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2022年09月13日

大東亜戦争は「敗戦」か「終戦」か

終わらせたかったのは戦争ではなく「虐殺」

第1次世界大戦というのは第1次ヨーロッパ戦争で、第2次世界大戦というのは第2次ヨーロッパ戦争とアジア独立戦争の2つが組み合わさったものである。
コロンブスのアメリカ大陸発見のように、ヨーロッパ人の視点から歴史を見るんじゃなくて、世界的視点から歴史を見て、それを世界史というのが正しいんではないか、というのが私の考えなんです。

日本のアジア独立戦争が終わって、日本国内で一部の人は終戦と言っておりました。戦争が終わった。これに対して主にリベラルとか左翼の人がですね、戦争が終わったなんて、そんなインチキなこと言うんじゃないと。あれは戦争に負けたんだ、敗戦と言わなきゃならないという事で、盛んに、敗戦と言っておりましたね。
私もですね、若いころですね、若い頃は比較的頭も柔軟で、ちゃんとものも考えるように思うんですけど、やっぱり私の人生を振り返りますとね、若い頃の方が何て言いますか世間の言うことに流されてましたね。やっぱり自分で考えるという思考力が、不足してたんじゃないかと思うんですね。

私、50歳ぐらい過ぎてからですね、あれは終戦だったんだなあ、あれは敗戦じゃなかったんだなぁと思うようになったんですね。
2つ理由があるんです。第2次世界大戦、いわば大東亜戦争、アジア独立戦争の方は、日本と、日本に宣戦布告して戦った国は、アメリカ、イギリス、オランダ、中国だったんですね。本来はフランスも入るはずだったんですが、フランスはドイツに占領されましてね、フランスという国自体がなくなったもんですから、アジアで言えばインドシナを支配してた、植民地にしてたフランスはですね、当然日本がそこに進駐しましたから、フランスは日本に宣戦布告をするべき、というのが当然の流れなんですが、それはできなかったんですね。

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だけどまあ実質的にはアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、それに白人側に寝返った中国と宣戦布告しました。
それで私は、最初にあれはですね、負けてないなーと思ったのは、この4カ国のうちですね、日本がまあ形のうえで負けたかどうか、これから説明しますが、負けたように思われるのはアメリカだけで、イギリスはもう完全に日本にやられました。フランスはインドネシアから全部追い出されたわけですから、これも完全な敗北ですね。ですからどんなふうに考えても、2勝1敗1引き分けっていうのが、まあ日本に不利な形で言えばそうですね。
ところがある人が私にですね、あれは先生、2勝1敗1引き分けじゃなくて、2勝反則勝ち1引き分けじゃないんですかと、こういったんですね。
その人はそのことしか言わなかったんですけど、私がその後ちょっと考えましてね、確かにアメリカは反則だったなと思ったわけですよ。
反則で負けるっていうのは反則負けじゃなくて、反則勝ちなんですよね。どうしてかって言いますとね、戦争っていうのはみなさん戦争は悲惨だ、戦争は悲惨だって言いますけど、戦争はそんなに悲惨じゃないんですよ。
人が死ぬという点では悲惨ですよ。だけども、人類はそれほどはバカじゃないんですよ。ちゃんと約束事を作って、一般市民には被害が及ばないようにしてたんですね。ワーテルローの戦いが典型的ですね。もちろん関ヶ原の戦いを持ってきてもいいんですけど。
関ヶ原の戦いもワーテルローの戦いも同じなんですが、ワーテルローの戦いというのは、ナポレオンが欧州連合軍を相手にして戦って、ついに敗れた。大きな戦いですね。
ワーテルロー、フランス語での発音は違うんですが、ワーテルローという大きな荒野、誰も住んでいない丘陵地帯ですね、そこでですね、大軍隊がダーンと衝突して、これで戦ったわけです。この絵をちょっとご覧にくいかもしれませんが、ご覧にくい方は、ネットか何かでご覧になって、ワーテルローがいかに平野だっていうことが分かります。平野っていうか、誰も住んでない。なんでナポレオンとヨーロッパ連合軍はですね、パリとかベルリンとか、なんかそういうですね都市で戦いをしなかったのか。さらには農地ですね。農業が盛んで、平野で、そして農家が散在しているという、そういうところでは戦ってないんですよ。荒野で戦うわけです。その荒野の名前がワーテルローなんですね。

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つまり戦争というのは、基本的には志願兵、つまり志願したフランス軍の兵隊と、それからヨーロッパ連合軍の兵隊が指揮者の下で、正々堂々戦うというのが戦争なんです。それでそんな荒野で戦ったってどうするんだって言うけど、荒野で戦って、勝った方を勝ちとする。それはゲームですからね一種の。ちゃんとルールのあるゲームですから。ここでの勝ちを勝ちとして、負けた方はそれに屈すると、こういうことになったんですね。これは第1次世界大戦で、塹壕戦が行われました、フランスとドイツの間で。それも結局、塹壕っていうのはちょうどフランスとドイツの国境線にできたわけですけども、まあ荒野ですね、誰もいないところです。
つまり戦争っていうのは、誰もいないところで、軍隊同士が戦って、軍隊がやられちゃった方が負けなんですよ。
軍隊はやられたらですね、今度勝った方の国の軍隊が、塀の中に入ってきたって抵抗することは出来ませんから、誰もね、結局が負けなんです。

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ところが、大東亜戦争の時のアメリカはちょっと違ったんですよ。これはアメリカ政府もしくはアメリカ軍が、はっきりと意識してやったのか、それとも偶然か、それは分かりませんよ。頭が足りなかったのかもしれませんが。戦争というルールを全く無視したんですね、途中から。どこからかって言うとですね、硫黄島の戦いまでは、戦争が終わる少し前に硫黄島で、戦いが行われましてね。日本兵とアメリカ軍のもう、血みどろの闘いがあったんですね。まあ互角か若干アメリカ軍が強かったんですね。ところが沖縄戦ですよ。沖縄戦はあれは戦争かって言うとですね。この前私は沖縄に行きまして、沖縄の人と色々話しましたが、沖縄の人もそこまでは考えておられませんでしたね。

沖縄戦っていうのは本来ならば、沖縄に攻撃する前にアメリカ軍が艦艇で沖縄を囲んだ後ですね、まぁ3日ぐらいの余裕でですね、今から沖縄本島の南部を攻撃するから、そこにいる住民は全部立ち退いてくれというビラをまくか、そういうふうに言ってですね、立ち退かせてから攻め入るっていうのが戦争なんです。それは戦争のルールなんですね。さらに日本軍も、沖縄の島の南に立てこもって抵抗すると、これがそうなんですね。
ところがアメリカはその手順を踏みませんでした。日本軍はずっと踏んでましたね。よく問題になる南京大虐殺の南京城の攻防戦はですね、日本軍はちゃんと戦いのルールに沿って、南京城を取り囲んでからですね、中国と中国に対して一方方向、揚子江側を開けとくから、そっから全部逃げろと。日本軍が戦いたいのは中華人民軍であって普通の人じゃないから、普通の人は逃げてくれと言ったんですが、逃がすのを拒否したのが中国軍だったんで、ややこしいことになったんですけどね。だけどそれが戦争のルールなんですよ。だから沖縄戦はちょっと微妙で、私から言わせれば沖縄戦は戦争に入りませんね。あれは虐殺です。虐殺と戦争の真ん中ぐらいですかね、まあ普通に言いますと。それから以降、沖縄戦以降のアメリカ軍の攻撃は、ほとんど日本軍を標的にしていませんでした。東京大空襲にしてもですね、もちろん広島、長崎の原爆にしても、全く軍隊のいないところに、焼夷弾を落としたり。焼夷弾が雨あられと降ってきたんですけど、焼夷弾というのは普通の人を殺すためのものであって、軍隊を殺すためのものじゃないんですね。もちろん原子爆弾もそうですよ。
ひどいのになると、愛知県の豊橋の海岸なんかは、アメリカの戦闘員が来て、海岸を逃げ惑う女性とか子供ですね。後ろから追って機銃で殺したわけですから。20ミリ機関砲をね。それはいくらなんでも虐殺なんですよ。

ですから戦争は、沖縄戦を境にして、戦争から虐殺に変わったんですよね。
それで、天皇陛下はどうお考えになったかっていうのは、それは正しい記録は残っておりませんが、たぶん心の中では、戦争はまだできるけれども、軍隊がいましたから、だいぶ。だけども、もう国民が、日本人が虐殺されるのは耐えられないからって言うんで、8月15日に降伏をしました。
だから日本軍は抵抗したんですよ。日本軍が天皇の玉音放送を守らずに、一部の、たとえば厚木基地のところとか、そういうところで反乱を起こしたのは当然であって、軍隊としてまだ負けてないんですからね。
負けてないのに天皇陛下が、国民がこれ以上殺されるのを見るに堪えないって言って、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでね。この際に降伏しようと、ポツダム宣言を受け入れようということになったわけですね。

この、こんなに明瞭なことを、僕も50過ぎまで気が付かなかったし、まあ日本の歴史家、政治家、評論家がですね、まあやっぱり8割ぐらいは、こういうことを言うべきでしたよね。あれは敗戦ではない。敗戦というのは軍隊が負けた時、つまり戦争に負けた時は敗戦であると。
しかしその前のように、虐殺につぐ虐殺を見て、女性子供が殺されていくのを見て、指導層が耐え難くなって、戦争を放棄した場合は、それは終戦ですね。これもですね、明治、大正、昭和と続いた日本のですね、アジア独立戦争の時代の終焉として、非常に大きいわけです。ですから私はアジア独立戦争終わりが、1945年じゃないなと。これ日本がポツダム宣言を受託した時ですね。それからサンフランシスコ平和条約で、日本が独立した時でもないなと。ややどちらかというと1955年のバンドン国際会議、もしくはもう少し伸ばしたら、1960年代のアフリカの10年が終わった辺りが、アジアアフリカ独立の時代の終焉だなと、いうふうに思いますね。その点では、戦争が敗戦だったのか終戦だったのかということは、もう少しはっきりと考えて議論して、そして歴史の先生も評論家の先生もですね、政府も意志を統一してもらいたいと、こういうふうに私は思ってますけどね。いかがでしょうか。

武田邦彦 ヒバリクラブ
大東亜戦争は「敗戦」か「終戦」か?〜シリーズ「日本」第3章 終戦 現代日本7
https://youtu.be/kJwdvSXNKTE

画像はトラベルjpさんのホームページからお借りしました。
トラベルjp ナポレオン最後の戦いの地!ベルギーのワーテルロー古戦場跡
https://www.travel.co.jp/guide/article/15501/


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2022年09月12日

戦争で中国は何をしたのか

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戦争に乗じてアジアを占領したのが中国


戦争で中国は何をしたのか。中国という国はもちろん、強くなったり弱くなったり、立派になったりダメになったりしてるわけで、一概に悪い時だけじゃない。日本が力をつけてきた明治維新から戦争の終わりまでは、中国は大変に弱っていた。国というのものは強くなったり、弱くなったりするものである。清という国が、乾隆帝(けんりゅうてい)とか錚々たる皇帝が出て、常に強かった時代が終わってから100年くらい経ち、すっかり終わった時代に今度は日本が出てきたから、戦争の時は、日本が圧倒的に中国に強かった。中国は、北はロシア、南はイギリス、フランス、東北部は日本というふうに、強いところにどんどん取られた。
それで白人に寝返って、アメリカと密かに交渉し白人側についたので、今では白い中国人など、言わば蔑視されている。そういう名誉のない呼ばれ方ではなく、アジア人として、別にアジア人を強調するわけじゃないが、弱い者いじめを止めて、ちゃんと弱い人は助ける、それが、本当の中華思想というものだろう。アジアの盟主であるなら、敵が弱いから、相手が弱いからと居丈高になるのは、あまり感心しない。弱い相手は保護し、強い相手に対して頑張るということが大切だと思う。

今、私は、中学校、高校の先生方は、本当に色々ものを考えているのか、本当に日本というものを考えているのか、と思う。これは別に国粋主義とか愛国主義ではない。今、学校で使っている中国の地図はこれだ。非常に大きな国。日本に比べて極めて大きい。人口も15億人いるということで、中国に対して悪口は絶対いけない。特に、現在の国会では、中国と親しくしようとしている。中国は日本に向かって核ミサイルを狙い撃ちするように、サイロの中に入れている国。中国の発言を見ると、とにかく反日、反日の発言を連続し、あれだけ反日のステートメントを出してるのに、なぜ日本は中国に親しみを持っているのか。ちょっと信じられない。しかし、中国の方も、あれだけ反日、反日と言いながら、中国の産業の発展はほとんど日本に頼っていたし、お金も頼っていた。ごく最近まで、ODAの援助を日本から得ていた。援助を受けながら、核ミサイルを日本に向けるという、ちょっと特殊な国である。日本人の心では、ほとんど理解ができないと言って良い。日本は誤解している。

本当の中国はこれだ。中京と書いてある、これ。これはよく分かっていることだが、チベットは占領地。チベットは立派な国で、歴史も長いし、戦争がほぼない国だった。日本と同じ、憲法9条みたいなことを書いてある憲法を持っていた。国を守るのは武力じゃない、仏教だと言っていた国。
ところが中国共産党軍が侵攻してくると、たちまち仏教の軍隊なんてほとんどいないから、蹴散らされ、女の人はみんな後ろ手に縛られて晒し者になった。それは1949年、戦争が終わった後のことだ。アジア独立の時代っていうのは、まあ区分として難しいが、1950年くらいから1970年くらいという風に設定してもいいかと思う。日本の戦争が終わった1945年以降。こういう問題がいっぱいあった。

中国がまずチベット、それからウイグルを占領した。ウイグルというところは、名前も漢字じゃない。トルコ民族はもともとシベリアあたりにいた。今はトルコは、ヨーロッパというかイスタンブールのところにおりますが。ずるずるずるずる南西の方に少しずつシベリアからずれてきた。トルコ民族というのは非常に優秀な民族で、割合と人柄も穏やかで、馬に乗りながら、こう弓を射るのが得意だったから、軍事力も強かった。セルジュックトルコとかオスマントルコといった比較的大きな国が、中東から今のトルコ半島あたりで栄えた国。非常に立派な、尊敬すべき国だ。今はちょっと力が落ちている。しかし例えば、中東というと女性を圧迫しているように見えるが、トルコにおける女性の参政権は、フランスの女性参政権が確立した9年前。だから僕らは今、ヨーロッパの文化に汚染されていて、なんでもヨーロッパが先だという風に思って錯覚しているが、日本人に知識がないから、ヨーロッパ人の策謀に引っかかってるだけである。

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ついでに言えば、中国の清も立派だった時がある。イギリスのマルサスが、1790年代に人口論を書いた。地球上では、農業生産は徐々にしか増えないが、人口は急激に増えるので、やがて人口の爆発的増加によって農作物が足りなくなるだろうと言ったマルサスの人口論。しかしマルサスの人口論は、マルサスがオリジナルではない。その立派だった中国の清の時代の、洪亮吉(こうりょうきつ)先生の本が先で、後を追ったのがマルサス。だけども日本の先生方は、それを認めない。今どっかの宗教の信仰が問題になっているが、それと同じくらい、なんか変な信仰である。なぜか分からないが、本人たちは真面目なんでしょう。とにかく何でもヨーロッパだ、嘘ついてもヨーロッパだと。それじゃあやっぱり中国も発展しないし、日本も発展しない。
話を戻せば、中国は新疆ウイグルを占領した。ここはもともと宗教的にもイスラム。全然違う。今、ウイグル人の虐待というのが問題になっているが、もともと虐待を問題にする必要があるかどうかは僕は疑問。なぜなら、そもそも占領していることが問題だからだ。他の民族の国を、長い間占領してることは良くない。
それから内モンゴル。内モンゴルはあんまり知られていないが、モンゴルの中国側。これははっきりとしたモンゴルの土地で、早くモンゴルに返さなきゃいけない。ここは中国が漢人化政策をとっている。どんどんどんどん中国人を内モンゴルに移し、そのうち人口的に圧迫するという、汚い考え。

それから満州。満州は中国ではない。あの満州が中国だったのは、たまたま清の時代に、新王朝が中国に行ったというだけで、逆。中国が満州に行ったのではなく、満州が中国に行った。これがまた日本人のポンコツのところ。日本という国が、例えばロシアに占領されたら日本がロシアになるが、日本をロシアと書いて、ロシアを日本と書くっていう、そういう感じである。逆転している。ここは女真族で、民族も違う。昔は高麗、高句麗、という国があった。どっちかというと、北朝鮮と満州は、民族が似ている。それから、似てるといえば結構モンゴルの方も似ている。若干そういう寒い所の草原地帯の民族であって、中国の漢人とは全く違う民族。

つまり、中国は戦争で何をしたか。占領である。日本とは正反対。日本は白人と戦って、アジアの独立を図った。そして多くの人が死んだ。これに対して中国は逆で、戦争が終わったら、しめたと、アジアの国を攻め、弱い国を攻めて、それを自分の領土にしたのだから、180度違う。
僕は日本人の方を尊敬します。日本人のおじいちゃんおばあちゃんの方を尊敬します。植民地を持つ白人と戦って、アジアを解放した日本と、戦争が終わった後、白人が引き上げたからといって、今度は中華思想だとか言いながら、アジアの周辺諸国を戦争でとった中国。そういうことですから。

中国人も早く反省して、早く撤兵してほしい。今は台湾を、自分の領土だと言っているが、全く領土ではない。清の時代に日本が、台湾は清のものですかと言ったら、あれは化外地(けがいち)だと、言っている。それ以来、中国は別に台湾とは関係がない。共産党に追われた中華民国の人が今入っているから、その意味では民族は中国人に近い民族になったが、歴史的には全然別の国である。台湾が中国に編入したいというのなら、考えられる。だけど中国の方が、力で台湾を占領しようなんていうことは、もう全然お門違いで、この際中国はこちらの地図戻すべきだ。だから、私は日本の教科書がまず、こういう中国の表記から、こういう中国の表記に変えるべきだと思う。
日本は戦争中、インドネシアとか、台湾とか色んなところ占領していた。それを、教科書は占領地と書いた。でも中国には遠慮して、中国と書いた。それはやはり、歴史を見る目が、非常に偏ってるんじゃないかというふうに思います。

武田邦彦 ヒバリクラブ
戦争で中国は何をしたのか?〜シリーズ「日本」第3章 現代日本6
https://youtu.be/2WXqShpVTtg

地図画像は、以下のサイトからお借りしました。
https://ameblo.jp/famisuma16/entry-12568612664.html


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2022年09月11日

戦争で日本は何をしたのか?

一般的に第1次世界大戦と言われている第1次ヨーロッパ戦争と、1939年にドイツから始まった第2次世界大戦と言われている第2次ヨーロッパ戦争とは深い関係があり、一つのつながったものです。一方、1941年に始まったアジア地区の戦争は、全然別物ですし、ドイツと日本が共同で行動したということもありません。戦争で一緒に行動したことがありませんので、これは第2次世界大戦とひとくくりにせず、アジア独立戦争と呼ぶべきだと思います。この戦争で日本は何をしたのかということについて、歴史の先生を批判する訳ではないですが、できればこのブログをお読みになって、子供たちに何を教えるべきか、よく考えてほしいです。この日本の戦争の前後で、世界がどうなったか。アジア独立戦争で、何が起こったかを。

ヨーロッパのイギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルといった6か国とか8か国とかが、世界中を植民地にしました。植民地を保有した国は、ヨーロッパの片隅の、わずかな国です。そしてそれ以外のところが、その植民地となった国です。ちょっと曖昧なところがアメリカとかカナダとか、ロシアのシベリア地方なんかです。なんと言っていいか分からないところです。いずれにしても、白人が世界中を占拠した時代なんです。
これはだいたい200年ぐらい続きました。長く言えば1500年から1950年までなんですが、実質的には1750年ぐらいから1950年ぐらいの200年間ぐらい、有色人種の国はほとんど白色人種の下で呻吟した時代だったわけです。わずかに、実質的に独立していたのは、日本だけです。中国は白人側に寝返ったので、白い中国人と言ってもいいし、国の力も弱かったので、切り売りしながら生き延びてきたという感じです。ですから南アメリカも含めまして、世界中、日本以外は全部白人の国だった、ということなんです。よく、日本がアジアを侵略したなんていう、変な歴史の先生がおられますが、子供たちにそんな嘘を教えてはいけません。その頃アジアって、国がなかったわけですから。フィリピンはアメリカ。インドネシアはインドネシアと国名で呼んでいませんでした。オランダ領東インドというのが今のインドネシアの国名です。それからベトナム、ラオス、カンボジアなんかは、フランス領インドシナです。そういうふうに、国の名前も違うわけです。
日本軍が現実に戦ったのは、白人の軍隊とでした。白人に駆り出されたインド兵とか、そういう可哀想な人たちもいたんですが、まあその人たちは若干サボタージュしたり、密かに日本の方に応援してくれたりしたところもあるわけです。インドネシアなんかは戦争が終わった後に、日本兵が少し残ってインドネシア軍を組織して、インドネシア独立に結びつけたということもあります。
1860年ぐらいから1950年もしくは1960年ぐらいまでの、この独立戦争の時代というのを明記しなければいけないですね。今では第2次世界大戦に入っておりませんけども、インド独立戦争とかインドネシア独立戦争とか、1960年代に起こったアフリカの独立の流れ、これは全て一緒のものです。アジアを中心に考えれば、1860年ぐらいから、1970年ぐらいまでの期間ととってもいいと思いますね。おおよそ100年、これは有色人種独立の戦争の時代というふうにくくるべきであり、第1次世界大戦、第2次世界大戦といった、ヨーロッパ流の歴史区分とか名称区分は、ぜひ捨てるべきです。コロンブスのアメリカ大陸みたいにですね。アメリカ大陸には、いくらでも人が住んでたわけですが、たまたまヨーロッパ人が知ったっていうだけで、大げさに世界史で、コロンブスのアメリカ大陸発見なんていうものの年号を生徒に覚えさせるのは、もうとんでもないことですよ。
戦争で日本は何をしたのか

ところで、この戦争で日本は何をしたか。日本は頑張りました。これが1000年ぐらい後になりますと、このことがが大記されますよ。日本が戦争する前は、植民地ばかりの世界でした。植民地はもう本当に呻吟しまして、有望な若者は殺される、女性はレイプされる、産業の成果は全部取られていく、そういう時代だったわけです。ですからヨーロッパが、文学だとか音楽だとか学問で栄えたわけです。もちろんヨーロッパが文学、音楽、技術、科学、哲学、社会経済が進んだのは、別に私は評価してないわけではないです。だけどそれは、植民地となったアジア、アフリカの人たちの血と汗で贖われたということは、同時に認めなきゃいけないわけですね。それは資金が潤沢であれば、やはり音楽もできるし芸術も発達します。科学も発達しますから、それは世界でアジア、アフリカの人たちがうんと働いて、その貢いだもので、ヨーロッパ人がそういう学問とか音楽、芸術を盛んにしたという風に捉えても、別にいいと思うんです。それはアジア人がかわいそうで、ヨーロッパ人は得をしてますけど。まあ人類全体としての見方は、そういう見方もできますが、しかし事実は事実で、やはりちゃんと認識しなきゃいけないと思います。1940年ぐらいの世界と、1980年ぐらい、現在の世界の差ですね。みんな独立しました。このアジア独立戦争、つまり日本が主体となって戦った戦争で死んだ人たち、310万人の犠牲を払いましたが、これは決して単なる犠牲じゃありませんでした。これだけ日本が頑張ったので、結局、戦勝国のアメリカですら、フィリピンを手放さざるを得なかった。もちろんフランスとかイギリスとかオランダは、日本にかなりやられましたし、そういう植民地を抱えて頑張るような国の力はなくなっていました。それで結局次々と独立をして、現在のこういう素晴らしい世界に変わったわけです。この世界からこの世界に変えた力、これが日本が戦地で命を落とした証拠、兵士の犠牲の元なんです。これはもう本当に、金字塔です。だからこれを、日本人自身が認めてないというのがまずおかしい。まず日本人が認めて、そしてそれを、今度は世界に訴える。世界もその筋でいく。
そしてこの更新は、必ずしも偶然に戦ってみたらそうなったっていうんじゃない。第1次世界大戦に日本が勝って、パリ講和会議に出たその時に、日本はもうすでにそこで、人種差別撤廃条項を主張している。偉かったですね、あの頃の日本人は。今の日本人と来たら、なんだか白人がやるグレートリセットとかいうのに率先して協力してますね。これは金をもらったとか、俺は命が危ないからとか言ってそういうことで、日本を売ってるわけですが。当時の日本人、あの時西園寺公望と牧野伸顕元外務大臣が出たんですが、立派だったですね。周りが白人で白い目で見られる中を、敢然と人種差別撤廃条項を主張した。今人種差別運動なんてのが、アメリカとかなんかで行われてますけども、今頃何やってんだって感じですね。僕はそう思います。

それから戦争に入ってからも、大東亜会議というのを1943年に行っています。これも立派ですね。第1回目の有色人種の国際会議です。第2回目が1955年のバンドン会議です。この日本がやった会議にも、悪口を言う日本人がいるんですよ。なんと日本人はひねくれましたかね。本当にひねくれちゃったんですよ。正しいこととか、職業的に学ばなきゃ、守らなきゃいけないような基本的な道徳とか、人間のプライドとかそういうものを、今の日本人はなぜか失ったんですね。なぜそういうものを失ったんでしょうかね。今、日本は豊かで別段そういう風な自分の魂を捨てなくても、生きていけるようになったのに。せっかくそうなったのに。我々の曾じいさん、曾ばあさん、おじいちゃんおばあちゃんの努力によって日本人が誇り高き豊かな民族として、生活できるようになったのに、なった途端にそれを捨てていくということになったわけですからね。それは本当に悲しいことだというふうに私は思います。

まあこの際、戦争で日本人は何をしたのか。日本は何をしたのか。この灰色の世界からこの明るい世界に日本人が自分たちの血と汗で変えたんだと、世界の人が日本人に大きく感謝すべきだ。私は現役時代に随分世界各国に行きましたけど、本当に世界中の人が、日本人を尊敬し日本に感謝しているということは、非常に明白でした。ただ日本人を尊敬し日本人に感謝してないのは、日本人の中の反日グループだけであるということですね。

武田邦彦 ヒバリクラブ
戦争で日本は何をしたのか?〜シリーズ「日本」第3章 現代日本5
https://youtu.be/1B5LoZAE5zQ

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