2019年12月10日
無意識に知ったかぶりをしてしまう(T_T)
「知ったかぶり」ってどこからどこまでなのか分からないけど……
時には知ったかぶりも必要ですよね。
たとえば覚えたての言葉とか。
実はよく分かっていないけれど、ボギャブラリーを増やしたいから
なんとなく使ってみたりします(^ー^;)
情報でも道具でも、
使うとき最初はおっかなびっくりだったり、なんとなくだったりしても
そのうち自分のものとして馴染んでくるように思います(*´ω`*)
生まれてから一番最初に、母国語を覚えていくときも
難しいことはよく分からないから……
全部知ったかぶりから始める気がします。
朝は「おはよう」って言うもので、
お正月には「明けましておめでとう」なんだなぁ……
みたいな。
時々、変な言葉遣いをして
大人たちにクスクス笑われたりしつつも(;´∀`)
めげずに知ったかぶって覚えていくと思います。
それって大人になってもきっと同じ。
とはいえ知ったかぶりも、度を超えると目に余りますね(T_T)
……いや、目に余るのは人じゃなく自分のことなんですが(ノ∀`;)
私はオカルト好きなので(知識はないけど)
「科学では説明のつかないことがある」という言葉をよく耳にするし、
その言葉にロマンを感じて、確か自分でも言ったりしていました。
でも私、科学のことサッパリ分かりません。
で、こないだ気づきました。
「この言葉、私が使うのはおかしいよね(°ー°;)?」と。
科学を20年研究(?)してきた方なんかが
「科学では説明のつかないことがある」とおっしゃったら、
その言葉にはすごく説得力とか深みがあります(`∀´*)
「ある科学者が『科学では説明のつかないことがある』と言っていた」
というのも、事実であるなら説得力のある言葉です。
でも、さも自分の意見であるかのように
「科学では説明のつかないことって、いっぱいあるしね〜(≧∇≦*)」
などと言ってしまうと……
ちょっと違うかも、ですね(;¬_¬)
けどそういうこと、よくやってしまいます(*>ロ<)
分かったような気になって、恥ずかしい言葉を連発して
その後後悔したり。。
一言二言なら気にならないかもですが、
変な方向に熱くなって語り出すと、墓穴を掘りますね。ハイ。
たまに、生き物のことをよく見てもおらず、好きでもなさそうな人が
「まるで虫けらみたいに」とか「豚みたい」とか
「それではケダモノと変わらない」とかいう表現をしているのを見ますが
その言い方に、自分以外の生物を見下すような悪意を感じる場合
「おうおう! ちょっとそれ失礼なんじゃないの!?
その生き物と、24時間寝食を共にしたことあるんか(#`皿´)!?」
と思ったりします。
その言葉を向ける相手に対しても、愛がないように見えますね。
実際どうかは知りませんが。
だからとにかく、
知ったかぶりとか、イメージで語るとか、
自分自身の経験に基づく根拠のない、無責任な比喩とかって
アブナイですよね〜(´ーωー`;)
変な迷信や偏見のせいで
特定の人種や生き物が忌み嫌われたりしますからね。。
って、あっ
またよく知りもしないことを事実みたいに言ってしまいました(oДo;)
大体、根拠のない言葉ってのは
変なしがらみとか感情とか、決めつけから発生しますね〜。
私が「科学では説明のつかないことがある」という言葉を好んだのも
科学って難しい、よく分からない
↓
なのに人は科学科学と、科学を全知全能の神のように崇拝する
↓
これじゃまるで、科学が分からない自分が馬鹿みたいじゃないか!
↓
「分からない」と素直に認めるのはなんだかなぁ……
↓
あっ、ここに都合の良い言葉がある。よっしゃ、これ使おう。
的な心理によるものだと思われます。
オカルト好きと科学への苦手意識を混同して
思っていることをすり替えちゃったような。
それとこれとは別なのに。
人に対して「豚みたい」などと失礼なことを言う人も、
(※ニュアンスが悪口っぽい場合)
豚に対しては知識も親愛の情も感謝の気持ちもなく
特に何とも思っていないのに、
テキトーに言葉を持ち出したものと思われます。
こうやって、本当の意見・気持ちをすり替えて
別のものを持ち出したり、四方八方に飛び火させていったりすると、
あとで跳ね返ってきそうです(´ーωー`;)
いつか、ちょっとした失言問題的なことになりそう。
犬派だからって猫を好きにならない理由はないし、
オカルトにも科学にも興味を持ったって良いし、
晴れと雨、両方好んだって良いし
アレとコレとを、矛盾や対義語みたいにしなくても良いですよね〜。
仮に何かが、腑に落ちない理論や価値観を内包していたって
全部を食わず嫌いしなければ
「同じ専門分野の人でも、みんな意見や性格は全然違うんだ」って
いつかきっと分かってきますよね(*´▽`*)
で、私は学歴とかはあんまりだけれど
それを恥じたり、学問に対してビミョーな反抗心を抱いたり
変に知ったかぶったりするんじゃなく
「知らない、分からない」の価値に注目していくのが
良いかもと思いました。
無知の専門家です v( ̄▽ ̄*)☆★
虫の名前や生態は知らないけれど、虫を眺めることはあります。
外出先で出会った、名前を知らない人と、交流することもあります。
けど、虫や人の名前を知らなくても、
出会った方々が何者なのか理解できていなくても
その一瞬の交流、それを体験した自分の視点に
価値がないわけではないですね。
これはこれで面白いです。
体は魂の入れ物かもしれません。
なら、虫や人の名前はその入れ物に付けられたものであり
それを知ることだけが重要なのではないかもしれません。
生態や、肩書きや、行動も。
どの視点から見たものだって、
きっと等しく価値がありますね…… 自信ないけど。(*´▽`*)
だからできるだけ、知ったかぶりは取り外して
素の表現を探そうと思います♪
時には知ったかぶりも必要ですよね。
たとえば覚えたての言葉とか。
実はよく分かっていないけれど、ボギャブラリーを増やしたいから
なんとなく使ってみたりします(^ー^;)
情報でも道具でも、
使うとき最初はおっかなびっくりだったり、なんとなくだったりしても
そのうち自分のものとして馴染んでくるように思います(*´ω`*)
生まれてから一番最初に、母国語を覚えていくときも
難しいことはよく分からないから……
全部知ったかぶりから始める気がします。
朝は「おはよう」って言うもので、
お正月には「明けましておめでとう」なんだなぁ……
みたいな。
時々、変な言葉遣いをして
大人たちにクスクス笑われたりしつつも(;´∀`)
めげずに知ったかぶって覚えていくと思います。
それって大人になってもきっと同じ。
とはいえ知ったかぶりも、度を超えると目に余りますね(T_T)
……いや、目に余るのは人じゃなく自分のことなんですが(ノ∀`;)
私はオカルト好きなので(知識はないけど)
「科学では説明のつかないことがある」という言葉をよく耳にするし、
その言葉にロマンを感じて、確か自分でも言ったりしていました。
でも私、科学のことサッパリ分かりません。
で、こないだ気づきました。
「この言葉、私が使うのはおかしいよね(°ー°;)?」と。
科学を20年研究(?)してきた方なんかが
「科学では説明のつかないことがある」とおっしゃったら、
その言葉にはすごく説得力とか深みがあります(`∀´*)
「ある科学者が『科学では説明のつかないことがある』と言っていた」
というのも、事実であるなら説得力のある言葉です。
でも、さも自分の意見であるかのように
「科学では説明のつかないことって、いっぱいあるしね〜(≧∇≦*)」
などと言ってしまうと……
ちょっと違うかも、ですね(;¬_¬)
けどそういうこと、よくやってしまいます(*>ロ<)
分かったような気になって、恥ずかしい言葉を連発して
その後後悔したり。。
一言二言なら気にならないかもですが、
変な方向に熱くなって語り出すと、墓穴を掘りますね。ハイ。
たまに、生き物のことをよく見てもおらず、好きでもなさそうな人が
「まるで虫けらみたいに」とか「豚みたい」とか
「それではケダモノと変わらない」とかいう表現をしているのを見ますが
その言い方に、自分以外の生物を見下すような悪意を感じる場合
「おうおう! ちょっとそれ失礼なんじゃないの!?
その生き物と、24時間寝食を共にしたことあるんか(#`皿´)!?」
と思ったりします。
その言葉を向ける相手に対しても、愛がないように見えますね。
実際どうかは知りませんが。
だからとにかく、
知ったかぶりとか、イメージで語るとか、
自分自身の経験に基づく根拠のない、無責任な比喩とかって
アブナイですよね〜(´ーωー`;)
変な迷信や偏見のせいで
特定の人種や生き物が忌み嫌われたりしますからね。。
って、あっ
またよく知りもしないことを事実みたいに言ってしまいました(oДo;)
大体、根拠のない言葉ってのは
変なしがらみとか感情とか、決めつけから発生しますね〜。
私が「科学では説明のつかないことがある」という言葉を好んだのも
科学って難しい、よく分からない
↓
なのに人は科学科学と、科学を全知全能の神のように崇拝する
↓
これじゃまるで、科学が分からない自分が馬鹿みたいじゃないか!
↓
「分からない」と素直に認めるのはなんだかなぁ……
↓
あっ、ここに都合の良い言葉がある。よっしゃ、これ使おう。
的な心理によるものだと思われます。
オカルト好きと科学への苦手意識を混同して
思っていることをすり替えちゃったような。
それとこれとは別なのに。
人に対して「豚みたい」などと失礼なことを言う人も、
(※ニュアンスが悪口っぽい場合)
豚に対しては知識も親愛の情も感謝の気持ちもなく
特に何とも思っていないのに、
テキトーに言葉を持ち出したものと思われます。
こうやって、本当の意見・気持ちをすり替えて
別のものを持ち出したり、四方八方に飛び火させていったりすると、
あとで跳ね返ってきそうです(´ーωー`;)
いつか、ちょっとした失言問題的なことになりそう。
犬派だからって猫を好きにならない理由はないし、
オカルトにも科学にも興味を持ったって良いし、
晴れと雨、両方好んだって良いし
アレとコレとを、矛盾や対義語みたいにしなくても良いですよね〜。
仮に何かが、腑に落ちない理論や価値観を内包していたって
全部を食わず嫌いしなければ
「同じ専門分野の人でも、みんな意見や性格は全然違うんだ」って
いつかきっと分かってきますよね(*´▽`*)
で、私は学歴とかはあんまりだけれど
それを恥じたり、学問に対してビミョーな反抗心を抱いたり
変に知ったかぶったりするんじゃなく
「知らない、分からない」の価値に注目していくのが
良いかもと思いました。
無知の専門家です v( ̄▽ ̄*)☆★
虫の名前や生態は知らないけれど、虫を眺めることはあります。
外出先で出会った、名前を知らない人と、交流することもあります。
けど、虫や人の名前を知らなくても、
出会った方々が何者なのか理解できていなくても
その一瞬の交流、それを体験した自分の視点に
価値がないわけではないですね。
これはこれで面白いです。
体は魂の入れ物かもしれません。
なら、虫や人の名前はその入れ物に付けられたものであり
それを知ることだけが重要なのではないかもしれません。
生態や、肩書きや、行動も。
どの視点から見たものだって、
きっと等しく価値がありますね…… 自信ないけど。(*´▽`*)
だからできるだけ、知ったかぶりは取り外して
素の表現を探そうと思います♪
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