2021年04月11日
ダイハツミゼット
どうもです。
4月は好きな季節です。
しかし花粉症になってからは辛い季節になってしまいました。
それでも好きなのは変わりませんけどね。
以前もちょこっと書いたかもしれませんが、4月は誕生月なんですよ。
それに桜は一番好きな花なんで余計に愛着があるのかと思います。
さて、今回は季節とは関係なく三輪トラックではかなり有名な一台を取り上げます。
以前三輪トラックのネタでも取り上げたことがありますが、今回はミゼットのことを少し書いてみました。
ダイハツのミゼットは、旧車好きならまず知らない人はいないくらいメジャーな1台だと思いますが、自分が旧車趣味に目覚めた30数年前でもまず路上でお目にかかれる車ではありませんでした。
今思えば逆に現在よりも現役の車両に出会う可能性は無きにしもあらず・・・な時代だったかもしれませんが、まあ当時でも普通その辺を走っているような車ではなかったです。
まずは簡単に歴史と諸元などを。
ミゼットと呼ばれる最初のモデルは1957年(昭和32年)8月発売のDKA型に始まります。
当初のエンジンは2サイクル強制空冷単気筒249ccのZA型を搭載。
出力僅かに8馬力でしたが最大積載量300キロを誇り、最高速度も60キロを公称。
車両重量もわずか306キロでしたので、少ないパワーでも大丈夫だったのでしょう。
車体サイズは全長2,540ミリ、全幅1,200ミリ、全高1,500ミリと小さく、乗車定員は1名でした。
1959年にはエンジン出力を10馬力までアップし、DSA型にチェンジ。
いくつかのバリエーションがありますが基本スタイルは一緒で、このDKシリーズとDSシリーズまではともにヘッドライトは1灯でハンドルは逆V字型のバイクのようなバーハンドル。
足元には真ん中にエンジンとミッションががあり、それを跨いで運転席センターのシートに座るスタイルでした。(要は屋根の付いたスクーターみたいなもんです)
ミッションは前進3段後進1段でちょうどシートの真ん中、またの下あたりにH型のシフトパターンで生えています。
始動方法はキックのほかにセルもありました。
総称して初期型はバーハンドルミゼットと言われます。
[20数年前にトヨタ博物館で撮影したDKA。何故かこのアングルでしか撮影していない謎・・・それにしても写ルンですの撮影なのでアレですね]
因みにですが、ミゼットの開発はダイハツの子会社だった旭工業が行い、生産は旭工業とダイハツ傘下のツバサ工業が受け持っていたようです。
(全数なのか一部なのか、何時頃までなのかは調べられてません)
その後バーハンドルミゼットが販売中の1959年4月にはフルキャビン式のMPA型が登場。
これは主にアメリカ向けの輸出用として作られ、ライトは2灯、ちゃんとした(と言ってもペラペラですが)ドアが付きハンドルも丸ハンドルとなり、定員2名の所謂クチバシ形の顔を持つミゼットと言えばこの顔、というお馴染みのスタイルがここで登場します。
当時はまだアメリカ施政下の沖縄にも輸出され、当然両方とも左ハンドル仕様でした。
これを同年10月国内向けに右ハンドル化して発売したのがMP2で、この型までエンジンは249ccのZA型でした。
どうやら国内向けへ急ぎフルキャビンタイプのMPを販売したのにはこの年に東洋工業(現マツダ)が発売開始した同じジャンルの軽3輪トラックK360の影響が大きいようです。
(K360は1959年5月発売で当初からドア付きフルキャビンだった)
このMP2は、この後僅か2か月後の12月にはMP3にモデルチェンジします。
バーハンドルから丸ハンドルにモデルチェンジし、車両重量が増してパワー不足になったからで、新たに2サイクル単気筒、排気量305cc12馬力のZDエンジンを搭載。
しかしこのMP3も翌1960年5月にはMP4へ早くもモデルチェンジします。
MP4は今までよりも荷台部分を200ミリ伸ばして積載量も増加(300→350キロ)、ドアに三角窓も付きMP3に比べて使い勝手が向上しました。
その後1962年12月には混合燃料式を新たに分離給油式にしたMP5が登場。
MP5になり荷台は再び100ミリ伸ばされ、キャビンは全鋼製となり(MP4までは屋根はキャンバス張り)フロント周り他各部が変更され最終型として完成の域に達します、
・・・実はこの頃まで初代のバーハンドルミゼットも併売されていました。
知らなかったのですが、MP4とMP5でフロント周りの寸法は違うんですよ。
確かに言われればMP5以前のモデルのほうがシュッとしているように見えます。
このMP5はシリーズ中一番長期間生産され途中1969年8月にオレンジ色のサイドマーカー新設や元からあるフロントターンシグナルのサイズアップ、2点式シートベルト装備等、この頃改正された法規に合わせた改良が行われ、そのまま1971年まで生産されました。
(しかし、サイドガラスなどは最後までアクリル製)
販売は翌72年初めには終了し、国内軽三輪トラックでは最も遅くまで販売された車種となりました。
シリーズ総生産数は317,152台(国内向け)の多くを数え、軽三輪の代名詞として使命を全うしたのでありました。
・・・と、一応自分ではこのように理解しているつもりです。
細かいバリエーションは省いていますが、そこまで詳しくないのでもし間違いがありましたらご指摘ください。
最後にMP5の最終型一歩手前になる68年頃の諸元と価格です。
(68年度版自動車ガイドブックより一部抜粋)
全長 2,970mm
全幅 1,295mm
全高 1,455mm
軸距 1,905mm
最低地上高 140mm
荷台(内寸)長 1,260mm
幅 1,100mm
高 380mm
----------------------------------------
車両重量 415kg
乗車定員 2名
最大積載量 350kg
----------------------------------------
最高速度 65km
燃料消費率 28km/ℓ
登坂能力 sinθ0.20
最小回転半径 2.7m
----------------------------------------
エンジン型式 ZD型 ガソリン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 305cc
最高出力 12ps 4,500rpm
最大トルク 2.4kg・m 2,500rpm
圧縮比 6.2:1
----------------------------------------
変速機 前進3段 後進1段
型式 フロアチェンジ
----------------------------------------
主ブレーキ 油圧、内部拡張
----------------------------------------
タイヤ寸法 前5.00-9 4PR
後5.00-9 6PR
----------------------------------------
東京店頭渡価格 ¥230,000
実はミゼットのブレーキはリアしかありません。
さすがに油圧ブレーキではありますが、当時はこれでも間に合っていたのでしょう。
(確かK360も同じだったかと思います。)
軽3輪以外にも、初期の3輪トラックは皆ブレーキはリアにしか装備されていませんでした。
後年徐々にフロントにもブレーキを装備するようになるのですが、それは昭和30年代も半ばになってからの事でした。
話が逸れましたが、ミゼットの驚きは最小回転半径の2.7メートルと価格の230,000円です。
同時期のハイゼットと比べて回転半径で1メートル小さく、価格は9万円安いです。
まあ、3輪車ですから当然と言えば当然ですが・・・
それにしても、今と貨幣価値は違いますが23万円で曲がりなりにも車が買えるというのは当時としても大きな魅力だったのではないかと個人的には思います。
でも、9万円足すと4輪トラックが買えるんですよね〜。
因みにですが、同年代のK360も同じく23万円で販売されていました。
さて、ここからは自分で実際に見たり触れたりしたことのあるミゼットについてです。
MP5ミゼット自体は小学生の頃にトミカの21番で発売されて以来個人的にはメジャーな存在でしたが、実際に街中で出会う事はなく、あくまでも知識としてしか認識していない乗り物でした。
[これは当時の物ではなくて東京モーターショー記念トミカなんですが、今見ると一応最終型をモデル化しているようです。しかし、サイドマーカーはあるのにフロントマーカーの表現が無いことに今更ですが気付きました]
これが旧車趣味に目覚めてまだ日が浅い高校生の頃、突如として現役のMP5ミゼットがいるという情報を級友から聞き、急ぎ確認に行ったというのは以前の記事「三輪トラック色々」に詳しく書いています。
高校生の時に友人と見に行った現役のMP5。
[現車は最終型で、サイドマーカーの新設やフロントマーカーサイズの拡大などが外観上分かる変化。よく見ると運転席にはヘッドレストも追加されているのが分かりますが、これも最終型の特徴の一つ。エンブレムが失われている以外には良く原形を留めており、追加のバックランプ以外はこれといった改造はされておらず大事に扱われていたことが伺えます。]
後にも先にも本当の意味での現役車両を見たのはこの1回限りでしたが、その後旧車の世界にどっぷりと漬かり、一時期旧車ショップで働いていた頃になるとMP5ミゼットはそこまで珍しい車ではなくなりました。
そのショップでは、ある頃ミゼットが立て続けに入庫していた時期があり、車検や修理等で何台かのミゼットに触れる機会があったんですね。
その時に高校生の頃に見たあのミゼットそのものも偶然入庫したことがあり、その時はとても懐かしい思いをしたもんです。
その頃の思い出としてもう一つ忘れられないことがありまして、当時テレビでタモリのボキャブラ天国というバラエティー番組があったんですが、そのロケでショップ宛にミゼットを撮影に使いたいので貸し出して欲しいという依頼があって、お客さんの所有していたミゼットを借りて三浦半島まで出張に行ったことがあったんですね。
たまたまその時の出張要員に自分が当たり、積載車にミゼットを積み込んで三浦半島まで出かけました。
撮影中は横で見ていたんですが、途中役者さんの代わりに運転してくれと頼まれ、役者さんの服を羽織って代わりに運転したんですよ。
まあ、その後のオンエアを見てもちゃんと顔は映らないようになってましたが、ここは俺が運転してたんだよな〜なんて思いながらテレビを見たことを思い出します。
ただ、思い出としてはそれだけじゃなくて、撮影途中に実は強風でドアが開いてしまって軽く捲れちゃったんですよ(泣)
撮影には支障なかったんですけど帰ってからお客さんに謝り修理したのも今は良い思い出・・・
嘘です。
自分は整備士だったんで板金修理にはタッチしていません。
しかし、お客さんが常連さんだったのでその時は笑って許してくれたのでありがたかったですね。
もう一台は当時はよくわからないまま撮影し、後日MP3だと気付いた廃車体のミゼット。
これはまだ20代の頃、小学生時代からの友人と見に行った車です。
[こちらの3枚も写ルンですでの撮影なのでやっぱり画質は残念な結果に・・・]
場所は言えませんが友人が知っていた場所で、UP20のパブリカと共にミゼットがあるというので見に行って撮影したのですが、どうも知っているミゼットと色々違うなという事でのちに調べたところ貴重なものと判明。
もっとしっかり撮影するべきだったなと思ったんですがその後その場所へ行く機会はなく、あれからずいぶん経ちますがどうなったのかは不明です。
もう一台は30代当時に訪れた大阪の交通博物館に展示されていた1台で、撮影当時はMP3だと思っていた車両です。
後に気づくのですが、よく見れば左ハンドルですしどうやらそれ以前のMPAのようです。
[一応デジカメでの撮影なんですが、解像度が低くてザラザラですね。それよりもちゃんと説明書きがあるのに見ていない自分は何なんでしょう。]
最後になりますが、自分で実際にミゼットを運転した時の感想などを少々。
初めて運転したのは旧車ショップにいた時分なのですが、車検に持ち込んだ際にホンの短距離だけ移動したのが最初でした。
そのミゼットは少し調子が出ておらず、室内にあるアクセルワイヤーの張りを調整するネジ(アクセルワイヤーの途中にあって室内に半分見えているダイヤルを縦にしたようなものと言ったら良いのか?)状の部分を弄りながら移動させていた記憶しかありません。
ある程度の距離を運転したのはテレビロケの時でしたが、この時はギアチェンジしながらしっかりと運転をしました。
エンジン音を言葉で表せば「ベンベンベンベン・・・」といった感じ。
空冷2サイクル単気筒ですから車のエンジン音としてはとても頼りない感じのサウンドだったのが思い出されます。
ミッションもノンシンクロの為、無理に変速しようとするとガリガリいって上手く入らないので回転数を合わせてタイミングよく変速する必要がありました。
時速30〜40キロ程度くらいまでならばそこそこ快適に走りますが、現在の交通の流れに乗るのは無理でしょう。
それでも交通量の少ない近所を走るくらいであれば今でも実用には耐えられると思います。
田舎で畑仕事をするとか、果樹園で使うとか、はたまた近所のスーパーに買い出しに行くなんて使い方もできそうです。
実際、果樹園などではかなり後年まで実用していたところもあったようですね。
そういった場所では屋根を切断して果樹園の低いところにも入れるように独自の改造(ただ屋根を切っただけですけど)を施されたミゼットもあったみたいです。
それにしても最近は各種イベントでMP5以前のミゼットを見る機会は増えましたね。
以前ならミゼット=MP5でしたが、今は色々とみることが出来る時代になりました。
しかしこのところイベントはことごとく中止ですのでこういった旧車を見る機会が無くて少々寂しいです。
今年もどうやら望み薄なんで欲求不満が溜まります。
旧車仲間ともしばらくご無沙汰なんでできればそろそろみんなで集まってワイワイやりたいところです。
こんな世の中ですからあまりいい加減なことはやれませんが、少しでも早く通常の生活に戻りたいですね。
それではまた
4月は好きな季節です。
しかし花粉症になってからは辛い季節になってしまいました。
それでも好きなのは変わりませんけどね。
以前もちょこっと書いたかもしれませんが、4月は誕生月なんですよ。
それに桜は一番好きな花なんで余計に愛着があるのかと思います。
さて、今回は季節とは関係なく三輪トラックではかなり有名な一台を取り上げます。
以前三輪トラックのネタでも取り上げたことがありますが、今回はミゼットのことを少し書いてみました。
ダイハツのミゼットは、旧車好きならまず知らない人はいないくらいメジャーな1台だと思いますが、自分が旧車趣味に目覚めた30数年前でもまず路上でお目にかかれる車ではありませんでした。
今思えば逆に現在よりも現役の車両に出会う可能性は無きにしもあらず・・・な時代だったかもしれませんが、まあ当時でも普通その辺を走っているような車ではなかったです。
ダイハツミゼットシリーズ
まずは簡単に歴史と諸元などを。
ミゼットと呼ばれる最初のモデルは1957年(昭和32年)8月発売のDKA型に始まります。
当初のエンジンは2サイクル強制空冷単気筒249ccのZA型を搭載。
出力僅かに8馬力でしたが最大積載量300キロを誇り、最高速度も60キロを公称。
車両重量もわずか306キロでしたので、少ないパワーでも大丈夫だったのでしょう。
車体サイズは全長2,540ミリ、全幅1,200ミリ、全高1,500ミリと小さく、乗車定員は1名でした。
1959年にはエンジン出力を10馬力までアップし、DSA型にチェンジ。
いくつかのバリエーションがありますが基本スタイルは一緒で、このDKシリーズとDSシリーズまではともにヘッドライトは1灯でハンドルは逆V字型のバイクのようなバーハンドル。
足元には真ん中にエンジンとミッションががあり、それを跨いで運転席センターのシートに座るスタイルでした。(要は屋根の付いたスクーターみたいなもんです)
ミッションは前進3段後進1段でちょうどシートの真ん中、またの下あたりにH型のシフトパターンで生えています。
始動方法はキックのほかにセルもありました。
総称して初期型はバーハンドルミゼットと言われます。
[20数年前にトヨタ博物館で撮影したDKA。何故かこのアングルでしか撮影していない謎・・・それにしても写ルンですの撮影なのでアレですね]
因みにですが、ミゼットの開発はダイハツの子会社だった旭工業が行い、生産は旭工業とダイハツ傘下のツバサ工業が受け持っていたようです。
(全数なのか一部なのか、何時頃までなのかは調べられてません)
その後バーハンドルミゼットが販売中の1959年4月にはフルキャビン式のMPA型が登場。
これは主にアメリカ向けの輸出用として作られ、ライトは2灯、ちゃんとした(と言ってもペラペラですが)ドアが付きハンドルも丸ハンドルとなり、定員2名の所謂クチバシ形の顔を持つミゼットと言えばこの顔、というお馴染みのスタイルがここで登場します。
当時はまだアメリカ施政下の沖縄にも輸出され、当然両方とも左ハンドル仕様でした。
これを同年10月国内向けに右ハンドル化して発売したのがMP2で、この型までエンジンは249ccのZA型でした。
どうやら国内向けへ急ぎフルキャビンタイプのMPを販売したのにはこの年に東洋工業(現マツダ)が発売開始した同じジャンルの軽3輪トラックK360の影響が大きいようです。
(K360は1959年5月発売で当初からドア付きフルキャビンだった)
このMP2は、この後僅か2か月後の12月にはMP3にモデルチェンジします。
バーハンドルから丸ハンドルにモデルチェンジし、車両重量が増してパワー不足になったからで、新たに2サイクル単気筒、排気量305cc12馬力のZDエンジンを搭載。
しかしこのMP3も翌1960年5月にはMP4へ早くもモデルチェンジします。
MP4は今までよりも荷台部分を200ミリ伸ばして積載量も増加(300→350キロ)、ドアに三角窓も付きMP3に比べて使い勝手が向上しました。
その後1962年12月には混合燃料式を新たに分離給油式にしたMP5が登場。
MP5になり荷台は再び100ミリ伸ばされ、キャビンは全鋼製となり(MP4までは屋根はキャンバス張り)フロント周り他各部が変更され最終型として完成の域に達します、
・・・実はこの頃まで初代のバーハンドルミゼットも併売されていました。
知らなかったのですが、MP4とMP5でフロント周りの寸法は違うんですよ。
確かに言われればMP5以前のモデルのほうがシュッとしているように見えます。
このMP5はシリーズ中一番長期間生産され途中1969年8月にオレンジ色のサイドマーカー新設や元からあるフロントターンシグナルのサイズアップ、2点式シートベルト装備等、この頃改正された法規に合わせた改良が行われ、そのまま1971年まで生産されました。
(しかし、サイドガラスなどは最後までアクリル製)
販売は翌72年初めには終了し、国内軽三輪トラックでは最も遅くまで販売された車種となりました。
シリーズ総生産数は317,152台(国内向け)の多くを数え、軽三輪の代名詞として使命を全うしたのでありました。
・・・と、一応自分ではこのように理解しているつもりです。
細かいバリエーションは省いていますが、そこまで詳しくないのでもし間違いがありましたらご指摘ください。
最後にMP5の最終型一歩手前になる68年頃の諸元と価格です。
(68年度版自動車ガイドブックより一部抜粋)
全長 2,970mm
全幅 1,295mm
全高 1,455mm
軸距 1,905mm
最低地上高 140mm
荷台(内寸)長 1,260mm
幅 1,100mm
高 380mm
----------------------------------------
車両重量 415kg
乗車定員 2名
最大積載量 350kg
----------------------------------------
最高速度 65km
燃料消費率 28km/ℓ
登坂能力 sinθ0.20
最小回転半径 2.7m
----------------------------------------
エンジン型式 ZD型 ガソリン 空冷2サイクル単気筒
総排気量 305cc
最高出力 12ps 4,500rpm
最大トルク 2.4kg・m 2,500rpm
圧縮比 6.2:1
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変速機 前進3段 後進1段
型式 フロアチェンジ
----------------------------------------
主ブレーキ 油圧、内部拡張
----------------------------------------
タイヤ寸法 前5.00-9 4PR
後5.00-9 6PR
----------------------------------------
東京店頭渡価格 ¥230,000
実はミゼットのブレーキはリアしかありません。
さすがに油圧ブレーキではありますが、当時はこれでも間に合っていたのでしょう。
(確かK360も同じだったかと思います。)
軽3輪以外にも、初期の3輪トラックは皆ブレーキはリアにしか装備されていませんでした。
後年徐々にフロントにもブレーキを装備するようになるのですが、それは昭和30年代も半ばになってからの事でした。
話が逸れましたが、ミゼットの驚きは最小回転半径の2.7メートルと価格の230,000円です。
同時期のハイゼットと比べて回転半径で1メートル小さく、価格は9万円安いです。
まあ、3輪車ですから当然と言えば当然ですが・・・
それにしても、今と貨幣価値は違いますが23万円で曲がりなりにも車が買えるというのは当時としても大きな魅力だったのではないかと個人的には思います。
でも、9万円足すと4輪トラックが買えるんですよね〜。
因みにですが、同年代のK360も同じく23万円で販売されていました。
実際に見たミゼット
さて、ここからは自分で実際に見たり触れたりしたことのあるミゼットについてです。
MP5ミゼット自体は小学生の頃にトミカの21番で発売されて以来個人的にはメジャーな存在でしたが、実際に街中で出会う事はなく、あくまでも知識としてしか認識していない乗り物でした。
[これは当時の物ではなくて東京モーターショー記念トミカなんですが、今見ると一応最終型をモデル化しているようです。しかし、サイドマーカーはあるのにフロントマーカーの表現が無いことに今更ですが気付きました]
これが旧車趣味に目覚めてまだ日が浅い高校生の頃、突如として現役のMP5ミゼットがいるという情報を級友から聞き、急ぎ確認に行ったというのは以前の記事「三輪トラック色々」に詳しく書いています。
高校生の時に友人と見に行った現役のMP5。
[現車は最終型で、サイドマーカーの新設やフロントマーカーサイズの拡大などが外観上分かる変化。よく見ると運転席にはヘッドレストも追加されているのが分かりますが、これも最終型の特徴の一つ。エンブレムが失われている以外には良く原形を留めており、追加のバックランプ以外はこれといった改造はされておらず大事に扱われていたことが伺えます。]
後にも先にも本当の意味での現役車両を見たのはこの1回限りでしたが、その後旧車の世界にどっぷりと漬かり、一時期旧車ショップで働いていた頃になるとMP5ミゼットはそこまで珍しい車ではなくなりました。
そのショップでは、ある頃ミゼットが立て続けに入庫していた時期があり、車検や修理等で何台かのミゼットに触れる機会があったんですね。
その時に高校生の頃に見たあのミゼットそのものも偶然入庫したことがあり、その時はとても懐かしい思いをしたもんです。
その頃の思い出としてもう一つ忘れられないことがありまして、当時テレビでタモリのボキャブラ天国というバラエティー番組があったんですが、そのロケでショップ宛にミゼットを撮影に使いたいので貸し出して欲しいという依頼があって、お客さんの所有していたミゼットを借りて三浦半島まで出張に行ったことがあったんですね。
たまたまその時の出張要員に自分が当たり、積載車にミゼットを積み込んで三浦半島まで出かけました。
撮影中は横で見ていたんですが、途中役者さんの代わりに運転してくれと頼まれ、役者さんの服を羽織って代わりに運転したんですよ。
まあ、その後のオンエアを見てもちゃんと顔は映らないようになってましたが、ここは俺が運転してたんだよな〜なんて思いながらテレビを見たことを思い出します。
ただ、思い出としてはそれだけじゃなくて、撮影途中に実は強風でドアが開いてしまって軽く捲れちゃったんですよ(泣)
撮影には支障なかったんですけど帰ってからお客さんに謝り修理したのも今は良い思い出・・・
嘘です。
自分は整備士だったんで板金修理にはタッチしていません。
しかし、お客さんが常連さんだったのでその時は笑って許してくれたのでありがたかったですね。
もう一台は当時はよくわからないまま撮影し、後日MP3だと気付いた廃車体のミゼット。
これはまだ20代の頃、小学生時代からの友人と見に行った車です。
[こちらの3枚も写ルンですでの撮影なのでやっぱり画質は残念な結果に・・・]
場所は言えませんが友人が知っていた場所で、UP20のパブリカと共にミゼットがあるというので見に行って撮影したのですが、どうも知っているミゼットと色々違うなという事でのちに調べたところ貴重なものと判明。
もっとしっかり撮影するべきだったなと思ったんですがその後その場所へ行く機会はなく、あれからずいぶん経ちますがどうなったのかは不明です。
もう一台は30代当時に訪れた大阪の交通博物館に展示されていた1台で、撮影当時はMP3だと思っていた車両です。
後に気づくのですが、よく見れば左ハンドルですしどうやらそれ以前のMPAのようです。
[一応デジカメでの撮影なんですが、解像度が低くてザラザラですね。それよりもちゃんと説明書きがあるのに見ていない自分は何なんでしょう。]
最後になりますが、自分で実際にミゼットを運転した時の感想などを少々。
初めて運転したのは旧車ショップにいた時分なのですが、車検に持ち込んだ際にホンの短距離だけ移動したのが最初でした。
そのミゼットは少し調子が出ておらず、室内にあるアクセルワイヤーの張りを調整するネジ(アクセルワイヤーの途中にあって室内に半分見えているダイヤルを縦にしたようなものと言ったら良いのか?)状の部分を弄りながら移動させていた記憶しかありません。
ある程度の距離を運転したのはテレビロケの時でしたが、この時はギアチェンジしながらしっかりと運転をしました。
エンジン音を言葉で表せば「ベンベンベンベン・・・」といった感じ。
空冷2サイクル単気筒ですから車のエンジン音としてはとても頼りない感じのサウンドだったのが思い出されます。
ミッションもノンシンクロの為、無理に変速しようとするとガリガリいって上手く入らないので回転数を合わせてタイミングよく変速する必要がありました。
時速30〜40キロ程度くらいまでならばそこそこ快適に走りますが、現在の交通の流れに乗るのは無理でしょう。
それでも交通量の少ない近所を走るくらいであれば今でも実用には耐えられると思います。
田舎で畑仕事をするとか、果樹園で使うとか、はたまた近所のスーパーに買い出しに行くなんて使い方もできそうです。
実際、果樹園などではかなり後年まで実用していたところもあったようですね。
そういった場所では屋根を切断して果樹園の低いところにも入れるように独自の改造(ただ屋根を切っただけですけど)を施されたミゼットもあったみたいです。
それにしても最近は各種イベントでMP5以前のミゼットを見る機会は増えましたね。
以前ならミゼット=MP5でしたが、今は色々とみることが出来る時代になりました。
しかしこのところイベントはことごとく中止ですのでこういった旧車を見る機会が無くて少々寂しいです。
今年もどうやら望み薄なんで欲求不満が溜まります。
旧車仲間ともしばらくご無沙汰なんでできればそろそろみんなで集まってワイワイやりたいところです。
こんな世の中ですからあまりいい加減なことはやれませんが、少しでも早く通常の生活に戻りたいですね。
それではまた
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ミゼットは子供の頃に見た記憶が全く無いんですよ。
廃車体すら見覚えが無いので、住んでいた地域ではあまり馴染みのないクルマだったのかもしれないです。
それでも近所の空き地にはUP20パブリカやトヨエースなんかは放置されていた記憶がありますけど。
後は初代サンバーが、たまに行く医者の前の道に転がってました。
そこは田んぼの脇道で未舗装だったな〜
昔は確かに路上を駐車場がわりにしているクルマってありましたね。
うちの親父も一時期ふそうの4トン車を仕事で使っていた時は、たまにそれで帰ってきて家の前の道路に置いてましたっけ。
私が物心ついた40年代後半には既にミゼットは廃車体で見ることが多かったですね。あの当時は土手沿いの道などに捨てられたと思われる車が放置されていたり、
大型トラックがいつも同じ所(車庫替わり?)に路駐していたりしていました。