2014年09月20日
中国の旅39
海南島の街、海口を目指した自分は、また1人になった。広州では日本人だらけで行動していたが、また1人になり寂しくなったりもした。広州の市場で猫がゲージに入れられてるのを見て、ここは猫も食べる習慣があるのか。と、みんなで猫たちを見ていた事や裏通りにはコピー商品が売っていて笑ってたあの時を思い出すと更に寂しくなってきた。バスでの移動になったが、海を渡るのにどうやって行くのかが不思議だった。でも理由は簡単だった。バスを船に乗せるのだ。しかも、たくさんの車両を乗せる為にギリギリまでタイヤを船の隅に付ける。運転技術も凄いが一歩間違えると転落するし、積載量をオーバーすると船は沈む。バスから降りて船のトイレに行くと、日本語でトイレと書いてある。昔の日本で使われていた船が、こんな所で活躍している事にも驚いた。よく見たら至る所に日本語のプレートが付いている。日本嫌いなら外して使えばいいのに、なぜ日本語のプレートを付けているのか分からなかった。船は海口に着き、船からバスが出る時はみんなバスに乗せられた。バスが船から落ちそうだ、エンジンを唸らせて船と陸の間においた板の上をバスを走らせる。やっとの思いで陸に渡った。バスは海口の街の真ん中で終点となった。
中国の旅38
広州でベトナムのビザ発行を待っているのは長くて苦痛かと思ったが、色んな事があり、ここがターニングポイントって事もあった。折り返しではないが、この先の旅に影響する事が起きていた。やはり、8人が同じ部屋で同じ行動をするのに不満を持つ人は自分だけではなかった。それは、ボス的存在のパソコン野郎が毎日のルールみたいのを作っていたのが原因であった。1日1日経つにつれて、そのルールは壊されていき、4日もするとルールはなくなった。化けの皮が剥がれた感じでもあり、その元日テレパソコン野郎は1人で行動する事になった。そこで仲良くなった、自分の1才年下の『てっちゃん』と7才年上の『西森さん』と街を散策するようになった。みんなクセがなかったから仲良く出来たのかもしれない。次はベトナムを目指すと言う事で、どこかで会うかもしれませんね!と話していた。自分は海南島を目指し、てっちゃんはアモイ、西森さんは広州にまだいる事となった。ビザを受け取った自分は先に広州を出る事になった。自分は中国のハワイへと向かった。
中国の旅37
昼の時間に広州に着いた。大都市だが、旅するには小さい街の方が小回りが効いて楽しめる。駅から出たが乞食は見かけないが、公安がたくさんいる。恐らく乞食を排除しているのだろう。広州の宿は予め決めておいたのだが、駅からかなり遠い。道も混んでいてタクシーやバスなど使ったら時間がかかりそうだったが、バイクタクシーがあった。いよいよ南に来たんだなと感じさせてくれる光景だ。バイクタクシーとは最初に地図を見せて料金交渉する。最初はぼってくるんだろうなと思っていたが意外と安い。大都市は物価が高いはずだが、交通機関は安いのか?とりあえず2台同じ値段で宿まで行ってもらう事にした。広州の道はどこも渋滞その渋滞の中をバイクは飛ばして行き先に向かってくれる。これは便利な乗り物だと関心した。20分ほどで宿に着いたが快適で素早く届けてくれるなんてバイクタクシーは、これからの旅で使う事が多いんだろうなと思わされた。宿は白い建物で、昔にイギリスが統治した時に造られたような建物だった。建物に入るとレストランになっており、その奥がフロントだった。チェックインを済ませると部屋に通された。部屋には二段ベッドが4つの8人部屋になっていた。全員が日本人のバックパッカーで、1人はラップトップを持って来ており、何時でも袋に入れて大事にしていた。何でも猿岩石が香港からイギリスまで同行したと言っていたが、どうも嘘臭い。日テレを辞めて旅をしていると言っているが相手に出来なかった。色んな人がいたが、もっと強烈なのがいた。体は細くて小さく人懐っこい感じですぐに話掛けてきた。自分より5才年下で、中国に着いた時にパスポートを売って欲しいと中国人バイヤーに言われて、30万円ほどで売ってしまったと言う。おー面白いのー、こやつは。と思った。まだ、20才で海外も初めての割にはパスポートの大切さが分からず金目的で売ってしまったらしい。この宿には一ヶ月ほどいるらしく当局と日本大使館から、この宿にいるように言われているので動けないとの事。奴のパスポートは、すぐに使わられてしまい購入した中国人が成田空港で捕まってしまい、その因果関係を警察が探っているみたいで、日本人でありながら日本にも帰れない奴がいるのには頼もしかった。お金も底をついてきたみたいで、みんなからおこぼれをもらっていた。朝は、みんなでお粥屋に行って食べていて30円ほど。帰ってきて、二度寝して昼に弁当屋で50円ほど。夜はその日によって違う。ベトナムに入るのにビザが必要なので、陸路で行くには広州が最後の取得出来る都市となる。早速、在中ベトナム大使館へバイクタクシーで向かった。古い雑居ビルに入ると薄暗く、小さい事務所が大使館だった。
ビザが降りるまで5日掛かると言う。そんなに待たないといけないのか!共産主義の国だから仕方ないと、またバイクタクシーで宿に戻った。宿にいる日本人は、1人でもいなくなるとどこに行ったのか気になるらしく、ベトナム大使館に行っただけなのに、行動力あるね!とか言われる。大理に行ってきた話をすると、マリファナ持ってるの?とパソコン野郎が言ってきた。大理以外に持ち出して捕まると大変だから持ってないよ。と言うと、あー欲しかったな!と言っていた。自分で行けばいいのに、なんで広州から出ないのか良く分からないが、それなりの付き合いをして過ごした。やっぱり面白いのが夜にレストランが閉まると奥だけバックパッカー用に電気を付けてくれる。そこでパスポート売人野郎とビールを飲みながら話すのが楽しかった。しかも、ビールだけは奴がどっかから仕入れてくる。今考えると不思議な事だが誰からもらっていたのだろうと考えてしまう。
中国の旅36
陽朔ともお別れの朝がきた。とっくに飽きていた街ではあったが、日本人の友達が出来たので、それなりに楽しめた。陽朔から桂林にバスで向い、そこから電車に乗った。桂林から陽朔に来る時は真っ暗だったので、外の景色が見れなかった。桂林へ向かう途中の景色は圧巻だった!陽朔で見た山々が更にたくさんあり、これが見たかった!と言う景色でした。これで充分に桂林は見たと心に刻んで桂林をあとにした。広州までは一泊二日の旅。日本人の友達がいるので、そんなにヒマではなかった。また、広州駅周辺には田舎の内陸部から出てきている乞食がいて危険との情報があった。湾岸の都市部は栄えてきていて、仕事が溢れていると言う情報から田舎の人が出てきたのはいいが仕事が見つからないので駅でたむろしているらしい。なんか危ないが、それも旅と思い危険な時には何か匂いを感じるようにもなってきたので、西安の時ほど気にはならなかった。
中国の旅35
1人の日本人、おそらく自分と同じ年くらいの男性が近づいてきた。日本人ですか?そうですよ。と答えると、良かった〜。と彼は言った。やはり日本人がいると自分も安心する。彼に座るよう促したら、前の椅子に座った。彼が安心したのは、旅を始めて間もないが中国から早く出たいとの事だった。中国には合う人と合わない人がはっきりするので、彼は合わない方だったのだろう。せっかく来たのだから、2泊くらいはしてはどうか?と言ってみた。自分は前金で、あと1泊分の宿代を払ってしまっているので同じ所に泊まらないと損をする。自分の部屋はツインだから一個ベッドが空いてる事を彼に告げると彼は宿を探す手間もなく助かったと言う感じで、宿に行きチェックインを済ませた。先に自分が部屋代を済ませているので150円ほどで言いとフロントが言ってくれたが、明日チェックアウトしてくれないと、自分の部屋は予約が入っていると言われた。明日は、また宿を探すと言う事で話はまとまった。2人で街中を散策したり、自分が行った山ではない他の山に行ったりして、その日は過ごした。意外と1日で気があってしまい、夜はカフェでビールを飲みまくった。次の日も晴天。中国に来てから、雨に遭遇したのは2日くらいしかなかった。それも小雨で合羽を使う事は1回もなかった。朝、カフェで朝飯を食べてチェックアウトした。宿は昨日に探してあったバス乗り場近くの宿にチェックインした。1人300円ほどでツイン、テレビ、シャワー、トイレ付き。ちょっと古いが自分のランクでは普通より上だった。昨日に色々と見たので、自分達はすでに飽きてしまっていた。明日、バスで桂林に戻り、桂林から広州までの電車のチケットを買わないといけないが、この街で電車のチケットが手に入ると知ったので買いに出掛けた。歩いて5分ほどの所にチケット売り場があり、ついでにバスのチケットも買っておいた。外に出たついでに船着場に行ったり、カフェで時間を潰して一日を過ごした。