2009年03月07日
偕楽園 (散策編)
今日は良い天気で、絶好の行楽日和となりました
と言う訳で、久々にお出かけしてきました 向かった場所は、水戸の偕楽園です
御存知かと思いますが偕楽園は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられ、江戸時代天保13年(1842)7月水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により造られました。110品種、3千数百本の梅園となっており、「水戸の梅まつり」が毎年2月20日〜3月31日の間開催されます。
今が調度見頃で、3,000本の梅の花は見事です ノ´▽`)ノ
日頃運動不足と言うこともあり、ウォーキングも兼ねて散策してみました
途中、吐玉泉(とぎょくせん)と言う湧き水がありました。
ここは昔から湧き水の多かった所で眼病に効く水と言われいました。偕楽園造成にあたりその湧き水を茶室何陋庵(かろうあん)の茶の湯に用いると共に造園上の景観を考慮し白色の井筒(いづつ)を据えた。井筒は茨城県常陸太田市真弓山から採掘した大理石(寒水石)です。
そして、偕楽園のシンボル的建築物の好文亭(こうぶんてい)を見学。
好文亭の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。
※階段は非常に急ですので御注意です。
茶室「何陋庵(かろうあん)」は、亭の西北に位置しています。
好文亭三階からの眺めです なかなかの眺めです。今日は観光客も多くて好文亭の見学だけで、
一時間位掛かりました しかし今日はよく歩きました。暖かかったので少し汗をかきました 花粉をイッパイ浴びてしまいましたので、家に帰って、くしゃみと目のかゆみが酷かったです
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と言う訳で、久々にお出かけしてきました 向かった場所は、水戸の偕楽園です
御存知かと思いますが偕楽園は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられ、江戸時代天保13年(1842)7月水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により造られました。110品種、3千数百本の梅園となっており、「水戸の梅まつり」が毎年2月20日〜3月31日の間開催されます。
今が調度見頃で、3,000本の梅の花は見事です ノ´▽`)ノ
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途中、吐玉泉(とぎょくせん)と言う湧き水がありました。
ここは昔から湧き水の多かった所で眼病に効く水と言われいました。偕楽園造成にあたりその湧き水を茶室何陋庵(かろうあん)の茶の湯に用いると共に造園上の景観を考慮し白色の井筒(いづつ)を据えた。井筒は茨城県常陸太田市真弓山から採掘した大理石(寒水石)です。
そして、偕楽園のシンボル的建築物の好文亭(こうぶんてい)を見学。
好文亭の名前の由来は、晋(しん)の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれています。二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます。
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです。好文亭三階の楽寿楼(らくじゅろう)からの千波湖や田鶴鳴梅林の四季折々の眺望は見事です。
※階段は非常に急ですので御注意です。
茶室「何陋庵(かろうあん)」は、亭の西北に位置しています。
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