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2020年12月11日
私按二、日向國と熊襲國 その2
隼人族と熊襲國
今奈良朝初期の形勢を按ずるに、大隅、薩摩の両國地方には、當時異族として認められたりし隼人族ここに占據したるの事實あり。
養老年中に薩摩、大隅二國の隼人亂を為し、皇軍の大征討を要するに至れるなり。
後人或は此の際の叛亂を以て、日向、大隅二國の隼人の所為なりきと云ひ、當時なほ我が日向にも、隼人族として認められたりし民族の住居せしことを傳へたり。
更に遡りては景行天皇及び日本武尊の熊襲御征討が、主として日向の域内に於て行はれたりしが如く傳へらるるあり。
されば其の日向の域を以て、大隅、薩摩と共に嘗って異民族占據の堺なりとし、隼人即ち熊襲なりとの見解のもとに、之を以て熊襲國と稱したりとなさんは、頗る其の理由あるに似たり。
今奈良朝初期の形勢を按ずるに、大隅、薩摩の両國地方には、當時異族として認められたりし隼人族ここに占據したるの事實あり。
養老年中に薩摩、大隅二國の隼人亂を為し、皇軍の大征討を要するに至れるなり。
後人或は此の際の叛亂を以て、日向、大隅二國の隼人の所為なりきと云ひ、當時なほ我が日向にも、隼人族として認められたりし民族の住居せしことを傳へたり。
更に遡りては景行天皇及び日本武尊の熊襲御征討が、主として日向の域内に於て行はれたりしが如く傳へらるるあり。
されば其の日向の域を以て、大隅、薩摩と共に嘗って異民族占據の堺なりとし、隼人即ち熊襲なりとの見解のもとに、之を以て熊襲國と稱したりとなさんは、頗る其の理由あるに似たり。
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