2017年01月07日
大警視 川路利良
川路利良は鹿児島城下から12キロ程離れた皆吉村の郷士の家に生まれました。
同じ郷士身分でも西郷、大久保らよりもっと貧しい最下級の士族でしたが、禁門の変から戊辰戦争までの功績を認められ、異例の出世を果たしました。
「おはんは、警察をしやんせ」と言われ、西洋の警察制度を学ぶために渡欧。イギリス、ドイツ、フランスと視察し「日本にもっとも向いているのはフランスのポリス制度だ。」と結論し、帰国後は元士族を中心に警察組織を作り上げ、自ら初代大警視(今の警視総監)に就任しました。
警視庁、鹿児島県警にも銅像がある、まさに日本警察の生みの親といえる人物ですが、地元薩摩では大久保同様に嫌われています。
なぜなら、西南戦争とは大久保が画策し、川路に命じて薩摩の不平士族を扇動して起させた人為的な戦争だったからです。戦争が起こると、自ら警察官で組織した兵を率いて薩摩に入り、薩軍と直接戦火をも交えました。薩摩人からすると武士の風上にもおけない裏切者とされております。
一時は、我が世の春を謳歌した彼も西郷死去から僅か2年後、あっけなく病没。死しても故郷に帰れなかった彼は、東京の青山墓地に眠っています。
同じ郷士身分でも西郷、大久保らよりもっと貧しい最下級の士族でしたが、禁門の変から戊辰戦争までの功績を認められ、異例の出世を果たしました。
「おはんは、警察をしやんせ」と言われ、西洋の警察制度を学ぶために渡欧。イギリス、ドイツ、フランスと視察し「日本にもっとも向いているのはフランスのポリス制度だ。」と結論し、帰国後は元士族を中心に警察組織を作り上げ、自ら初代大警視(今の警視総監)に就任しました。
警視庁、鹿児島県警にも銅像がある、まさに日本警察の生みの親といえる人物ですが、地元薩摩では大久保同様に嫌われています。
なぜなら、西南戦争とは大久保が画策し、川路に命じて薩摩の不平士族を扇動して起させた人為的な戦争だったからです。戦争が起こると、自ら警察官で組織した兵を率いて薩摩に入り、薩軍と直接戦火をも交えました。薩摩人からすると武士の風上にもおけない裏切者とされております。
一時は、我が世の春を謳歌した彼も西郷死去から僅か2年後、あっけなく病没。死しても故郷に帰れなかった彼は、東京の青山墓地に眠っています。
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