2021年02月19日
天孫降臨の經路 その5
銅鐸の發見と漢族の渡來 その1
之を遺物遺蹟に徴するに、本邦往々にして銅鐸と稱する一種の銅器を土中より發見する事あり。
其の埋藏の範圍は、近畿を中心として殆ど其の左右數國の域に限られ、其の器は志那三代文化の影響を受けたるものと解すべく、其の製作意匠等、本邦に於て發見せらるる他の古代遺物と殆ど何等の關係を認むるを得ざるものなり。
蓋し太古志那の文化を享得せし一種の民族が、恐らく朝鮮半島より南下して、近畿を中心とせる四近の地方に蕃延し、此の銅器を造りて之を遺留せしものなりと解せざるべからず。
而して其の民族の蕃延の頗る盛なりし事は、銅鐸の發見數の意外に多きによりて察することを得べし。
之を我が古記に徴するに、新羅王子天日槍渡來の傳説あり。
事恐らく~代に屬し、當時未だ新羅國あるなし。
蓋し秦韓人の渡來を意味するものなるべし。
日槍の傳説亦近畿を中心として、其の四邊の地方に存す。
是れ或は古く渡來せる漢族の事蹟を傳ふる片鱗の遺れるものにして、先秦文明の影響を有すると認めらるる銅鐸の如きも、亦是等秦韓渡來の民族によりて、製作せられたるものなりと解せらるるなり。
之を遺物遺蹟に徴するに、本邦往々にして銅鐸と稱する一種の銅器を土中より發見する事あり。
其の埋藏の範圍は、近畿を中心として殆ど其の左右數國の域に限られ、其の器は志那三代文化の影響を受けたるものと解すべく、其の製作意匠等、本邦に於て發見せらるる他の古代遺物と殆ど何等の關係を認むるを得ざるものなり。
蓋し太古志那の文化を享得せし一種の民族が、恐らく朝鮮半島より南下して、近畿を中心とせる四近の地方に蕃延し、此の銅器を造りて之を遺留せしものなりと解せざるべからず。
而して其の民族の蕃延の頗る盛なりし事は、銅鐸の發見數の意外に多きによりて察することを得べし。
之を我が古記に徴するに、新羅王子天日槍渡來の傳説あり。
事恐らく~代に屬し、當時未だ新羅國あるなし。
蓋し秦韓人の渡來を意味するものなるべし。
日槍の傳説亦近畿を中心として、其の四邊の地方に存す。
是れ或は古く渡來せる漢族の事蹟を傳ふる片鱗の遺れるものにして、先秦文明の影響を有すると認めらるる銅鐸の如きも、亦是等秦韓渡來の民族によりて、製作せられたるものなりと解せらるるなり。
タグ:銅鐸
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