2016年11月26日
古代日本と古代朝鮮の深い結びつきとは‐通信教育部専門課程‐考古学リポート
古代日本と古代朝鮮の深い結びつきとは‐通信教育部専門課程‐考古学リポート
古代日本と古代朝鮮は特に結びつきが強いと言える。
なぜなら歴史的に見ても古代日本の統一王朝である大和朝廷は朝鮮から来た民族という説も存在している。
また、実際に古代日本は朝鮮半島の一部を所有していたという説もあり、朝鮮半島の内乱に介入していたという歴史的事実がある。
考古学的に古代日本と古代朝鮮の結びつきを見ると古くは旧石器時代の日本の遺跡で発掘されるハンドアックスなどは、朝鮮半島南部で発掘される細石器と非常に似ている。
この時代のある説では日本と朝鮮は陸続きであったと言われている。
この二つのことを考えるとこの時代は、日本と朝鮮は一つの文化圏として区別無く存在していた可能性が高い。
その後、陸続きで無くなると、日本と朝鮮は別々の文化を歩んだが、少しは交流はあった。
例えば朝鮮の櫛目文土器が九州対馬の縄文時代遺跡の出土品にごくわずかに含まれていたり、また、逆に朝鮮半島南部の遺跡に縄文土器が出土したりしている。
このことから日本と朝鮮は交流があったことがうかがえる。
つぎに人間の生活にとても大きな影響を与えた稲作とそれに伴う金属その他の文化は朝鮮半島から伝えられた。
東アジアの稲作は最初中国の長江中流地域といわれ、それが朝鮮半島に伝わりそして日本には、縄文時代終末期に伝わったという説が今のところ強い。
弥生時代のころ中国ではすでに統一的な王朝ができ社会秩序もととのい、周辺の国家に大きな影響を与えた。
朝鮮半島は中国の属国的な立場になり、文化的影響を大きく受けた。
それが海を越え日本にも伝達した。
日本では大陸文化の影響で貧富の差、支配階級の誕生、統一的国家の誕生、など大規模な変化があった。
これは、稲作により、食料や耕作地を持つものと持たないものの差が貧富の差、それが支配階級へと成長していった。
また、金属文化は日本人の生活を大きく変え、より便利なものになった。
そして、金属文化と乗馬文化は戦争の規模、戦術、スピード、を変え巨大国家ができやすい環境になった。
朝鮮からの大陸文化の伝達は遺跡によりある程度、証明する事ができる。
有名なものに縄文時代時代末期の佐賀県唐津市の稲畑遺跡、弥生時代の遺跡である、静岡県静岡市の登呂遺跡がある。
これらの遺跡には水田跡が見られ、この時代稲作が始まっていたという証明になる。
また、木製農具の制作に使われた磨製石器や稲の収穫具の石包丁が出土された。
これはらは、朝鮮の遺跡から出土されたものと同じ形式を持っていた。
このことから稲作と共に石包丁、磨製石器の技法が朝鮮から日本に伝わったことが推測される。
日本で出土された、銅剣、銅鐸、銅鏡、などに関しても朝鮮半島で同じ形式のものが出土されている。
このことは、朝鮮製の物が、日本に流入、もしくはモデルとされた可能性を示し、両国の繋がりを表すものである。
また、朝鮮の青銅器は中国東北地方の遼寧式の青銅器が源流とされ、中国―朝鮮―日本という流れで文化が入ってくるという事を示すものである。
そして、形質人類学から考えるとこの時代、九州北部や本州西橋から出土された人骨の中に、高顔で高身長という特徴を持つ人骨が出土される。
これは大陸から来た渡来人の骨であると推測され、日本における新しい文化である稲作、金属文化の伝来に、大陸から来た渡来人が大きく関係していると言えるだろう。
古墳についても大陸の影響を受けた。
古くは弥生時代の遺跡で見られる支石墓や箱式石棺は大陸でも同じ形式が見られ、影響を受けたと考えられる。
そして、古墳時代の古墳の構造上における変化である。早くから大陸で見られ、その変化は横穴式石室で見られる。
この技法が日本に影響を及ぼし、古墳製造の技術上昇に貢献した。
横穴式石室の源流は4世紀中頃楽浪群にあり、それが、5世紀に百済に伝わり、百済と交流が盛んだった日本に伝わった。
古墳時代は工芸技術が著しく発達し、文字の使用も見られた。
これは大陸との交流はもちろんのこと大陸から日本に移り住んだ帰化人の影響も強く受けた。
文字はだいたい5世紀頃から一般的に使用された。
文字の使用により新しい知識が容易に得られるようになり、文化の伝達のスピードも早くなり、仏教などの新しい思想も容易に入り、日本人に大きな影響を与えるようになった。
文字の伝達は日本を大きく変え、文化のレベルは上がり、歴史を文字で書き留める事ができるようになった。
すごくすばらしいことである。日本語の文字の源流が中国にあることは中国語を見れば誰にでも想像がつくはずである。
そして、初期日本製の文字を含んだ作品を見ると、大陸の渡来人の名が見られる。このことは、渡来人から文字が伝わった可能性を示すものである。
最後に、もし、大陸からの文化伝来がなければ縄文時代のような狩猟採集の生活が続いていたかもしれない。
大陸からの文化伝来は現在の文明社会の始まりだったのかもしれない。
そして、日本は海に囲まれ独自の文化を歩んで来たように見えるが実は古代は非常に大陸との関係が強く、盛んな交流があった。
日本文化の源流は大陸にあり、日本は大陸文化を基本として独自に文化を築き発達させ、現在の日本文化を創ったと言えるだろう。
例えば文字に関しては日本独自の文体やカナの発明などがそうであるように。
参考(古代朝鮮と日本 西谷正 名著出版)
いつもクリックありがとうございました。
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古代日本と古代朝鮮は特に結びつきが強いと言える。
なぜなら歴史的に見ても古代日本の統一王朝である大和朝廷は朝鮮から来た民族という説も存在している。
また、実際に古代日本は朝鮮半島の一部を所有していたという説もあり、朝鮮半島の内乱に介入していたという歴史的事実がある。
考古学的に古代日本と古代朝鮮の結びつきを見ると古くは旧石器時代の日本の遺跡で発掘されるハンドアックスなどは、朝鮮半島南部で発掘される細石器と非常に似ている。
この時代のある説では日本と朝鮮は陸続きであったと言われている。
この二つのことを考えるとこの時代は、日本と朝鮮は一つの文化圏として区別無く存在していた可能性が高い。
その後、陸続きで無くなると、日本と朝鮮は別々の文化を歩んだが、少しは交流はあった。
例えば朝鮮の櫛目文土器が九州対馬の縄文時代遺跡の出土品にごくわずかに含まれていたり、また、逆に朝鮮半島南部の遺跡に縄文土器が出土したりしている。
このことから日本と朝鮮は交流があったことがうかがえる。
つぎに人間の生活にとても大きな影響を与えた稲作とそれに伴う金属その他の文化は朝鮮半島から伝えられた。
東アジアの稲作は最初中国の長江中流地域といわれ、それが朝鮮半島に伝わりそして日本には、縄文時代終末期に伝わったという説が今のところ強い。
弥生時代のころ中国ではすでに統一的な王朝ができ社会秩序もととのい、周辺の国家に大きな影響を与えた。
朝鮮半島は中国の属国的な立場になり、文化的影響を大きく受けた。
それが海を越え日本にも伝達した。
日本では大陸文化の影響で貧富の差、支配階級の誕生、統一的国家の誕生、など大規模な変化があった。
これは、稲作により、食料や耕作地を持つものと持たないものの差が貧富の差、それが支配階級へと成長していった。
また、金属文化は日本人の生活を大きく変え、より便利なものになった。
そして、金属文化と乗馬文化は戦争の規模、戦術、スピード、を変え巨大国家ができやすい環境になった。
朝鮮からの大陸文化の伝達は遺跡によりある程度、証明する事ができる。
有名なものに縄文時代時代末期の佐賀県唐津市の稲畑遺跡、弥生時代の遺跡である、静岡県静岡市の登呂遺跡がある。
これらの遺跡には水田跡が見られ、この時代稲作が始まっていたという証明になる。
また、木製農具の制作に使われた磨製石器や稲の収穫具の石包丁が出土された。
これはらは、朝鮮の遺跡から出土されたものと同じ形式を持っていた。
このことから稲作と共に石包丁、磨製石器の技法が朝鮮から日本に伝わったことが推測される。
日本で出土された、銅剣、銅鐸、銅鏡、などに関しても朝鮮半島で同じ形式のものが出土されている。
このことは、朝鮮製の物が、日本に流入、もしくはモデルとされた可能性を示し、両国の繋がりを表すものである。
また、朝鮮の青銅器は中国東北地方の遼寧式の青銅器が源流とされ、中国―朝鮮―日本という流れで文化が入ってくるという事を示すものである。
そして、形質人類学から考えるとこの時代、九州北部や本州西橋から出土された人骨の中に、高顔で高身長という特徴を持つ人骨が出土される。
これは大陸から来た渡来人の骨であると推測され、日本における新しい文化である稲作、金属文化の伝来に、大陸から来た渡来人が大きく関係していると言えるだろう。
古墳についても大陸の影響を受けた。
古くは弥生時代の遺跡で見られる支石墓や箱式石棺は大陸でも同じ形式が見られ、影響を受けたと考えられる。
そして、古墳時代の古墳の構造上における変化である。早くから大陸で見られ、その変化は横穴式石室で見られる。
この技法が日本に影響を及ぼし、古墳製造の技術上昇に貢献した。
横穴式石室の源流は4世紀中頃楽浪群にあり、それが、5世紀に百済に伝わり、百済と交流が盛んだった日本に伝わった。
古墳時代は工芸技術が著しく発達し、文字の使用も見られた。
これは大陸との交流はもちろんのこと大陸から日本に移り住んだ帰化人の影響も強く受けた。
文字はだいたい5世紀頃から一般的に使用された。
文字の使用により新しい知識が容易に得られるようになり、文化の伝達のスピードも早くなり、仏教などの新しい思想も容易に入り、日本人に大きな影響を与えるようになった。
文字の伝達は日本を大きく変え、文化のレベルは上がり、歴史を文字で書き留める事ができるようになった。
すごくすばらしいことである。日本語の文字の源流が中国にあることは中国語を見れば誰にでも想像がつくはずである。
そして、初期日本製の文字を含んだ作品を見ると、大陸の渡来人の名が見られる。このことは、渡来人から文字が伝わった可能性を示すものである。
最後に、もし、大陸からの文化伝来がなければ縄文時代のような狩猟採集の生活が続いていたかもしれない。
大陸からの文化伝来は現在の文明社会の始まりだったのかもしれない。
そして、日本は海に囲まれ独自の文化を歩んで来たように見えるが実は古代は非常に大陸との関係が強く、盛んな交流があった。
日本文化の源流は大陸にあり、日本は大陸文化を基本として独自に文化を築き発達させ、現在の日本文化を創ったと言えるだろう。
例えば文字に関しては日本独自の文体やカナの発明などがそうであるように。
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