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2017年02月23日
見どころいっぱい「維新ふるさと館」
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鹿児島に観光旅行に来られる方々に、ぜひ寄ってもらいた場所の一つに
「維新ふるさと館」があります。
鹿児島市加治屋町に建てられた、鹿児島市が造った施設で、
明治維新に関する展示が充実していて、1番の呼び物は、
館内のシアターで上映される、映像とロボットによる歴史劇です。
実物大の西郷ロボット・大久保ロボットを中心に繰り広げられる劇は
中々の出来で必見です。
この建物の周囲には西郷・大久保をはじめとする有名な薩摩人たちの
生誕地が集中しているので、時間があればそちらを散策がてら歩いてみるのも一興かと思います。
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加世田の「竹屋神社」
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南さつま市(旧加世田市)の万世に在る「竹屋神社」。
たいした神社に見えませんが、1.161年頃といわれてますから結構古い神社ですね。
藩政時代は、加世田郷の惣社とされ、島津家からの資金的な援助もあったそうです。
拝殿の裏に回ると、縄の掛けられた岩が有りますが、これは俗に言う「岩座」で、
「神の宿る岩」として信仰されてきた岩だそうです。
ちなみにこの集落は、元総理大臣「小泉純一郎氏」のおじいさんの出身地でもあります。
2017年02月22日
未だに場所が分からない国分尼寺」
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聖武天皇の勅により、当時地方役所が置かれていた全国の国府領内に、「国分寺」と「国分尼寺」が
造営されました。
薩摩国は薩摩川内市に、大隅国は霧島市国分に造られ、発掘された跡地は公園として整備されています。
他の国の「国分寺」「国分尼寺」は、全てその痕跡が確認されていますが、薩摩国と大隅国の「国分尼寺」だ
けは、今に至るまでどこに在ったのか確認されておりません。
もし発掘されれば、古代史上の大発見になること間違い無しでしょうね。
柳川市の人気店(中華料理)
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仕事で佐賀方面に行くことが多かった頃、通りがかりの柳川で、よく昼食を食べに寄った中華料理店「大連飯
店」さん。
とのかくどのメニューも大盛りで、値段も安いので繁盛していました。
お気に入りは「酢豚定食」。食べきった後、きまって「無理せず残せばよかった」と後悔するほどの量の多さ
でした(笑)。
隠れメニューのチャンポンも美味しかったですよ。
2017年02月21日
薩摩川内市と「大伴家持」。
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奈良時代の大歌人「大伴家持」。
彼の経歴を見ると、現代のサラリーマン、転勤族の悲哀を感じさせられます。
貴族とはいえ、下級役人たった彼は、朝廷が地方管理の為に設けた「国府」の責任者を歴任させられました。
記録によると薩摩にも赴任していたそうで、当時薩摩国の国府は現在の薩摩川内市に在ったため、銅像が建て
られています。それにしてもこの案内板、どうにか出来ないものでしょうか。
ろくに文字も読めません。
2017年02月20日
国替わりが多かった「延岡藩」
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関が原の戦いで東軍が勝利し、徳川の治世が始まるとともに、各大名の領地の見直しが行われました。
当然、東軍方に付いた大名は石高が増え、最期まで西軍として戦った大名家には、取り潰し・大幅な石高の減封という厳しい処分がなされました。
島津氏には、薩摩・大隅の二国を安堵されましたが、日向以北は取り上げられ、幾つかの小藩が配置されました。その中の一つに「延岡藩」があります。
秀吉の薩摩討伐後、島津氏の支配地を離れたこの地は、高橋氏5万石から始まりました。
徳川幕府の成立後、当初は「高橋氏」に安堵されましたが、1613年に改易され、島原から「有馬氏」が53.000石で入府し、ここから目まぐるしく藩主が変わっていきました。
「有馬氏」の後、「三浦氏」、「牧野氏」、「内藤氏」と代わり、幕末まで続きました。
現在は旭化成の城下町として知られる延岡市ですが、藩主が次々と代わると領民も何かと大変だったのではないでしょうか。
薩摩藩独特の「御仮屋」制度
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江戸時代にも、薩摩藩は独特の治世をひいていましたが、「御仮屋制度」もその一つです。
「御仮屋」とは、領内の直轄地を113箇所に分けて、それそれに設置した地方役所のようなもので、「地頭仮屋」とも呼ばれていました。
普段、地頭は鹿児島城下に住み、実際の実務はそこに住む郷士のリーダー達が行っていたようです。
徳川幕府が発令した「一国一城令」を形上は守りながら、実際は113箇所に武士団を配置し、いざという時の備えとしていたのです。113箇所の城下町が在ったといっても過言ではないでしょう。
この財部(たからべ)もその一つで、跡地は小学校になっています。
2017年02月19日
007は鹿児島にも来ていた。
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薩摩半島の先端に、坊津(ぼうのつ)という港が在ります。住所ではみなみ薩摩市に入るのでしょうか、市町村合併以来、一々調べなければよく解らなくなってきました(笑)。
鹿児島県の本土の中でも、海の透明度は1〜2位を争うほど綺麗なところで、ダイバー達にも人気のスポットとして知られていますが、この地が映画007シリーズの5作目「007は二度死ぬ」のロケ地だった事は、あまり知られていないようです。
1967年に公開されたシリーズ5作目で、ジェームズ・ボンド役をショーン・コネリーが演じた最期の作品です。
悪のボス役を丹波哲郎さん、ボンド・ガールは浜美枝さんが演じました。
坊津という土地は、歴史的にも面白い所なので、今後も歴史的な観点から取り上げてみたいと思います。
沖田畷の戦いを制した薩摩の陰陽師集団A
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沖田畷とは有明海に面した湿地帯で、人の通れる道幅が狭く、たとえ数万の軍勢であろうと二列〜三列縦隊にならないと通れない交通の難所です。
島津派遣軍の総大将は、当時の島津家当主「義久」の末弟「家久」でした。彼が数で圧倒的に勝る龍造寺勢に勝つために「有馬晴信」らと立てた作戦は、この場所に敵軍を誘い込み、軍列が長く伸びきったところを、正面・右・左の三方から一斉に攻めるというものでした。
結果、龍造寺勢は当主「晴信」を失ったうえ多くの死傷者を出し、本拠地の佐賀城まで退却するしかありませんでした。
これにより、龍造寺氏は急速に勢いを失い、島津氏にとっては九州統一の悲願が現実味をおびてきます。
今までの話が冒頭の案内板の話とどう繋がるかといいますと、薩摩領内から選びぬかれた島原派遣軍3.000名は、その祈祷所に集められ、念入りな加持祈祷を受けてから出兵したと書かれていました。
また、当時の島津軍の軍列は、先頭に僧形の兵を並べて、その者達に念仏を唱えさせながら行軍するという、かなり異様なものだったそうです。これも平安時代の武士の戦いの名残りかもしれませんね。