2017年01月30日
薩摩おごじょの鏡といわれた乃木静子
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・・・・身を殺して仁をなす・・・・将軍の妻として、軍人の妻として・・・
乃木希典。長州の支藩、長府藩出身の軍人です。
日露戦争では、ロシア軍の築いた旅順要塞の攻略戦、203高地攻めの司令官として有名ですが、指揮官としての評価は二分されるようですが、彼が妻に娶った女性が、「静子」でした。
静子は薩摩藩医・湯地定之の四女(第七子)に生まれ、幼名を「お七」といい、20歳の時、乃木希典(まれすけ)に嫁ぎました。
戦争にいく夫にお守り札を持たせようとしましたが、「ばかばかしい」と相手にされなかったので、密かに夫のズボンの縫い目にお守り札を縫いこんだという、微笑ましいエピソードが残っています。
静子は女学校時代から、「湯地の娘が男なりせば」と嘆賞されたほどの才女で、貞淑温順にして、きわめて質素、勤勉な女性だったといわれています。
明治37年、日露戦争に従軍していた二人の息子を相次いで失うという悲劇に見舞われた彼女の悲しみはいかばかりのものであったのか、想像もつきません。
明治天皇崩御の際、夫と共に殉死し54歳の生涯を閉じました。鹿児島市の甲突川河畔に、生誕地を示す石碑が建てられています。
辞世 「出ましては かへります日の なしときく 今日の御幸に あゆぞ悲しき」
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