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2021年01月06日

天孫降臨の年代 その2

年数に關する本居、平田兩氏の解釋
ここに於て本居宣長は、瓊瓊杵尊が石長姫(いはながひめ)を娶(め)し給はずして木花開耶姫(このはなさくやひめ)と婚(みあひ)まししかば、父~の咀によりて、御子彦火火出見尊以下は御壽短くなりませるものにて、百七十九萬二千歳の大部分は、瓊瓊杵尊の御世なりしなるべく、倭姫命世紀等の説は、後人古事記の記事に心付かずして、妄りに分配せしものなりと論じたり。
更に平田篤胤は、其の弘仁歴運記考に、~の夢想によりたりとて、初めの百七十九萬の大數を捨てて、單に末の二千四百七十餘年の數のみを取り、其の天孫降臨の年の干支を、神武天皇卽位前二千四百年の辛酉革命の年と定めて、天皇崩御の丙子までを、二千四百七十六年と數へ、其の數が帝王編年記の百七十九萬二千四百七十六年とある。
千位以下の數に合へりとなし、又綏靖天皇卽位の前年なる己卯までを、二千四百七十九年と數へて、其の數が亦天~祇王代記の、末の數に合へるを見れば、日本紀等に云ふ所の數は、其の實天孫降臨より、~武天皇の御代を籠めたる數にして、初の「百七十九萬」の大數は、後の攙入なりと論定せり。

✧ 閑話休題:「攙」は「ザン」と訓み、字義は「刺す」「混ぜる」 ✧
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