」
となり、真ん中の「ar」を抜くと、
「tabereru」…あら不思議。
「食べられる」という「ら抜き言葉」になってしまいます。
実は、これらの変化は、
五段活用動詞から可能動詞を作り出した流れと同じなので、
これから何十年か経てば、
下一段活用や上一段活用の動詞から可能動詞を作ること(ら抜き言葉)が、
文法的にも容認されるでしょう。
そういえば、最近、「ら抜き言葉」についてうるさく言うひとが
少なくなってきた気がします。
むしろ、「れ入れ言葉※」のほうが気持ち悪いです。
(※「れ入れ言葉」とは、すでに可能の意味を持つ可能動詞に「れ」を入れてしまうことです。「読めれる」「書けれる」…というのが、それです。)
しかし、今のところは文法的に正しいとされる可能動詞は
五段活用動詞からしか作れませんので、ご注意ください。
ちなみに、五段活用動詞からできた可能動詞は、
全て下一段活用に変わります。
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この文の助動詞の意味を答える問題で、「富士山が誰かに見られている」と感じて「受け身」と答えてしまい×になりました。
自分の感覚がおかしいのかな??と思っていましたが、この記事を見てホッとしました。
「空気が澄み、富士山がはっきり望める。」って普通は言うような。。。意地悪問題
だ。。。