2017年02月13日
動詞の連体形
連体形というのは、
その名のとおり「体言に連なる形」、
つまり名詞を詳しくする形です。
すぐ下に被修飾語の名詞があれば、
連体形であると分かります。
被修飾語の名詞は、
普通名詞の場合もありますが、
「とき」「こと」「もの」といった
形式名詞である場合も多いです。
ですから、
基本的には連体形を見つけるのは容易なのですが、
終止形のときと同じく、
覚えておかなくてはいけない例外もあります。
「川の水が流れるような音がした。」の「流れる」
推定の助動詞「ようだ」は連体形に接続することになっています。
だから、「ような」の前の「流れる」は、連体形です。
「朝、娘を起こすのは私の役目だ。」の「起こす」
「起こすの」の「の」は、形式名詞「こと」と置き換え可能な、
準体言助詞(名詞みたいな働きをする助詞、という意味)という格助詞です。
「こと」に置き換えられる、ということは、
この「の」は名詞みたいなものですから、
その直前は「連体形」となります。
上記の「の」と同じようなものに、
接続助詞の「ので」「のに」があります。
「甘いものをよく食べるので、バレンタインデーは楽しい祭典だ。」の「食べる」
「そんなに勉強するのに、なぜ成績が悪いの?」の「勉強する」
この「ので」と「のに」は、
もともと「準体言助詞の+で」と「準体言助詞の+に」なので、
直前が連体形になります。
「死ぬほど勉強した。」の「死ぬ」
「あとは結果を待つばかりだ。」の「待つ」
「触っちゃダメですが、見るだけならいいですよ。」の「見る」
「電車が全線不通で、歩くしかない。」の「歩く」
「私が呼ぶまで待っていてください。」の「呼ぶ」
「朝から降り出した雨は、ひどくなるばかりだ。」の「なる」
これら6つの例は、全て連体形です。
すぐあとの副助詞(ほど、ばかり、だけ、しか、まで、ばかり)が、
連体形に接続することになっているからです。
数は多くないので、覚えてしまったほうが、
「連体形かな、終止形かな?」
と迷わないですよ。
その名のとおり「体言に連なる形」、
つまり名詞を詳しくする形です。
すぐ下に被修飾語の名詞があれば、
連体形であると分かります。
被修飾語の名詞は、
普通名詞の場合もありますが、
「とき」「こと」「もの」といった
形式名詞である場合も多いです。
ですから、
基本的には連体形を見つけるのは容易なのですが、
終止形のときと同じく、
覚えておかなくてはいけない例外もあります。
「川の水が流れるような音がした。」の「流れる」
推定の助動詞「ようだ」は連体形に接続することになっています。
だから、「ような」の前の「流れる」は、連体形です。
「朝、娘を起こすのは私の役目だ。」の「起こす」
「起こすの」の「の」は、形式名詞「こと」と置き換え可能な、
準体言助詞(名詞みたいな働きをする助詞、という意味)という格助詞です。
「こと」に置き換えられる、ということは、
この「の」は名詞みたいなものですから、
その直前は「連体形」となります。
上記の「の」と同じようなものに、
接続助詞の「ので」「のに」があります。
「甘いものをよく食べるので、バレンタインデーは楽しい祭典だ。」の「食べる」
「そんなに勉強するのに、なぜ成績が悪いの?」の「勉強する」
この「ので」と「のに」は、
もともと「準体言助詞の+で」と「準体言助詞の+に」なので、
直前が連体形になります。
「死ぬほど勉強した。」の「死ぬ」
「あとは結果を待つばかりだ。」の「待つ」
「触っちゃダメですが、見るだけならいいですよ。」の「見る」
「電車が全線不通で、歩くしかない。」の「歩く」
「私が呼ぶまで待っていてください。」の「呼ぶ」
「朝から降り出した雨は、ひどくなるばかりだ。」の「なる」
これら6つの例は、全て連体形です。
すぐあとの副助詞(ほど、ばかり、だけ、しか、まで、ばかり)が、
連体形に接続することになっているからです。
数は多くないので、覚えてしまったほうが、
「連体形かな、終止形かな?」
と迷わないですよ。
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日本語を勉強している外国人で、エゼルと申します。
この文章は大変いいと思います。勉強になりました。
ちょっと質問したいんですが、
6つの例は名詞ではなく、副助詞ですが、連体形と見られます。それも例外ですか。
何か由来がありますか。それとも、体言は名詞だけではなく、助詞も入っているのでしょうか。