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2020年03月04日

目をつぶれば、あのぬくもり

一晩寝て、ああ、だいぶ落ち着いたと思った。
ありがとう。
この気持ちがふっと湧いて来たと思ったら、また頬を涙が伝った。

しばらくは、目をはらす毎日だろう。
今日は特にひどい。
パンパンにはれた目。
こんなにはれたのはいつぶりだろうか。


彼女を見ると、つい抱きかかえてしまう。
抱きかかえて、顔を彼女にくっつける。
ふわふわの被毛からじんわりあたたかなぬくもりが感じられる。
このじんわりとしたぬくもり。
もう私の肌に染みついてしまって離れない。
目をつぶると、そのぬくもりがいまでも思い出せる。
鮮明に。


もしかしたら夢で逢えるかもしれない。
そう思って眠りについたが、彼女は出てこなかった。
いつもと変わらない夢。
普通に起きて、あ、自分はもう大丈夫かもしれないと思って、ふと携帯の画面を見る。

きのう変えたばかりのスクリーンショットで、彼女がこちらを見つめていた。
「え、何?」という表情。
ちょっと上目遣いの、まん丸な目。
ちょっと生意気そうな目。
この表情が、私はとてつもなく感情を突き動かされて好きだった。


今度実家に帰るときは、彼女の大好物だったあるホテルのスコーンを買って帰ろう。
「おいしいもの買ってきたから。」
また会えるといいな。

2020年03月03日

私はこの15年、どう生きてきたんだろう

愛犬が死んだ。
私の、大切な愛犬が死んだ。

今日の夕方、母からのライン。
「逝きました。力の限り生き抜きました。」
ああとうとうこの時が来た。
「ありがとう。」
それだけラインに送ると、足の力が抜けるように、ふーっと涙があふれてきた。
ああ、だめだ。
踏ん張れない。

とにかく、泣いて泣いて泣いて、そして、まだ泣いている。
だいぶ落ち着いて、ネット記事でクスリとしたりて、もう次に行けるかなと思うその次の瞬間には、自分の中の軸がふにゃりとして、うわあっと涙があふれてしまう。

この悲しみは、どうしても耐えられない。



彼女は私が大学4年のときにやってきた。
ペットショップで。
母が飼いたいと言い出し、この子と指さしたのが、彼女だ。
真っ白でフワフワの被毛。
大きく真っ黒な目でこちらを見つめている。
「抱っこしてみますか?」
ショーケースから抱きかかえられて、私の腕の中へ。
足をジタバタしてくる。
くすぐったい。
ぐっと自分のお腹に抱き寄せる。
今度は私の顔をなめまわす。
このとき、私のお腹の中からは、じわっとあたたかい何かが湧き上がってきて、ああ、この子、なんて愛おしいんだという、何にも変えがたい気持ちでいっぱいになった。
これが母性。
彼女は私に教えてくれた。


ある時は、昼寝をしていると、私のお腹のあたりでスヤスヤ眠る。
この時間が、私はたまらなく好きだった。
眠りに落ちて、そして目覚めて、でも、眠りにつく前と同じように、私のふところには温かい彼女が変わらずに丸まって眠っていて、このときもじわっと温かい何かが腹の奥から湧き上がってくるのだった。


お正月の時はあんなに元気だったのに。
ベッドをジャンプして上ってきたのに。
お参りにも行った。
来年も来ようね、と熱海の海を眺めたじゃないか。
大丈夫、来年も一緒に来れる。


あまりに不意打ちで、気持ちが定まらない。
悲しい気持ちを通り越して、寂しい。
彼女がいない世の中なんて、なんてつまらないんだと思う。


彼女と暮らした、15年。
私はどうやって生きてきたのだろうか。
色々なことに負け続けたけれど、実家に帰れば必ず彼女がしっぽをちぎれんばかりに振って、出迎えてくれた。
一緒に眠ってくれた。
私の足元で、丸まってくれていた。
「私はここにいるよ。」
背中のぬくもりでいつも私を保ってくれていた。


仕事もして、疲れ切って、実家に帰って、彼女を抱いて。
そうやって私は15年、この理不尽な世の中を生きられたのだ。


やっぱりだめだ。
もう会いたい。
なんで行っちゃうのかな。

これからのことが全然面白くなくなってしまったよ。モナちゃん。
できることなら、早く私のもとに帰ってきてね。
モナちゃん。
本当にありがとう。


2020年02月10日

ちょっと長い旅路で思ったこと

やはり、モノ作りする中年の男は、いい。
気持ちが何だかほてって、そのほてりを醒ますために、人込み甚だしい渋谷の街を少し歩いた。

なんでこんな浮足立っているのか、自分は。
顔のいい男、若い男とは会っている。
けれど、こんなぽっとなるような感覚は久々。
自分はやはり、男の筋の部分で恋するのだと。

自分がこんな色めきだったのには、もう一つ理由があった。

生ける色女、瀬戸内寂聴。
彼女の不倫相手、小説家の井上光晴と、その妻の三角関係を描いた「あちらにいる鬼」。
心がギュッとねじられて、お腹のあたりがすーっとする。
あ、この風景、私見たことある。
そんな自分の恋愛とフラッシュバックして、そして、嫉妬心すら抱かない主人公「みはる」に腹を立て、羨望の眼を向ける。
色恋なんて、と、仕事仕事としていた自分に、真っ赤な紅がぽつりと一滴たらされた感じ。
そうそう、この感じ。
恋愛ってこういうものなんだ。
こうあるべきなんだ。

最近、ちょっと薄っぺらい関係ばかりに慣れすぎていたのかもしれない。
私が次の男に浸れないのは、このずぶずぶに自分を引きずり込む、強引で、強欲で、幼稚で、そして色気が蒸せるほどにある男と出会えていないから。

顔がいい馬鹿ほど質の悪い男はいない。
泥沼にはまって、このいやらしいの、嫌い、と言いながら、その人の横顔を見て、あ、今私は恋に落ちた、という、長らく感じていない体のほてりを、また、もう一度体感したいものだと、本にしおりを挟んだ。


最近、恋愛してますか。









2020年01月17日

ぼーっとする時間

やっぱり、自分は前職が天職だったんだな。
人と向き合い、自分の触れたくない傷をさらし、相手の心をこじ開ける。
ポロポロこぼれる本音に、やったと、表では涙を流しながら、心の中でガッツポーズをとる。
これが、私の天職。
稼ぎがすくないとか、働きすぎとか、そういう表面上の、血の通っていない「データ」は結局私の肌に合わないのだ。

なんだかなという感じ。
稼ぎたいのに、結局自分が誇りをもって、必要とされる仕事は、稼げない、地を這いまわるような仕事。

なんだろな、人生って。


動画配信アプリを見ていると、表舞台で負け、悶々としている人たちにあうことが多い。
私と一緒だ。
どんどん物語がつむがれていく。
私の頭の中で。

やっぱり、私は一生貧乏なのだろう。
でも、書きたい。

人の言葉にふれていたい。


さあ、これからが大変だ。
でも、私は今日、ちょっと不良になった。

落ちるとこまで落ちて、いつもわくわくする毎日に、乾杯。

2019年09月27日

年取ったガール

犬は飼い主に似るというけれど、我が家の犬もその類かもしれない。
実年齢には決して見えない飼い主のもと、15年あまり生き続けてきた、我らがわがまま姫。
夏ごろ病気をして、具合が悪くなっていた。
もう長くないかもしれない。
ペットとの別れは、「ロス」という症状として出てくるとよく聞くが、
自分自身がその症状と戦える自信がなかった。

それでも心を決めたのに、最近帰ってみたらどうだろうか。
元気に飛び回っているではないか。

走るはもちろん、階段だってトットットットッ。
弱弱しく痩せ細った背中も肉づきが良くなり、目の濁りも薄まっている。

「点滴が効いているのかしら」
母はそういうが、この生命力、人工的なものではないと思う。

正直いつ虹の橋を渡ってもおかしくはない。
けれど、私が実家に帰れば元気な姿を見せてくれ、そして、そばに寄り添ってくれる。
「おかえり」
いつまでも続くと錯覚してしまう彼女のぬくもりは、私の肌にしっかりと染みついてしまった。


まだまだ生きてほしい。
私は、ただそれだけを願っている。


IMG_0339.jpg













2019年07月27日

MG=マジギレの真相

もう、船頭が多すぎるのだ。
一つのことをまとめるのに、リーダーは一人で十分。
しかし、そのリーダーは決断力がなければならない。
失敗、反撃を恐れず、ここぞというときに腹を決めるのだ。

この世の中で一番強い生き物。
それはBBA。
若者の言葉で「ババア」。おばさんたちだ。
彼女らは最強。
なぜなら、どんな状況下にあっても、土足で人のふところにドカドカ入り込める。
飴ちゃんという武器も持っている。

それに比べて、おじさんたちはどうか。
社会への不満を、酒と一緒に飲み干す毎日。
愚痴、愚痴、愚痴。
そのくせ、いざというとき、へっぴり腰。

私はBBAでありたいと思う。
勝負どころで勝負できる人間。
ひと時代前は、女性はか弱い方がモテる。
今もそうかもしれない。
けれど、そんなか弱い、あざとい女に翻弄される男たち、この日本を担えるのか?
いざというときに、腹を決められるのか?


今の仕事は、本当に「決められない症候群」の上層部が多すぎる。
つまらない、内輪のマウンティングを仕事に持ち込むな。
私が昇進に興味がないのは、こうしたくだらない権威争いしかしていない上層部のせいだと思う。









2019年07月19日

この弱弱しい背中に、私は耐えられない

数か月前、用があって実家に帰った。
最年長の犬が、実は病気になっていたことを、そのときに知った。
とにかく元気で、頑固で、自分のことを人間だと思っていたあの犬。
虹の橋が見えてきた。
本当にやめてくれ。
勘弁してくれよ。
そんな思いがもたげた。

その犬の背中は曲がり、寝てばかり。
犬の睡眠は浅いはずだが、彼女はぐっすり深い眠りに落ちる。
「生きてる?」
彼女のお腹を凝視。
ああ、動いてる。
呼吸で上下するお腹をみて、安堵する、この感覚は私の心臓をギュッと握りつぶす。


ペットロスから立ち直る。
そんなことできるのか?
私は最近、実は乗り越えられていないのではないかと思う。
虹の橋を渡った子は、この世界のどこかにまだいる。
またいつか、私のもとに戻ってくる。
そんな感覚が強くなって、それで、「乗り越えた」と思えるようになるのではないか。

私に「生きてていいよ」と、お腹の横で眠ってくれた、あの子。
神様、どうか、この子を死なせないでください。

心の拠り所が揺らいで、なんだか最近、ちゃんと立っていられなくなっている。
どうしたもんかな…。
困った。

mona.JPG











この世の中、理不尽すぎて

私は一体何をしたいのだろうか。
今の仕事、年収が不満で転職を考え始めた。
でも、世の企業は私を必要としていないらしい。
「私は何がしたいのか?」
企業が是非採用したい!と思われない理由は?
何か悪いことでもしたか?
インパクトが足りない?
じゃあ、インパクトってなんだ?


すべてを否定されている感じがして、いままで這いつくばるように頑張ってきたことが、すべて馬鹿みたいに崩れていく。

久々に一人、部屋で泣いた。
私は結局いままで仕事しかしてこなかった。
仕事しかないのに、仕事で否定されたのだ。
じゃあ、何が残っている?

「お金が欲しい」という欲求と、「旅がしたい」という好奇心しかない。
食べていけない。


最近、「ライバー」という、ライブ配信をしている人々をみつけた。
その中には、こんな狭苦しい世界から離れて、自由に飛び回っている人もいる。
そんな彼らの目線を、自分の目線と重ね合わせていくうちに、心がようやく落ち着いてくる。

ライブ配信の偉大だと思う所は、このライブ配信中に視聴者と配信者、そして視聴者同士でコミュニケーションがとれること。
これは新しい。
そして、この視聴者とのコミュニケーションで、さあ、前を向こうと思えるのだ。
たった一言の言葉で。


今私は、仕事人としての岐路に立っているのだろうか。
私には何の価値があるのだろうか。
しばらく、この悩みが私の頭をズキズキ痛ませそうだ。









2019年04月27日

写真なんて撮る気ないし

韓国旅行記、の第二弾。
親友と現地で落ち合って、高速ターミナル駅に行く前に、ひとりで江南周辺でお昼を食べた。
「カンジャンセウ」という、ひとりでも入れるエビのしょうゆ漬け定食を出しているお店へ。
最近、韓国でも一人飯ができるお店が増えてきたらしい。
まだ多くは最低2人からというが、私が行ったカンジャンセウのお店も、一人飯を楽しむ女の子の姿がちらほら見受けられた。
…で、頼んだカンジャンセウ定食。
おお、おいしそうと早速箸をつける。
少し薬草のような風味。
しょうゆだけじゃないな。
ネギや酒とも違う、紹興酒とかかな?
とにかくちょっと一癖ある風味が、エビの生臭さを消してくれて、全く抵抗なく生エビを楽しめた。
もともと私は刺身好き(海鮮に限る)。
韓国の生ものもイケると確信に変わった。

おお、そうだ。
親友に「このお店、行ったよ」アピールしなきゃ。
と、食べかけの定食をパシャリ。
IMG_7846.JPG
IMG_7847.JPG
もう、日の当たり具合とか最低。
しかも食べかけ。
本当に写真を撮る気がない。
そもそも写真が下手な自分。
インスタ映えなど、次元の違う世界の住人なのだ。
写真で”映(ば)えられない”。

写真が下手すぎる件はともかく、今度は「カンジャンケジャン」に挑戦したい。
どこか、ひとりで入れるお店、ないだろうか…。









喜びは突然に

親友が韓国に帰るというので、しかも3連休も取れたので4月の中旬にソウル旅行へ行ってきた。
「韓国旅行、毎週行きたい」とほざいていた自分。
「冬の韓国、行ってみたい」といいながら果たせなかった自分。
夏休みまで待たずに、訪韓を成し遂げたのだ。

今回も新たな発見の多い、実りある旅だった。
他に求めるものと言えば、自分の収入くらい。
もうやりたい仕事とか追い求めず、今の自分の実力で稼げる最大限の職について、最大限に旅を楽しもうではないかって気分が盛り上がっている。

今回は新沙駅付近に宿泊。
地下鉄の移動も慣れたもの。
やっぱ、なんか活気があっていいのよね。
それよりも何よりも、「韓国来てよかった!」と思う瞬間は、まず、空港発のリムジンバスの運転手さんの心意気。
バス停がわからずオロオロする私に声をかけ、「急げ!バス行っちゃよ!!早く乗りな!!」と、おせっかい。
乗ったら乗ったで、降車駅についたら運転手さんに韓国語で何かまくしたてられた。
どうも「荷物は持つから手離して」ということを話していたらしい。
スーツケースを運ぶため、わざわざ運転席から降りてきてくれる、情のあつさ。
こういった「おせっかい」って、日本ではもう薄れてきてしまったように思う。
それはそれで楽なのだけれど、時々暑苦しいほど気にかけてほしいのが、人間というものでは?
おじさんたちのこうした「おせっかい」が私は大好きで、世話を焼かれると「ああ、韓国に来たな」と思ってしまうのだ。

そして今回発見した新たな魅力は、「韓国陶磁器」。
この旅の大きな目的のひとつだったのだが、仁寺洞のメインストリート沿いにある韓国陶磁器のお店で、お気に入りをゲット。
本当は急須をひとつ買う予定だったが、マグカップ、湯飲みを一つづつ。
満足っちゃ満足だけれど、もっともっと陶磁器の世界に浸りたいという、新たなる欲望がむくむくと湧き上がってきたのだった。

そして、今回の旅の最大の目的、「ひとり焼肉」も無事に達成できた。
ノクサピョンという駅が最寄りの、老舗人気焼肉店で、一人でステーキを焼き、冷麺で〆た。
まあ、店員さんの親切なこと…。
若いお兄さんが、韓国語とジャスチャーで「肉切ります」とか「肉、焼き過ぎちゃうので、もう取りますね。」とか「副菜のおかわりどうですか?」と、こまめに気遣ってくれる。
そして、パート?のお母さんはデザートに出すという、甘酒のさっぱりとした飲み物を差し出してくれる。
ちょうどいいころ合いに。
「すみません、デザートください」なんて言う必要なく、もうそろそろ帰るなというベストタイミングで。
至れり尽くせりの「ひとり焼肉」、いい思い出になってしまったので、また行きたいと思っている。
「ひとり」だからうまいのではなく、普通に肉がうまい。副菜がうまいのだ。
いいお店を見つけた、とウハウハしていたが、ノクサピョンのあたりの町並みに一気に魅せられた。
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梨泰院(イテウォン)の隣駅。
今度訪韓したら、ぶらぶら街歩きしてみよう。









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