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2022年09月13日

大東亜戦争は「敗戦」か「終戦」か

終わらせたかったのは戦争ではなく「虐殺」

第1次世界大戦というのは第1次ヨーロッパ戦争で、第2次世界大戦というのは第2次ヨーロッパ戦争とアジア独立戦争の2つが組み合わさったものである。
コロンブスのアメリカ大陸発見のように、ヨーロッパ人の視点から歴史を見るんじゃなくて、世界的視点から歴史を見て、それを世界史というのが正しいんではないか、というのが私の考えなんです。

日本のアジア独立戦争が終わって、日本国内で一部の人は終戦と言っておりました。戦争が終わった。これに対して主にリベラルとか左翼の人がですね、戦争が終わったなんて、そんなインチキなこと言うんじゃないと。あれは戦争に負けたんだ、敗戦と言わなきゃならないという事で、盛んに、敗戦と言っておりましたね。
私もですね、若いころですね、若い頃は比較的頭も柔軟で、ちゃんとものも考えるように思うんですけど、やっぱり私の人生を振り返りますとね、若い頃の方が何て言いますか世間の言うことに流されてましたね。やっぱり自分で考えるという思考力が、不足してたんじゃないかと思うんですね。

私、50歳ぐらい過ぎてからですね、あれは終戦だったんだなあ、あれは敗戦じゃなかったんだなぁと思うようになったんですね。
2つ理由があるんです。第2次世界大戦、いわば大東亜戦争、アジア独立戦争の方は、日本と、日本に宣戦布告して戦った国は、アメリカ、イギリス、オランダ、中国だったんですね。本来はフランスも入るはずだったんですが、フランスはドイツに占領されましてね、フランスという国自体がなくなったもんですから、アジアで言えばインドシナを支配してた、植民地にしてたフランスはですね、当然日本がそこに進駐しましたから、フランスは日本に宣戦布告をするべき、というのが当然の流れなんですが、それはできなかったんですね。

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だけどまあ実質的にはアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、それに白人側に寝返った中国と宣戦布告しました。
それで私は、最初にあれはですね、負けてないなーと思ったのは、この4カ国のうちですね、日本がまあ形のうえで負けたかどうか、これから説明しますが、負けたように思われるのはアメリカだけで、イギリスはもう完全に日本にやられました。フランスはインドネシアから全部追い出されたわけですから、これも完全な敗北ですね。ですからどんなふうに考えても、2勝1敗1引き分けっていうのが、まあ日本に不利な形で言えばそうですね。
ところがある人が私にですね、あれは先生、2勝1敗1引き分けじゃなくて、2勝反則勝ち1引き分けじゃないんですかと、こういったんですね。
その人はそのことしか言わなかったんですけど、私がその後ちょっと考えましてね、確かにアメリカは反則だったなと思ったわけですよ。
反則で負けるっていうのは反則負けじゃなくて、反則勝ちなんですよね。どうしてかって言いますとね、戦争っていうのはみなさん戦争は悲惨だ、戦争は悲惨だって言いますけど、戦争はそんなに悲惨じゃないんですよ。
人が死ぬという点では悲惨ですよ。だけども、人類はそれほどはバカじゃないんですよ。ちゃんと約束事を作って、一般市民には被害が及ばないようにしてたんですね。ワーテルローの戦いが典型的ですね。もちろん関ヶ原の戦いを持ってきてもいいんですけど。
関ヶ原の戦いもワーテルローの戦いも同じなんですが、ワーテルローの戦いというのは、ナポレオンが欧州連合軍を相手にして戦って、ついに敗れた。大きな戦いですね。
ワーテルロー、フランス語での発音は違うんですが、ワーテルローという大きな荒野、誰も住んでいない丘陵地帯ですね、そこでですね、大軍隊がダーンと衝突して、これで戦ったわけです。この絵をちょっとご覧にくいかもしれませんが、ご覧にくい方は、ネットか何かでご覧になって、ワーテルローがいかに平野だっていうことが分かります。平野っていうか、誰も住んでない。なんでナポレオンとヨーロッパ連合軍はですね、パリとかベルリンとか、なんかそういうですね都市で戦いをしなかったのか。さらには農地ですね。農業が盛んで、平野で、そして農家が散在しているという、そういうところでは戦ってないんですよ。荒野で戦うわけです。その荒野の名前がワーテルローなんですね。

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つまり戦争というのは、基本的には志願兵、つまり志願したフランス軍の兵隊と、それからヨーロッパ連合軍の兵隊が指揮者の下で、正々堂々戦うというのが戦争なんです。それでそんな荒野で戦ったってどうするんだって言うけど、荒野で戦って、勝った方を勝ちとする。それはゲームですからね一種の。ちゃんとルールのあるゲームですから。ここでの勝ちを勝ちとして、負けた方はそれに屈すると、こういうことになったんですね。これは第1次世界大戦で、塹壕戦が行われました、フランスとドイツの間で。それも結局、塹壕っていうのはちょうどフランスとドイツの国境線にできたわけですけども、まあ荒野ですね、誰もいないところです。
つまり戦争っていうのは、誰もいないところで、軍隊同士が戦って、軍隊がやられちゃった方が負けなんですよ。
軍隊はやられたらですね、今度勝った方の国の軍隊が、塀の中に入ってきたって抵抗することは出来ませんから、誰もね、結局が負けなんです。

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ところが、大東亜戦争の時のアメリカはちょっと違ったんですよ。これはアメリカ政府もしくはアメリカ軍が、はっきりと意識してやったのか、それとも偶然か、それは分かりませんよ。頭が足りなかったのかもしれませんが。戦争というルールを全く無視したんですね、途中から。どこからかって言うとですね、硫黄島の戦いまでは、戦争が終わる少し前に硫黄島で、戦いが行われましてね。日本兵とアメリカ軍のもう、血みどろの闘いがあったんですね。まあ互角か若干アメリカ軍が強かったんですね。ところが沖縄戦ですよ。沖縄戦はあれは戦争かって言うとですね。この前私は沖縄に行きまして、沖縄の人と色々話しましたが、沖縄の人もそこまでは考えておられませんでしたね。

沖縄戦っていうのは本来ならば、沖縄に攻撃する前にアメリカ軍が艦艇で沖縄を囲んだ後ですね、まぁ3日ぐらいの余裕でですね、今から沖縄本島の南部を攻撃するから、そこにいる住民は全部立ち退いてくれというビラをまくか、そういうふうに言ってですね、立ち退かせてから攻め入るっていうのが戦争なんです。それは戦争のルールなんですね。さらに日本軍も、沖縄の島の南に立てこもって抵抗すると、これがそうなんですね。
ところがアメリカはその手順を踏みませんでした。日本軍はずっと踏んでましたね。よく問題になる南京大虐殺の南京城の攻防戦はですね、日本軍はちゃんと戦いのルールに沿って、南京城を取り囲んでからですね、中国と中国に対して一方方向、揚子江側を開けとくから、そっから全部逃げろと。日本軍が戦いたいのは中華人民軍であって普通の人じゃないから、普通の人は逃げてくれと言ったんですが、逃がすのを拒否したのが中国軍だったんで、ややこしいことになったんですけどね。だけどそれが戦争のルールなんですよ。だから沖縄戦はちょっと微妙で、私から言わせれば沖縄戦は戦争に入りませんね。あれは虐殺です。虐殺と戦争の真ん中ぐらいですかね、まあ普通に言いますと。それから以降、沖縄戦以降のアメリカ軍の攻撃は、ほとんど日本軍を標的にしていませんでした。東京大空襲にしてもですね、もちろん広島、長崎の原爆にしても、全く軍隊のいないところに、焼夷弾を落としたり。焼夷弾が雨あられと降ってきたんですけど、焼夷弾というのは普通の人を殺すためのものであって、軍隊を殺すためのものじゃないんですね。もちろん原子爆弾もそうですよ。
ひどいのになると、愛知県の豊橋の海岸なんかは、アメリカの戦闘員が来て、海岸を逃げ惑う女性とか子供ですね。後ろから追って機銃で殺したわけですから。20ミリ機関砲をね。それはいくらなんでも虐殺なんですよ。

ですから戦争は、沖縄戦を境にして、戦争から虐殺に変わったんですよね。
それで、天皇陛下はどうお考えになったかっていうのは、それは正しい記録は残っておりませんが、たぶん心の中では、戦争はまだできるけれども、軍隊がいましたから、だいぶ。だけども、もう国民が、日本人が虐殺されるのは耐えられないからって言うんで、8月15日に降伏をしました。
だから日本軍は抵抗したんですよ。日本軍が天皇の玉音放送を守らずに、一部の、たとえば厚木基地のところとか、そういうところで反乱を起こしたのは当然であって、軍隊としてまだ負けてないんですからね。
負けてないのに天皇陛下が、国民がこれ以上殺されるのを見るに堪えないって言って、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでね。この際に降伏しようと、ポツダム宣言を受け入れようということになったわけですね。

この、こんなに明瞭なことを、僕も50過ぎまで気が付かなかったし、まあ日本の歴史家、政治家、評論家がですね、まあやっぱり8割ぐらいは、こういうことを言うべきでしたよね。あれは敗戦ではない。敗戦というのは軍隊が負けた時、つまり戦争に負けた時は敗戦であると。
しかしその前のように、虐殺につぐ虐殺を見て、女性子供が殺されていくのを見て、指導層が耐え難くなって、戦争を放棄した場合は、それは終戦ですね。これもですね、明治、大正、昭和と続いた日本のですね、アジア独立戦争の時代の終焉として、非常に大きいわけです。ですから私はアジア独立戦争終わりが、1945年じゃないなと。これ日本がポツダム宣言を受託した時ですね。それからサンフランシスコ平和条約で、日本が独立した時でもないなと。ややどちらかというと1955年のバンドン国際会議、もしくはもう少し伸ばしたら、1960年代のアフリカの10年が終わった辺りが、アジアアフリカ独立の時代の終焉だなと、いうふうに思いますね。その点では、戦争が敗戦だったのか終戦だったのかということは、もう少しはっきりと考えて議論して、そして歴史の先生も評論家の先生もですね、政府も意志を統一してもらいたいと、こういうふうに私は思ってますけどね。いかがでしょうか。

武田邦彦 ヒバリクラブ
大東亜戦争は「敗戦」か「終戦」か?〜シリーズ「日本」第3章 終戦 現代日本7
https://youtu.be/kJwdvSXNKTE

画像はトラベルjpさんのホームページからお借りしました。
トラベルjp ナポレオン最後の戦いの地!ベルギーのワーテルロー古戦場跡
https://www.travel.co.jp/guide/article/15501/


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