2022年01月31日
プリンス社報 1964年7月号
どうもです。
月末恒例のプリンス社報シリーズ、今回は1964年7月の通算141号です。
では早速中身をどうぞ
今号の表紙はT43系マイラーです
場所はどこでしょうね?
目次の所に奥多摩と書いてありました
表紙裏と目次
今号は紹介するページが多めです。
ここからは第二期工事が始まった村山工場の話
三鷹工場からスカイラインの生産と、荻窪からエンジンの生産移管が行われることについて書かれていますね。
この時期エンジン生産数の増加で既存の荻窪工場のキャパは限界が近づいていましたので、エンジン生産はすべて村山へ移して効率化を図ることとなったわけです。
同時にミッションや足回りの生産の一部も移管し、空いた荻窪工場では残りのミッションと足回りの生産に集中することとなります。
同時に三鷹工場はトラック専門工場となりました。
ただし、クリッパーなどは協力工場で生産されていたはずなので、実際はどの車種を生産していたんでしょうね。
次は自動車ジャーナルのページ
個人的には毎回各社の生産台数に注目しているんですけど、今回の5月は初めてプリンスの普通乗用車欄に20台という数字が上がっています。
これはグランドグロリアの生産が始まったということなのですが、発売が5月1日なのでだいぶ生産数としては少なめですね。
もう少し見込み生産をしているのかなと思っていましたが、やはり普通乗用車なのでそこまで台数は出ないだろうとの計画だったんでしょうか。
今号はもう1ページ続きます
こちらには6月生産分の表があり、これを見るとグランドグロリアの生産数が5月に比べると跳ね上がっているのが分かります。
とは言ってもトヨタと日産の普通乗用車(クラウンエイトとセドリックスペシャル)に比べれば少ないのですが、それでも小型乗用車の生産台数との差に比べると健闘しているようにも見えます。
(発売開始直後の新型車としてはそうでもないかもしれませんが・・・)
次のページでは地震で被災した新潟へ救援隊を送って早速活動を開始したという記事
新潟地震は昭和39年6月に発生した大きな地震で、最大震度5を記録しました。
当時新潟にあった石油コンビナートでは大規模なタンク火災が発生して鎮火に12日間もかかるという、地震に対する対策が脆弱だった時代ということもあって多大な被害を被りました。
ここからはプリンスジャーナルのページです。
今回は国内外の話題が多数掲載されていて、かなり内容がテンコ盛りだと思いますがいかがでしょう?
この中では、石原裕次郎氏がS50スカイラインを購入したというのが個人的にちょっと意外に思ってしまいました。
最後は裏表紙の「世界の乗用車シリーズ」
イギリスのトライアンフです。
今ではほとんど知られていませんが、当時はイギリスのメジャーメーカーでした。
このトライアンフ2000はOHV6気筒ツインキャブエンジン搭載らしいですが、旧車イベントでもまず見ることの無いクルマですね。
今回は以上ですが、ちょっとボリュームが大きかったですかね。
それではまた
月末恒例のプリンス社報シリーズ、今回は1964年7月の通算141号です。
では早速中身をどうぞ
今号の表紙はT43系マイラーです
目次の所に奥多摩と書いてありました
表紙裏と目次
今号は紹介するページが多めです。
ここからは第二期工事が始まった村山工場の話
三鷹工場からスカイラインの生産と、荻窪からエンジンの生産移管が行われることについて書かれていますね。
この時期エンジン生産数の増加で既存の荻窪工場のキャパは限界が近づいていましたので、エンジン生産はすべて村山へ移して効率化を図ることとなったわけです。
同時にミッションや足回りの生産の一部も移管し、空いた荻窪工場では残りのミッションと足回りの生産に集中することとなります。
同時に三鷹工場はトラック専門工場となりました。
ただし、クリッパーなどは協力工場で生産されていたはずなので、実際はどの車種を生産していたんでしょうね。
次は自動車ジャーナルのページ
個人的には毎回各社の生産台数に注目しているんですけど、今回の5月は初めてプリンスの普通乗用車欄に20台という数字が上がっています。
これはグランドグロリアの生産が始まったということなのですが、発売が5月1日なのでだいぶ生産数としては少なめですね。
もう少し見込み生産をしているのかなと思っていましたが、やはり普通乗用車なのでそこまで台数は出ないだろうとの計画だったんでしょうか。
今号はもう1ページ続きます
こちらには6月生産分の表があり、これを見るとグランドグロリアの生産数が5月に比べると跳ね上がっているのが分かります。
とは言ってもトヨタと日産の普通乗用車(クラウンエイトとセドリックスペシャル)に比べれば少ないのですが、それでも小型乗用車の生産台数との差に比べると健闘しているようにも見えます。
(発売開始直後の新型車としてはそうでもないかもしれませんが・・・)
次のページでは地震で被災した新潟へ救援隊を送って早速活動を開始したという記事
新潟地震は昭和39年6月に発生した大きな地震で、最大震度5を記録しました。
当時新潟にあった石油コンビナートでは大規模なタンク火災が発生して鎮火に12日間もかかるという、地震に対する対策が脆弱だった時代ということもあって多大な被害を被りました。
ここからはプリンスジャーナルのページです。
今回は国内外の話題が多数掲載されていて、かなり内容がテンコ盛りだと思いますがいかがでしょう?
この中では、石原裕次郎氏がS50スカイラインを購入したというのが個人的にちょっと意外に思ってしまいました。
最後は裏表紙の「世界の乗用車シリーズ」
イギリスのトライアンフです。
今ではほとんど知られていませんが、当時はイギリスのメジャーメーカーでした。
このトライアンフ2000はOHV6気筒ツインキャブエンジン搭載らしいですが、旧車イベントでもまず見ることの無いクルマですね。
今回は以上ですが、ちょっとボリュームが大きかったですかね。
それではまた
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S40のタクシーはかなり台数があったようですよ。
その他の仕様も恐らく存在したと思います。
S21系プリンススカイラインスーパーにも警察消防道路パトロールカー血液輸送車も存在したと思います。
グロリアスペシャルと6ワゴンは結構まとまった台数が納入されたみたいですね。
他にも案外プリンスの車を導入していた企業や自治体等も多かったので、写真に残っていない特装車などもまだまだあると思いますよ。
S5スカイラインのタクシーは地方などでは割と見られたようです。
そう言った地域ではコロナやブルーバードのタクシーも多数有った訳ですけど、シェアはどれ位だったのでしょうね。
おはようございます
村山工場跡地は現在ショッピングモールになってるんじゃなかったでしょうか?
工場が残っている内に行くことは叶いませんでしたが、旧プリンス関係の建物は本社ビルも含めて殆ど無くなってしまいましたね。
R34も既にそんな年月が経っているんですね。
そうなるとそろそろアメリカの25年ルールが適用になってまた多数のクルマが向こうへ渡ってしまうのかもしれないですね。
阪神大震災を経験されたのですね。
あれはテレビで被害状況を見て絶句したことを思い出します。
その後は東日本でも大きな地震が発生して、次は関東かと思っていますが自然災害への対応は難しいですね。
石原裕次郎さん繋がりですが、先日亡くなられた慎太郎氏は良くも悪くもはっきり物を言う方でしたね。
全てに賛同できたわけではないですが、基本的には日本人として当然やるべきことや言うべきことを有言実行されていたのは、今の大多数の国会議員の方々よりはよっぽどしっかりされていたのではないかと個人的には思います。
貴重なプリンス社報、いつも楽しみにしています。
もう村山工場も記念碑に面影を留めるのみですね。私のR34も村山製ですが今月車検で満23才、工場閉鎖から20年以上の歳月が流れたのですね。いつか聖地巡礼の旅をしたいと思っています。
神戸市民として忘れられないのは27年前の阪神大震災ですが、新潟地震も子供の頃に団地が倒壊している写真を見て地震の恐ろしさに驚いた記憶があります。
鉄道フアンとしては落下した橋に潰され唯一の被災車となったキハユニ17が残念でした。
石原裕次郎さんがスカイライン1500を購入していたとは。栄光への5000キロや後の西部警察などで日産とのつながりの深い俳優さんのイメージでしたが、初の国産車がプリンススカイラインとは驚きました。
お兄さんの慎太郎さんの訃報が伝えられました。思想や発言には問題もありましたが政治家として小説家として歴史に残る人物であることは間違いなくご冥福をお祈りします。