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2021年05月21日
2021年05月20日
聖天(歓喜天)様 信仰 聖天様のお供物 3-1 蝋燭
いきなりですが、蝋燭は今後の課題
蝋燭というお供物には色々と考えさせられます。これは私の家のような、木造の家で火を何時間もつけることに抵抗があるからです。またワンルームマンション等では猶更のことでしょう。出来れば本当に蝋燭を使いたい。しかし、これは人類の進化の中で最初は木をそのまま燃やしていて、いつしかそれが蝋燭になったのかもしれず、いつしかそれが電気になったと思えば別に気にする必要はないのでは?
ということとしています。しかし、安全ローソクなどこれから試してレビューします。
以下はアマゾンで買った蝋燭の購入ページです。カメヤマの豆だるま、或はそれ以上に大きなシリーズ。豆だるまで焼成時間が19分です。
現在は、線香に火をつけるのに一時的に火をつけています。しかし、この蝋燭の火の揺らぎは中々捨てがたいものがあります。これを見つめていると、吸い込まれそうです。吸い込まれたいです。
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現在はLED蝋燭で代用
大概どんな本でも、聖天様或は仏教の関係の本でも、電気の疑似蝋燭で良いと書いてあります。それで以下のリンクの製品を使っています。これは、明るい部分を切り離されるので、なかなか使い勝手が良いです。少し暗いですが。電池は単4二本で、1週間に一度充電して使っています。
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蝋燭のまとめ
というわけで、蝋燭についてあまり語ることはありませんが、勿論お供えとしては必須のアイテムです。家の電気を暗くして、蝋燭の灯りだけでお祈りをすれば、集中力もあがります。LEDも灯りがユラユラしていい感じではあります。これを手に持ってお祈りも出来ますので、そういった意味ではLEDに軍配があがるでしょう。別に軍配は要りませんが...「聖天様のお供物」に戻る
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イジメを撃退する念彼観音力 I 或値怨賊繞(わくちーおんぞくにょう)
わくちー おんぞくにょう かくしゅうとう かーがい ねんぴーかんのんりき げんそくきーじーしん
通常の解釈
あるいは怨賊の繞(かこ)んで、各々刀を執って、害を加うるにあわんに
彼の観音の力を念ぜば、ことごとくすなわち慈心を起こさん。
あるいは怨賊に包囲され、正に刀で斬り付けられようとする時、念彼観音力、敵でさえも直ちに慈しみの心に目覚めて、闘争は治ります。
参考文献のリンク
優婆塞優婆夷(いじめられっ子)のあなたへ
さて今回は、本編に入る前に今までのおさらいをしてみましょう。
まず最初に、火山の火口にいて、誰かに突き落とされ、念彼観音力と唱えたらその火山は、普通の涼しげな緑地となってしまいました。おそらく優婆塞優婆夷の皆さんも、教室に入った途端、教室で燃え盛るあなたへのいじめの情念は、微塵も見当たらず、誰もあなたのことに関心を持たず、 あなたは静かな1日を過ごしたかと思います。
次に、荒れた海の中、船に乗り、どこへ進んでいいか分からず、龍や鬼に出会ったり、毒魚も現れ、途方に暮れましたが、念彼観音力と唱えれば、船は静かな浜に打ち上げられ、空には燦々と太陽が光明を放ち、 しかもその浜は、あなたのよく知っている浜でした。あなたには観世音菩薩様という心の拠り所があり、もうどのように生きるか、どこへ向かうか迷う必要はありません。
そして今度は須弥山の、高い高い崖の上にいて、あなたをかねてから妬ましく思っているいじめっ子に突き落とされ、念彼観音力と唱えたら、須弥山を回りながら輝く太陽の様に、あなたは宙に浮いて助かります。 そしてあなたも、そしてあなたを落とした、いじめっ子もどちらも救われるのです。
その須弥山のそばにある金剛山、そこから大量の石を投げつけられ、それは光る隕石となって矢のようにあなたに向かってきます。ところが念彼観音力を唱えたら、その石は大気との摩擦で溶けて、小さくなり、あなたの手元にある時にはもうすでに石ころです。そしてあなたが酷い目に遭うのを見て、黙っている周りの人々は、地面に当たって跳ね返った石ころで、思いがけず痛い思いをします。
全然話は変わりますが、 人間の歴史は、報復の連鎖です。昔の中国では 滅族(めつぞく)もしくは三族、九族皆殺しと言って、例えば誰かがその時の権力者に謀反を起こしたとすれば、その謀反を起こした者のみならず、その人の一族、 親、兄弟、孫、 いとこ、そのまた”はとこ”、全てが殺されました。なぜか ?そうしておかなければ、いつ権力者に、その火の粉が降りかかるか、つまりその殺した人の孫がある日現れて、 復讐に来るか分かりません。 そこで、その人の家を根絶やしにし、未来の憂いを取り除くのです。
またまた話は変わりますが、 昔平家と源氏の合戦で、源氏が負け、源氏の人々は悉く平家に処刑をされ、最後に13歳の、後の鎌倉幕府を開く源頼朝が残りました。平清盛はこの源頼朝殺そうとしたところ、平清盛の継母である 池禅尼が彼を可哀想に思い、平清盛に、源頼朝は殺さないように進言しました。渋渋、平清盛は源頼朝を殺さず、 伊豆に流刑としたのです。
これが仇となり、 源頼朝は、大人になってから東国の武士をまとめ、その時にはもう亡くなっていました平清盛の時に隆盛を極めた平家を滅ぼしてしまったのです。
しかも、この経験から源頼朝は、未来の憂いを断つ、ということを覚え、 平家を滅ぼすのに大活躍をした筈の、異母弟である源義経を殺してしまいます。
こうなると、世の中は、慈悲心そのものが、逆に自らを害するという考えが当たり前のようになり、そこから始まる武士の時代はまさに、こういうことが当たり前に行われる世の中になるのです。 そして後々徳川家康も、この源頼朝のしたことを参考にして、主君であった豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼を大阪の陣で亡き者にします。
このような時代を通して、今私たちが勉強しているこの観世音菩薩普門品偈は、源平合戦の前の時代から妙法蓮華経の中で特に信仰され、その時から訴えられてきたのがこの観世音菩薩の慈悲心でございます。
そう考えればこの内容がいかにこの時代において、リアルな内容なのか分かるかと思います。
そう考えれば今あなたをいじめようとしている者たち、精々足で小突いたり、筆箱を隠したり、靴箱にカエルを投げ入れたり(そんな人いますか?)、トイレで大をしているときに、上から棒で突いたり、かの平清盛や源頼朝と比べて、なんとそのスケールの小さいことでしょう。
今私たちが唱えるこの念彼観音力は、今日、昨日作られたものではなく、1500年以上昔からインドで作られ、それが中国に渡り、聖徳太子の時代に仏教と共に日本に来て、そうしてこの日本を支えてきたお経なのです。
ですから、 この念彼観音力は、本日まで、何億、何兆、何那由多の人々が唱えてきたお経です。これは元々、 お経にあった功徳に加え、それを唱えて来た人の無量の念が込められてるとも言えます。あるいはこの源頼朝も、 13歳の時に、親や兄弟と共に死刑にされそうになった時に、 この念彼観音力を唱えたかもしれません。
また平清盛は、 妙法蓮華経を熱心に「平家納経」していたぐらいですから、人に説得されたのみならず、この普門品偈の一説を思い出して源頼朝を見逃したのかもしれません。
どうでしょうか?今回はいじめっ子の話をあまり出さず、現代の話はむしろ出さず、振り返ってみていかにこの普門品偈が昔から唱えられ、この節での内容が如何にリアルな現実であったかを説明したくて、この話をさせていただきました。 それで念彼観音力が突拍子もないフィクションではないことを分かって頂ければ、幸いです。
合掌
声聞バージョン
苛虐衆謀略 喜楽小悪事 念彼観音力 可逆得源平
かーぎゃくしゅうぼうりゃく きーらくしょうあくじー
ねんぴーかんのんりき かーぎゃくとくげんぺい
いじめっ子が謀を巡らし、その小さな悪事をあなたに働き楽しむとも
ねんぴーかんのんりき 彼らは、源平の故事を知り、その悪事を辞めるでしょう。
合掌