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2020年12月16日
黄泉國の辨 その1
私按二、黄泉國の辨
根國と出雲地方
黄泉國は、伊弉冉尊が崩じて後入り給ひし暗黒の國にして、尊の御形骸はそこに腐爛の状を呈し、恰も墳墓の壙内なるかの如く、極めて忌はしき穢れたる處として傳へられたり。
而も現國(うつしくに)より此の國に通ずる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、古事記に之を出雲國の伊賦夜坂(いふやざか)なりといへり。
蓋し古へ黄泉國即ち根ノ國を以て、出雲地方、若しくは其の方角にありとし、此所よりして其の國へ交通せしものなりと信ぜられたりし事を示せり。
出雲風土記に闇見(くらみ)ノ國あり。
夜見ノ島あり。
闇見(くらみ)ノ國は今は八束郡の内なる、もとの島根郡の地にして、延喜式には同郡久良彌(くらみ)神社といふもあり。
出雲風土記には椋見(くらみ)社に作る。
又夜見島は、今は砂嘴(さし)之を連ねて、伯耆の夜見ガ濱となれり。
黄泉國は一に夜見ノ國とも、又根ノ國ともいふ。
暗黒の國として信ぜられたれば、其の夜見と云ひ、闇見と云ふも、名義に於て互に縁由ありげに見ゆるなり。
されば是等の地も、嘗ては夜見ノ國に關する傳説を有し、若しくは其の一部として信ぜられたりしものか。
出雲風土記には、別に出雲郡宇賀郷の條下に、
とありて、黄泉國を出雲の海岸より通ずる地下の國として信ぜし狀(かたち)を示せり。
尚言はば、黄泉國に入り坐せる伊弉冉尊を、古事記には黄泉津(よもつ)大神と云ひ、出雲國と伯伎國との境なる比婆ノ山に葬るともあれば、此の地方亦黄泉國の中として信ぜられたりしものか。
ともかくもこの國が、出雲地方若しくはその方角にありとして信ぜられたりしことは明なりとす。
かく黄泉國の位置に就きては、種々の古傳説ありといへども、ともかくも其の國はもと出雲系統の諸神の祖國として信ぜられたりしなり。
而してそこには、伊弉冉尊の長(とこ)しへに鎭(しずま)りませるなり。
されば古事記には、素戔鳴尊の御語(ことば)を録して、「妣國(ははのくに)の根之堅洲國(ねのかたすくに)に罷(まか)らんと欲す」と云ひ、日本紀には、「母に根ノ國に従はんと欲す」とも見ゆるなり。
根國と出雲地方
黄泉國は、伊弉冉尊が崩じて後入り給ひし暗黒の國にして、尊の御形骸はそこに腐爛の状を呈し、恰も墳墓の壙内なるかの如く、極めて忌はしき穢れたる處として傳へられたり。
而も現國(うつしくに)より此の國に通ずる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、古事記に之を出雲國の伊賦夜坂(いふやざか)なりといへり。
蓋し古へ黄泉國即ち根ノ國を以て、出雲地方、若しくは其の方角にありとし、此所よりして其の國へ交通せしものなりと信ぜられたりし事を示せり。
出雲風土記に闇見(くらみ)ノ國あり。
夜見ノ島あり。
闇見(くらみ)ノ國は今は八束郡の内なる、もとの島根郡の地にして、延喜式には同郡久良彌(くらみ)神社といふもあり。
出雲風土記には椋見(くらみ)社に作る。
又夜見島は、今は砂嘴(さし)之を連ねて、伯耆の夜見ガ濱となれり。
黄泉國は一に夜見ノ國とも、又根ノ國ともいふ。
暗黒の國として信ぜられたれば、其の夜見と云ひ、闇見と云ふも、名義に於て互に縁由ありげに見ゆるなり。
されば是等の地も、嘗ては夜見ノ國に關する傳説を有し、若しくは其の一部として信ぜられたりしものか。
出雲風土記には、別に出雲郡宇賀郷の條下に、
磯より西の方に窟戸あり。
高さ廣さ各六尺許(ばかり)。
窟の内に穴あり、人入るを得ず。
深浅を知らず。
夢に此の磯の窟の邊に至る者は、必ず死す。
故に俗人、古より今に至るまで、號して黄泉(よみ)ノ坂、黄泉(よみ)ノ穴と云ふなり。
とありて、黄泉國を出雲の海岸より通ずる地下の國として信ぜし狀(かたち)を示せり。
尚言はば、黄泉國に入り坐せる伊弉冉尊を、古事記には黄泉津(よもつ)大神と云ひ、出雲國と伯伎國との境なる比婆ノ山に葬るともあれば、此の地方亦黄泉國の中として信ぜられたりしものか。
ともかくもこの國が、出雲地方若しくはその方角にありとして信ぜられたりしことは明なりとす。
かく黄泉國の位置に就きては、種々の古傳説ありといへども、ともかくも其の國はもと出雲系統の諸神の祖國として信ぜられたりしなり。
而してそこには、伊弉冉尊の長(とこ)しへに鎭(しずま)りませるなり。
されば古事記には、素戔鳴尊の御語(ことば)を録して、「妣國(ははのくに)の根之堅洲國(ねのかたすくに)に罷(まか)らんと欲す」と云ひ、日本紀には、「母に根ノ國に従はんと欲す」とも見ゆるなり。
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