俗に、人間は死後あの世に向かうといわれています。これだけ科学が発達した現代においても、何故だか多くの人々がそのことを心の隅では信じています。
死後の世界は一般には、天国と地獄があるといわれていますが、幼少期に「妖怪道中記」などのゲームをやったことがある人にとっては、あの世にはそれだけではなく、餓鬼界なども存在するという刷り込みがされているのではないのでしょうか。(*^▽^*)
人間は死後、浄玻璃の鏡を見せられ(今風でいえば、ライフレビューといいます。)生前の回顧を行うのですが、その後、幽界などにおける、各々に適した世界へと向かいます。
あの世におけるその世界ですが、六道輪廻と呼ばれており、最深部から上がっていくとすれば、まずは「地獄界」から。地獄界は、どうしようもない苦しみの世界です。
そしてその上が「餓鬼界」飢えの世界です。
その次が「畜生界」弱肉強食であったり使役される、動物の世界です。
次が「阿修羅界」他者と自分を比較する、権威主義の世界です。
そして「人間界」他者と自分を比べず、平穏な境涯です。
その六道輪廻の上位が「天界」一時的な絶対幸福の境涯です。何故天界が一時的かというと、天国の境涯は、一分やそこら、長くても半日から一日くらいの短い瞬間なのです。つまり、成功して嬉しいという気持ちが天国として表されているのです。
あの世は精神体の世界です。その精神状態を六道輪廻と喩えているのですが、現世に生きている人間にも、もちろん精神が存在しています。つまり、上記の六道輪廻の世界観は、この世に生きる我々のひとりひとりの精神状態としての世界観でもあるのです。よって、この世にも六道輪廻は存在しているのです。
天国に上る気持ちも一時的であり、気持ちはすぐに平坦な心境を取り戻します。何も多くの人々が神みたいな生き方は出来なくても、人生浮き上がったり沈み込んだりせず、平穏な精神状態を保って生きていきたいものですよね…
2022年05月23日
2022年05月04日
願いは叶う
人間が生きていれば、色々な想いや願いが生じます。けれど、夢なんて実現しないよ、と考えてしまう人がその多くだと思います。
その原因をいえば、ひとつは自分の中に種子がないことを願い、目標にしてやっている可能性があります。天は一人一人に違う天賦の才能を授けています。ですから、自分に向いていないことは他の人に任せておけば良いのです。
ふたつに、高い地点を見過ぎているから、夢が実現しないと感じてしまうというのも考えられます。一例を挙げると、起業したばかりの者が大実業家に会っても、話のネタも接点もないはずです。引き寄せの法則上でいっても、それでは良縁には成り得ません。
願いは宇宙に届き、漸進的に叶っていきます。それも自分が前進し、次のステップに直面していってこそです。そうして行い(経験値)を少しづつ修めていくことを、修行と呼ぶのです。
又、願いは宇宙に通じるのですが、悪い願いが望み通りに叶ってしまうと、デスノートみたいな有様になってしまうでしょう。それは結果的に後悔に繋がります。ですので、邪(よこしま)な願いはあまり叶うことはありません。
それに、他者に憎しみの感情を持った時点で、霊的世界ではすでに闘争が始まっているのです。大きな憎しみを発すると、ファントムと呼ばれる悪魔を霊界から相手に放つことになります。一念三千と呼ばれる通り、人の思いは世界に通じ、その思いが現実に投影されて周囲の現状を形作っているといえます。
それでいえば、こうなったらどうしようとか、あの人が私に悪意を持っているかもなどの想いも、宇宙に通じて実現してしまうのです。それももちろん、ダイレクトに叶うわけではなく、その想いが希釈され薄まったような出来事が生じるといった感じです。
このように人間の想いは、周囲に伝わるどころか、宇宙に通じて現実が形作られているのです。心持ちというものが如何に大切なのかが、お分かりいただけたのなら幸いです・・・
その原因をいえば、ひとつは自分の中に種子がないことを願い、目標にしてやっている可能性があります。天は一人一人に違う天賦の才能を授けています。ですから、自分に向いていないことは他の人に任せておけば良いのです。
ふたつに、高い地点を見過ぎているから、夢が実現しないと感じてしまうというのも考えられます。一例を挙げると、起業したばかりの者が大実業家に会っても、話のネタも接点もないはずです。引き寄せの法則上でいっても、それでは良縁には成り得ません。
願いは宇宙に届き、漸進的に叶っていきます。それも自分が前進し、次のステップに直面していってこそです。そうして行い(経験値)を少しづつ修めていくことを、修行と呼ぶのです。
又、願いは宇宙に通じるのですが、悪い願いが望み通りに叶ってしまうと、デスノートみたいな有様になってしまうでしょう。それは結果的に後悔に繋がります。ですので、邪(よこしま)な願いはあまり叶うことはありません。
それに、他者に憎しみの感情を持った時点で、霊的世界ではすでに闘争が始まっているのです。大きな憎しみを発すると、ファントムと呼ばれる悪魔を霊界から相手に放つことになります。一念三千と呼ばれる通り、人の思いは世界に通じ、その思いが現実に投影されて周囲の現状を形作っているといえます。
それでいえば、こうなったらどうしようとか、あの人が私に悪意を持っているかもなどの想いも、宇宙に通じて実現してしまうのです。それももちろん、ダイレクトに叶うわけではなく、その想いが希釈され薄まったような出来事が生じるといった感じです。
このように人間の想いは、周囲に伝わるどころか、宇宙に通じて現実が形作られているのです。心持ちというものが如何に大切なのかが、お分かりいただけたのなら幸いです・・・