2017年01月30日
河邊氏ゆかりのお寺・宝光院跡(南さつま市)
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知覧と言えば、特攻記念館や武家屋敷などで有名な観光地ですが、戦国時代においても、いろんな歴史を秘めた町です。
知覧の中心部から車で20分ほどのところに、川辺というところがあります。以前は川辺町でしたが、町村合併により、今は南さつま市に組み込まれました。
島津氏が入府してくる前から、このあたりを拠点に、河邊氏という豪族が治めていました。その歴史は遠く平安時代まで遡るそうです。
南薩においてはかなり強い勢力を持つ豪族だったようです。この河邊氏ゆかりのお寺が残されています。
宝光院というお寺で、当時としてはとても大きなお寺だったようです。残念ながらこの寺も、廃仏希釈令で明治2年に壊されてしまいましたが、その跡を見つけることができました。
入り口の任王像や大きな宝篋印(ほうきょういん)塔や少し離れた場所にある住職の墓地あとからみてもかなり大きなお寺だったことが偲ばれます。
何百年もの間この川辺の地を守り、地名も残すほどの豪族が居た事に感慨を覚えます。それにしても島津氏は、大変な土地に赴任してきたものだと今更ながら思います。この様な地方豪族との戦いにつぐ戦いを400年も続け、ようやく薩摩、大隅、日向の三国を平定したのですから。
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知覧と言えば、特攻記念館や武家屋敷などで有名な観光地ですが、戦国時代においても、いろんな歴史を秘めた町です。
知覧の中心部から車で20分ほどのところに、川辺というところがあります。以前は川辺町でしたが、町村合併により、今は南さつま市に組み込まれました。
島津氏が入府してくる前から、このあたりを拠点に、河邊氏という豪族が治めていました。その歴史は遠く平安時代まで遡るそうです。
南薩においてはかなり強い勢力を持つ豪族だったようです。この河邊氏ゆかりのお寺が残されています。
宝光院というお寺で、当時としてはとても大きなお寺だったようです。残念ながらこの寺も、廃仏希釈令で明治2年に壊されてしまいましたが、その跡を見つけることができました。
入り口の任王像や大きな宝篋印(ほうきょういん)塔や少し離れた場所にある住職の墓地あとからみてもかなり大きなお寺だったことが偲ばれます。
何百年もの間この川辺の地を守り、地名も残すほどの豪族が居た事に感慨を覚えます。それにしても島津氏は、大変な土地に赴任してきたものだと今更ながら思います。この様な地方豪族との戦いにつぐ戦いを400年も続け、ようやく薩摩、大隅、日向の三国を平定したのですから。
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