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2018年03月29日

忘れるということは・・・良いことにちがいない

忘れるということは・・・

ヒトが備えた健康に生きるための能力に他ならない。

忘れることができないと、精神的に病んでしまう。



ヒトは、10年をひとまとめにして、  つらいことや悲しいこと、

イヤなことなどは脳の下の方に沈殿させて思い出さないようにし、

楽しかったことや嬉しかったことを脳の上の方に浮遊させるという、

生きていく知恵を備えているらしい。


私が生まれ育ったのは、朝日は仰角30度位で顔を出し、

夕日は20度位で沈むような所です。

ですから漫画などでみていた、

夕日がつくる長い影法師や、

電信柱や屋根の上に沈んでいく真っ赤な大きな夕日は想像もできませんでした。


上京して初めて、

京王線笹塚駅前の甲州街道に架かる歩道橋の上から真っ赤な大きな夕日を見た時は、

感動して茜色に染まった街道の遥か西の空が少しずつ色を変え、

雲全体の茜色が徐々にその下の縁からも消え去るまで、

「これだったのか」と思いながら、

夕日と夕日がつくる路上の影法師を短くない間見比べ続けたことを鮮明におぼえています。

おかげでその夜は、目がチカチカと痛くなり往生してしまいましたが。


「寄せては返す波」という表現があります。

瀬戸内海の島育ちの私には、想像がつかない表現でした。

なにしろ波といっても、海岸の砂浜に寄せてくるのはせいぜい2mかそこら。

初めて九十九里の海岸で見た波、

私の足元に何十メートルもの長さで寄せては返す波を体験した時は、

まさしく「目から鱗が」が落ちました。


言葉の世界が映像の世界と重なってパーッと広がり、

心が一つ豊かになったような気がした瞬間です。


現在は、これらのような「動画」はネットでいつでも、いくらでも見ることができるのでしょうね。

しかし、「動画」では、そこに至るまでのシチュエーションや、

車の行きかう音や人の足音・話し声、上下左右から伝わってくる「気配」は分からない。


ましてや潮の香、

波が足にぶつかり絡まる感覚、

引波の強さが足元の砂をさらっていく感覚

などは体験できないと思います。


これらは、私にとってきっと、いつまでも沈殿して欲しくない感動なのでしょう。


しかし、振り返ってみるに、

私の人生、映画「男はつらいよ」の寅さんからの

はがきの中の文句ではありませんが

「はずかしきことのかずかず」ばかりなので、

脳で浮遊している記憶が極端にすくなく、

「ひとまとめ」どころか何十年以上も昔のことをいつまでも覚えているのかもしれない。


エツ ! ! 最近のことは、

良いことも悪いことも覚えていないのではないか・・・とおっしゃるか。

中らずと雖も遠からず。

ついでに白状すると、一つのことを完了すると、

もう一つのやろうと思っていたことが、どこかにいってしまう。


ンゥ~~ン ! ! これは単なる認知症かナ???















posted by smile at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | コラム
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