2022年01月29日
平成の初め頃に仕事先で見ることの出来た旧車のお話
どうもです。
ダラダラ過ごしているうちに1月も終わりそうです。
既に昨年12月の話になるのですが、普段乗っているセレナの警告灯が点灯したままになってしまったのでお世話になっているプリンス系ディーラーへ行ったところ、珍しい車が入庫していました。
それは初代シルビアCSP311でした。
担当さんに聞くと毎回車検の時だけ入庫してくるそうで、走行距離も全然伸びていないそう。
下手すると車検の時以外ほとんど走らせていないんじゃないかと言ってました。
・・・そのシルビアを見ていたとき、ふと昔の記憶が蘇ってきました。
今回はその思い出話となります。
それは、私がまだ免許取り立ての頃にバイトしていた某日産系ディーラーでの事です。
私が車の免許を取得したのは平成元年なので既に30年以上前のことになりますが、学校を卒業後に陸送のバイトを始めたんですね。
時期的には平成2年から4年頃くらいのお話です。
そこは車検と板金塗装を集中して行うサービスセンターで、エリア内の各営業所でお客さんから預かった車検や板金塗装などの整備は基本ここへ持ち込んで行っていました。
その営業所とセンター間の回送業務が主な仕事だったので、当時は様々な日産車に乗ることが出来て楽しい日々を過ごしていたんですよ(笑)
車検では新旧色々な車に当たるんですが、自走可能なレベルの板金塗装整備の場合は割と新しい車や高級車に当たることも多くて、当時ペーペーだった自分ではまず購入することが出来ないであろうシーマ(最近話題の初代)やインフィニティQ45なども結構運転する機会がありましたね〜。
逆に車検の場合はボロボロのトラックや商用車も当然あるので、当時の普通免許で運転可能な車種は一通り乗ることになったのでかなり鍛えられました。
お陰で今でも色々な種類やサイズの車に乗ることに抵抗はあまりありません。
・・・そんな楽しい毎日でしたが、そのセンターには時折旧い車がやって来ていました。
センターには営業所も併設されていたので、そちら経由で入庫してくる車も同じ車両プールに置いており、自分たちが回送していない車も結構多かったんですね。
そちらにもやはり珍しい車がたまに入庫してくることがあり、そんな車を見付けては木炭バスの一件以来いつも持ち歩くようになっていた写ルンですで撮影していました。
(木炭バスの話はこちら)
そんなわけでここからはその頃撮影したいくつかの写真と、実際に運転することの出来た車の思い出を語ってみます。
最初の写真はこちら
GC10スカイラインGTです。
程度は極上でナンバーが横浜51だったので、恐らくワンオーナー車で初年度登録は昭和44年ではないかと思います。
この車は併設の営業所経由での入庫だったので乗る機会も触る機会もありませんでしたが、じっくり見る時間はあったので撮影させてもらった次第です。
このGC10は相当程度が良かったので、営業所のフロントマンが狙ってました。
(後日聞いたら手放す予定はないと断られたとか)
お次は510ブルーバードのSSSクーペ
静岡県内管轄のシングルナンバー付きでこちらも程度が良かったんですが、何故神奈川県内のディーラーに入庫していたのかは不明です。
この車は幸運にも営業所への回送で運転する機会がありました。
ドライブフィールは良く言えばしっかり走る、悪く言えばごく普通に走るといった感想ですが、癖もなく旧車に乗っているという感覚は薄かった記憶があります。
次は運転することは無かったのですが、こちらもシングルナンバー付きのセドリックです。
神5ナンバーの付いたこのセドリックは残存数の多いカスタムではなく、記憶では少しホイールベースの短いデラックス(G31)でした。
この車の回送はベテランのおじさんが行い無事に営業所へ戻っていきましたが、個人所有と言うよりはどこかで展示していたような形跡があったんで、もしかすると企業の社有車かイベントで展示する為に整備に出したといったところなのかもしれませんね。
この車が入庫していた時は整備工場内で皆が遠巻きに見ていたのが面白かったです。
ここからは日産車ではありませんが、併設の営業所ではある企業の社有車として知られていた1台。
いすゞ117クーペです。
それも後期の量産型ではなく、初期のハンドメイド時代です。
横浜5ナンバーの付いたこの車は某自動車部品メーカー所有で、他にも同時期にY31セドリックのリムジンも所有しており、そちらは割と定期的に入庫していました。
恐らくその付き合いでこの117クーペの面倒も見ていたのではないかと思います。
お次の車も日産車ではないです・・・
って言うか国産車ですらありません。
アルファロメオですね。
解説できるだけの知識がないので詳細は分かりませんが、俗にいう段付きですか?
こんな車の車検もやっていたんですね。
それにしても、これまで紹介してきた車の後ろに写っている車も今では見ない車ばかりです。
アルファの後ろのクルマはローレルスピリットとC31のローレルですね。
ローレルスピリットはベースがサニーですから名前負け感がすごくありますが、内外装を豪華にして一つ上の車格に見える?車に仕上げられていました。
今では絶滅危惧種ではないでしょうか?
当時は今よりも車検の対応は厳しく、ホイール交換しているだけでも純正を持ち込まないとダメでしたし、ステアリング交換していると当然車検に通りませんでした。(車検対応品でもダメ)
このディーラーの車検センターは指定工場だったので社内で検査まで行っていたため余計に厳しくしていたのかもしれませんが、当時は今よりもかなり条件は厳しかったです。
なのでこのアルファが果たして車検を通せたのかちょっとはっきりしません。
極たま〜にでしたが、車検を断って営業所へ戻す事があったんですよ。
・・・で、話を戻しますが、この他にも古い車は何台か見かけたり運転したりしているのですが、その中の一台にCSP311シルビアがあったんです。
最初に話に出た車とは全く別の個体ですが、そのシルビアは車検に定期的に入庫していたようで、その後も一度見る機会がありました。
程度極上、と言う訳でもなく塗装もオリジナルでは無さそうな銀色に塗られていて見た目でもだいぶ損をしているような車でした。
たまたま営業所へ回送するタイミングで事務所に居たのが自分だったので乗ることになりましたが、その時ブレーキのサーボが無いから気を付けろと言われたのを覚えています。
要するにフロントがディスクブレーキなのにマスターバックが装備されてなく、普通の感覚でブレーキを踏んでも効かないからしっかり踏み込めという意味でした。
ディスクブレーキってマスターバックが付いていないとドラムブレーキよりも全然効きませんからね。
まあその後何事もなく営業所まで送り届けて、帰りは別の車(車検or板金塗装)を預かり乗って帰ってきました。
本当にマスターバックが装備されていなかったかどうかは、実際にエンジンルームを覗いて確認したわけじゃないので今となっては真偽不明のままです。
この他にも初代チェリー(E10)の4ドアや、250プレジデント(150じゃなかったですが初期の丸目4灯)などに乗る機会がありました。
チェリーは車検で入庫してきたのですが結構ヤレていて、シフトレバーのガタを抑えるのに根元にボールペンの束が挟んでありました(笑)
プレジデントは下取り車の回送で乗りましたが、前後の三角窓もすべてパワーウインドーだったのが感動しました(運転席のドアにはパワーウインドースイッチが8個並んでて笑えました)
他に下取り車として入っていた510ブルのワゴンとか210サニーのエクセレント(L型エンジン搭載のやつ)などを見ることが出来ましたが、プリンス系のディーラーではなかったので旧プリンス系の車を見る機会はありませんでしたね。
このサービスセンターは昭和30年代に建てられ古くから存在した施設だったので、倉庫にはマニア目線で見ればかなり貴重なものが結構放置されていて、オースチンA50の取説なんかが転がっててビックリしたのを思い出します。
他にも古いサービス周報などもたくさん残っていたので、一時期はよく読み耽ってました。
とにかく趣味と実益を兼ねたある意味最高の職場でしたね(笑)
それにしても、平成の初期には未だ結構な台数の旧車が当たり前に残っていたことが今更ながら驚きです。
あれから既に30年以上経っているので、今回写真を載せた車のうち何台が残っているでしょう。
昨今はますます旧車には厳しい世の中ですが、一台でも多く残っていてくれることを勝手に願っています。
今回は以上です。
ちょっと個人的に懐かしい話でした。
それではまた
ダラダラ過ごしているうちに1月も終わりそうです。
既に昨年12月の話になるのですが、普段乗っているセレナの警告灯が点灯したままになってしまったのでお世話になっているプリンス系ディーラーへ行ったところ、珍しい車が入庫していました。
それは初代シルビアCSP311でした。
担当さんに聞くと毎回車検の時だけ入庫してくるそうで、走行距離も全然伸びていないそう。
下手すると車検の時以外ほとんど走らせていないんじゃないかと言ってました。
・・・そのシルビアを見ていたとき、ふと昔の記憶が蘇ってきました。
今回はその思い出話となります。
それは、私がまだ免許取り立ての頃にバイトしていた某日産系ディーラーでの事です。
私が車の免許を取得したのは平成元年なので既に30年以上前のことになりますが、学校を卒業後に陸送のバイトを始めたんですね。
時期的には平成2年から4年頃くらいのお話です。
そこは車検と板金塗装を集中して行うサービスセンターで、エリア内の各営業所でお客さんから預かった車検や板金塗装などの整備は基本ここへ持ち込んで行っていました。
その営業所とセンター間の回送業務が主な仕事だったので、当時は様々な日産車に乗ることが出来て楽しい日々を過ごしていたんですよ(笑)
車検では新旧色々な車に当たるんですが、自走可能なレベルの板金塗装整備の場合は割と新しい車や高級車に当たることも多くて、当時ペーペーだった自分ではまず購入することが出来ないであろうシーマ(最近話題の初代)やインフィニティQ45なども結構運転する機会がありましたね〜。
逆に車検の場合はボロボロのトラックや商用車も当然あるので、当時の普通免許で運転可能な車種は一通り乗ることになったのでかなり鍛えられました。
お陰で今でも色々な種類やサイズの車に乗ることに抵抗はあまりありません。
・・・そんな楽しい毎日でしたが、そのセンターには時折旧い車がやって来ていました。
センターには営業所も併設されていたので、そちら経由で入庫してくる車も同じ車両プールに置いており、自分たちが回送していない車も結構多かったんですね。
そちらにもやはり珍しい車がたまに入庫してくることがあり、そんな車を見付けては木炭バスの一件以来いつも持ち歩くようになっていた写ルンですで撮影していました。
(木炭バスの話はこちら)
そんなわけでここからはその頃撮影したいくつかの写真と、実際に運転することの出来た車の思い出を語ってみます。
最初の写真はこちら
GC10スカイラインGTです。
この車は併設の営業所経由での入庫だったので乗る機会も触る機会もありませんでしたが、じっくり見る時間はあったので撮影させてもらった次第です。
このGC10は相当程度が良かったので、営業所のフロントマンが狙ってました。
(後日聞いたら手放す予定はないと断られたとか)
お次は510ブルーバードのSSSクーペ
この車は幸運にも営業所への回送で運転する機会がありました。
ドライブフィールは良く言えばしっかり走る、悪く言えばごく普通に走るといった感想ですが、癖もなく旧車に乗っているという感覚は薄かった記憶があります。
次は運転することは無かったのですが、こちらもシングルナンバー付きのセドリックです。
この車の回送はベテランのおじさんが行い無事に営業所へ戻っていきましたが、個人所有と言うよりはどこかで展示していたような形跡があったんで、もしかすると企業の社有車かイベントで展示する為に整備に出したといったところなのかもしれませんね。
この車が入庫していた時は整備工場内で皆が遠巻きに見ていたのが面白かったです。
ここからは日産車ではありませんが、併設の営業所ではある企業の社有車として知られていた1台。
それも後期の量産型ではなく、初期のハンドメイド時代です。
横浜5ナンバーの付いたこの車は某自動車部品メーカー所有で、他にも同時期にY31セドリックのリムジンも所有しており、そちらは割と定期的に入庫していました。
恐らくその付き合いでこの117クーペの面倒も見ていたのではないかと思います。
お次の車も日産車ではないです・・・
って言うか国産車ですらありません。
解説できるだけの知識がないので詳細は分かりませんが、俗にいう段付きですか?
こんな車の車検もやっていたんですね。
それにしても、これまで紹介してきた車の後ろに写っている車も今では見ない車ばかりです。
アルファの後ろのクルマはローレルスピリットとC31のローレルですね。
ローレルスピリットはベースがサニーですから名前負け感がすごくありますが、内外装を豪華にして一つ上の車格に見える?車に仕上げられていました。
今では絶滅危惧種ではないでしょうか?
当時は今よりも車検の対応は厳しく、ホイール交換しているだけでも純正を持ち込まないとダメでしたし、ステアリング交換していると当然車検に通りませんでした。(車検対応品でもダメ)
このディーラーの車検センターは指定工場だったので社内で検査まで行っていたため余計に厳しくしていたのかもしれませんが、当時は今よりもかなり条件は厳しかったです。
なのでこのアルファが果たして車検を通せたのかちょっとはっきりしません。
極たま〜にでしたが、車検を断って営業所へ戻す事があったんですよ。
・・・で、話を戻しますが、この他にも古い車は何台か見かけたり運転したりしているのですが、その中の一台にCSP311シルビアがあったんです。
最初に話に出た車とは全く別の個体ですが、そのシルビアは車検に定期的に入庫していたようで、その後も一度見る機会がありました。
程度極上、と言う訳でもなく塗装もオリジナルでは無さそうな銀色に塗られていて見た目でもだいぶ損をしているような車でした。
たまたま営業所へ回送するタイミングで事務所に居たのが自分だったので乗ることになりましたが、その時ブレーキのサーボが無いから気を付けろと言われたのを覚えています。
要するにフロントがディスクブレーキなのにマスターバックが装備されてなく、普通の感覚でブレーキを踏んでも効かないからしっかり踏み込めという意味でした。
ディスクブレーキってマスターバックが付いていないとドラムブレーキよりも全然効きませんからね。
まあその後何事もなく営業所まで送り届けて、帰りは別の車(車検or板金塗装)を預かり乗って帰ってきました。
本当にマスターバックが装備されていなかったかどうかは、実際にエンジンルームを覗いて確認したわけじゃないので今となっては真偽不明のままです。
この他にも初代チェリー(E10)の4ドアや、250プレジデント(150じゃなかったですが初期の丸目4灯)などに乗る機会がありました。
チェリーは車検で入庫してきたのですが結構ヤレていて、シフトレバーのガタを抑えるのに根元にボールペンの束が挟んでありました(笑)
プレジデントは下取り車の回送で乗りましたが、前後の三角窓もすべてパワーウインドーだったのが感動しました(運転席のドアにはパワーウインドースイッチが8個並んでて笑えました)
他に下取り車として入っていた510ブルのワゴンとか210サニーのエクセレント(L型エンジン搭載のやつ)などを見ることが出来ましたが、プリンス系のディーラーではなかったので旧プリンス系の車を見る機会はありませんでしたね。
このサービスセンターは昭和30年代に建てられ古くから存在した施設だったので、倉庫にはマニア目線で見ればかなり貴重なものが結構放置されていて、オースチンA50の取説なんかが転がっててビックリしたのを思い出します。
他にも古いサービス周報などもたくさん残っていたので、一時期はよく読み耽ってました。
とにかく趣味と実益を兼ねたある意味最高の職場でしたね(笑)
それにしても、平成の初期には未だ結構な台数の旧車が当たり前に残っていたことが今更ながら驚きです。
あれから既に30年以上経っているので、今回写真を載せた車のうち何台が残っているでしょう。
昨今はますます旧車には厳しい世の中ですが、一台でも多く残っていてくれることを勝手に願っています。
今回は以上です。
ちょっと個人的に懐かしい話でした。
それではまた
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11224274
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
当時のごく普通の車は今では殆ど残っていないですね。
今でも残っている旧車と違ってまだ中途半端な世代だからでしょうか?
こちらこそ今年も宜しくお願い致します。
初代シルビアはフェアレディ1600とエンジンは同じでしたね。
生産数が少ないので見る機会は滅多にないですが、やはり神奈川県と言う場所柄でしょうか?
旧い日産車の残存数が多少は高いのかもしれません。
あのバイトは本当に楽しかったですね。
ほとんど日産車ばかりでしたが、ひたすら運転するだけと言う仕事?だったので毎日ドライブ気分で半分遊んでいるようなものでした。
GRヤリスは珍しくトヨタ車で気になる車ですが、デザインはね・・・
それにしてもレンタカーで借りられるんですね。
買うことは出来ないですけど、レンタカーを借りて乗ってみることは出来ますね。
どんどん電動化が進んできて、純内燃機関の車はいずれ近いうちに無くなってしまうかもしれませんから、今のうちに楽しまないといけませんね!
息子さんも車好きに育ってくれたようで何よりです(笑)
親子で共通の話題が持てるのは楽しいですよね。
2月になってしまいました。遅ればせながら今年もよろしくお願いします。平成初期私も同世代なので20才前後、免許を取って車に乗るのが楽しくて仕方なかった頃です。
初代シルビアは実車を見たことがありません。ダットサンフェアレディSRやSPは何度が見ましたが関西人は新しい物好きなのか旧車の在存率が低いように思います。
色々な車に乗れるなんて夢のようなお仕事ですね。
息子が去年免許を取りましたが、やはり運転が楽しいようで30数年前の自分を見ているようです。先日友達とGRヤリスをレンタカーで借りたそうですが、値段を見てビックリ、こりゃー買えんわ!
懐かしいと思っていただけたみたいですね。
つい最近のことの様に思っていたら、既に30年以上前の事だったという現実にに今更ながら時の流れを感じてしまいました。