2014年09月11日
中国の旅17
西安から成都に向けて古い電車が出発した。内陸に入れば入るほど走っている電車が古くなるのに気付いた。これは海岸都市を訪れる外人に見せないようにしているのか、内陸部は貧困層が多いので列車も古いのしか載せられないのか分からないが、とにかくボロい。トイレも座って下を除くと、走っている線路が見える。恐ろしく怖い。
ただ、そこに生きる人達のパワーは沿岸部よりも強かった。自分は、3段ベッドの1番上だった。西安で人間不信になっていたせいか、そこから降りようとしなかった。1番下のベッドの人が話しかけてきたが何を言っているのか分からないので、チンプンカンプンと返答した。これは中国語らしく、分からないと教えてもらった。そしたら、その中国人は鉛筆で書き出した。おそらく、気分が悪いのか?と書いているのだろうと思ったので、大丈夫とジェスチャーで見せた。どうやら、外国人に慣れていないのだろう。やたら興味を示してるので下に降りて、日本人と書いた。そしたら、日本人か!と驚いた表情で周りの人と話し出した。反日の中国で、日本人と言った自分を悔やんだ。それは逆だった。そこのコンパートメントの人達は親戚らしく、8人ほど集まってきた。どうやら、日本人に会うのが初めてみたいで珍しそうに話し掛けてきた。筆談には、戦争、政治、南京の文字が出てこない。それなりに自分は中国が好きだ!と示して書いてみた。その人達は、好意的に見たのか、駅に止まる度に色々と買っては食べさせてくれる。親日と言うよりは、日本人への憎しみの教育を受けてきた人達には、今会っている日本人が教育とは違うのにビックリしている感じであった。自分が日本から持ってきた、クレジットカードほどの薄いラジオを見せるとビックリしていた。
暇な時に聞こうと思ったが他国の言語が理解出来ないのでは自分には不要であった。日本で千円ほどのSONY製のラジオをあげると、男のポケットに入れた。その男はイヤフォンをしてラジオを聞いたら、さらにビックリ!音質が良かったのか分からないが、本当にもらっていいのか?と聞いてきた。
どうぞ!とジェスチャーで返したら、みんなに聞かせていた。そんなに珍しい物でもないのに、みんなビックリしている。こんな薄いラジオがあるのか?それとも、音質がいいのか?と分からないが評判が良かった。自分の乗った列車は各駅みたいで、色んな駅に着く。自分はどこにいるのか分からないので、成都のチケットを見せたら分かってもらえて近くになったら教えてあげるみたいな事を言われた。自分と同じ年の男に、上海の友達からもらったエロ本を出したら見せてくれ!と言うので、周りに見られたら恥ずかしいのであげた。さらに盛り上がってきて、酒を飲もうとドンチャン騒ぎが始まった。中国人と酒を交わすのは友達と言う以上の意味を持っているので、断る事も出来ない。電車の片隅で飲み会が始まった。日本の事を色々聞きたいみたいだが、言葉の壁があるので相手も自分が分からないと返すと、気にするな!飲もう!と言う感じになった。駅に着くたびに、お腹空いてないか?果物食べるか?と聞いてくる。
酒でお腹いっぱいとジェスチャーすると、じゃあ飲もう!と酒がどんどん出てくる。中国人は基本的に酒に強いので、限界を教えないと吐いてしまう。
ただ、西安から出れた喜びもあったので飲めてします。ほとんど意識がなくなったが楽しい酒になった。
夜中まで飲んでいたせいか、起きたら二日酔いになっていた。自分は二日酔いになると炭酸が欲しくなる体質なので、コーラはあるか?と聞いてみた。
そうしたら、駅で止まった際に冷たいコーラを数本買ってくれたので、お金を払おうとすると要らないと言われた。きっと、ラジオと本のお返しだったのだろう。コーラ一本を一気飲みして気分をよくする。すぐに二日酔いは取れなかったが、筆談が始まり地図を書き出した。それは中国の地図で、今はココにいるよ。と教えてくれた。
とてもありがたい情報だ。昨夜は飲みすぎて腹に食べ物を入れてないせいか、お腹が鳴った。それを見逃さない人達でもあり、カップラーメンを食べるか?と聞いてきた。二日酔いにはスープと麺は欲しくなる。カップラーメンをもらい美味しくいただいた。
中国の旅16
なんだかんだで夕刻になった。
イスラム人街から出て、ぐるっと町を回ったが、たしいて記憶にも残らないほど慣れた町になっていた。西安とも今日でサヨナラか。本来ならば、ここからカザフスタンに行く予定だったが、寒さには勝てない。
予定通りに、英語使いの指定したレストランに行く。そのレストランは、同じ宿に泊まっていた日本人の言っていたレストランだと思いついた。
なぜなら、話ではレストランの前にWMCAがあった。と言っていたからだ。そのレストランでぼったくられたとも聞いていたので、レストランに入る前
で待っていた。レストランの従業員は自分に気付いたのだろう。何せ客はいないボッタクリの店なのだから。従業員が、中へどうぞ!と言っているので、NO!と断って、英語使いを待っていた。間も無く、英語使いがやってきた。片手にチケットを持っている。彼は俺に、このチケットだな?と言って、足代1000円を足してきた。
こいつの儲けは、これだけ?と思ったが、レストランで食べろと言う。
チケット代を払ったら、500円しか残らないから帰ると言ったら、炒飯とスープで出すから食べて行って欲しいと言い出した。それは、レストランとグルになってレストランでボッタくろうとしていてチケットの足代を安くしたのだろうと感じた。
俺がお腹はいっぱいだと言うと、俺の車で送るから、ご飯と車代で500円で言いと話してきた。
これはレストランの方が力を持っていて、奴は信頼がないんだと感じ、宿に戻ったら払うと話したら、それでいい。と言った。変な味の物を出してきたら、金も払う気がなかったが、西安に来て1番美味しかった飯かもしれない。まともな炒飯とスープを食べて宿に戻り、奴に金を支払った。
この町は意外と腐っているんだなー。と感じた。
次の日の朝、惜しみもなく西安をあとにした。
中国の旅15
次の朝、宿のフロントに行って、成都までの電車チケットを買いたいと伝えると、一番最初に
西安で宿を紹介してくれた奴が出てきた。西安駅で電車チケットが買えない理由を教えて欲しいと
聞くと、「手に入らない。」しか教えてくれない。ここではここのルールしか通用しないのかと思い、
その男に手に入るか?と聞いたら、すぐに手に入るとの事。
明日の出発なのに手に入ると言うのは何とも不思議だった。夕方になったら持ってくるから、
ここのレストランまで来てくれ。と言う。
フロントで渡してくれればいいのに、前金じゃないみたいなので「まっいいか。」と思い、レストランで
待ち合わせをした。
日本人の彼も起きて来て、手に入るみたいだよ。と告げたら、「俺はチェックアウトして、違う所で買ってみる。」
と言う。相当、兵馬俑ツアーでの事が嫌だったのだろう。別れを告げて、自分は町へと出かけた。
西安の町も、そろそろ飽きて来たなと思いながら歩いていると、地図に「イスラム人街」と書いてあるのを
発見。これは、面白そうだな!西安は部分的にもイスラム圏にも入っているのか!と思いイスラム人街へ
向かった。
確かこの辺りのはずと思って歩いていると、普通でさえ陰気臭い裏道が、さらに暗く陰気臭くなってきた。
治安は大丈夫なのかな?と思っていると、頭に白い帽子を付けた人が増えてきた。まさしくテレビで見る
イスラム教の人達だ!ここのイスラム人街の人は陽気で気さくな人達ではなかった。
なんか暗くて、しかも漢民族の公安をよく見かける。なんだか物騒だが、ちょっと違う世界が見れたのには
感動した。街並みは中国だが、そこにイスラム教徒が住んでるみたいなだけなので、足早にイスラム人街
から離れた。
中国の旅14
西安と言えば、唯一の観光スポットの兵馬俑がある。上海では外灘、豫円など、北京では万里の長城など言ったが、兵馬俑になぜか興味が湧かなかった。写真で見ても行きたいと言う衝動にかられなかったからだ。
泊まっている安宿が主催している兵馬俑ツアーにしつこく参加させられそうになったから拒否感が出て行きたくなかったのかもしれない。二泊もしていると周りのバックパッカーとも知り合いになってくる。自分と同じくらいの日本人男性がいたので、自然に会話するようになっていた。彼は自分より一日後に西安に着いたみたいで、着いた次の日には兵馬俑ツアーに行ったとの事であった。彼が言うには、相当酷いツアーだったとの事。最初に小さいワゴンで兵馬俑に向かって、現地に着いたと思ったら入館するチケットをワゴンの中で買わされたが、宿でツアーを申し込んだ時に購入するよう言われていると言ったが、運転手が怒鳴って買うように言ってきたので仕方ないので余計な一枚を買うハメになった。兵馬俑を見て帰れるのかと思ったら遠回りされて宝石屋に連れて行かれ、特に欲しい物もないので、すぐに出てきたらワゴンが出発するのは一時間後だと言われたらしく、その辺で待機していた。ようやく帰れると思ったら、夕食のレストランに連れて行かれて高い金額を払うはめになった。と言う内容のツアーだったらしい。彼は、この宿は金目的の従業員が絡んでいるから、明日にはチェックアウトして次の宿を探すと言っていた。西安自体が外人から金をぼったくるのが当たり前になっているのが垣間見る事がある。そんな事を話している時に、女の子2人がやってきた。あれ?日本人?と思って見ていると、敦煌から西安に戻ってきたと話す。西安は暖かい、敦煌は-20℃はある。と話していた。俺は今から目指す方向で、そんな寒いなら、この先の旅に支障をきたすと思い、予定を変えて南下するようにした。あとのルートは、その町に着いてから決めよう。と計画がなくなった今、ここにいても仕方ないと思い、日本人の彼と西安駅に向かって電車のチケットを買いに向かった。彼は北京。自分は成都。外人用のチケットカウンターに行って行き先の地図で指を刺しただけで、全部ないと言う。全部のチケットがない訳ない。では、次の日は?その次の日は?全部ないと言う。全く売る気がないのか本当にないのか分からないが、西安から出る事は出来ないのか?と不安に思ってきた。西安から長距離バスの旅になるのかと腹をくくるしかなかった。宿への帰り道に、彼が宿でチケットが売っていたと言う。俺は、またぼったくりの価格になっているんじゃないの?と返答したが、多少のぼったくり価格でも電車に乗りたい気分でもあった。安宿に戻り、電車のチケットはここで買えるのか?と聞いたら、買えると言う。どの町でも、どの日、電車のクラスまで選べると言う。駅では買えなかったのに、こんなボロ宿で買えるのかが不思議に思ったが、とりあえず成都までの硬いベッドのチケットが欲しいと告げたら、明日の朝に来てくれと言われた。その夜は彼と屋台で飲みながら西安の悪口を言いながら過ごした。