2021年11月28日
プリンスホーマーT640
どうもです。
更新は相変わらずスローです。
さて、今回はプリンスのホーマーを取り上げたいと思います。
ホーマーはプリンス時代最後の新系列車種として1964(昭和39)年9月に発売された小型トラックです。
それまでのクリッパーやマイラーとは系統の違う全くの新型として登場しました。
このホーマーですが、今までのプリンスの車とは違い、初めてコスト面を設計時点からかなり意識して作られた車でした。
それまでプリンスの車はある意味コスト度外視で性能を追求するところがありましたが、このホーマーは手堅い設計で既存の技術を磨き上げつつ使いやすい車に仕上げられました。
とは言いつつも、エンジンはシート下に30度傾斜して搭載し、フロントサスペンションはトーションバー独立懸架を採用。
トラックにしては乗用車並みのソフトな乗り心地を誇りました。
また、プリンスのトラック系としては初になるシャシー回りのグリスアップも1年間、または3万キロまで無給油でOKとされ、メンテナンスの手間を大幅に軽減しています。
今では当たり前ですが、当時のクルマは定期的に足回りにグリスアップをしなければならなかったので、プリンスがS50系スカイラインで初めて採用した無給油シャシーは画期的だったわけですが、これを商用車にも採用してきたところがプリンスらしいところ。
心臓部にあたるエンジンは熟成の域にあったG1型1500ccを採用し、最高速度は当時としては充分な105キロを発揮。
最大積載量も小型トラックとしては必要十分な1.25トンを確保しており、クリッパーの姉妹車として登場したホーマーはプリンスとしては価格も安いものでした。
詳しい諸元は後ほどカタログを見ていただければと思います。
登場時の価格は、低床式が¥530,000で高床式は¥550,000(共に東海道地区統一現金正価)です。
コストを抑えて作られたとはいえ、トヨエースなどに比べるとやはり少し高いのは仕方ないところですが、それでも同じ1.25トン積みの他社のトラックと比べて特別高額というほどでもなく、新型車として十分戦えるだけの素質を持っていました。
エンジンパワー的にはプリンスが一番で、メンテナンスフリーも進んでいたのでランニングコスト的には安く済んだのではないかと思います。
翌年にはこのホーマーベースのマイクロバスとしてホーミーが登場。
ホーマーは日産合併後もマイナーチェンジを施されながら長らく生産され続けますが、初代顔の系統ではT640〜T641〜T20と型式が変わりつつ1975年まで継続、その後はキャブスターの姉妹車となってしまいました。
今回紹介するカタログは発売開始間もないころの物ですが、大判の物ではなく四角い簡易カタログとなります。
表紙と裏表紙を含めて全8ページです。
本カタログはこれよりもう少しページ数が多いです。
最後に、自分が実際に見たり触れたりしたことのあるホーマーについて少し書いて終わりにします。
子供の頃は割と当たり前に見ることのできたホーマーですが、恐らく当時もすでに日産合併後のT641かT20を見ていたことがほとんどだったと思います。
もしオリジナルのT640を見ていたとしても恐らく見分けは付かなかったでしょうね。
免許を取りたての頃、1990年頃にはまだいすゞの藤沢工場近くの消防署にはホーマーベースの指令車?が現役でした。(ホーミーではなくルートバンベースだったと思います)
しかし、発見からほんの数か月後に友人と撮影のため見に行くと既に入れ替えられており、いすゞファーゴとなっていました(泣)
その後は農家で使われている現役のホーマーを見ることがありましたが写真撮影は叶わず。
ようやく撮影したのは90年代後半の横浜市泉区での草ヒロ状態の物です。
当時住んでいた近所の砂利の駐車場というか空き地のようなところに放置されていたんですが、たまたま散歩をしていて発見。
写真を撮ったはずなんですが・・・
探してみましたが発見できず。
ボディは青系でウインカーとスモールが二段になったレンズだったと思うので恐らく最終のT20だったと思います。
そして2000年代になり、友人がT640を入手しました。
それがこの車です。
何度かイベントにも出ていたので見た方もいると思いますが、現車はサイドミラーが丸型なんですね。
これはT640でも途中(T640-20196~)から小判型になるのですが、このミラーは1966年度版のパーツリスト(日産合併後のもの)から登場するので、このパーツリスト発行以前には既に小判型に変更されているということです。
逆に1965年版のパーツリストにはまだ記載がありませんので、変更は1965年以降66年途中ということになりますね。
それでもホーマーはあまり細かい変更なしに生産が続いたように思います。
この写真のT640は友人が購入してまだ間もない頃に一度運転させてもらう機会がありました。
運転した感想としては、本当に癖のない普通のクルマといったところでして、シフトの入りも変な引っ掛かりもなくスムーズで、エンジンも軽やかに回り加速感も自然で違和感なく、本当に旧車としてはレベルの高い車だと思いました。
車両重量も1,225キロと、同じエンジンを積むスカイラインS50Dの960キロよりもかなり重いのですが、特に遅いと思わなかったのはギア比の問題もあるかもしれません。
とにかく一般道で使用する限り、現在の路上でも特に苦労することはない走りでした。
60キロくらいで流しているとかなり快適でしたね。
乗り心地もカタログに謳うだけのことはあり、トラックとしてはかなり乗り心地は良かったです。
現在の2トンクラスのトラックに比べると相当ソフトに感じました。
キャビン内も特に狭さを感じませんので、二人乗りでならば快適に移動できます。
こんなホーマーですが、やはり商用車の宿命で現在ではまず見ることはないですね。
どうしても保存されにくい商用車ですので、現在残っている車両には末永く生きながらえてもらいたいと思います。
今回は以上です。
ではまた
更新は相変わらずスローです。
さて、今回はプリンスのホーマーを取り上げたいと思います。
ホーマーはプリンス時代最後の新系列車種として1964(昭和39)年9月に発売された小型トラックです。
それまでのクリッパーやマイラーとは系統の違う全くの新型として登場しました。
プリンスホーマーT640とは
このホーマーですが、今までのプリンスの車とは違い、初めてコスト面を設計時点からかなり意識して作られた車でした。
それまでプリンスの車はある意味コスト度外視で性能を追求するところがありましたが、このホーマーは手堅い設計で既存の技術を磨き上げつつ使いやすい車に仕上げられました。
とは言いつつも、エンジンはシート下に30度傾斜して搭載し、フロントサスペンションはトーションバー独立懸架を採用。
トラックにしては乗用車並みのソフトな乗り心地を誇りました。
また、プリンスのトラック系としては初になるシャシー回りのグリスアップも1年間、または3万キロまで無給油でOKとされ、メンテナンスの手間を大幅に軽減しています。
今では当たり前ですが、当時のクルマは定期的に足回りにグリスアップをしなければならなかったので、プリンスがS50系スカイラインで初めて採用した無給油シャシーは画期的だったわけですが、これを商用車にも採用してきたところがプリンスらしいところ。
心臓部にあたるエンジンは熟成の域にあったG1型1500ccを採用し、最高速度は当時としては充分な105キロを発揮。
最大積載量も小型トラックとしては必要十分な1.25トンを確保しており、クリッパーの姉妹車として登場したホーマーはプリンスとしては価格も安いものでした。
詳しい諸元は後ほどカタログを見ていただければと思います。
登場時の価格は、低床式が¥530,000で高床式は¥550,000(共に東海道地区統一現金正価)です。
コストを抑えて作られたとはいえ、トヨエースなどに比べるとやはり少し高いのは仕方ないところですが、それでも同じ1.25トン積みの他社のトラックと比べて特別高額というほどでもなく、新型車として十分戦えるだけの素質を持っていました。
エンジンパワー的にはプリンスが一番で、メンテナンスフリーも進んでいたのでランニングコスト的には安く済んだのではないかと思います。
翌年にはこのホーマーベースのマイクロバスとしてホーミーが登場。
ホーマーは日産合併後もマイナーチェンジを施されながら長らく生産され続けますが、初代顔の系統ではT640〜T641〜T20と型式が変わりつつ1975年まで継続、その後はキャブスターの姉妹車となってしまいました。
ホーマーのカタログ
今回紹介するカタログは発売開始間もないころの物ですが、大判の物ではなく四角い簡易カタログとなります。
表紙と裏表紙を含めて全8ページです。
本カタログはこれよりもう少しページ数が多いです。
ホーマーの実車
最後に、自分が実際に見たり触れたりしたことのあるホーマーについて少し書いて終わりにします。
子供の頃は割と当たり前に見ることのできたホーマーですが、恐らく当時もすでに日産合併後のT641かT20を見ていたことがほとんどだったと思います。
もしオリジナルのT640を見ていたとしても恐らく見分けは付かなかったでしょうね。
免許を取りたての頃、1990年頃にはまだいすゞの藤沢工場近くの消防署にはホーマーベースの指令車?が現役でした。(ホーミーではなくルートバンベースだったと思います)
しかし、発見からほんの数か月後に友人と撮影のため見に行くと既に入れ替えられており、いすゞファーゴとなっていました(泣)
その後は農家で使われている現役のホーマーを見ることがありましたが写真撮影は叶わず。
ようやく撮影したのは90年代後半の横浜市泉区での草ヒロ状態の物です。
当時住んでいた近所の砂利の駐車場というか空き地のようなところに放置されていたんですが、たまたま散歩をしていて発見。
写真を撮ったはずなんですが・・・
探してみましたが発見できず。
ボディは青系でウインカーとスモールが二段になったレンズだったと思うので恐らく最終のT20だったと思います。
そして2000年代になり、友人がT640を入手しました。
それがこの車です。
何度かイベントにも出ていたので見た方もいると思いますが、現車はサイドミラーが丸型なんですね。
これはT640でも途中(T640-20196~)から小判型になるのですが、このミラーは1966年度版のパーツリスト(日産合併後のもの)から登場するので、このパーツリスト発行以前には既に小判型に変更されているということです。
逆に1965年版のパーツリストにはまだ記載がありませんので、変更は1965年以降66年途中ということになりますね。
それでもホーマーはあまり細かい変更なしに生産が続いたように思います。
この写真のT640は友人が購入してまだ間もない頃に一度運転させてもらう機会がありました。
運転した感想としては、本当に癖のない普通のクルマといったところでして、シフトの入りも変な引っ掛かりもなくスムーズで、エンジンも軽やかに回り加速感も自然で違和感なく、本当に旧車としてはレベルの高い車だと思いました。
車両重量も1,225キロと、同じエンジンを積むスカイラインS50Dの960キロよりもかなり重いのですが、特に遅いと思わなかったのはギア比の問題もあるかもしれません。
とにかく一般道で使用する限り、現在の路上でも特に苦労することはない走りでした。
60キロくらいで流しているとかなり快適でしたね。
乗り心地もカタログに謳うだけのことはあり、トラックとしてはかなり乗り心地は良かったです。
現在の2トンクラスのトラックに比べると相当ソフトに感じました。
キャビン内も特に狭さを感じませんので、二人乗りでならば快適に移動できます。
こんなホーマーですが、やはり商用車の宿命で現在ではまず見ることはないですね。
どうしても保存されにくい商用車ですので、現在残っている車両には末永く生きながらえてもらいたいと思います。
今回は以上です。
ではまた
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ホーマーの思い出はちょっと悲しい思い出になるのでしょうか。
祖父の葬儀での記憶というのもかなりの事ですが、ホーマーでお迎えに来たというのはちょっと驚きです。
子供の頃の霊柩車と言えば確かにキャデラックのようなアメ車かセンチュリークラスの国産車だったように記憶していますが、ホーマーは霊柩車ではなく病院などから自宅へ連れて帰る際に乗せてくる寝台車だったのかもしれませんね。
忘れられない思い出、ありがとうございました。
ホーマー懐かしいです。この車には個人的な思い出があります。
私の祖父は昭和52年4月にこの世を去りました。享年65歳私が小2に進級する春休みでした。人が死ぬということを初めて実感したのですが、祖父を迎えに来たのは
ホーマールートバンでした。霊柩車と言えばきらびやかなキャデラックが定番で商用車然としたホーマーに驚いたのですが、私はそれまで泣いていたにもかかわらず「あっ、ホーマーだ!」と叫んだことを覚えています。
親切な運転士さんが「僕ここに乗り」と助士席に乗せてくれました。
あとで聞いた話では派手な霊柩車を避けたのは祖父の希望だったとか。
祖父は「車で機嫌が直るなんてこの子らしい」と苦笑したことでしょう。忘れられない思い出です。