2020年09月19日
告白のビデオグラファー
私も組織出身であり、先輩方よりもカメラマンとしての素質を認めさせたにも関わらず、年功序列で5年半も待たされた。
そこから6年半、組織のカメラマンとして腕を磨いてきたが、最初の配属先は、超ローカルのマイナーテレビ局だった。
めげること無く日々努力して、先輩たちが3年かかるノウハウを1年でマスターし、所属は変わらず社内の制作技術部に武者修行した。
もちろん、実績を積み重ね元の所属に戻り、チーフカメラマンとなり、全国ネットの番組も撮影出来るようになった。
そうこうしている中、フリーのディレクターからの紹介でヘッドハンティングの話もあり、ドキュメンタリーディレクターとして知名度のある方と隠密で打合せさせていただいたこともある。
結局、入札に落ちたからと没になりましたが、その頃からフリーになる決心はしていた。
そして、いつものマイナーテレビ局や、たまに全国ネットの番組で、日々仕事をこなしている中、なんと社長の紹介でTV-CFの会社に出入りさせて貰えるようになり、そこでも、ENGカメラマンとして信頼を得ることに成りましたが、ベースがマイナーテレビ局であり、人事異動の時期に、可愛がっている助手が「私をマイナーテレビ局のデスクにさせる話をしていましたよ。」と教えてくれた。
それが、ガセネタであっても、直ぐに転職マガジンを見て、同業他社プロダクションに面接に行き、採用の約束をいただき、辞表を部長の引き出しに入れた。
結局、社員ではなくフリーの契約カメラマンとして希望したことで、TV-CFの会社からニューヨークロケの話をいただき結果オーライでした。
また、面接してくださった取締役と、大手テレビ局のプロデューサーと私3人でタクシーに乗る機会があり、「新しく入ったカメラマンです。」と紹介してくださり、新入社員ではない訳で、テレビ局プロデューサーが冗談まぎれに「君らヘッドハンティングなんかしちゃダメだど。」と笑いながら歓迎していただきました。
その時、思った。
もう、超ローカルのマイナーテレビ局に行く必要が無くなった。
毎日、大手テレビ局の撮影ができると。
今回は、ここまで。。。
そこから6年半、組織のカメラマンとして腕を磨いてきたが、最初の配属先は、超ローカルのマイナーテレビ局だった。
めげること無く日々努力して、先輩たちが3年かかるノウハウを1年でマスターし、所属は変わらず社内の制作技術部に武者修行した。
もちろん、実績を積み重ね元の所属に戻り、チーフカメラマンとなり、全国ネットの番組も撮影出来るようになった。
そうこうしている中、フリーのディレクターからの紹介でヘッドハンティングの話もあり、ドキュメンタリーディレクターとして知名度のある方と隠密で打合せさせていただいたこともある。
結局、入札に落ちたからと没になりましたが、その頃からフリーになる決心はしていた。
そして、いつものマイナーテレビ局や、たまに全国ネットの番組で、日々仕事をこなしている中、なんと社長の紹介でTV-CFの会社に出入りさせて貰えるようになり、そこでも、ENGカメラマンとして信頼を得ることに成りましたが、ベースがマイナーテレビ局であり、人事異動の時期に、可愛がっている助手が「私をマイナーテレビ局のデスクにさせる話をしていましたよ。」と教えてくれた。
それが、ガセネタであっても、直ぐに転職マガジンを見て、同業他社プロダクションに面接に行き、採用の約束をいただき、辞表を部長の引き出しに入れた。
結局、社員ではなくフリーの契約カメラマンとして希望したことで、TV-CFの会社からニューヨークロケの話をいただき結果オーライでした。
また、面接してくださった取締役と、大手テレビ局のプロデューサーと私3人でタクシーに乗る機会があり、「新しく入ったカメラマンです。」と紹介してくださり、新入社員ではない訳で、テレビ局プロデューサーが冗談まぎれに「君らヘッドハンティングなんかしちゃダメだど。」と笑いながら歓迎していただきました。
その時、思った。
もう、超ローカルのマイナーテレビ局に行く必要が無くなった。
毎日、大手テレビ局の撮影ができると。
今回は、ここまで。。。
タグ:映像カメラマン
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