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2020年12月09日

はじめに


宮崎には多くの傳説がある。
古事記、日本書紀の宮崎を舞台にした天皇家の先祖に関する記述を裏付ける状況証拠が多くある。
伝説の中にはどう好意的に考えても後世の作り話と判断すべきものもあるのだが。
以前、宮崎をテーマにしたウェブサイトを運営していた。
その時に集めた書籍の中に「日向國史」がある。
文學博士の喜田貞吉が著した。


日向國史が喜田君によりて公表せらるるに方り、自分は最初より之に関係を有するを以て、同君の嘱に応じ、一言を寄せて其の来歴を叙べ、併せて序に代ふる所あらんとす。
回顧すれば、明治四十四年の三月と覚ゆ、自分が宮崎県知事を拝命せる際、赴任に先立ち、参内して 天機並 御機嫌を奏伺したりしが、退出の際香川皇后宮太夫にも新任の挨拶をなせるに、同太夫は、其の時容を正して、「宮崎県知事とあらば是非御聞き申したい事があります。
それは霊峯と知られた高千穂の峯は高い山でありますか、低い山でありますか。」と、いとも熱心に問はれたり。もとより突然のことなれば、其の場は、「赴任の後委曲を調査して何づれ申上げん。」とて、此の対話は簡単に打切りたるが、自分の心琴には一種の高鳴を覚えざるを得ざりき。
実は、皇祖発祥の聖地たる宮崎県は、自分も一度任官したき希望を有せし處にして、曾って一木内務次官にまで其の旨を申出でたることありしに、このたび宿望を達し、將に任に赴かんとして心躁の新なるに際し、場所は宮中、しかも純情その儘なる香川老太夫より、靈境に就いて話しかけられては、遠く神代に心の馳するを禁ぜざりしなり。 後略

出版された当時の製紙技術は現在より相当に劣るのものであっただろうし、また印刷技術もインクの質も同じ事情があっただろう。
今その本の状態は相当に「朽ちている」状態である。
なので、文字が消えていたり霞んでいたりして所々読めない部分もあり、読むには中々苦労がある。
文章は極めて格調が高い。
漢字は現代の画数を減らした簡略漢字ではない。
それをそのままにネット媒体に乗せたいと以前から考えていた。

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