先日インフルエンザにかかりました。
昨年秋には新型コロナにも罹患して高熱にうなされ、今回も二日間ほど38~39°台後半を行き来して辛い思いをする羽目になりました。
ようやく3日前あたりから熱は落ち着き、今日はパソコンを弄る気になるほど回復しておりますが、インフルの為にまだ出社するわけにもいかず、寝すぎて寧ろ身体が痛いので起きてこんなことをやっています。
皆さんもお気をつけて。
さて、自分のことはこのくらいにして、今回は日産のブルーバードの2代目に当たる410系です。
最近仕事でよく出入りする某自動車会社の工場(日産ではない)近くで見つけたのがこの410ブルです。
所謂鍵テールの初期型です。
初期型と言っても410~411前期まではこのテールライトなので、厳密には言い方が間違っているかもしれませんが、410系全般(410と411の2代目ブル)という意味で使っていますので、あまり細かいことは突っ込まないでください。
さて、この神5ナンバー付きの貴重な個体であるこの2代目ブルーバードは、トランク左縁の筆記体エンブレムからグレードはデラックスであることが分かります。
反対の右縁にはダットサンのエンブレムが同じく筆記体で書かれているのが見えますね。
恐らくマイナーチェンジ後だと、ダットサンのエンブレムには右側に排気量の1300の数字が追加されていたと思うので、それ以前の1200時代の車両かと推察してみます。
ナンバーからしても1964年9月以前の物なので、1300になった411は1965年の登場の為それ以前の1200で間違いないでしょう。
ただ、1200も64年秋のマイナーチェンジでフロントグリルの形状が変わったりしているので、この車がどちらなのかは後姿では判別できません。
タイミング的にはかなり微妙な時期なんですよね~
反対側から。
残念ながらフロント部分は駐車場内に侵入しないと撮影できない場所なので断念。
ここでもう少しだけ詳しく書いてみます。
この2代目ブルーバード410系は初代310系(310~312まで)の後を継ぎ、1963年9月にデビューしました。
当初エンジンは1000ccと1200ccの2種(310系からの継続)を採用、ボディ形状は4ドアと派生車種のワゴンのみでしたが、翌年3月には1200ccツインキャブ搭載の1200SS(SSはスポーツセダンの意)を追加。
同年9月にはフロントグリルの意匠変更などのマイナーチェンジが行われます。
この時低グレード版の1000cc版はモデル廃止。
翌年以降もリクライニングシートの採用や2ドアの設定などあり、この年の5月にはエンジン排気量アップなどのマイナーチェンジを行い型式が411になります。
この時新たに1600SSS(スーパースポーツセダン)を設定。
このエンジンは少し前に発売された初代シルビアに搭載されたエンジンとおなじで、同時期発売のフェアレディ1600も同じエンジンを搭載していました。
この後も細かなマイナーチェンジを繰り返し、66年4月には尻下がりと言われて評判の芳しくなかったリア形状を直線的に見えるように大幅に形状変更し、テールランプもその際「鍵テール」から横長の平凡な形状に変わりました。
そして1967年8月に次世代の510系にモデルチェンジされました。
・・・と、まあ大幅に端折りましたがこんな車です。
同時代の熾烈なBC戦争(トヨタのコロナとブルーバードの販売合戦)に負けた車として、一部の方には記憶されている可哀想な面もあるこの2代目ブルですが、今見るとそこまでデザインが悪いとは思えません。
尻下がりのスタイルはイタリアのピニンファリーナデザインでしたが、65年登場の2代目セドリックも同じくピニンファリーナデザインの評価が低く、その後大幅なマイナーチェンジで全く別のデザインへ変わってしまいます。
どうも当時の日本人の美的感覚とピニンファリーナのデザインは合わなかったようですが、それを当の日産自体が気付いていなかったのでしょう。
当時の日産のデザインテイストはどちらかと言えばヨーロッパ的で、トヨタのアメリカ志向とは違うスタイルでしたので今以上に各メーカー個性的な、悪く言えばアクの強い特徴的なデザインの車が登場していた時代です。
私の好きなプリンスはデザインだけ見るとアメリカ色が強いのですが、機構的には完全にメルセデスベンツをお手本にしていましたね。
・・・で、この2代目410ブルですが、不人気と言いつつも初代ブルの生産数よりも倍以上の約52万台が生産されています。
自動車の生産数が右肩上りに増えていた時代とは言え、初代ブルの総生産数が約21万台だったのと比べてもかなりの台数だったのではないかと。
そして意外なことにBC戦争に勝利した40系コロナの総生産数は約57万台だそうです。
(正確には57万8534台らしい)
思ったよりも差が少なかったです。
そんな車なので自分の子供の頃にはまだまだ現役でして、旧いと言いつつも割とよく見る車というイメージが残っています。
珍しいという記憶もなく、510系ブルと共に意外と普通にいた車でした。
でもやっぱり510とは世代の違いがはっきりしてますよね。
410の方が明らかに一世代前のクルマってスタイルをしています。
逆に510の方は今見てもそれほど極端に古さを感じさせないのが凄い事なのかもしれません。
どちらもいまだに旧車イベントに行けば必ずと言ってよいほど姿を見る車ですので新鮮さは無いですが、それだけ長く愛されてきたということの証なのでしょう。
今回は以上です。
ではまた
タグ:ブルーバード410
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ご無沙汰しております。
私の子供の頃はブルーバードと言えば510が全盛で、幼馴染の家でもグリーンの2ドアに乗っていました。
既に610発売後のはずですが、そちらは何故か記憶に残っていません。
自分が想像する昔のブルーバードの1つであり、レトロ車ブルーバードの王道でもあります。
いつもコメントありがとうございます!
インフルは前回十数年前に罹患して以来でしたが、コロナは昨年初めてでした。
インフルよりも熱が下がらず辛かったですね。
ワクチンも正直どうなの?って今は思うので、特にコロナについてはもうワクチンはやめました。
さてブルーバード410ですが、デザイン的には同時期のコロナより遥かに良いと個人的には思っています。
確かに車の出来は良いと思うのですが、形は断然ブルですね。
130セドも後期は良くも悪くも当たり障りのないスタイルになりましたご、前期は独特の存在感がありますよね。
あの丸みのあるスタイルが今見るととても良いのですけど、何故が当時はイマイチ受け入れられなくて、トヨタの方が人気でしたね。
まあ、今も昔も日産というメーカーはどうも商売があまり上手くない気がします。
トヨタと熾烈な販売合戦をしているはずの最中でさえも内紛で社内は常にゴタゴタしてましたし、何となく社内で足の引っ張り合いをしているように見え、悪い意味で官僚的な組織なのかなと思えてしまいます。
まあ、もう少し商売が上手ければあそこまで落ちぶれなかったのになと、部外者ながら何とも言えない気持ちにかってなってしまいます。
コロナとインフルエンザに罹患されたそうで大変でしたね。
私は10年ほど前にインフルエンザに初めて感染しましたが高熱と頭痛で辛かったです。注射が大嫌いなので予防接種はしていませんが以来インフルエンザもコロナも感染していないのが不思議です。
新型コロナなんて全くブラボーではありませんね 笑。
それはさておき410ブルーバードですが、ピニンファリーナデザインを当時の日本人は理解できなかったのですね。バリカンコロナなど自動車後進国のダサいデザインとしか思えないのですが。
故徳大寺氏が日産の人にピニンファリーナと言ったら許さないと言われたと書いていますが逆にピニンファリーナデザインを宣伝すれば舶来好きの大方の日本人は受け入れたと思う、日産の宣伝の下手さはここに始まり会社が危うくなる所まで…。
私はピニンファリーナデザインが大好き、410ブルーバードと130セドリック
(勿論初期形)ミニカー数台所有しています。