2021年11月10日
世界1週の旅:【エピローグ】帰国、そして…
A voyage round the world : Epilogue
Return to Japan at the end, and... 【August 2011】
約半年に及ぶ世界1周旅の全行程を終えて8月8日、ムッとする息苦しい暑さの成田空港に降り立った私は、明らかに5月の一時帰国時とは違う心境だった。
あれからたった2か月が過ぎただけなのに、4か月ぶりに帰国した時よりも世界がガラッと変わってしまったような気がした。東京が知らない街に思えて、何だか違う惑星に来たみたいだった。
でも、東京駅で入ったスタバのお姉さんたちの親切さはビジネス・スマイル以上のもので、日本国に帰ってきたのだと感動したのだった。
帰国、そして…
帰国後、私は東京に戻り再就職した。
心をイギリスに残したまま。
再就職先が決まるまでの状況は、二転三転した。
その間に携帯が水没して大切なデータの多くを失った。あっという間に終わった、若い男とのゆきずりの恋のようなものもあった。その他にも普段では信じられないようなツイていない出来事ばかりが次々と起こり、私を当惑させた。
だが、そうではなかった。
友人の紹介で手相鑑定をしてもらった際、それは日本にいてはいけない、という守護霊たちからのメッセージだったのだと言われ、私の中で腑に落ちるものがあった。
この旅から時が経った今ならわかる。彼らは私を見捨てた訳ではなく、私が日本に留まるべきではないことを必死に伝えようとしてくれていたのだと。半年旅の間に私の中に芽生えた本当の望み、心の声を無視すべきではないと。
イギリスを去る時に感じた気持ち。
『やりたいことがあるのなら今やらなければ、と強く思う。“Do it now.” でなければ、いつまでたっても始められないだろう。「いつか」では、変化の時は永遠に来ない。人生を本当の意味で変えられるのは、ほかの誰でもない、自分だけなのだから』
そう感じた気持ちを、帰国後の私は忘れていた。
いや、忘れたふりをしなければ、周囲が望む社会人としての当たり前の生活には入っていけなかった。
ただ周囲の心配してくれる人々を安心させるために私は心の声を無視し、気の進まない再就職という道を選んだ。そして2年半自分を欺き続けて我慢に我慢を重ね、周囲に迷惑をかけ、結果的に自分を追い詰めた。
社会保険に加入したまともな会社に勤め、一定の収入を確保できる「普通の社会人」でいることが、親という後ろ盾を失った私が幸せに生きていく唯一の道だと世間一般の人が思うのは当然だ。地道に働いていればそのうち拾ってくれる奇特な男性も現れるかもしれない、と。
何より私自身、半年に及ぶ一人旅で「一人で生きること」に疲れを感じていたのだと思う。
私自身が「安定した生活」に戻ることを望んでいたのだ。心の声に耳を澄まし、逆風に立ち向かおうとする自分よりも、波風たてずに生きていこうとする自分の方が強かった。もう一人の自分がいかに心の声を聴けと叫んでいようとも。
社会常識よりも心の声に従うことは、相当な勇気を必要とする。いつの世もマイノリティが非難の的になるのは避けられないからだ。「やりたいことをやる」というマイノリティとなったことで、その声に出されない非難の声をこの半年の旅の間中、痛切に感じてきたのだ。
私はそれを怖れた。
帰国時の私は39歳。「四十にして惑わず」の40歳を目前にして、いい加減現実から目を逸らすことはやめたら、と常識的な私の声が囁いた。心の声に従うこともできたけれども、私は社会的常識に従うことを自ら選んだ。周囲はそのお膳立てをしてくれたに過ぎない。
かくして私は心の奥で叫び続けるもう一人の自分を無視して、東京で再就職するという最も安易な道を選んだ。
これで、世界1週旅シリーズは終わりです。
この後「普通の社会人」になりきれずに精神的に追い詰められた私は結局、会社勤めを辞めることを決め、再び旅に出ます。
その旅の記事は『さすらいびと』シリーズ(↓)として別のブログで書いています。
『さすらいびと ー 4ヶ月の仏英旅』の記事はこちらへ。
Return to Japan at the end, and... 【August 2011】
約半年に及ぶ世界1周旅の全行程を終えて8月8日、ムッとする息苦しい暑さの成田空港に降り立った私は、明らかに5月の一時帰国時とは違う心境だった。
スタンレーパークからノース及びウェスト・バンクーバーへ渡るLions Gate Bridge
あれからたった2か月が過ぎただけなのに、4か月ぶりに帰国した時よりも世界がガラッと変わってしまったような気がした。東京が知らない街に思えて、何だか違う惑星に来たみたいだった。
でも、東京駅で入ったスタバのお姉さんたちの親切さはビジネス・スマイル以上のもので、日本国に帰ってきたのだと感動したのだった。
帰国、そして…
帰国後、私は東京に戻り再就職した。
心をイギリスに残したまま。
レインフォレスト渓谷に架かる、長〜いキャピラノ吊り橋。高所好きな私は大興奮。
下は深い渓谷なので、高所恐怖症の人には厳しいかも。
下は深い渓谷なので、高所恐怖症の人には厳しいかも。
再就職先が決まるまでの状況は、二転三転した。
その間に携帯が水没して大切なデータの多くを失った。あっという間に終わった、若い男とのゆきずりの恋のようなものもあった。その他にも普段では信じられないようなツイていない出来事ばかりが次々と起こり、私を当惑させた。
半年の旅の間、あれほど強力に守ってくれていた両親を含む守護霊たちが一斉に引き上げて、まるで悪魔たちにとって代わられたようだった。住み慣れた、言葉も通じる日本へ戻ったのだから、これからは自分の力だけでやって行きなさい、というメッセージなのかと思っていた。 |
友人の紹介で手相鑑定をしてもらった際、それは日本にいてはいけない、という守護霊たちからのメッセージだったのだと言われ、私の中で腑に落ちるものがあった。
この旅から時が経った今ならわかる。彼らは私を見捨てた訳ではなく、私が日本に留まるべきではないことを必死に伝えようとしてくれていたのだと。半年旅の間に私の中に芽生えた本当の望み、心の声を無視すべきではないと。
イギリスを去る時に感じた気持ち。
『やりたいことがあるのなら今やらなければ、と強く思う。“Do it now.” でなければ、いつまでたっても始められないだろう。「いつか」では、変化の時は永遠に来ない。人生を本当の意味で変えられるのは、ほかの誰でもない、自分だけなのだから』
バンクーバー発祥の地、ガスタウン。ウェスタン映画のような雰囲気で、街歩きが楽しい。
そう感じた気持ちを、帰国後の私は忘れていた。
いや、忘れたふりをしなければ、周囲が望む社会人としての当たり前の生活には入っていけなかった。
ただ周囲の心配してくれる人々を安心させるために私は心の声を無視し、気の進まない再就職という道を選んだ。そして2年半自分を欺き続けて我慢に我慢を重ね、周囲に迷惑をかけ、結果的に自分を追い詰めた。
社会保険に加入したまともな会社に勤め、一定の収入を確保できる「普通の社会人」でいることが、親という後ろ盾を失った私が幸せに生きていく唯一の道だと世間一般の人が思うのは当然だ。地道に働いていればそのうち拾ってくれる奇特な男性も現れるかもしれない、と。
「いい歳をして結婚もせず、職も持たず、一人でフラフラしているアラフォー女」が世間にどんなイメージを与えるかは、私でも容易に想像できる。 だから、私の将来を心配してくれる周囲の人々が、当然のように私が就職するものだと信じて動いてくれたのも無理はない。 |
何より私自身、半年に及ぶ一人旅で「一人で生きること」に疲れを感じていたのだと思う。
私自身が「安定した生活」に戻ることを望んでいたのだ。心の声に耳を澄まし、逆風に立ち向かおうとする自分よりも、波風たてずに生きていこうとする自分の方が強かった。もう一人の自分がいかに心の声を聴けと叫んでいようとも。
社会常識よりも心の声に従うことは、相当な勇気を必要とする。いつの世もマイノリティが非難の的になるのは避けられないからだ。「やりたいことをやる」というマイノリティとなったことで、その声に出されない非難の声をこの半年の旅の間中、痛切に感じてきたのだ。
私はそれを怖れた。
帰国時の私は39歳。「四十にして惑わず」の40歳を目前にして、いい加減現実から目を逸らすことはやめたら、と常識的な私の声が囁いた。心の声に従うこともできたけれども、私は社会的常識に従うことを自ら選んだ。周囲はそのお膳立てをしてくれたに過ぎない。
かくして私は心の奥で叫び続けるもう一人の自分を無視して、東京で再就職するという最も安易な道を選んだ。
これで、世界1週旅シリーズは終わりです。
この後「普通の社会人」になりきれずに精神的に追い詰められた私は結局、会社勤めを辞めることを決め、再び旅に出ます。
その旅の記事は『さすらいびと』シリーズ(↓)として別のブログで書いています。
『さすらいびと ー 4ヶ月の仏英旅』の記事はこちらへ。
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