2023年11月25日
フィデル・カストロの思想 時代を超える10の言葉
フィデル・カストロ 平和とは人類を救うための闘いである (下記記事フレーズ2参照)
Cubadebate、2023年11月25日
フィデル・カストロは、その思想を通じて、未来の世代にインスピレーションを与え続けている。彼の思想は、すべての人にとってより公正な世界秩序を追求する平和、団結、連帯、国際主義の重要性を常に思い起こさせるものとなっている。
フィデルの死から7年がたち、クーバデバテと、サイト「フィデル 思想の戦士」は、彼の政治的ビジョンと遺産がキューバのみならず世界の歴史に刻まれ、これからも刻まれ続けることを示す、時代を超えた10のフレーズを読者に共有する。
1. われわれを結びつけているのは思想である
「われわれを結びつけているのは思想である。われわれを戦士の国民にしているのは思想である。われわれを、もはや単なる個人ではなく、集団的に、革命家にしているのは思想である。そしてそのときこそ、全員の力が合わさるときであり、国民が決して負けるわけがないときであり、思想の数がはるかに多くなるときである。守られる思想と価値の数が増えるとき、もはや国民が敗れることはない。」
2005年11月17日、ハバナ大学講堂で開催された、大学入学60周年記念式典での演説。
2. 平和とは人類を救うための闘いを意味する
「平和のための闘いとは、人類を黙示録的破滅から救うための闘いを意味する。何億もの男たち、女たち、老人たち、子どもたちを数うための闘いを意味する。」
1962年3月21日、「チャプリン」劇場にて、「レーニン」平和賞を授与されたときの式典での演説。
3. この世界はわれわれの世界でもある
「われわれは単なる傍観者ではない。この世界はわれわれの世界でもある。誰もわれわれの団結した行動の代わりはできないし、誰もわれわれの代弁はしないだろう。われわれだけが、この団結によってのみ、われら国民に強制することが目論まれている不公平な政治秩序や世界経済を拒否できる。」
1995年10月18日、コロンビアのカルタヘナ・デ・インディアスでの、第11回非同盟諸国運動会議での演説。
4. ホロコーストでは富める者も死んでいく
「世界の諸問題が核兵器で解決されうるという幻想はもうたくさんだ。核兵器は、飢えた者、病気の者、無知な者を殺すことはできるだろうが、飢え、病気、無知を殺すことはできない。諸国民の正当な反乱を殺すこともできない。ホロコーストでは、この世界で失うものが最も多い富める者も死ぬことになる。」
1979年10月12日、第34回国連総会での演説。
5. 危ない状態にあるのは生存である
「われらの諸国民は、人間の無責任な行動によって生じた気候変動の最も直接的で壊滅的な影響に、他の何者よりもさらされている。それはもはや、ただ彼らの環境や物理的な生活環境の激変だけではない。危機に瀕しているのは、独自の文化システムや並外れた富の存続であり、脆弱な領土を持つその国家の存在自体が、地球温暖化の上昇気流によって世界地図から抹殺される危機に瀕している。」
1998年8月1日、バルバドスのブリッジタウンでの、「自由のための行進・バッサ解放の像」での演説。
6. 本能より良心を
「教育とは、人類のなかに、本能よりも良心を支配的にさせることである。」
2002年9月2日、初等教育臨時教師学校の卒業式典での演説。
7. 科学と技術:破壊のためでなく創造のために
「(…) われわれは科学と技術を使わなければならない:破壊ではなく創造のために、貧困をなくすために、命を守り、寿命を延ばすために、ひとに福祉をもたらすために。」
1972年6月16日、ドイツ・ドレスデン市の「ツヴィンガー宮殿」でおこなわれた式典での演説。
8. ジェノサイドに終わりを
「(…) テロリズムに対する国際的闘争は、こちらでテロリストを一人、むこうで別のテロリストを一人、似たような方法を使って双方で殺害しあいながら、罪のない人びとの命を犠牲にすることによって解決されるものではない。それは、国家テロやその他の不快な形態の殺人に終止符を打ち、大量虐殺に終止符を打ち、平和政策を忠実に追求し、避けられない道徳的・法的規範を尊重することなどによって解決される。世界は、平和と国際協力の道を歩まなければ、救われない。」
2001年9月11日、米国で悲劇的事件が起きた日に発せられた演説。
9. 世界はキューバに連帯している
「世界はキューバに連帯しており、そのためキューバは日を増すごとに世界のすべての諸国民との連帯をより強く感じている。キューバは、諸国民の連帯というものを体験する機会を得ており、この連帯という言葉はキューバ人にとってひじょうに意義深く、そのため世界的連帯というものを知っているわれわれは、われわれの連帯を必要としているすべての諸国民に対する義務を感じており、キューバが帝国主義の攻撃に抵抗できたのは大部分この連帯のおかげであり、キューバはこの連帯とともに闘い続け、抵抗し続けることを確信している。」
1961年6月8日、国家議事堂で開催された、国際学生連盟執行委員会の閉会式での演説。
10. 国際主義者であること
「国際主義者であることは、人類に対するわれわれ自身の借りを返すことである。他人のために戦うことができない者は、自分自身のために十分に戦うことは決してできないだろう。」
1988年12月5日、グランマ号上陸および革命軍創設の32周年記念式典での演説。
フィデル・カストロ 本能より良心を (上記記事フレーズ6参照)
フィデル・カストロ 2001年9月11日、米国で悲劇的な事件が起きた日の演説
Diez frases de Fidel Castro sobre la paz que trascienden en el tiempo
http://www.cubadebate.cu/especiales/2023/11/25/diez-frases-de-fidel-castro-sobre-la-paz-que-trascienden-en-el-tiempo-video/
キューバ 革命指導者フィデル・カストロを追悼 死後7周年
フィデル・カストロ・ルス
Radio Habana Cuba、2023年11月25日、Prensa Latina
キューバはきょう土曜日(11月25日)、死後7周年を迎える革命の歴史的指導者フィデル・カストロ・ルスを追悼し、多様な賛辞によって彼の偉業を思い起こしている。
今週おこなわれる写真展、講演、書籍紹介、公共式典は、60年以上前からこの国が推し進めている変革過程の創造者であり主要な指導者であったフィデルの、国民のなかでの生き生きとした存在を示している。
各文化団体もまた、キューバ・マルティ・プログラム事務局が企画した討論会「フィデルに関するハートの視点」によって、歴史的指導者フィデルへのオマージュに加わった。
この討論会には、カサ・デ・ラス・アメリカスのアベル・プリエト局長や、マルティ・プログラム事務局のエドゥアルド・トーレス・クエバス局長といった著名な知識人や、作家で研究者のペドロ・パブロ・ロドリーゲスや、アルマンド・ハートの未亡人エロイーサ・カレーラが出席した。
フィデルを想起するための方法として、パネリストたちは、ハートの業績や思想に加え、主要革命家たちやフィデル主義者たちに対するハートの無条件の忠誠について論じた。
きょう土曜日(11月25日)には、ハバナ大学大階段において政治文化祭典が開催される。ハバナ大学は若き弁護士であったフィデルがマルティ主義や革命思想形成を強化した場所である。
西半球における最初の社会主義国家の創始者として、キューバの歴史的指導者フィデルは、明確な独立および世界的拡大の外交政策と、国際主義的教示を立案、指導、実行した。
フィデルはまた、現行の世界経済秩序、とりわけ、対外債務や、軍事費による資産の浪費、新自由主義のグローバリズムに対する第三世界の闘争を世界レベルで推し進めた。
フィデルは、キューバが1961年に創設した非同盟諸国運動において、抑圧された側の連帯と主権を尊重する政策を擁護した。
革命過程の強化や、国の経済社会変革、教育・保健・スポーツ・文化・科学の発展、米国の攻撃への対峙、地域における団結のよびかけ、などにおけるフィデルの役割は、彼を全世界的な抵抗のシンボルにした。
Cuba recuerda a Fidel(2023年11月25日)
キューバTV (2023年11月24日)
Cuba rinde tributo a Fidel Castro Ruz en el séptimo aniversario de su partida física
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/340381-cuba-rinde-tributo-a-fidel-castro-ruz-en-el-septimo-aniversario-de-su-partida-fisica
2023年11月24日
ハバナのカサ・デ・ラ・ムシカ ネット上のフェイクニュースを否定
CYBERCUBA.COMによるフェイクニュース画面。「緊急ニュース:ハバナのカサ・デ・ラ・ムシカでキューバ人男性が刺されて死亡。犠牲者はわずか20歳だった。」
Cubadebate、2023年11月24日
ハバナのカサ・デ・ラ・ムシカで殺人事件があったというフェイクニュースを一部メディアが流している。カサ・デ・ラ・ムシカはフェイスブックの公式アカウントでこのデマを否定した。
以下に、ハバナのカサ・デ・ラ・ムシカの声明を掲載する。
必要な説明
その情報の不正確さと、それがユーザー間に生じさせうる混乱のため、今回の説明をおこなうことが重要であるとわれわれは考える。
そのニュースが言及している不幸な出来事は、ハバナのカサ・デ・ラ・ムシカに属するいかなる物理的空間でも起きておらず、さらには直近の周辺でも起きていないということを、われわれは明確にお伝えする。
われわれの施設は、犯罪行為や反社会的行為に立ち向かうためにあらゆる予防措置が取られている安全な空間であり、お客様の保護と安全な環境に対する絶え間ない配慮に尽力するプロの警備隊を擁していることを、ユーザーの皆様に改めてお伝えする。
あなたのために働き続けます #enelcorazóndelahabana.
Mentira cazada: No hubo un asesinato en la Casa de la Música
http://www.cubadebate.cu/noticias/2023/11/24/mentira-cazada-no-hubo-un-asesinato-en-la-casa-de-la-musica/
グランマ号のイタリア人乗組員の遺骨がキューバへ イタリア・キューバ友好協会が発表
ドネー(左)とフィデル(右)
Radio Habana Cuba、2023年11月24日、Prensa Latina
イタリア・キューバ友好協会(ANAIC)の訪問団が、グランマ号唯一のヨーロッパ人乗組員であったパルチザン、ジノ・ドネーの遺骨をキューバに持っていく、ときょう金曜日(11月24日)同組織のスポークスマンが発表した。
ANAICのマルコ・パパッチ会長は、近日中にこれを実行するグループの構成メンバーを率いるとし、これは自身の遺骨をキューバで休ませたいというドネーの最後の意志によるものである、と語った。
12月2日、グランマ号上陸67周年を祝う日に、このイタリア人乗組員の遺骨は、ハバナのコロン墓地にあるキューバ革命戦士の墓に埋葬されるよう準備されている、とパパッチ会長は説明した。
イタリアからの訪問団には、ANAICのイルマ・ジオリ前会長や、マルコ・ファンテチやアルマ・マセーら同組織の幹部たち、またジノ・ドネーのひ孫であるイバン・カダムーロも含まれている。
訪問団にはさらに、五つ星運動所属で現在イタリア-BRICS研究所会長のヴィトー・ペトロチェッリ元上院議員や、共産党所属で新国際秩序協会代表のエマヌエーレ・デッシ、オルタナティブ党所属で憲法連合協会を率いるマッティア・クルチョーリも含まれている。
ドネーは、1924年5月18日にモナスティエルに生まれ、2008年3月22日にベネチア州のサン・ドナー・ディ・ピアベ地区で亡くなったが、第二次世界大戦中はナチのファシズムに対してパルチザンとして戦い、1950年代にキューバに移住し、革命闘争に加わった。
住んでいたキューバのトリニダー市から、1956年に遠征隊に加わるために7月26日運動の特使としてメキシコに渡り、そのとき運んだお金の一部は、グランマ号を購入するために役立った。
その年の11月25日、このイタリア人闘士は、ラウル・カストロの指揮のもと、第三小隊の中佐として、メキシコのトゥスパン港からキューバに向けて出発した82人の集団の一人となり、キューバには12月2日に上陸した。
12月5日に起きたアレグリア・デ・ピオの戦いのあと、サンタクララ市に向けて移動し、さまざまな革命行動を実行し、1957年1月には別の任務を遂行するために海外への渡航命令を受けた。
イタリアにもどると、同国におけるキューバ革命の確固とした擁護者として傑出した活動をし、ベネチア市でANAICの集まりを構成した。
何度もキューバに渡航し、2005年にはモンカダ兵営およびカルロス・マヌエル・デ・セスペデス兵営襲撃52周年の7月26日式典の際に、フィデル・カストロ最高司令官との対面を果たした。翌年の12月、グランマ号上陸50周年記念のために渡航したのが最後のキューバ渡航になった。
グランマ号
ジノ・ドネー・パーロ グランマ号のイタリア人
Llegarán a Cuba próximamente las cenizas de expedicionario italiano del Granma (+Foto)
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/340369-llegaran-a-cuba-proximamente-las-cenizas-de-expedicionario-italiano-del-granma-foto
クバーナ航空 ウェブサイトをリニューアル オンラインチケット販売を開始
Cubadebate、2023年11月24日、Prensa Latina
クバーナ航空はきょう(11月24日)、国内外の利用者が、オンラインでのチケット販売と、現金または振り込みによる支払いを利用できるようにした。
リニューアルされたインターネット上のページでは、クリックするだけでチケットの購入が可能となり、ハバナ-サンティアゴ・デ・クーバ間などのような国内便のチケット購入もカバーしている。
少し前、フェイスブックの公式アカウントにおいて、キューバのフラッグキャリアである同社は、11月19日から2024年3月27日までのハバナ-オルギン間のチケットに空きがあり、支払いは現金またはエンソーナやトランスフェルモービルといった他の方法で購入可能と発表していた。
旅行者が利用可能なルートは多々あり、サイトhttps://www.cubana.cuのページからすでに、国内便やその他の国際便のチケットを予約することができる。
最近、同社は、TU-204機の再保有を発表し、これはすでに国内を飛行している。
またサンライズ・エアウェイズ社も今月、キューバ-ハイチ間のチケットがキューバ全土のクバーナ航空の販売ネットワークを通じて販売される、と発表した。
Cubana de Aviación pone a disposición del público boletería online
http://www.cubadebate.cu/noticias/2023/11/24/cubana-de-aviacion-pone-a-disposicion-del-publico-boleteria-online/
2023年11月23日
ラウル・カストロ ロシアのコロコリツェフ内務大臣と会談
ラウル・カストロ(右)と、ロシア連邦のウラジーミル・A・コロコリツェフ内務大臣(左)
Cubadebate、2023年11月23日、Juventud Rebelde
ラウル・カストロ・ルス将軍は11月22日水曜日の午後、ロシア連邦の内務大臣ウラジーミル・A・コロコリツェフ警察大将と会談した。コロコリツェフ内務大臣は11月20日からキューバを訪問している。
会談では、両国間の関係の良好な状態と高いレベルでの政治対話が確認され、二国間関係を拡大し続ける意志で一致した。
ラウルとともに会談には、政治局メンバーで内務大臣のラサロ・アルベルト・アルバレス・カサス少将と、内務省国際関係局長のレベカ・フェルナンデス・オテーロ大佐が同席した。ロシア側には、駐キューバのロシア連邦大使ビクトル・コロネリと、内務省事務局長のアレクダンドラ・A・ニコラエフ内務少将が同席した。
キューバTV(2023年11月23日)
Recibe Raúl al Ministro del Interior de Rusia
http://www.cubadebate.cu/noticias/2023/11/23/recibe-raul-al-ministro-del-interior-de-rusia/
2023年11月22日
パブロ・ミラネースの死から1年 世界が追悼
パブロ・ミラネース
Radio Habana Cuba、2023年11月22日、Prensa Latina
ベネズエラのニコラス・マドゥーロ大統領はきょう水曜日(11月22日)、カラカスにおいて、2022年の11月22日に亡くなったキューバ人シンガー、パブロ・ミラネースの永遠の旅立ちを回想した。
ソーシャルネットワークXの自身のアカウントにおいて大統領は次のように書いた。「われわれは1年前のきょう、その歌を通じて、詩・芸術・感情に関する美しく不朽の遺産を世界に残して、不滅へと旅立ったパブロ・ミラネースに別れを告げた」。
キューバのヌエバ・トローバ運動の創設者として知られるミラネースは、晩年暮らしていたスペインのマドリードで亡くなったが、世界中のファンから永遠に記憶されるであろう音楽的影響を残し、その歌声とメロディアスな音色は、彼の歌を人生と祖国への愛を綴った真の詩にならしめた。
ミラネースは、2005年にキューバ音楽賞を受賞し、その幅広いレパートリーの中には、「ヨランダ」、「ヨ・ノ・テ・ピド」、「ヨ・メ・ケド」、「ヨ・ピサレー・ラス・カジェス・ヌエバメンテ」など数多くの名曲がり、キューバ内外でファンを楽しませた。
パブロ・ミラネース 「ヨランダ」(1991年ライブ)
プレンサ・ラティーナTV(2023年11月23日)
パブロ・ミラネース・トリビュート・コンサート(2023年11月22日、スペイン・マドリード)
Recuerdan a cantautor cubano Pablo Milanés a un año de su deceso
https://www.radiohc.cu/noticias/cultura/340126-recuerdan-a-cantautor-cubano-pablo-milanes-a-un-ano-de-su-deceso
2023年11月20日
ミゲル・ディアスカネル大統領 第4回 国家と移民会議 閉会演説
ミゲル・ディアスカネル大統領
Cubadebate、2023年11月20日、キューバ大統領府
ミゲル・マリオ・ディアス=カネル・ベルムデス、キューバ共産党中央委員会第一書記、共和国大統領が、2023年11月19日、コンベンション・パレスで開催された第4回「国家と移民」会議(「革命65年」)の閉会式で行った演説。
親愛なる同胞の皆様、
「祖国に対する思いというものは、本当に強い」。46年前、キューバ系アメリカ人の「アントニオ・マセオ訪問団」の若者たちとの会談の最後に、フィデルが述べたこの言葉を、今日ここで繰り返してもいいでしょう。
国歌を歌うこと、アレクサンダー・アブレウのトランペットでその演奏を聴くこと、あるいはキューバへの帰国の旅で飛行機の窓から椰子の木を眺めることが、キューバに住む私たちにとって誇りであるとすれば、あなた方と同じように、キューバから遠く離れて暮らす人々の気持ちを想像することは、難しいことではありません。
当時から今日に至るまで、すべての対話を動かしてきたのは、この気持ちです。出会いと別離、成功と失敗の間で、常に私たちを分離させるものを超えて、私たちを団結させるものを維持しながら、私たちを成長させてきたものです。
そして、その気持ちは、交流と討議の日々において、その内容がより現在のものであっても、私たちの記憶を蘇らせ、また、不可能と思われたときに、忍耐と信念と愛国心をもって対話と尊重と理解の道を切り開いた人々への感謝の気持ちを増大させるものでした。
つい先週、私たち家族は、自宅で、再びドキュメンタリー映画『55人の兄弟』を観ました。そのうちの5人の少年たちが、今日ここにいます。時間の痕跡は、彼らの気持ちを変えていません。彼らに、疲れを知らずに道を切り開いたことに、ドキュメンタリー「祖国は成長した、と最高司令官は述べた」の最後で全員が歌うリフレインを現実のものにすることをあきらめなかったことに、私たちは、お礼を言わなければなりません(拍手)。
この素晴らしい若い同胞のグループは、キューバの主権と独立を無制限に尊重することを基礎に、特にキューバと海外に住むその子息たちとの新しい関係モデルの構築に一緒に参加しようという、キューバ当局の招待を受け入れた、米国への他の移住者たちの最も先進的な人々でした。
こうした愛国的な行動は、多くの困難と危険を伴いました。参加者たちは、長年にわたり対キューバ政策をほとんど、あるいはまったく変えてこなかった米国政府の後ろ盾を持ち、今もなお持ち続けている対話反対派からの脅迫や暴力に対抗することを余儀なくされました。
また、疑念や偏見を克服し、米国に住むキューバ人の関心や懸念と、米国政府のキューバに対する敵意を区別する方法を知ることも必要でした。
今日、私たちは、まったく異なる時点にいます。私たちの住む世界は変わり、私たちの国は、引き続き変革のプロセスを深め、海外に住むキューバ人の存在は、より多く、多様になり、彼らは、非常に異なる場所に定住するか、居住しています。
ラウル・カストロ・ルス革命軍将軍は、「今日、キューバ人移住者の圧倒的多数は、経済的な理由でそこにいる人たちである。ほとんどすべての彼らは、彼らの家族と彼らが生まれた祖国への愛を維持し、彼らの同胞への連帯を示している」と述べました。(注1)
しかし、あの最初の対話の主役たちや、その後に来た人たちのおかげで、そのつながりは、より頻繁に、活発に、開放的に、影響力を持つようになり、ますます自然なものになっています。
この長く劇的な歴史を語る上で、海外に移住し、対話の擁護者であり、キューバとの絆の擁護者であった、殺害されたカルロス・ムニス・バレラとホセ・エウラリオ・ネグリン・サントス(拍手)を忘れることはできません。彼らは、キューバ国家と彼らの子息の絆に対する冷酷な敵により、残酷にも暗殺されました。今日ここにおられる、正義を貫くためにたゆまぬ戦いを続けてこられた同志たちに、私たちは、最大の感謝を捧げます。
祖国との対話と連帯のあらゆる行為は、物理的に私たちの中にいない人々に対する、また祖国防衛のために団結を達成するというマルティの使命に完全に身を捧げた、殉教者や他の同胞に対する、最も心のこもった最高の賛辞となるでしょう。
行われたその努力、遭遇したその危険、そして流された血は、祖国の樹の最も豊饒な種です。何一つ無駄ではありませんでした!
この数日間、新型コロナの原因として2020年に予定されていた会議の中断を余儀なくされた際に誓った言葉を尊重することに加え、私たちは、歴史的な義務を果たしています。その後の3つの会議の前奏曲として行われた1977年12月、アントニオ・マセオ訪問団の55人の勇敢な若者たちのキューバ訪問、いわゆるキューバ共和国政府と在外キューバ人社会の代表者との対話、即ち「78年の対話」、そして1994年4月、1995年11月、2004年5月に開催された「国家と移民」の道を継続することです。
フィデル・カストロ・ルス最高司令官によって推進され、奨励された1978年の記念すべき会議では、革命が、何よりもまず、海外に住むキューバ人社会の利益を考慮して、海外に住むキューバ人との結びつきを強化することを望んでいることが確認されました。
フィデルが明言しているように、「何らかの形で、さまざまな手段で、私たちはすでに、在外キューバ人社会の問題、アイデンティティを維持したいという願望、道徳的価値や文化的価値を維持したいという願望、要するにアイデンティティの努力を意識するに至りました」(注2)
ホセ・マルティが言うように、結局のところ、「利益の共同体、伝統の統一、目標の統一、愛と希望の最も甘美で慰めに満ちた融合」でなければ、祖国とは何なのでしょうか?
1978年と同様、私は、キューバ政府を代表し、相互尊重と祖国擁護を基礎に、率直かつ広範な対話を引き続き発展させていく意志を改めて表明します。昨日と同様、今日も、キューバ人家族に多くのモノ不足、苦痛、分裂をもたらした大量虐殺的封鎖に終止符を打つための戦いにおいて、決して手を緩めないことを約束します。
この犯罪的な封鎖政策の直接的または間接的な犠牲者として、ここに集まった私たち全員が、この政策が、海外に住むキューバ人の大半とキューバとの関係を強化する上で最大の障害となっていることを認識しています。なぜなら、この政策は、規則的で秩序ある安全な旅行者の流れを妨げ、米国に住む国民とキューバに住む家族や友人とのつながりに悪影響を与え、海外にいる私たちの同胞の権利を制限し、何よりもまず、その家族に悪影響を与えるからです。
数字以上に、キューバの家族という、国の身体と魂の中心にある、公然とした傷のデータについて言及するつもりはありません。封鎖、脅迫、威嚇のひとつひとつの行動の背後に、バイデン政権のように、政権の最初の14ヶ月間に数値化された1日1,500万ドルの影響のひとつひとつの背後に、膨大だが生気のない数字の背後に、子供たち、若者たち、高齢者たち、母親たち、祖父母たちがいます。帝国から145キロのところに、自由であるという厚顔無恥によって罰せられた、独立した、主権をもつ国があるのです。
しかし、この反抗的で不十分な国、キューバは、犯罪を数値化して糾弾するだけではありません。「キューバは、抵抗し、創造するのです!」。60年にわたる人間の疲弊に賭けた封鎖も、200以上にも及ぶこれまでの数少ない成果の残酷な破壊措置も、皆さんや私たちが生まれたこの民族の創造的な抵抗に、打ち勝つことはできませんでした。この民族は、素晴らしい民族、文化、精神性が混淆したものであり、敗北するとすれば、それは、より良い世界が可能という夢を失う日においてのみでしょう。
この創造的な抵抗こそが、封鎖が最も強化され、米国が医療用酸素の入手さえ妨げたときに、キューバが新型コロナ・パンデミックに立ち向かうことに成功した理由なのです。効率的かつ効果的に試験された3つのワクチンを含む5つのワクチン候補と、性能の点で世界最高水準に匹敵するキューバの肺呼吸器を生み出したのは、この理念と献身です。
科学と技術革新に基づく政府管理プログラムは、私たちが封鎖の壁を乗り越えるために欠けているもの、すべてに対する自己批判と自覚を放棄することなく、理念を現実のものとし、私たちの誇りとなる成果をもたらします。
私たちの最大の強みは、キューバ人の才能、努力、無敵の創造性、そして革命の60年間の成果にあります。
その成果にはもちろん、地球上のあらゆる場所から、封鎖との戦いに同行してくれる善意の人々から、与えそして受け取る連帯、そして私たちの満足と喜びのために、何よりもまず、祖国を地理的には遠く離れていても、心情的には心の中心に置いているキューバ人たちのための連帯も含まれています。したがって、私たちが創造的抵抗と呼ぶ、私たちに敵対する人々に対する日々の勝利の中で、皆さんは、賞賛されていることを理解してください。
同胞の皆さん、
米国政府の攻撃的な政策、封鎖の強化、経済的な迫害、キューバをテロ支援国家とする中傷的で虚偽の、容認しがたい分類、経済的な包囲網を克服しようとする政府のあらゆる努力を貶めようとする嘘と操作にまみれたメディアキャンペーンにもかかわらず、この45年間、嫌がらせを受けてきたキューバは、数々の施策を推進、実施し、海外に住むキューバ人との絆の強化と多様化において大きな前進を遂げました。
我が国の外務大臣は、革命の歴史的指導者である、フィデル・カストロ最高司令官並びにラウル・カストロ革命軍将軍の言葉を想起し、彼らの後継者である私たちは、あらゆる手段を用いて革命を打ち負かすことを主張する人々によって推進される政治的状況を超えて、国家と移民との関係の正常化を支持する、二人の指導者の活動を尊敬と称賛の念をもって擁護すると述べました。
その言葉を、私は、繰り返しません。この政策における最も重要な変化は、あの45年前の歴史的対話から始まりました。それは、この10年間、諸制度とキューバ国民の権利を促進するための重要な決定によって強化されました。このプロセスを、私たちは継続しなければなりませんし、そう致します。
米国の政権が、強制的な措置を強化し、キューバ人家族を新たな罰則で脅している間に、このようなことが起こっているのです。彼らは、もはや、ビザ取得やキューバ人移住者の多くが住む、米国への定期的なアクセスを妨げているだけではありません。キューバ政治に大きな影響力を持つ反キューバ派のある下院議員は、休暇でキューバに戻った者は難民資格を失うよう要求しています。これを要求することは、すべてのキューバ移民を政治化するキャンペーンであり、最大の侮辱です。
キューバに対する経済戦争の創造者と支持者は、納税者の税金で潤沢に賄われた中傷や中傷キャンペーンを通して、私たちと移住者との間に成長する自然の絆を壊そうとしています。
憎悪の餌食にされ続けているにもかかわらず、現在57カ国に138のキューバ人協会があります。このような組織が正式に設立されていない場所でも、連帯運動や私たちの外交・領事代表部とともに組織する、支援業務や活動に参加している人たちが大勢います。
最近の例を言いますと、新型コロナのパンデミックの際や、サラトガ・ホテル、マタンサスのスーパータンカー基地、西部のハリケーン・イアン」による災害の際に、皆様から寄せられた様々なお悔やみのメッセージ、支援の申し出、義援金を、私たちはとても誇りに思い、慰められました。
「祖国を離れることはいつでもできるが、祖国が困難な状況にあるときは、決して離れてはならない」とマルティは言いましたが、あなた方は、その原則を守っています。祖国があなた方を必要とするとき、あなた方は祖国の側にいるのです。キューバは、あなた方の助けを認め、評価し、頼りにしています。
私たちの同胞の多くは、祖国との安定した密接なつながりを維持し、祖国の成功を分かち合い、私たちの大義に連帯を示し、祖国の状況に関心を示し、祖国の社会経済発展に貢献し、寄与しています。さらに、そうすることで、マルティが「キューバ人」という最も甘美な言葉で表現した、神秘的な深い感情を引き出し、広めているのです。
このキューバ人気質は、民族学的な特徴に依存するものではなく、賢人のドン・フェルナンド・オルティスによって定義されました。「キューバ人気質にとって、キューバにおいて血筋、国家、生命を持つことは、十分ではない。つまり、意識を持つことが必要だ。私たちキューバ人にとっては、キューバ人である遺伝的な条件であるキューバ人気質の特質が、重要である。キューバ人気質、全面的で、感じられる、意識される、望まれるキューバ人気質という特質であり、責任あるキューバ人らしさ、3つの美徳である信仰、希望、愛を持つキューバ人気質という特質である」と。
皆とともに、皆の幸福のためのキューバというマルティの方式において、この「すべての人」には、キューバを攻撃し侮辱するために国家に対して陰謀を企てる者、侵略を呼びかけ自国民の殺害を許可する者、また、キューバをアメリカ合衆国の51番目の州にするという併合主義の召命でキューバ国旗を汚し、国際的な舞台やイベントでキューバを代表する芸術家やスポーツ選手に嫌がらせをしたり、攻撃したりする者は、含まれないことは明確であることを強調します。
私たちは、可能な限り最大の社会正義のための戦いにおいて、私たちの計画とその未完成の仕事を破壊することを公然の目的とする他国政府の給料で暮らし、働く人々を除き、すべての人の権利の拡大を決して拒みません。
伝説的な「アリアンサ・マルティアーナ」や「プエンテス・デ・アモール」のように、困難な時に祖国を守り支援するために個人の存在や命さえも危険にさらす人々を、感謝の念をもって受け入れ、私たちの腕は、開かれているでしょう。これらの連帯グループは、多くの世界の市民とともに、毎月、寒さや、雨や、憎しみを持った人々の攻撃の中で、キューバに対する封鎖をやめることを要求して、街頭に出ます(拍手)。
ここで語られ、議論されたことを見れば、この会議によって、私たちは、在外国民とのつながりの分野で達成されたことについて、全面的に把握していますし、私たちがまだ協力しなければならない分野を特定することができたと言えるでしょう。しかし、さらに重要なことは、もっと上の、したがって、より挑戦的な目標に向かっての出発点だということです。
矛盾を恐れずにあえて申し上げれば、キューバと在外国民とのつながりは、今日、最高の時のひとつであるという見解を、会場にいる私たち全員が共有しています。45年前に植えられた木は、セイバの木のように力強く、活力があり、庇護的です。
これらの会合や、1978年に開始された長いプロセスの美徳のひとつは、他国政府との関係や接触、あるいは意見にさえ左右されない、ということです。これは、キューバ人同士の、キューバ人のための、厳密にキューバ的な行動なのです!(拍手)(「自由キューバ万歳!」の叫び)。
国家の独立と主権こそが、共通の優先事項であるという事実が、政治的、イデオロギー的、その他の問題の違いによって妨げられることなく、共通の目標に向かって、断固として、かつ不可逆的に前進することを可能にしたのです。
ほぼ、すべての皆さんが、祖国の現実と、そこに住み、働き、犠牲を払い、戦う人々の正当な権利を尊重し、理解するという姿勢で祖国に臨んでいることが印象的であり、それがまた、私たちの関係強化に寄与しています。
この会議で行われたすべての発表が、私たちが提案した通り、国家と移民との複雑な関係における発展についての認識を、直接皆様にお伝えし、この国が、現在経験している現実について、率直にご報告することができたことと願っております。本会議場でも、コンベンション・パレスの廊下でも、あるいはサイドイベントのステージの両方で行われた、考えとニュアンスに富んだ討論から、私たちは皆、学びました。
封鎖の撤廃、議論の余地のない社会的成果の維持、そして祖国を搾取し、従属させた過去の惨禍に立ち返らないことは、参加者の間で幅広い合意が得られた基本的な提案であり、海外のキューバ人社会で存続している誠実な愛国心を示すものでした。
キューバの自決権、また外国からの干渉を受けず、米国政府からの永続的な強制を受けることなく、自国の問題を処理し、解決し、克服する特権を揺るぎなく擁護することも同様です。これは、すべての国が持っている、あるいは持つべき権利であり、私たちキューバ人が放棄することのない正当な成果として大切にしているものです。
この48時間の交流により、私たちは、キューバの社会経済の発展や、新憲法や新家族法に関する国民的協議のような、極めて政治的な性質のプロセスへの海外在住キューバ人の参加を拡大し、変革のプロセスを継続させ、万人のためのより大きな社会正義の実現に焦点を当てた固有の社会主義を強固なものにするために、たどるべき道を素描することができました。
私たちは、光と影を持ちながらも、私たちの歴史、抵抗の能力、そしてこの反抗的で威厳のある土地で達成された社会正義の遺産を、常に誇りに思うのが、キューバの生きたイメージです。そのイメージを映し出すために、テクノロジーと情報技術の発展によってもたらされる機会についても、幅広く交流する機会を得ました。
文化は、私たちを認識し、団結させ、誇りを持たせる主な要因であることが、再び確認されました。私たちのキューバ人気質を強調することで、海外に住む新しい世代のキューバ人との絆を活性化し、彼らの国や両親の国との文化的、歴史的な絆を強化することを目指しましょう。
また、キューバ人がどこにいるにせよ、領事に関する支援と保護が必要かつ可能な限り、キューバ人に行き届くことをお約束したいと思います。必要かつ可能な限り、海外に住むキューバ人に同行し、支援し、保護することは、私たちの方針であり、キューバ大使館・領事館の義務です。私の言葉より、事実を見てください。自然災害、戦争、事故、その他の災難に直面した場合、キューバ大使館・領事館職員は、現地に赴き、必要なキューバ人を支援するよう指示を受けています。
現在、パレスチナの人々に対して、地獄のような大虐殺が行われています。繰り返し申し上げているように、キューバは、パレスチナ人の正当な大義を支援し続け、即時停戦を要求します(拍手)。パレスチナには、家族を作り、パレスチナのために働くキューバ人もいます。
同胞の皆さん、
私たちの親愛なるエウセビオ・レアルを、思い起こさせてください。彼は、私たちの文化と祖国のために多くのことをしてくれました。外国に住居を定めることを決心した人々について述べるとき、このように言いました。
「私は、移民がそれ自体として、そして今日においてはなおさら、厳密に政治的な出来事であると考える必要はないと思います。移住は経済的な問題であり、家族の問題であり、あるいは選択の問題なのです。移住し、築き上げ、創造してきた人々は、祖国に拠り所があり、帰るべき墓があり、帰るべき町があり、親愛のキスをすべき母があり、再び会える子供がいるのです。そして、国を去っても国を忘れない人々が、私たちに手を差し伸べてくれる可能性があるのです」(注3)
エウセビオ自身が別の機会に述べたように、「他の土地に留まらなければならない人々は、キューバの血を胸に刻み、その血を増やし、何世代にもわたって、両親や祖父母が生まれた土地の、短く、響きの良い名前を繰り返す子供たちを持つのです」(注4)
私たちの国民を代表し、世界のあらゆる地域に住むキューバ人との絆を強化するという約束は、不変かつ不可逆的なものであることを、改めて表明します!(拍手)。
私たちは、あなた方に、キューバを守るための新たな段階に、新たなエネルギーを持って参加するよう呼びかけます。
キューバ革命という、この集団的な仕事を築き上げ、貢献したいと願う人は、いつでも歓迎します(拍手)。
祖国は、私たち全員のものであり、皆さんとともに成長します!
自由で独立した主権国家キューバ、万歳!(「万歳!」の叫び)。
ありがとうございました。
(拍手)。
注1: 2011年8月1日、人民権力全国議会第7回会議におけるラウル・カストロ・ルスの演説。
注2: 最高司令官フィデル・カストロ・ルスが議長を務め、在外キューバ人社会の代表グループが参加した会議の抜粋。1978年11月20日、革命宮殿にて、国家評議会速記録版。
注3: 「Con dos que se quieran」番組内で、ハバナの歴史家エウセビオ・レアル・スペングラーがアマウリー・ペレス・ビダルに行ったインタビュー。クーバデバテ、2021年7月31日付記事。
注4: エウセビオ・レアル・スペングラーが「第4回在米キューバ人会議:国家主権の擁護と封鎖に反対して」で行った講演。ワシントンDC、2017年10月28日。
キューバTV(2023年11月19日)
ミゲル・ディアスカネル大統領演説(2023年11月19日)
La patria somos todos, y con ustedes crece
http://www.cubadebate.cu/opinion/2023/11/20/la-patria-somos-todos-y-con-ustedes-crece/
2023年11月19日
セペダの長打854本と声明
フレデリク・セペダ
Cubadebate、2023年11月19日、Joel García記者
午前の早い時間、11月17日の第二回エリートリーグのサブシリーズ開始で起きる最良のことは、フレデリク・セペダの長打数記録更新の可能性である、ということで同僚たちの意見は一致していた。「そして、そのあとセペダが声明を発表したいかどうか確認しよう」、とためらいがちに、しかし丁寧に彼らは言った。
ラティーノアメリカーノ球場での試合はわずかな観客で開始され、セペダの各打席に注目は集まった。最初の二打席での単打2本と、その後の四球で、新記録達成は明日土曜日の試合に持ち越されたかに見えた。しかし野球の神は予言と数字についてよくわかっており、つまり8+5+4は17になる。きょうがその日であった。
インドゥストゥリアレスの抑え投手フアン・ハビエル・ペニャルベル・エルナンデスは、9回の最初の二人の打者を比較的簡単に抑え、6対1と得点差は大きくつけているものの、最後の27番目のアウトは、果し合いのようであった。セペダが自身の記録を狙ってきていることはわかっていた。二塁打で十分だし、三塁打はより難しい、本塁打は・・・、「よし、本塁打をセペダはどんな投手からも打つ、もしセペダがこれまでベストの投手たちから打ってきたのなら、なんで私からそれを打てないことがあろうか」、と右腕は思った。
しかし、彼はマウンドに素早く上がり、自身の速球でセペダを驚かせたかった。その直球はほぼ90マイルだったが、セペダのスイングで一瞬にして右翼席に消えていった。「わかってた、わかってたんだ・・・」と、このインドゥストゥリアレスの相手投手は誇らし気に言っているようでもあり、わがキューバリーグ史上もっとも偉大な選手の一人がいつも以上に早く走るのを見ていた。
ホームベースを踏んだとき、まず彼に挨拶したのは捕手のオスカール・バルデースだった。セペダは自身のコレクションのためにボールを自分に渡すよう求めたが、誰かが消せない宝物としてボールを抱えてしまっており、そのボールは、その小さな個人的コレクションにとってよりも、歴史の力で打った人物にとって、より意味がある、と説得することが誰もできなかった。
セペダはただ笑みをうかべ、チームの同僚や相手チームの選手たちからの抱擁に笑顔で応えた。それは自身通算353本目の本塁打であり、三塁打54本と二塁打447本とあわせて、サンティアゴのレジェンド、オレステス・キンデランの記録853本を抜いた。キンデランからは5月にも彼の通算塁打数の記録を抜いていた。
自身のサンクティ・スピリトゥスチームとキューバ代表チームのユニフォームにもっとも忠実なセペダは、通算四球数と通算出塁率(OBP)部門においてキューバ野球史上に残る選手の一人でもある。またヨルダニス・サモンとともに通算二塁打部門の首位を争っており、通算安打数はダネル・カストロに次いで史上2位につけている。彼はプレーを楽しんでおり、いまなお球場に入ることが彼を奮い立たせ、毎朝のモチベーションとなっている。
声明?、とそのとき私は思った。自身五回目のWBC出場を阻まれるといったような癒しがたい近年に犯された数少なくない不正義を忘れることなく、彼は新たな偉業のあとでなにかを語るだろうか? 言うべきことが何かあるだろうか。新たな記録のたびにささげるべき相手がいるだろうか。
私が彼に電話すると、彼は落ち着いて丁寧に対応して、私のお祝いのことばに感謝を示した。私は声明が欲しいのではなく、数週間前にキンデランが自身の記録をセペダによって消されるのを見るのはどういう気持ちか聞かれて何と私に答えたか君が知っているか知りたいだけだと伝えた。「キンデは何と言ったの」、とセペダは興味津々に問うた。
「セペダは野生児だ」、とキューバ野球殿堂にもっとも直近で選ばれた一人、キンデランは私に言った。それを聞いた「野生児」は息をつき、そんなに大げさにせずにそのことを書くよう私に頼んで、電話を切った。これで私は年代記と、彼の声明と、そして854の長打を手にしていた。854の長打というのは、共有すべき854のことばという意味である。数えてみてくれないか。
キューバTVニュース(2023年11月17日)
フレデリク・セペダ 記録更新シーン(2023年11月17日)
フレデリク・セペダ 記録更新シーン(2023年11月17日)
インドゥストゥリアレス対サンクティ・スピリトゥス 完全版(2023年11月17日)
El extrabase 854 y las declaraciones de Cepeda
http://www.cubadebate.cu/opinion/2023/11/19/el-extrabase-854-y-las-declaraciones-de-cepeda/
不適合バットの使用のためインドゥストゥリアレス対サンクティ・スピリトゥス戦が無効に 翌日の再開試合を決定
Juventud Rebelde、2023年11月19日、Norland Rosendo記者
キューバ野球コミッションは、昨日の土曜日におこなわれた、キューバ野球エリートリーグ第三節のサンクティ・スピリトゥスとインドゥストゥリアレスとの間の試合について、不適合なバットの使用により無効として宣言した。
コミッションは、インドゥストゥリアレスが3対2で勝った試合が終わったあとまもなく声明を発し、起きたことと対策について説明した。
その声明文は、そのバットによって、最終スコアに決定的に影響を与える打撃が生まれた、と説明している。サンクティ・スピリトゥスチームの首脳陣は適時にそのことに対して抗議をおこない、野球規則に定められているとおり、試合を止めることなく、当該バットは回収され、点検に委ねられた。
声明文はまた、当該バットは国内リーグおよびエリートリーグで許可されたリストのなかになく、そのオリジナルのマークがヘッド部分からは消されていたが、グリップには残っていた、と専門家たちが判断を下したと述べている。さらに、このバットは規定の18インチを超えるゴムクリップで補強されており、ボールの飛距離に関する要素に影響を与えている、と判断した。
大会規則にのっとり、今回の事案に関係した選手ヨアスニエル・エミリオ・ペレスは、この試合から退場となり、関連する翌日曜日の試合にも出場できない、とコミッションの情報は強調している。
声明はまた、サンクティ・スピリトゥスチームの抗議が妥当であったこと、そして、その不適合なバットが使われた5イニング目の2対2で走者2人の状態から本日試合を再開するという決定を下した、と述べている。
コミッションは、試合の再開時間は午後1時30分であり、その試合が終わった30分後にはもともと当日の予定だった試合を7イニング制で始める、と繰り返した。
土曜日のこのほかの試合では、アルテミサがサンティアゴ・デ・クーバを1対0で下し、史上最多のセーブ数を誇るホセ・アンヘル・ガルシアが通算296個目のセーブをあげた。ラス・トゥナスはマタンサスに11対0でコールド勝ちし、現在17イニング無失点で防御率ランキングトップのダリエル・ゴンゴラが勝利投手となり、打線ではラファエル・ビニャーレスが2本塁打と5打点と活躍し、現在本塁打部門(3本)と打点部門(11点)でトップに立っている。
インドゥストゥリアレスはここまで6勝3敗でリーグ首位を維持しており、そのあとをサンクティ・スピリトゥス(5勝3敗)、サンティアゴ・デ・クーバ(5勝5敗)、マタンサス(4勝5敗)が続き、アルテミサとラス・トゥナス(ともに4勝6敗)は最下位を共有している。
キューバTV(2023年11月18日)
Declarado no válido juego IND-SSP por uso de bate inelegible
https://www.juventudrebelde.cu/deportes/2023-11-19/declarado-no-valido-juego-ind-ssp-por-uso-de-bate-inelegible