2018年07月05日
世界1周の旅:アジア編 J【ヨルダン】 馬に乗ってペトラ遺跡へ!
A voyage round the world : Asia Edition J
To the remains of Petra on a horse! 【February 2011】
ペトラを前に無賃乗車で逮捕?
砂漠の中の唯一の舗装道路を走る乗合バスの座席に落ち着いて、さてこれからどうしようと考え始めたところでハタと気付いた。お金を一銭も持っていない。
今朝ナーサに50ディナール支払った時すでに1ディナール足りずにまけてもらったのだ。
ワディ・ラムのバス停ではまさに発車せんとするバスに飛び乗ったので、すっかり頭から抜け落ちていた…。
広大なペトラ遺跡国立公園と向かいに見える集落ワディ・ムーサ。
まずい、米ドルは少し持っているがこんな田舎では使えない。
ペトラのバス停は街中から離れているからATMなど無いだろう。
それよりこのバスって一体どこ行きなの、ほんとにペトラに行くのかな?どのくらいで着く?にわかに不安が襲ってくる。
無賃乗車って逮捕されちゃうのかな。捕まって人身売買とか、ないよね?
夕べテントの中で一晩中火を焚いていたので煙にやられたのか喉と肺がかなり痛み、いやな咳が止まらない。
夜の寒さのせいか以前より風邪気味なうえに次々と襲うピンチで周囲のアメイジングな景色に見惚れる余裕もなく、キョロキョロと挙動不審に陥った私に幸運の女神が微笑んだ。
斜め前方に座っている黒髪の二人連れ女性は日本人ではないか?
だとすれば大金を持ち歩いているはずだ!
日本からの個人旅行者などいないだろうと思っていたこの地で、しかも現地の人が使う生活路線バスの中で日本人に会い、彼女たちが運良く米ドルと両替できるだけのディナール紙幣を持っていたことは私にとって奇跡だった。
神様、ありがとう!
かくして3時間後、無事にペトラで降車できた私だったが、再び途方に暮れる。バス停から街まではスーツケースを引きずって行ける距離ではない。タクシーに乗るにもお金がない。
そんな私の目に、バス停の駐車場に停まっていたユース・ホステルの送迎バスが映る。
ドライバーの「ウチに泊まれ〜」オーラ全開の目力に引き寄せられるようにマイクロバスに乗り込み、他のバックパッカーらと共に今夜の安宿へと向かったのだった。
天の高みから遺跡を見る
凍り付くような寒さの部屋に落ち着いたのが昼前。
すぐにでもベッドに倒れ込んで眠りたかったが、ペトラ遺跡見学を明日にするともう一泊ここに泊まらなければならないので、そのまま疲れた体を奮い起こし、何かに憑かれるようにペトラ遺跡国立公園へと向かった。
時としてどんなに疲れていても旅人を突き動かすこの衝動、正体は未だ謎である。
天気予報は曇り後雨。今にも降り出しそうな気配が濃厚な灰色の空の下『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』で聖杯の隠し場所として登場する岩山をくり抜いた神殿エル・ハズネまで徒歩一時間。よし、歩くぞ!と気合を入れて歩き出して5分、またしても悪魔が私に声をかけた。
オフシーズンで人が少ないうえにこの曇天。一人でフラフラと歩いている奴は格好のカモとなる。
馬車やラクダのタクシーなどに声をかけられるも、脇目もふらずに歩いていたのに何故か彼の誘いには答えてしまったのだ。
白い美しい馬を引いたそのヨルダン人は「観光客が普段行かないルートがあるんだ。エル・ハズネがとても綺麗に見える所だよ。今日は人が少なくて商売にならないから帰るつもりだったけど、君ならタダで連れて行ってあげる」と私の横を歩きながら言った。
これも普段の私なら「そんなわけないでしょ」と相手にしないのだが、ちょうどその頃から霧雨が顔を濡らすようになり、50ディナール(約6千円)も払って入場した遺跡なのに、ガイドもなく標識だけを頼りに歩いてこの広大な渓谷の中で迷ったりしてたどり着けなかったら…と不安が生まれていたところだったので、彼の提案にすがるような心持ちになってしまったのだろう。
魔が差すとはこういうことを云うのだろうな。
私は覚悟を決めて白馬に跨った。
彼が馬を引いて赤茶色の石がゴロゴロした丘を上へ上へと登って行く。途中遺跡内に住んでいる人の畑を通り過ぎたりして深くなる霧の中、かなりの急勾配をどれだけ進んだろうか。
「雨が来るから急いだ方がいい。俺が引くより乗って駆けた方が早い」と言ってヒラリと馬に跨ると、奴は子供を抱きかかえる父親のように自分と手綱の間に私を押し込んだ。
ここで私、来たぞと思う。
先ほどから感じていた必要以上に体を密着させてくる様子といい、このままどこかへ拉致監禁?などという妄想が一瞬浮かぶが、こんな方向もわからない岩山の真上で置き去りにされるのも困る。今はこの男を信じるしかない。
更に高所へと進み馬が歩けない場所に着くと、馬を木につないだ彼は「ここからは歩いてすぐだ」という。ここで身ぐるみ剥がされて置き去りかと愕然とするが、飛ぶように岩の上を進む彼に「カモン!」と呼ばれ慌てて着いて行く。
が、大きくてゴツゴツした岩の間を進むのは容易ではない。
呆れた彼はいきなり私を背負うとサルのように岩場を渡り始めた。
映画のままの美しいエル・ハズネ
「何が起きてる?」という放心状態に陥った私は時に背負われ、時に抱きかかえられ、気が付くと絶壁の真上に立っていた。
彼の指さす方向を見下ろすと、そこには映画で見た遺跡そのものであるエル・ハズネの優雅な佇まいがあった。
こんなグランドキャニオンのような渓谷の奥深くにこれほど美しいピンク色の岩の芸術が眠っていようとは…。
私は狭い岩のスペースにへたりこんだまま息をするのも忘れてその夢のような光景に見入った。
一刀両断にされたような岩の断面に繰り抜かれた厳かなギリシャ神殿風の正面。
本来入場者は広大な遺跡の入り口であるビジターセンターから、様々な遺跡を見ながら歩き、約1時間後狭い岩盤の間をすり抜けてやっとこの霊廟に辿り着く。
私もこの巨大な神殿風の柱の下をくぐりたかった。
真下から見上げたこの霊廟は、さぞ大きくて威厳に満ちていることだろう…と思いを馳せる私を現実に引き戻したのは、屈強なヨルダン男と頬を打つ雨滴だった。
またしても彼にされるがままの状態で岩場を渡り、馬の待つ場所へと戻る。
途中一度私を抱きかかえた彼が足を滑らせたことがあった。
その時の奴はさすがに肝を冷やしたようで深呼吸をしながら「危なかった」と呟いた。
いつものニヤケ顔とは違う真剣に焦った表情だった。
運が悪ければ二人して奈落の底へ真っ逆さま、バラバラ死体で数日後に発見されていたかもしれない。
それまでヨルダン男に抱っこされて岩を渡るアジア女、というこの笑える状況はビジュアルとしてどうなんだ?とどこか可笑しく感じていたのだが、この誰もいない岩山の谷間で見知らぬヨルダン男に命を預けている不思議さが、一瞬胸をキュッと締め付けた。
私が今ここにいることを知る人は誰もいない。
そのとき、一人の小さな人間の命を掌にのせた神の姿が見えた気がした。
貞操の危機、再び…
二人乗りで馬を走らせて間もなく、雨が本降りになってきた。
と、奴が「馬を休ませないと」と言って馬から下りると、近くの岩の洞窟へと私達を引いて行った。
雨も強くなっていたし、確かにこの悪路を二人も乗せてギャロップしてきた馬も可哀想だと思い、仕方なく彼に従い馬を下りて洞窟へと入る。
谷底へ真っ逆さまの危機は過ぎたが、もう一つ「屈強なヨルダン男」という危機はまだ続いている。ヤバい、と思ったとおり「マッサージしてやる」攻撃が始まった。
なぜ世界共通、ナンパ男は例外なくマッサージしたがるのだろう。
日本人女性である私には、スキンシップは親愛の証、と言わんばかりの文化は受け入れがたい。
恋人以外の男性に体に触れられるのは不快以外の何ものでもないのに。
日本人特有の気弱さと、置き去りにされたら…という一抹の不安から曖昧な「No」を繰り返していた私も、肩を揉んでいたはずの手が胸に回ってくるに至り、さすがにキレた。
激しく手を振り払い立ち上がると真剣に怒り「ノーと言ったらノー!マッサージなんか必要ないっ」と拒否権を発動したのだが、敵もさる者。
余裕の笑みで次は「I love you. Marry me.(愛してるよ、結婚してくれ)」ときた。
なるほど、ヨルダン男は開き直るのか。
更に「I can do wonderful sex. Because I am a very strong man. Do you like sex?(俺は素晴らしいセックスができるぜ。なんせ俺は強い男だからな。お前、セックスは好きか?)」と日本の某会社社長M氏もビックリのセクハラトークで迫られると、私はもう笑うしかなかった…。
ここに落ちたら、さすがに命ないよね…
遠くまで広がる驚くべきペトラの全景、小さく見えるワディ・ムーサの街並み、上から見下ろした優美なエル・ハズネ。
確かに私は普通の観光客ができないペトラを経験した。
そして初めての乗馬は、実はけっこう楽しかった。
帰路では私の前に座ったストロングマンの華麗な手綱さばきで「ひえ〜!」と体がすくむような岩山をギャロップで駆け抜ける爽快さ。
晴れていればもっと遠くまで行ったかもしれない。しかし、天はまたしても私を過酷な世界へ引きずりこむ。
貞操の危機を脱するため、渋るストロングマンを急き立てて再び馬上の人となるも、時おりパラパラと強くなったり弱くなったりしていた雨が強風に煽られて肌を刺すほどの降りになり、さっきまでの勢いはどこへやら、ストロングマンの背中にしがみついた。
馬はゲートへ向かってひた走る。生理中なのに加え、2時間余りの乗馬による股間から太腿への痛みもあり、足を広げているのが限界になってきていた。
生理痛は増すし風雨は激しくなるし、周囲に人影はなく霧は深く立ち込めて視界はほとんど奪われた。
そのあまりの心細さに、半ベソ状態でフードを深く被りストロングマンの背中にしがみついたまま、ただ「I wanna go home!(家に帰りたい!)」と心の中で叫んでいた。
世界一周旅の始まりはこちらから。
To the remains of Petra on a horse! 【February 2011】
ペトラを前に無賃乗車で逮捕?
砂漠の中の唯一の舗装道路を走る乗合バスの座席に落ち着いて、さてこれからどうしようと考え始めたところでハタと気付いた。お金を一銭も持っていない。
今朝ナーサに50ディナール支払った時すでに1ディナール足りずにまけてもらったのだ。
ワディ・ラムのバス停ではまさに発車せんとするバスに飛び乗ったので、すっかり頭から抜け落ちていた…。
広大なペトラ遺跡国立公園と向かいに見える集落ワディ・ムーサ。
まずい、米ドルは少し持っているがこんな田舎では使えない。
ペトラのバス停は街中から離れているからATMなど無いだろう。
それよりこのバスって一体どこ行きなの、ほんとにペトラに行くのかな?どのくらいで着く?にわかに不安が襲ってくる。
無賃乗車って逮捕されちゃうのかな。捕まって人身売買とか、ないよね?
夕べテントの中で一晩中火を焚いていたので煙にやられたのか喉と肺がかなり痛み、いやな咳が止まらない。
夜の寒さのせいか以前より風邪気味なうえに次々と襲うピンチで周囲のアメイジングな景色に見惚れる余裕もなく、キョロキョロと挙動不審に陥った私に幸運の女神が微笑んだ。
斜め前方に座っている黒髪の二人連れ女性は日本人ではないか?
だとすれば大金を持ち歩いているはずだ!
日本からの個人旅行者などいないだろうと思っていたこの地で、しかも現地の人が使う生活路線バスの中で日本人に会い、彼女たちが運良く米ドルと両替できるだけのディナール紙幣を持っていたことは私にとって奇跡だった。
神様、ありがとう!
かくして3時間後、無事にペトラで降車できた私だったが、再び途方に暮れる。バス停から街まではスーツケースを引きずって行ける距離ではない。タクシーに乗るにもお金がない。
そんな私の目に、バス停の駐車場に停まっていたユース・ホステルの送迎バスが映る。
ドライバーの「ウチに泊まれ〜」オーラ全開の目力に引き寄せられるようにマイクロバスに乗り込み、他のバックパッカーらと共に今夜の安宿へと向かったのだった。
天の高みから遺跡を見る
凍り付くような寒さの部屋に落ち着いたのが昼前。
すぐにでもベッドに倒れ込んで眠りたかったが、ペトラ遺跡見学を明日にするともう一泊ここに泊まらなければならないので、そのまま疲れた体を奮い起こし、何かに憑かれるようにペトラ遺跡国立公園へと向かった。
時としてどんなに疲れていても旅人を突き動かすこの衝動、正体は未だ謎である。
天気予報は曇り後雨。今にも降り出しそうな気配が濃厚な灰色の空の下『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』で聖杯の隠し場所として登場する岩山をくり抜いた神殿エル・ハズネまで徒歩一時間。よし、歩くぞ!と気合を入れて歩き出して5分、またしても悪魔が私に声をかけた。
オフシーズンで人が少ないうえにこの曇天。一人でフラフラと歩いている奴は格好のカモとなる。
馬車やラクダのタクシーなどに声をかけられるも、脇目もふらずに歩いていたのに何故か彼の誘いには答えてしまったのだ。
白い美しい馬を引いたそのヨルダン人は「観光客が普段行かないルートがあるんだ。エル・ハズネがとても綺麗に見える所だよ。今日は人が少なくて商売にならないから帰るつもりだったけど、君ならタダで連れて行ってあげる」と私の横を歩きながら言った。
これも普段の私なら「そんなわけないでしょ」と相手にしないのだが、ちょうどその頃から霧雨が顔を濡らすようになり、50ディナール(約6千円)も払って入場した遺跡なのに、ガイドもなく標識だけを頼りに歩いてこの広大な渓谷の中で迷ったりしてたどり着けなかったら…と不安が生まれていたところだったので、彼の提案にすがるような心持ちになってしまったのだろう。
魔が差すとはこういうことを云うのだろうな。
私は覚悟を決めて白馬に跨った。
彼が馬を引いて赤茶色の石がゴロゴロした丘を上へ上へと登って行く。途中遺跡内に住んでいる人の畑を通り過ぎたりして深くなる霧の中、かなりの急勾配をどれだけ進んだろうか。
「雨が来るから急いだ方がいい。俺が引くより乗って駆けた方が早い」と言ってヒラリと馬に跨ると、奴は子供を抱きかかえる父親のように自分と手綱の間に私を押し込んだ。
ここで私、来たぞと思う。
先ほどから感じていた必要以上に体を密着させてくる様子といい、このままどこかへ拉致監禁?などという妄想が一瞬浮かぶが、こんな方向もわからない岩山の真上で置き去りにされるのも困る。今はこの男を信じるしかない。
更に高所へと進み馬が歩けない場所に着くと、馬を木につないだ彼は「ここからは歩いてすぐだ」という。ここで身ぐるみ剥がされて置き去りかと愕然とするが、飛ぶように岩の上を進む彼に「カモン!」と呼ばれ慌てて着いて行く。
が、大きくてゴツゴツした岩の間を進むのは容易ではない。
呆れた彼はいきなり私を背負うとサルのように岩場を渡り始めた。
映画のままの美しいエル・ハズネ
「何が起きてる?」という放心状態に陥った私は時に背負われ、時に抱きかかえられ、気が付くと絶壁の真上に立っていた。
彼の指さす方向を見下ろすと、そこには映画で見た遺跡そのものであるエル・ハズネの優雅な佇まいがあった。
こんなグランドキャニオンのような渓谷の奥深くにこれほど美しいピンク色の岩の芸術が眠っていようとは…。
私は狭い岩のスペースにへたりこんだまま息をするのも忘れてその夢のような光景に見入った。
一刀両断にされたような岩の断面に繰り抜かれた厳かなギリシャ神殿風の正面。
本来入場者は広大な遺跡の入り口であるビジターセンターから、様々な遺跡を見ながら歩き、約1時間後狭い岩盤の間をすり抜けてやっとこの霊廟に辿り着く。
私もこの巨大な神殿風の柱の下をくぐりたかった。
真下から見上げたこの霊廟は、さぞ大きくて威厳に満ちていることだろう…と思いを馳せる私を現実に引き戻したのは、屈強なヨルダン男と頬を打つ雨滴だった。
またしても彼にされるがままの状態で岩場を渡り、馬の待つ場所へと戻る。
途中一度私を抱きかかえた彼が足を滑らせたことがあった。
その時の奴はさすがに肝を冷やしたようで深呼吸をしながら「危なかった」と呟いた。
いつものニヤケ顔とは違う真剣に焦った表情だった。
運が悪ければ二人して奈落の底へ真っ逆さま、バラバラ死体で数日後に発見されていたかもしれない。
それまでヨルダン男に抱っこされて岩を渡るアジア女、というこの笑える状況はビジュアルとしてどうなんだ?とどこか可笑しく感じていたのだが、この誰もいない岩山の谷間で見知らぬヨルダン男に命を預けている不思議さが、一瞬胸をキュッと締め付けた。
私が今ここにいることを知る人は誰もいない。
そのとき、一人の小さな人間の命を掌にのせた神の姿が見えた気がした。
貞操の危機、再び…
二人乗りで馬を走らせて間もなく、雨が本降りになってきた。
と、奴が「馬を休ませないと」と言って馬から下りると、近くの岩の洞窟へと私達を引いて行った。
雨も強くなっていたし、確かにこの悪路を二人も乗せてギャロップしてきた馬も可哀想だと思い、仕方なく彼に従い馬を下りて洞窟へと入る。
谷底へ真っ逆さまの危機は過ぎたが、もう一つ「屈強なヨルダン男」という危機はまだ続いている。ヤバい、と思ったとおり「マッサージしてやる」攻撃が始まった。
なぜ世界共通、ナンパ男は例外なくマッサージしたがるのだろう。
日本人女性である私には、スキンシップは親愛の証、と言わんばかりの文化は受け入れがたい。
恋人以外の男性に体に触れられるのは不快以外の何ものでもないのに。
日本人特有の気弱さと、置き去りにされたら…という一抹の不安から曖昧な「No」を繰り返していた私も、肩を揉んでいたはずの手が胸に回ってくるに至り、さすがにキレた。
激しく手を振り払い立ち上がると真剣に怒り「ノーと言ったらノー!マッサージなんか必要ないっ」と拒否権を発動したのだが、敵もさる者。
余裕の笑みで次は「I love you. Marry me.(愛してるよ、結婚してくれ)」ときた。
なるほど、ヨルダン男は開き直るのか。
更に「I can do wonderful sex. Because I am a very strong man. Do you like sex?(俺は素晴らしいセックスができるぜ。なんせ俺は強い男だからな。お前、セックスは好きか?)」と日本の某会社社長M氏もビックリのセクハラトークで迫られると、私はもう笑うしかなかった…。
ここに落ちたら、さすがに命ないよね…
遠くまで広がる驚くべきペトラの全景、小さく見えるワディ・ムーサの街並み、上から見下ろした優美なエル・ハズネ。
確かに私は普通の観光客ができないペトラを経験した。
そして初めての乗馬は、実はけっこう楽しかった。
帰路では私の前に座ったストロングマンの華麗な手綱さばきで「ひえ〜!」と体がすくむような岩山をギャロップで駆け抜ける爽快さ。
晴れていればもっと遠くまで行ったかもしれない。しかし、天はまたしても私を過酷な世界へ引きずりこむ。
貞操の危機を脱するため、渋るストロングマンを急き立てて再び馬上の人となるも、時おりパラパラと強くなったり弱くなったりしていた雨が強風に煽られて肌を刺すほどの降りになり、さっきまでの勢いはどこへやら、ストロングマンの背中にしがみついた。
馬はゲートへ向かってひた走る。生理中なのに加え、2時間余りの乗馬による股間から太腿への痛みもあり、足を広げているのが限界になってきていた。
生理痛は増すし風雨は激しくなるし、周囲に人影はなく霧は深く立ち込めて視界はほとんど奪われた。
そのあまりの心細さに、半ベソ状態でフードを深く被りストロングマンの背中にしがみついたまま、ただ「I wanna go home!(家に帰りたい!)」と心の中で叫んでいた。
世界一周旅の始まりはこちらから。
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