2016年11月06日
ユダヤ教の律法主義が生まれたその理由とは‐キリスト教史リポート
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ユダヤ教の律法主義が生まれたその理由とは‐キリスト教史リポート
ユダヤ教がいつ始まったのかを考えてみると、紀元前18世紀のアブラハムの時代まで坂登ることができるのだろか。
または、紀元前13世紀頃に現れたモーゼという指導者によってイスラエルの民がエジプトを脱出して、シナイ山で十戒を授かった時なのか。
それとも、旧約聖書が作れた時なのか。このようにいろいろ考えられるが、どれもしっくりとこないのである。
現代われわれが、ユダヤ教と認識している宗教とこれらユダヤ教が始まった頃に行われていた宗教では大きな違いがある事がしっくりこない理由である。
イスラエルの民は長い歴史の中で、迫害や圧制などさまざまな苦難の道を歩んでいくが、その苦難の中から心の差さえとなる宗教の位置付けは絶対的なものになる。
苦難の中で、イスラエル民に宗教的な価値観が生まれて、それが育まれていくのだが、続く苦難の歴史の中で、ユダヤ教は変化を遂げることとなる。
最初に、イスラエルの民の中で、本格的な宗教的価値観が生まれるのが紀元前13世紀のモーゼの時代と言われている。
イスラエルの民はパレスティナに住んでいたが飢餓が発生したときにその一部がエジプトへと移住した。
エジプトの支配下の中イスラエルの民は奴隷化されて、苦難の道を歩む。
そんな時、モーゼは神の声に従い、エジプトに住むイスラエルの民を引き連れてエジプトから脱出する。
紅海を渡り、荒野をさまよいながらシナイ半島の着き、シナイ山で神ヤハウェに出会い、神ヤハウェの民になる契約を交わし、そして、神ヤハウェから十戒を授かった。私が見た映画ではこの時、紅海が2つに割れて海底から脱出していた。インパクトのある忘れられない1シーンである。
十戒は神ヤハウェの教えを説いたものである。
1.神はヤハウェだけである。
2.偶像を拝してはいけない。
3.神ヤハウェの名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を守る。
5.父母を敬う。
6.人を殺してはいけない。
7.姦淫するな。
8.盗みはするな。
9.隣人に対して偽証するな。
10貪欲になるな。である。
十戒は神に祝福されているイスラエルの民への、神からの送り物的な恩恵の1つとして捉えられていた。
けっして、十戒は神の恩恵を受けるために守らなければならない規則ではなかった。
その後、イスラエルの民はカナンの土地にたどり着き、そこに住んでいたペリシテ人との戦いに勝利して、カナンの土地に定住して、そこに王国を建てるのである。
王国は繁栄を極めるが、人の心も乱れ、最終的には王国は半分に分裂して、その両方の王国とも他国に滅ぼされることになる。
そして、紀元前586年〜紀元前538年のバビロン捕囚などの苦難を体験したイスラエルの民は、自分たちの王国が滅び苦難に陥ったのは、ヤハウェとの十戒の契約を守らなかったから苦難に陥ったのではという思想が生まれた。
そして、ヤハウェとの契約を守れば自分たちは助かると考えた。
その中で、神との契約を守っている自分たちユダヤ教徒だけは苦難から解放され救われ、神の契約を守っていない後の人は滅びるなどの、自分たちは選ばれた民だと考える選民思想が生まれた。
そして、神の契約を守っていればいつか神が苦難から救ってくれるメシアをこの世に遣わしてくれるというメシア信仰を生み出すことになる。
また、神との契約を守らなかったので、王国が滅びたとの思想から、神との契約を守っていれば王国が滅びることはないとの考え方になった。
そこから、神との契約を厳守する律法主義が生まれた。ここから、現代認識されているユダヤ教がうまれたのである。
律法は神からの祝福ではなくて、祝福をうけるため条件へと変化したのである。
以後もイスラエル民の苦難の歴史は続き、苦難の歴史の中で、イスラエル民の律法主義はますます深まっていくのである。
律法は限りなく細かい生活の部分にまで影響を与え、極端な形式主義も生まれてくるのある。
(ユダヤ教 ノーマン・ソロモン 岩波書店 参照)
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ユダヤ教がいつ始まったのかを考えてみると、紀元前18世紀のアブラハムの時代まで坂登ることができるのだろか。
または、紀元前13世紀頃に現れたモーゼという指導者によってイスラエルの民がエジプトを脱出して、シナイ山で十戒を授かった時なのか。
それとも、旧約聖書が作れた時なのか。このようにいろいろ考えられるが、どれもしっくりとこないのである。
現代われわれが、ユダヤ教と認識している宗教とこれらユダヤ教が始まった頃に行われていた宗教では大きな違いがある事がしっくりこない理由である。
イスラエルの民は長い歴史の中で、迫害や圧制などさまざまな苦難の道を歩んでいくが、その苦難の中から心の差さえとなる宗教の位置付けは絶対的なものになる。
苦難の中で、イスラエル民に宗教的な価値観が生まれて、それが育まれていくのだが、続く苦難の歴史の中で、ユダヤ教は変化を遂げることとなる。
最初に、イスラエルの民の中で、本格的な宗教的価値観が生まれるのが紀元前13世紀のモーゼの時代と言われている。
イスラエルの民はパレスティナに住んでいたが飢餓が発生したときにその一部がエジプトへと移住した。
エジプトの支配下の中イスラエルの民は奴隷化されて、苦難の道を歩む。
そんな時、モーゼは神の声に従い、エジプトに住むイスラエルの民を引き連れてエジプトから脱出する。
紅海を渡り、荒野をさまよいながらシナイ半島の着き、シナイ山で神ヤハウェに出会い、神ヤハウェの民になる契約を交わし、そして、神ヤハウェから十戒を授かった。私が見た映画ではこの時、紅海が2つに割れて海底から脱出していた。インパクトのある忘れられない1シーンである。
十戒は神ヤハウェの教えを説いたものである。
1.神はヤハウェだけである。
2.偶像を拝してはいけない。
3.神ヤハウェの名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を守る。
5.父母を敬う。
6.人を殺してはいけない。
7.姦淫するな。
8.盗みはするな。
9.隣人に対して偽証するな。
10貪欲になるな。である。
十戒は神に祝福されているイスラエルの民への、神からの送り物的な恩恵の1つとして捉えられていた。
けっして、十戒は神の恩恵を受けるために守らなければならない規則ではなかった。
その後、イスラエルの民はカナンの土地にたどり着き、そこに住んでいたペリシテ人との戦いに勝利して、カナンの土地に定住して、そこに王国を建てるのである。
王国は繁栄を極めるが、人の心も乱れ、最終的には王国は半分に分裂して、その両方の王国とも他国に滅ぼされることになる。
そして、紀元前586年〜紀元前538年のバビロン捕囚などの苦難を体験したイスラエルの民は、自分たちの王国が滅び苦難に陥ったのは、ヤハウェとの十戒の契約を守らなかったから苦難に陥ったのではという思想が生まれた。
そして、ヤハウェとの契約を守れば自分たちは助かると考えた。
その中で、神との契約を守っている自分たちユダヤ教徒だけは苦難から解放され救われ、神の契約を守っていない後の人は滅びるなどの、自分たちは選ばれた民だと考える選民思想が生まれた。
そして、神の契約を守っていればいつか神が苦難から救ってくれるメシアをこの世に遣わしてくれるというメシア信仰を生み出すことになる。
また、神との契約を守らなかったので、王国が滅びたとの思想から、神との契約を守っていれば王国が滅びることはないとの考え方になった。
そこから、神との契約を厳守する律法主義が生まれた。ここから、現代認識されているユダヤ教がうまれたのである。
律法は神からの祝福ではなくて、祝福をうけるため条件へと変化したのである。
以後もイスラエル民の苦難の歴史は続き、苦難の歴史の中で、イスラエル民の律法主義はますます深まっていくのである。
律法は限りなく細かい生活の部分にまで影響を与え、極端な形式主義も生まれてくるのある。
(ユダヤ教 ノーマン・ソロモン 岩波書店 参照)
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