2019年06月06日
初代ライトエースワゴン
どうもです。
今回は子供のときに家にあったクルマシリーズ第3弾です。
勝手にシリーズとか言ってますけど、今回の車は初代ライトエースワゴンです。
このライトエースですがバンとワゴンがあり、登場は1971年2月でした。
前年の11月にまずトラックが先行発売されていて、バンとワゴンは少し遅れて投入されます。
このライトエース、当時としては珍しいワンボックスタイプの3列シート装備の9人乗りワゴン(バンは3人または6人乗り)で、リアシートはフルフラットになりました。
エンジンは3K型OHV直列4気筒1166ccで、フロントシート下に20°傾けて搭載。(我が家最初のマイカーKE11カローラと同じエンジン)
最高出力は68PS/6000rpmで、最高速度は意外にも135km/hをマーク。
車体寸法は全長3870ミリ、全幅1565ミリ、全高1750ミリと全高以外は今見るとかなりコンパクトですが、ワゴンは3列シートなので乗車定員9人を確保しており、かなり使い勝手の良い車でした。
当時はまだ今のようにワゴンの需要が無かったところへ登場したんですがかなりのヒットを記録。
この後のトヨタの3列シートワゴンの礎を築いたと言ってもよい車です。
このライトエースワゴン(M10系)は、我が家の自家用車としては3代目(3台目)に当たる車です。
初代は先に紹介したカローラで、2代目はミニキャブでしたが、このライトエースは写真のナンバーから1974年の購入なのが分かります。
たぶん昭和51〜52年頃の撮影。
助手席側にへばりついて変顔しているのは次男です。
テントウムシのステッカーが泣かせます。
手元にある資料によると、「横浜56ほ」は昭和49年11月登録のナンバーなんです。
(因みにですが、このライトエースワゴンは我が家の購入翌年の昭和50年11月に排ガス規制の為モデル廃止になってしまいます。)
たぶんミニキャブを購入してから3年ほど経った頃だと思いますが、
ちょうどこの年の夏に三男が生まれたのでミニキャブでは物足りなくなってきたんでしょう。
まるで付けまつ毛のようなカウル一体のライトグリルは強烈に記憶に残っていて、青い車体にグレーのグリルの組み合わせは今でもしっかりと目に焼きついてます。
逆に室内はあまりちゃんと覚えていないんですが今からすればかなり簡素な作りで、結構鉄板むき出しでフロントとリアの境には黒いパットで覆われたガードバーのようなものがありました。
いつの頃からか、そのパット部分を摘んで千切ってというのを弟と乗るたびにやっていたので最後はほとんど表面のビニールレザー部分が無くなってスポンジ部分が無残に残っているだけになってましたね。
これをやると毎回親父に怒られました。
このライトエースでは結構いろいろなところへ出かけたようで、写真も残っているんですが伊豆方面への旅行や丹沢方面へのキャンプ、他にも相模川河川敷でのバーベキューなど、先代ミニキャブと比べても相当活躍したようです。
当時は何とも思わなかったこの独特のフォルム。
ウエストラインで「く」の字に折れ曲がったスタイルと、リアバンパーが左右分割なのが今となっては結構イイかも。
フロントナンバープレートもオフセットされてて結構オシャレだったんですねぇ。
キャンプに行った際には大人は外で寝てましたが、子供は車内に布団を敷いて寝たり(外で寝たいとゴネた記憶が・・・)山道でリアシートをフルフラットにしたまま走っていたので、車内で左右に転がりまくったりと思い出としては割としっかり残っています。
(今はフルフラットにして走ったらアウトですねぇ)
その後小学2年生の頃(昭和53年かな)に初代タウンエースのハイルーフ(サンルーフ付)に代替するまで乗っていました。
(このタウンエースのまともな写真が見つからないので、もし出てきたらまた記事にしたいと思います)
うちの親父は車とかバイクが好きで、母が言うには知らぬ間にバイクが増えていたり、勝手にクルマを契約してきたりということがあったそうで、ライトエースからタウンエースに乗り替えた時も、何も聞かされていないところへある日突然新車のタウンエースに乗って帰ってきたらしい。
他にもこの頃中古でジムニーをどこからか持ってきてしばらく乗ってましたね。
(このジムニーはそのうち記事にします)
親父は若い頃からかなりの乗り物好きで、クルマやバイクは常に持っていたようです。
若い頃の写真を見ると知り合いのホンダS600の前でポーズをとっている写真などもあり、当時から相当好きモノだったことが伺われます。
初代カローラの時にも書きましたが、ラリーのようなこともやってたみたいなので、一時期はかなりのめり込んでいたようです。
(その血が今の自分にかなり影響してるんでしょうね・・・)
バイクもずいぶん乗ってて、物心ついたころはモトクロスをやってたみたいで何度か走りに行くのについて行った記憶があります。
まあ、ちゃんとしたコースじゃなくて山の中や川原でやってたみたいですけど、仕事で使っていたリフトゲート付のトラックにバイクを積んで走りに行っていたみたいです。
当時の写真もいくつか出てきたので、そのうち記事に出来れば書いてみようと思います。
もう亡くなってしばらく経ちますが、親父のDNAはしっかり息子の自分を含め兄弟三人にしっかり引き継がれてます。
未だに三人ともクルマやバイクが大好きですからね(笑)
今はうちの息子が今後どうなるか見ものです。
ではまた
今回は子供のときに家にあったクルマシリーズ第3弾です。
勝手にシリーズとか言ってますけど、今回の車は初代ライトエースワゴンです。
このライトエースですがバンとワゴンがあり、登場は1971年2月でした。
前年の11月にまずトラックが先行発売されていて、バンとワゴンは少し遅れて投入されます。
このライトエース、当時としては珍しいワンボックスタイプの3列シート装備の9人乗りワゴン(バンは3人または6人乗り)で、リアシートはフルフラットになりました。
エンジンは3K型OHV直列4気筒1166ccで、フロントシート下に20°傾けて搭載。(我が家最初のマイカーKE11カローラと同じエンジン)
最高出力は68PS/6000rpmで、最高速度は意外にも135km/hをマーク。
車体寸法は全長3870ミリ、全幅1565ミリ、全高1750ミリと全高以外は今見るとかなりコンパクトですが、ワゴンは3列シートなので乗車定員9人を確保しており、かなり使い勝手の良い車でした。
当時はまだ今のようにワゴンの需要が無かったところへ登場したんですがかなりのヒットを記録。
この後のトヨタの3列シートワゴンの礎を築いたと言ってもよい車です。
このライトエースワゴン(M10系)は、我が家の自家用車としては3代目(3台目)に当たる車です。
初代は先に紹介したカローラで、2代目はミニキャブでしたが、このライトエースは写真のナンバーから1974年の購入なのが分かります。
たぶん昭和51〜52年頃の撮影。
助手席側にへばりついて変顔しているのは次男です。
テントウムシのステッカーが泣かせます。
手元にある資料によると、「横浜56ほ」は昭和49年11月登録のナンバーなんです。
(因みにですが、このライトエースワゴンは我が家の購入翌年の昭和50年11月に排ガス規制の為モデル廃止になってしまいます。)
たぶんミニキャブを購入してから3年ほど経った頃だと思いますが、
ちょうどこの年の夏に三男が生まれたのでミニキャブでは物足りなくなってきたんでしょう。
まるで付けまつ毛のようなカウル一体のライトグリルは強烈に記憶に残っていて、青い車体にグレーのグリルの組み合わせは今でもしっかりと目に焼きついてます。
逆に室内はあまりちゃんと覚えていないんですが今からすればかなり簡素な作りで、結構鉄板むき出しでフロントとリアの境には黒いパットで覆われたガードバーのようなものがありました。
いつの頃からか、そのパット部分を摘んで千切ってというのを弟と乗るたびにやっていたので最後はほとんど表面のビニールレザー部分が無くなってスポンジ部分が無残に残っているだけになってましたね。
これをやると毎回親父に怒られました。
このライトエースでは結構いろいろなところへ出かけたようで、写真も残っているんですが伊豆方面への旅行や丹沢方面へのキャンプ、他にも相模川河川敷でのバーベキューなど、先代ミニキャブと比べても相当活躍したようです。
当時は何とも思わなかったこの独特のフォルム。
ウエストラインで「く」の字に折れ曲がったスタイルと、リアバンパーが左右分割なのが今となっては結構イイかも。
フロントナンバープレートもオフセットされてて結構オシャレだったんですねぇ。
キャンプに行った際には大人は外で寝てましたが、子供は車内に布団を敷いて寝たり(外で寝たいとゴネた記憶が・・・)山道でリアシートをフルフラットにしたまま走っていたので、車内で左右に転がりまくったりと思い出としては割としっかり残っています。
(今はフルフラットにして走ったらアウトですねぇ)
その後小学2年生の頃(昭和53年かな)に初代タウンエースのハイルーフ(サンルーフ付)に代替するまで乗っていました。
(このタウンエースのまともな写真が見つからないので、もし出てきたらまた記事にしたいと思います)
うちの親父は車とかバイクが好きで、母が言うには知らぬ間にバイクが増えていたり、勝手にクルマを契約してきたりということがあったそうで、ライトエースからタウンエースに乗り替えた時も、何も聞かされていないところへある日突然新車のタウンエースに乗って帰ってきたらしい。
他にもこの頃中古でジムニーをどこからか持ってきてしばらく乗ってましたね。
(このジムニーはそのうち記事にします)
親父は若い頃からかなりの乗り物好きで、クルマやバイクは常に持っていたようです。
若い頃の写真を見ると知り合いのホンダS600の前でポーズをとっている写真などもあり、当時から相当好きモノだったことが伺われます。
初代カローラの時にも書きましたが、ラリーのようなこともやってたみたいなので、一時期はかなりのめり込んでいたようです。
(その血が今の自分にかなり影響してるんでしょうね・・・)
バイクもずいぶん乗ってて、物心ついたころはモトクロスをやってたみたいで何度か走りに行くのについて行った記憶があります。
まあ、ちゃんとしたコースじゃなくて山の中や川原でやってたみたいですけど、仕事で使っていたリフトゲート付のトラックにバイクを積んで走りに行っていたみたいです。
当時の写真もいくつか出てきたので、そのうち記事に出来れば書いてみようと思います。
もう亡くなってしばらく経ちますが、親父のDNAはしっかり息子の自分を含め兄弟三人にしっかり引き継がれてます。
未だに三人ともクルマやバイクが大好きですからね(笑)
今はうちの息子が今後どうなるか見ものです。
ではまた
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毎度熱いコメントをありがとうございます。
私の記憶はかなり曖昧で、特に小学校入学前の頃の記憶はほとんどオブラートに包まれたようなぼんやりしたものばかりですが、真鍋様はかなりはっきりと細かいところまで記憶されているのが凄いですね。
今回他にも多数コメントをいただいたいるのを読ませていただきましたが、すべて当時の様子がはっきりしておられ、うらやましい限りです。
また、文章を書くのも慣れておられる様子・・・
ご自身で何か書かれているのでしょうか?
私も読みやすい文章を目指しもう少し頑張らねばならないです。
今回はこちらへのコメントのみにて失礼させていただきます。
長文のコメントにすべてお応えできるほどのスキルがありませんので(笑)
またよろしくお願いいたします。
ありましたね、地下鉄有楽町線/7000系車両を思わせる顔つきがいまだ新鮮な初代トヨタ・ライトエース。
五角形を基調としたボディフォルムが他の国産バン/ワゴンからは飛び離れてID的な近代性を放ち、幼時の小生はハッと息を呑まされたものです。何か「未来の都市計画」予測図から出てきたようなそのイメージに!(※注)
身近ではクリーニング屋さんも近所の商店も、あるいは乗用車に飽きた一般オーナー達もこぞってこのKM-10型ライトエースを愛用し、街には五角形のフォルムが溢れまくっておりましたがその大半はフロリダオリーブやホワイトの「バン・デラックス」で、5ナンバー乗用車の「ライトエース・ワゴン」はやはり少数派でした。ただこのワゴン版も貴殿宅にあったようなハワイアン・ブルーを中心にオレンジ色といったオシャレな色に塗られ、4ナンバーのバンとは一味違った新時代のライフスタイルをアピールしていた感がありました―目印は足元のRT80型コロナ・デラックスから流用の13インチ用お椀型ホイールキャップでした。
現に小学校時代の友人宅にもライトエースワゴンのハワイアンブルーの個体があり、1981年初夏に日光への小6の修学旅行の校庭での解散式後に、友人6名を乗せて走り去る同車の後ろ姿とトヨタ3K型/1166ccエンジン特有の♪トルルル パバーン♪〜という排気音は一生頭のDVD-ROMから抜けません(※当時はライトエース自体は二代目になっており、新車では1800cc搭載のGXLやFXVが持て囃されていた時代だ)。
(※注:あとがき)
初代ライトエースのボディ造形からは当時=2-3歳時分に、母親が誕生日に買ってきてくれた「幼児・小学校時代を通じての我がバイブル」イラストレーター真鍋博の著書「自動車」に描かれた未来の乗り物が想起され、「ライトエース」と見聞きすると「真鍋博」(彼、2001年に鬼籍に入られたが)と条件反射する幼き日の私めでした!!