何故、仏教やその他の戒めにおいて、真ん中であることが諭されているのかというと、この世界、現象界の摂理が、結局は平均を取り戻すように出来ているからです。
正義の女神像を見ても、手に天秤を掲げています。エゴイズムからブレたことや過剰なことをいったりやったりすれば、天秤が一時的にバランスを崩すわけです。何が正義で悪か断定するのはなかなか難しいことですが、平均からブレた言動や行為がそれに当たるというわけです。
風呂場にピンポン球を沈めれば浮力により元の水面の位置に還るように、ゴムを引っ張れば元の形まで引き戻されるように、行いには反作用が生じます。それが、痛い目に遭うことだったりする場合もあるわけです。
この世界の基本法則のひとつである、行いが巡ること、カルマの法則、因果応報は、そうした揺り返しの性質を含んでいるといえます。
無理が通れば道理が引っ込むのは、最初の一時だけです。現象界の天秤は、必ず平均を取り戻すのです。この世の摂理の大原則は、平均を取り戻すことなのです。
ですから、自分ひとりだけで勘違いして独走しても、大きな目で見れば時間がたてばいずれ、現象界は平均の位置、元の型を取り戻します。その揺り返しにより、自身の行いの審判が下されることになります。
そうした理由から、昔から中道を歩めといわれているんですね…
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