2020年12月17日
黄泉國の辨 その5
根國と黄泉國
而も其の祖國たる根ノ國が、死後の黄泉國の思想と合體するに及びて、或は暗黒の國なるが如く、或は地下の國なるが如く、或は墳墓の壙内なるが如くにも傳へられ、伊弉諾尊の千引の岩を置き給ふことによりて、現國(うつしくに)との交通の絶えたることを言ふに至れるものならん。
されば日本紀の一書には、伊弉冉尊の入り給ひし黄泉國を以て、「殯歛(ひんかん)の處」なりとし、他の一書には、「所謂黄泉比良坂は復別に處あるにあらず、ただ臨死氣絶の際を謂ふか」とも解せるなり。
こは自ら別問題なれども、ともかくも伊弉諾尊は、黄泉國にて其の穢に觸れ給ひ、之を清め給はんとて、粟門、速吸名門を過ぎ、遠く我が日向の檍原に來り給へりとは、古く語り傳へられたりしところなりとす。
而も其の祖國たる根ノ國が、死後の黄泉國の思想と合體するに及びて、或は暗黒の國なるが如く、或は地下の國なるが如く、或は墳墓の壙内なるが如くにも傳へられ、伊弉諾尊の千引の岩を置き給ふことによりて、現國(うつしくに)との交通の絶えたることを言ふに至れるものならん。
されば日本紀の一書には、伊弉冉尊の入り給ひし黄泉國を以て、「殯歛(ひんかん)の處」なりとし、他の一書には、「所謂黄泉比良坂は復別に處あるにあらず、ただ臨死氣絶の際を謂ふか」とも解せるなり。
こは自ら別問題なれども、ともかくも伊弉諾尊は、黄泉國にて其の穢に觸れ給ひ、之を清め給はんとて、粟門、速吸名門を過ぎ、遠く我が日向の檍原に來り給へりとは、古く語り傳へられたりしところなりとす。
タグ:黄泉國
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