2017年11月09日
ウルトラマンシリーズとクルマ最終回(ウルトラQ)
どうもです。
今回はウルトラシリーズとクルマの最終回になります。
ウルトラマンシリーズと言えばまず何は無くともウルトラマンなんですが、ウルトラQはシリーズ最初でありながら、ウルトラマンが出てこないという最大の特徴があります。
基本は主人公たちが解決するストーリーなんですが、ちょくちょく謎のまま終わる話もあり、必ずしも問題が解決しない回というのもありました。
後のシリーズのように、何でもかんでもウルトラマン、ということではなくてあくまでも対応するのは人間なところがある意味リアルではあります。
ウルトラQのエピソードは、割と怪獣や宇宙人だけではなく、自然現象や突然変異等によって生み出された生物や、科学では説明できない現象などの話も有り、独特の世界観を醸し出しています。
その理由は、そもそもは『UNBALANCE』というSF特撮シリーズとして企画、撮影開始されていたものを路線変更して怪獣メインの『ウルトラQ』としてタイトル変更された経緯があるからです。
そのような理由から、特に初期に製作されたエピソードはそのイメージが強いです。
なので、当時の子供たちにどう受け入れられたのか結構興味のあるところではありますが、実際に高い視聴率を誇っていた事や、続編となるウルトラマンへ繋がっていった事実などからも広く受け入れられていた事が分かります。
流石に現在の特殊効果のレベルと比べてしまうと可愛そうですが、大人になって見ても面白いですよね。
後のシリーズには無い、日常生活の中にある不思議な出来事をテーマにした話しなどはお伽噺というよりどちらかというと「世にも奇妙な物語」的な雰囲気もありますね。
今回、やっと「ウルトラQ総天然色」シリーズ全巻を見ることが出来たので、久しぶりに堪能いたしました。
また、モノクロでは気付かなかった部分なども今回新たに発見できたので楽しく興味を持って全話見ることが出来ました。
その中でも今回のテーマであるクルマに関しては、長年疑問だった部分がスッキリしたのが今回一番嬉しかった部分かもしれないです。
さて、以前の記事でウルトラQに登場するクルマについては「プリンス スカイラインスポーツ」であるということはお伝えしましたが、このクルマがどのような車であるかというのを今回はメインに書いていきたいと思います。
・・・それではこれから30分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中へ入っていくのです・・・
スカイラインスポーツは富士精密工業(1961年にプリンス自動車工業と改名、1966年には日産自動車に吸収される)時代に開発を始め、1962年に発売した2ドアのクーペ、及びコンバーチブルの当時としてはスタイリッシュな高級車です。
web.motormagazine.co.jp
当時の日本はまだ自動車産業が外国に比べても規模が小さく、性能的にはあと一歩のところまで来たかな?という時代でしたが、そんな中でプリンスはクルマのデザインを海外に学ぶためにイタリアのカロッツェリア(デザイン工房・・・自動車などのデザインを請け負う会社)のジョバンニ・ミケロッティとスカイラインスポーツのデザイン契約を結び、同じくカロッッツェリアのアレマーノにてボディの架装が行なわれました。
この時プロトタイプ生産のために、日本よりイタリアへグロリアのエンジン付きシャシー2台分が送られたとの事。
時に1960年の事です。
この時現地へ送られたシャシーはスカイラインのものというのが定説ですが、エンジンはグロリア用の94馬力仕様なのでグロリア用といったほうがしっくりくると思いますし、事実そのように記載している資料もありますので当ブログではグロリアとして話を進めます。
アレマーノにて完成したスカイラインスポーツは同年11月の第42回トリノショーへ展示され、翌1961年に日本へ到着後の3月に赤坂プリンスホテルにて報道者向けのお披露目が行われました。
4月には一般に向けての公開も行われ、同年10月の第8回全日本自動車ショー(現在の東京モーターショー)にはプリンスにて生産されたクーペとコンバーチブルが展示されたとの事です。
自社での生産にあたり、イタリアより板金技術者を招聘して指導を仰いだそうで、全て手叩きで生産するために発売は62年の4月になりました。
発売に先立ち、プリンス自動車はプリンス車を購入したユーザーに抽選でスカイラインスポーツがあたるという破格のキャンペーンを行い、めでたく2名の方が幸運を手にしました(懸賞として2台用意された)
今でもそのときの一台が現存しているのは有名ですね。
元々多くの販売台数は見込めない車でしたが、プリンスとしては250台程度の生産を見込んでいたといわれています。
(一説には240台とも)
しかし、結果として60台ほどの生産で終わり(クーペ35台、コンバーチブル25台といわれています)、販売台数も総数53台(45台という説も有り)と極めて少ないものでした。
プリンスの思惑ほど販売数が多くなかった最大の理由はやはり販売価格ではなかろうかと思います。
当時の価格でクーペ185万円、コンバーチブル195万円は今の貨幣価値に換算すると単純に比較できないにしても2000万円を優に超えるプライスになりそう・・・
当時の国産車にそれだけの価値を見出して購入しようと思う人がどれだけいたのか?
と言うことなのでしょう。
いかに手の込んだクルマとはいえ、それだけの価格であれば国産車よりも性能の良い外車が買えてしまう訳ですからね。
ちなみにこの3年後に発売されたグランドグロリアの価格が138万円でした。
しかも間の悪い事に発売の約半年後にはベース車のグロリアがフルモデルチェンジをしてBLSIからS40系になってしまいます。
一気に古くなってしまったスカイラインスポーツは翌63年のS41Dスーパー6の発売により完全に旧型となってしまいました。
スーパー6には新開発のG7 2000ccSOHC6気筒エンジンが搭載され、最高速度もスポーツの150キロを5キロ上回る155キロとなり、G2型4気筒1900ccOHVエンジン搭載のスポーツがセダンに負けるという結果となります。
せめてスポーツにG7が搭載されていたらまた違う結果になったのか?は分かりませんが、少なくとも動力性能的には満足のいく数値になったのではないかと思ってしまいます。
まあ、もともとスポーツとは言いながらも性能的にはグランドツーリングカー的なクルマですし、本皮張りの内装やリクライニングシートなどラグジュアリーな装備であり、メーターもスピードのほかにタコメーターや燃料、水温、油圧、時計とにぎやかな割にはシフトレバーはコラムの4速であったりと、あくまでも豪華でゆったりと流す走りが似合う車であったのは確かです。
でも、そんなスカイラインスポーツですが第一回日本グランプリに出場しているのは驚きです。(もちろんクーペのほうです)
www.geocities.jp
www.geocities.jp
外人ドライバーのR.ジョーンズと生沢徹の二人が出走しましたが結果は惨敗。
全く良いとこ無しでした・・・(ちなみにプリンスは真面目に規約を守ったためにロクなチューニングもせずに出場したためにグランプリ終了後は車の販売にかなり影響が出たらしい)
一応SI系スカイラインに混じり最新のS40Dグロリアも出場していますがスカイライン諸共まるっきり活躍してません(泣)
そんなこんなで商業的には失敗だったといわれています。
でも今見ると当時の国産車離れした流麗なスタイルは流石イタリアンデザインだと言えるのではないでしょうか?
あのクルマの元がBLSIグロリアとは思えないほど低く、長く変身しています。
ちなみにグロリアとスカイラインスポーツの諸元は次の通りです。
グロリア(BLSIP-3) スカイラインスポーツ(BLRA-3,R21-A/R21-B)
全長:4,380mm 4,650mm
全幅:1,675mm 1,695mm
全高:1,535mm 1,410mm
軸距:2,535mm 2,535mm
車重:1360kg 1,350kg (クーペ)/1,340kg (コンバーチブル)
最高速度:140km/h 150km/h
同じなのはホイールベースだけです。
シャシーが同じなので当たり前ですけど。
乗車定員はグロリアが6名でクーペは5名、コンバーチブルは幌の収納部分があるため4名となっていました。
スカイラインスポーツについては面白い書籍があるので、もし興味のある方は「二玄社プリンスとイタリア クルマと文化とヒトの話 板谷熊太郎 著」を読んでみてはいかがでしょう。
プリンス自動車とイタリアのカロッツェリアとの繋がりなど興味深い話が読めます。
このスカイラインスポーツは当時の映画にもちょくちょく出演していますが、一番有名なのはやはりウルトラQでの活躍ではないかと思います。
主人公 万城目 淳の愛車として赤いスポーツが頻繁に登場します。
ナンバーは品5 ね ・129という資料が多いですが、よく見ると「わ」に細工をして「ね」に見えるようにしています。
ウルトラQ 9話より
なので正しくはレンタカーで、ナンバーも品5 わ ・129が正解です。
実際、撮影時に細工をしない時もあったようで、「わ」のまま映っている場面もあります。
ウルトラQ 9話より
ウルトラQ 12話より
ウルトラQ 28話より
このとき、何故かブレーキを踏んでいるのに左右のウインカーが点灯してますね?
この角度から見ると、いかにリアが長いかが良く分かります。
撮影の際に劇用車を貸し出す専門業者へその都度手配していたというのが真相のようです。
そのせいかは分かりませんが、何度か万城目は違う車に乗っています。
これは推測ですが、何かの理由でいつものスポーツの手配が出来ず、仕方なく違う車で撮影した・・・
そんな気がします。
その中で一番気になる代車が、色違いのスカイラインスポーツです。
モノクロでもはっきりと色の違いが分かるスポーツが一度だけ出てきます。
第22話の「変身」の中でですが、この時は白っぽいスカイラインスポーツに乗っています。
内装も違う色のようで、シートなどが明らかに黒っぽいです。
今回、DVDのウルトラQ総天然色を見て確認したところ、やはり赤と白の2種類のスカイラインスポーツが確認できました。
ナンバーも違い、白いほうは品5 な 20-84と確認できました。
ウルトラQ 22話より
レンタカーではないこの車の持ち主はいったい誰だったのでしょうね?
話の内容よりこちらのほうが気になってしまいます。
この2台のスカイラインスポーツ、登録ナンバーから推測すると1962年から64年の間に登録された事が分かります。
頭の「品」という表記から始まるこの書式のナンバーは1962年8月から64年10月まで使用されたもので、それ以前は数字の真ん中のハイフン-は無し、0から始まる4桁の数字表記で、1〜3桁の場合0の代わりに表記される「・」が付いたのが62年以降からなのです。
また、64年11月からは「品」表記は「品川」表記となる為、ウルトラQに出ているスカイラインスポーツの登録時期は上記のように推測できます。
時期的にはたぶん初年度登録のままでしょうね。
赤い車と白い車のナンバーが結構離れていますが、一概に登録された時期的なものではなく、レンタカーと自家用の登録台数の違いから来るものだと思われるので、実際の登録時期はそれほど離れていないんじゃないかと私は考えます。
どちらにせよ、撮影当時は発売から3年以上経った中古車ですから良く見るとそれなりにヤレてますね。
右リアのホイールキャップが外れている時があったり(パンクでもして急遽交換したか?)
内装の痛みが分かるシーンがあったりとそれなりに痛んでいるのが分かります。
ウルトラQ 26話より
リヤタイヤがフロントと違うものになっています(ホワイトリボンの太さが違う)
この前のシーンで一瞬ですが、ホイールキャップを履いていないリアタイヤが写ります。
ホイールリングも装着していないので、交換後とりあえずキャップだけ装着したんでしょうかね?
でもこの写真、デジタルの補正がおかしいですね。
ボンネットの先端の色がグレーっぽいのに、グリルはボディと同色になってます。
まあ、モノクロにデジタルで色をつけているので所々おかしいのは目をつぶるべきでしょうか。
それにしても、いくら物語のうえでの設定とはいえ、小さな航空会社の社長兼パイロットがおいそれと乗れるようなクルマではないのは明らかです。
しかもスポーツだけでも2台持っている事になりますし(笑)
よほどのクルマ道楽か、どこぞの御曹司でもない限りたった一人の社員「戸川 一平」にも愛想をつかされそうなもんですが、よほどしっかりとお給料を払っているのでしょうかねぇ。
(もし本当に2台持っているとしたら生産数25台のうちの2台ですから凄い事ですよね〜)
何かというとすぐ事件や謎に首を突っ込んで、本業のほうが度々疎かになっていますから経営的に大丈夫なんだろうかと要らぬ心配をしてみたり・・・
まあ夢の無い話はこの辺にして、長々とお付き合い頂いたウルトラマンシリーズとクルマについての話は今回にて終わりです。
ただ、生産台数の割には残存数が意外と多いこの車についてはそのうちもう少し詳しく書こうと思います。
ではまた
今回はウルトラシリーズとクルマの最終回になります。
ウルトラマンシリーズと言えばまず何は無くともウルトラマンなんですが、ウルトラQはシリーズ最初でありながら、ウルトラマンが出てこないという最大の特徴があります。
基本は主人公たちが解決するストーリーなんですが、ちょくちょく謎のまま終わる話もあり、必ずしも問題が解決しない回というのもありました。
後のシリーズのように、何でもかんでもウルトラマン、ということではなくてあくまでも対応するのは人間なところがある意味リアルではあります。
ウルトラQのエピソードは、割と怪獣や宇宙人だけではなく、自然現象や突然変異等によって生み出された生物や、科学では説明できない現象などの話も有り、独特の世界観を醸し出しています。
その理由は、そもそもは『UNBALANCE』というSF特撮シリーズとして企画、撮影開始されていたものを路線変更して怪獣メインの『ウルトラQ』としてタイトル変更された経緯があるからです。
そのような理由から、特に初期に製作されたエピソードはそのイメージが強いです。
なので、当時の子供たちにどう受け入れられたのか結構興味のあるところではありますが、実際に高い視聴率を誇っていた事や、続編となるウルトラマンへ繋がっていった事実などからも広く受け入れられていた事が分かります。
流石に現在の特殊効果のレベルと比べてしまうと可愛そうですが、大人になって見ても面白いですよね。
後のシリーズには無い、日常生活の中にある不思議な出来事をテーマにした話しなどはお伽噺というよりどちらかというと「世にも奇妙な物語」的な雰囲気もありますね。
今回、やっと「ウルトラQ総天然色」シリーズ全巻を見ることが出来たので、久しぶりに堪能いたしました。
また、モノクロでは気付かなかった部分なども今回新たに発見できたので楽しく興味を持って全話見ることが出来ました。
その中でも今回のテーマであるクルマに関しては、長年疑問だった部分がスッキリしたのが今回一番嬉しかった部分かもしれないです。
さて、以前の記事でウルトラQに登場するクルマについては「プリンス スカイラインスポーツ」であるということはお伝えしましたが、このクルマがどのような車であるかというのを今回はメインに書いていきたいと思います。
・・・それではこれから30分、あなたの目はあなたの体を離れて、この不思議な時間の中へ入っていくのです・・・
スカイラインスポーツ
スカイラインスポーツは富士精密工業(1961年にプリンス自動車工業と改名、1966年には日産自動車に吸収される)時代に開発を始め、1962年に発売した2ドアのクーペ、及びコンバーチブルの当時としてはスタイリッシュな高級車です。
web.motormagazine.co.jp
当時の日本はまだ自動車産業が外国に比べても規模が小さく、性能的にはあと一歩のところまで来たかな?という時代でしたが、そんな中でプリンスはクルマのデザインを海外に学ぶためにイタリアのカロッツェリア(デザイン工房・・・自動車などのデザインを請け負う会社)のジョバンニ・ミケロッティとスカイラインスポーツのデザイン契約を結び、同じくカロッッツェリアのアレマーノにてボディの架装が行なわれました。
この時プロトタイプ生産のために、日本よりイタリアへグロリアのエンジン付きシャシー2台分が送られたとの事。
時に1960年の事です。
この時現地へ送られたシャシーはスカイラインのものというのが定説ですが、エンジンはグロリア用の94馬力仕様なのでグロリア用といったほうがしっくりくると思いますし、事実そのように記載している資料もありますので当ブログではグロリアとして話を進めます。
アレマーノにて完成したスカイラインスポーツは同年11月の第42回トリノショーへ展示され、翌1961年に日本へ到着後の3月に赤坂プリンスホテルにて報道者向けのお披露目が行われました。
4月には一般に向けての公開も行われ、同年10月の第8回全日本自動車ショー(現在の東京モーターショー)にはプリンスにて生産されたクーペとコンバーチブルが展示されたとの事です。
自社での生産にあたり、イタリアより板金技術者を招聘して指導を仰いだそうで、全て手叩きで生産するために発売は62年の4月になりました。
発売に先立ち、プリンス自動車はプリンス車を購入したユーザーに抽選でスカイラインスポーツがあたるという破格のキャンペーンを行い、めでたく2名の方が幸運を手にしました(懸賞として2台用意された)
今でもそのときの一台が現存しているのは有名ですね。
元々多くの販売台数は見込めない車でしたが、プリンスとしては250台程度の生産を見込んでいたといわれています。
(一説には240台とも)
しかし、結果として60台ほどの生産で終わり(クーペ35台、コンバーチブル25台といわれています)、販売台数も総数53台(45台という説も有り)と極めて少ないものでした。
プリンスの思惑ほど販売数が多くなかった最大の理由はやはり販売価格ではなかろうかと思います。
当時の価格でクーペ185万円、コンバーチブル195万円は今の貨幣価値に換算すると単純に比較できないにしても2000万円を優に超えるプライスになりそう・・・
当時の国産車にそれだけの価値を見出して購入しようと思う人がどれだけいたのか?
と言うことなのでしょう。
いかに手の込んだクルマとはいえ、それだけの価格であれば国産車よりも性能の良い外車が買えてしまう訳ですからね。
ちなみにこの3年後に発売されたグランドグロリアの価格が138万円でした。
しかも間の悪い事に発売の約半年後にはベース車のグロリアがフルモデルチェンジをしてBLSIからS40系になってしまいます。
一気に古くなってしまったスカイラインスポーツは翌63年のS41Dスーパー6の発売により完全に旧型となってしまいました。
スーパー6には新開発のG7 2000ccSOHC6気筒エンジンが搭載され、最高速度もスポーツの150キロを5キロ上回る155キロとなり、G2型4気筒1900ccOHVエンジン搭載のスポーツがセダンに負けるという結果となります。
せめてスポーツにG7が搭載されていたらまた違う結果になったのか?は分かりませんが、少なくとも動力性能的には満足のいく数値になったのではないかと思ってしまいます。
まあ、もともとスポーツとは言いながらも性能的にはグランドツーリングカー的なクルマですし、本皮張りの内装やリクライニングシートなどラグジュアリーな装備であり、メーターもスピードのほかにタコメーターや燃料、水温、油圧、時計とにぎやかな割にはシフトレバーはコラムの4速であったりと、あくまでも豪華でゆったりと流す走りが似合う車であったのは確かです。
でも、そんなスカイラインスポーツですが第一回日本グランプリに出場しているのは驚きです。(もちろんクーペのほうです)
www.geocities.jp
www.geocities.jp
外人ドライバーのR.ジョーンズと生沢徹の二人が出走しましたが結果は惨敗。
全く良いとこ無しでした・・・(ちなみにプリンスは真面目に規約を守ったためにロクなチューニングもせずに出場したためにグランプリ終了後は車の販売にかなり影響が出たらしい)
一応SI系スカイラインに混じり最新のS40Dグロリアも出場していますがスカイライン諸共まるっきり活躍してません(泣)
そんなこんなで商業的には失敗だったといわれています。
でも今見ると当時の国産車離れした流麗なスタイルは流石イタリアンデザインだと言えるのではないでしょうか?
あのクルマの元がBLSIグロリアとは思えないほど低く、長く変身しています。
ちなみにグロリアとスカイラインスポーツの諸元は次の通りです。
グロリア(BLSIP-3) スカイラインスポーツ(BLRA-3,R21-A/R21-B)
全長:4,380mm 4,650mm
全幅:1,675mm 1,695mm
全高:1,535mm 1,410mm
軸距:2,535mm 2,535mm
車重:1360kg 1,350kg (クーペ)/1,340kg (コンバーチブル)
最高速度:140km/h 150km/h
同じなのはホイールベースだけです。
シャシーが同じなので当たり前ですけど。
乗車定員はグロリアが6名でクーペは5名、コンバーチブルは幌の収納部分があるため4名となっていました。
スカイラインスポーツについては面白い書籍があるので、もし興味のある方は「二玄社プリンスとイタリア クルマと文化とヒトの話 板谷熊太郎 著」を読んでみてはいかがでしょう。
プリンス自動車とイタリアのカロッツェリアとの繋がりなど興味深い話が読めます。
このスカイラインスポーツは当時の映画にもちょくちょく出演していますが、一番有名なのはやはりウルトラQでの活躍ではないかと思います。
主人公 万城目 淳の愛車として赤いスポーツが頻繁に登場します。
ナンバーは品5 ね ・129という資料が多いですが、よく見ると「わ」に細工をして「ね」に見えるようにしています。
ウルトラQ 9話より
なので正しくはレンタカーで、ナンバーも品5 わ ・129が正解です。
実際、撮影時に細工をしない時もあったようで、「わ」のまま映っている場面もあります。
ウルトラQ 9話より
ウルトラQ 12話より
ウルトラQ 28話より
このとき、何故かブレーキを踏んでいるのに左右のウインカーが点灯してますね?
この角度から見ると、いかにリアが長いかが良く分かります。
撮影の際に劇用車を貸し出す専門業者へその都度手配していたというのが真相のようです。
そのせいかは分かりませんが、何度か万城目は違う車に乗っています。
これは推測ですが、何かの理由でいつものスポーツの手配が出来ず、仕方なく違う車で撮影した・・・
そんな気がします。
その中で一番気になる代車が、色違いのスカイラインスポーツです。
モノクロでもはっきりと色の違いが分かるスポーツが一度だけ出てきます。
第22話の「変身」の中でですが、この時は白っぽいスカイラインスポーツに乗っています。
内装も違う色のようで、シートなどが明らかに黒っぽいです。
今回、DVDのウルトラQ総天然色を見て確認したところ、やはり赤と白の2種類のスカイラインスポーツが確認できました。
ナンバーも違い、白いほうは品5 な 20-84と確認できました。
ウルトラQ 22話より
レンタカーではないこの車の持ち主はいったい誰だったのでしょうね?
話の内容よりこちらのほうが気になってしまいます。
この2台のスカイラインスポーツ、登録ナンバーから推測すると1962年から64年の間に登録された事が分かります。
頭の「品」という表記から始まるこの書式のナンバーは1962年8月から64年10月まで使用されたもので、それ以前は数字の真ん中のハイフン-は無し、0から始まる4桁の数字表記で、1〜3桁の場合0の代わりに表記される「・」が付いたのが62年以降からなのです。
また、64年11月からは「品」表記は「品川」表記となる為、ウルトラQに出ているスカイラインスポーツの登録時期は上記のように推測できます。
時期的にはたぶん初年度登録のままでしょうね。
赤い車と白い車のナンバーが結構離れていますが、一概に登録された時期的なものではなく、レンタカーと自家用の登録台数の違いから来るものだと思われるので、実際の登録時期はそれほど離れていないんじゃないかと私は考えます。
どちらにせよ、撮影当時は発売から3年以上経った中古車ですから良く見るとそれなりにヤレてますね。
右リアのホイールキャップが外れている時があったり(パンクでもして急遽交換したか?)
内装の痛みが分かるシーンがあったりとそれなりに痛んでいるのが分かります。
ウルトラQ 26話より
リヤタイヤがフロントと違うものになっています(ホワイトリボンの太さが違う)
この前のシーンで一瞬ですが、ホイールキャップを履いていないリアタイヤが写ります。
ホイールリングも装着していないので、交換後とりあえずキャップだけ装着したんでしょうかね?
でもこの写真、デジタルの補正がおかしいですね。
ボンネットの先端の色がグレーっぽいのに、グリルはボディと同色になってます。
まあ、モノクロにデジタルで色をつけているので所々おかしいのは目をつぶるべきでしょうか。
それにしても、いくら物語のうえでの設定とはいえ、小さな航空会社の社長兼パイロットがおいそれと乗れるようなクルマではないのは明らかです。
しかもスポーツだけでも2台持っている事になりますし(笑)
よほどのクルマ道楽か、どこぞの御曹司でもない限りたった一人の社員「戸川 一平」にも愛想をつかされそうなもんですが、よほどしっかりとお給料を払っているのでしょうかねぇ。
(もし本当に2台持っているとしたら生産数25台のうちの2台ですから凄い事ですよね〜)
何かというとすぐ事件や謎に首を突っ込んで、本業のほうが度々疎かになっていますから経営的に大丈夫なんだろうかと要らぬ心配をしてみたり・・・
まあ夢の無い話はこの辺にして、長々とお付き合い頂いたウルトラマンシリーズとクルマについての話は今回にて終わりです。
ただ、生産台数の割には残存数が意外と多いこの車についてはそのうちもう少し詳しく書こうと思います。
ではまた
プリンスとイタリア クルマと文化とヒトの話 [ 板谷熊太郎 ] 価格:1,944円 |
価格:5,637円 |
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6949339
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
確かにこの赤いコンバーチブルは別の映画にも出演しているようですね。
他に石油会社の広告にも登場しているようですが、もしナンバーが「わ」のままなら個人の登録ではないはずです。
某社長の私物だったとすればナンバーは違ったのではないかと思うのですが・・・
「わ」ナンバーになる前に別のナンバーで登録されていたのでしょうか?
とても気になります。
泉麻人氏が、同じ車が当時の映画に出てきており、ナンバープレートも同じだと確認され、某社長の私物だったとどこかのコラムで書かれていました。
失礼しました。