神とは一体何でしょうか?
プラズマ物理学と環境・省エネルギー工学の専門家で、帝京大学大学院理工学研究科教授の飽本一裕博士は、著書
『高次元の国 日本』(明窓出版)
の中で、
神について、こう述べています。
(98頁〜103頁)
「現代人は富や名誉を懸命に追求しがちですが、この世で最も大切なものは何でしょう。
富や名誉でしょうか。
それらがなくても生きていくには支障ありません。
では、食べ物?
食べ物がなくても人間は、十日程度は生きられます。
しかし、水がなければ、数日間しか耐えられません。
それでは水が一番大切?
いえ、空気がなければ、三分で人は死にます。
さらに、太陽からの光がなければ、人はおろかすべての生命は即凍死です。
このように、肉体的に最も大切なものである太陽光、空気、そして水などの大自然の恵みは等しく全員に無料で与えられています。
当然、消費税もかかりません。
貧しいからと言って、光や空気の分け前をもらえない人は地球上で皆無でしょう。
それらは私たちを等しく活かしてくれる存在です。
私たちは共生しています。
しかし、共生とは
『共に生きる』
という意味だけではありません。
厳密に云うと、
『共に生かされている』
または
『共に生かして戴いている』
のです。
光も水も空気も表面的には物質ですが、
実はそれら、私たちを生かすものこそが愛なのです(第三の鍵)。
その事実に気づいたとき、この世はもともと私たちを生かす無限の愛に満ちていることが分かります。
つまり、私たちを生かす万物は愛の存在で、この世は愛の世界と云えるでしょう。
私たちは少なくともそれらの愛に感謝で応えられます。
私たちを生かす万物に感謝することはごく自然なことで、それこそが日本人の伝統的な生き方でした。
日本人の生き方=『日本神道』の真髄も正にそこにあります。
もしこの世に神が存在するなら、それは愛の結晶とも云えるでしょう。
神とは私たちを生かす存在です。
すると、空気も水も大地も月も太陽も、私たちを生かす全ての存在(自然や宇宙)が神=愛、と云えることに気づきます。
それがや八百万の神の正体です。
『自然』とは神が、生命を慈しみ育む目的で『自』らを『然(あらわ)』したものとも理解できます。
日本人の祖先たちはただ、自分たちを生かす存在を神とあがめ、虚心に感謝を捧げていたのです。
(中略)
神とは自然です。
自然は私たちを育み生かすからです。
生かす存在は愛です。
愛こそが、愛の結晶こそが神に他なりません。
すると愛の結晶であり、宝石である地球もむろん、神といえます。
地球とは、自然とは、神が『自』らを『然』(あらわ)したものです。
私たちを生かす地球上の自然は宇宙と云う、より大きな自然に生かされています。
ですから、宇宙(=すべて)、も神です。
従って例えば、宇宙の全原子も創造神の一部です。
すべての原子は、万有引力の法則に従って引き合います。
そして全体が統一的に動きます。
さらに、原子と原子の間の空間、宇宙の物質に満たされていない真空は重力を伝える媒介です。
かくして全宇宙も重力により相互作用し、統一的に運動します。
この意味でも『すべては一つ』で、それら『すべて』が創造神です。
要するに、宇宙全体が初めから創造神でした。
神を捜しても見つからないはず。
私たちは神の体内で生かされているのですから。
創造神は自分の一部を炸裂させて宇宙創生の大爆発、ビッグバンを引き起こし、宇宙の星々を創出しました。
そして気の遠くなるような年月を経て、生命が誕生し、さらに長い年月を経て人類が出現しました。
そのすべてが創造神の体内のできごとでした。
私たちは日頃、神である地球上に住み、神である食物を摂取し、神である栄養物により活かされ、神である排泄物を排出します。
太陽はもちろん、砂粒からそよ風まで、すべてが神なのです。
そう気づいたとき、著者は創造神の愛をそれは深く感じました。
創造神は自らを私たちに与え活かし、自らを排泄物と化してくれてさえいるのです。
認められずともひたすら黙しつつ、私たちを生かすただそのために尽くして尽くして尽くし抜く、これこそが神の愛の本質のように思えてなりません。
まさに現在の地球の姿そのものです。
この認識が深まれば深まるほど、私たちの生活は必然的に変化します。
食べものも道具も何一つ粗末にできなくなります。
モノをおいそれと捨てられなくなります。
それらはすべて神だからです。
そして、感謝の気持が広がります。
私たちは皆、例外なく、神の体内で日々活かされています。
死後の世界もやはり創造神の体内です。
ですから、私たちは高邁な能力を有し、完全に死ぬことさえありません。
なぜならどんな人間であろうと、私たち自身が宇宙(=創造神)の一部であり、個人の肉体は滅びたように見えてもそれは生き続ける全体のほんの一部にしか過ぎないからです。
こうして死の恐怖は払拭されます。
そして感謝が残り、増幅されます。
すべてが神の身体であれば、私たちはますます他者を尊び活かし、共生を目指すべきなのです。
他者とは自分であり神だからです。
そして自分は他者。
だからこそ『すべては一つ』。
かくして、すべてが自己完結しています。
繰り返しますが、身の回りのすべてが神なのですから、すべてに感謝し、すべてを大切に扱うことも当たり前ですね。
だからこそ三冠王を駆使してすべてに感謝することが肝要です。
さらに、『すべては一つ』ですから、自然保護の大切さも身に滲みてわかります。
もちろん、ガミガミ上司や意地悪同僚やいわゆる犯罪者から害虫までも神なのです。
少なくとも神の一部で、かけがえのない仲間です。
できるだけ大切にすべきでしょう。
そのように他を生かす愛がこころに芽生えるとき、私たちの能力は最大出力を発揮します。
そのようなこころこそが神のこころだからです。」
飽本博士の神に対する考え方は、
非常に論理的で説得力があります。
かつ直観的でもあり、
核心を衝く伶俐な指摘です。
博士の洞察力に感服致します。
神とは、
統一的存在であり、
生きとし生けるものすべての源です。
根源的知性であり、
宇宙意識そのものです。
そして、その本質は愛です。
本書の巻末に、
無名の聖者、沖縄のSさんのメッセージが掲載されています。
御紹介します。
「汝らよ、
真の愛を現すときに神は現れるものである。
汝らよ、
真の愛をもってこの世に働かんとするときに神は手を貸すのである。
汝らよ、
ただ己のみを磨かんとし、
そのための修行をしてもたかが知れている。
真の修行とは、
人を思いやり、
世を思いやるこころをもってそれに飛び込むことである。
そのとき初めて神は自らを現すのだ。
神はそなたたちの愛を施さんとするこころのなかにある。
その愛のなかにある。
そのことを神は愛という形で伝えてはいるけれど、
人が己を省みずに世のため人のため働かんとするこころのなかに神は現れる。
汝らは、
この地球を救うとは、
汝らのこころの働きであることを知るがよい。
汝らの目覚めた愛こそ、
その愛から起こる行動こそ、
地球を救う全てである。
神が地球を救うのではない。
汝らが神の内なるこころを知ったとき、
初めて地球は救われるのだ。
さあ、立ち上がれよ!
神のこころをもつ人々よ!
人のこころは、
自らを現すときに初めて創造されてゆくのだ。
この創造のこころに愛の光が放たれしとき、
神の力を借りて地球は救われる。
神とは汝らのこころのなかにすでに宿っているものである。
されど、ほとんどの人々が封印されたままである。
”神のこころ“ の封印を解くことこそが目覚めである。
真の目覚めである。
真の目覚めこそ、
聖なる目覚めこそ、
この地球を救い、
宇宙をも救うものである。
神は汝らのこころを借りて、
愛を借りて、
この世に現れる・・・・・・。」
『高次元の国 日本』
(著者 飽本一裕 明窓出版)
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