2017年10月09日
スーパーカーブームの頃
どうもです。
今回は少し子供の頃の話をしたいと思います。
昭和50年代初めの頃の事です。
小学校2年生頃のことだったでしょうか?
世間では空前のスーパーカーブームの真っ只中でした。
そんな中、当然のように自分もブームに乗っかってカードを集めたりメンコを買ったりと忙しい?日々を過ごしていました。
そんな中でも一番ハマッたのは「スーパーカー消しゴム」
それこそ小遣いを貰うと小学校の目の前にあった駄菓子屋の「ガチャガチャ」←(地域によってはガシャポンとも言うのかな?)でスーパーカー消しゴムを買って一瞬にして使い切っていました。
まあ、当時は100円くらいしか小遣いを貰ってなかったですが、消しゴムが当時1個20円だったので、5回やるとお終い。
それでお目当ての車種が出てくれれば御の字なんですが、なかなかどうして欲しいやつって簡単に出ないもんで、カウンタックとかフェラーリが欲しいのにBMW
(ベンベーって言ってた)とか出てきたりして・・・
そのうち文房具屋さんとかで直接選んで買えるようになったりしましたけど。
他に大きいガチャガチャもあって、そちらは1回100円で、スーパーカー消しゴムも大きいやつがひとつ入っていたんですね。
でもカプセルに対して中身のほうが少し大きかったので無理やり詰め込まれていて、中身を取り出すと見事に反り返っていて、そのままではとても鑑賞や実用に堪えない状態でした。
今ならお湯に浸して元に戻すとか色々考えられるんですけど、当時はひたすら逆にひん曲げてクセを付け直すくらいしか思いつきませんでしたね。
まあ、小さいやつが本命で大きいほうは滅多なことでは買いませんでした。(と言うか買えなかった)
何故小さいほうが本命だったかと言えば、ある程度の年齢層の方なら皆知ってる遊びの為に買っていたからですね。
あの消しゴムでレースをしたりするためです。
ノック式ボールペン(BOXYが有名)・・・通称”パッチンペン”と地元では言われていたボールペンの先で消しゴムを弾き飛ばして飛距離とテクニックを競い合っていました。
近所に住んでいた大工の息子の上級生のところに行くと、大きなベニヤ合板にサーキットコースが書かれていて、周りに住んでいたガキ共が連日集まってレースが開催されていたんですよ。
それ以外にもメンコもまだまだブームで、地域的には丸いタイプのメンコでスーパーカーの写真がプリントされていたものが沢山あり、10円面と言っていた10円で買える直径10〜15センチくらいのものが主流で、他に作りのしょぼい5円面というのも入手可能でした。(紙質が悪くて少し薄いし写真もちょっとダサい)
あと、たまに自慢したくて30円とかのデカイやつを買っても上級生と対戦してあっという間に取られてお終い(泣)
メンコのルールって地域によって違うんでしょうけど、自分の居たところでは相手のメンコの下に自分のメンコを少しでも潜り込ませれば自分のものに出来ました。
勢い余って下を通過しただけでは駄目で、あくまでも下に挟まっていなければ取れた事にならなかったですね。
あとはスーパーカーのカード集めですかね。
1枚10円とかで駄菓子屋の軒先に中身が見えない袋に入ってぶら下がっていて、裏に当たりマークがあるとカードを入れるアルバムが貰えたんですよ。
滅多に当たらなかったけど、なぜか昔のものを整理していたら消しゴムと一緒に出てきました。
両方ともかなり汚い状態ですけど、良くまあ何度も引越しをしたのに残っていたもんだ。
奇跡的に残っていた4台。左からフェラーリ308、512BB、ランボルギーニウラコ、BMW
なぜかフェラーリ512BBとウラコの刻印が入れ替わってる・・・
こちらはクジで当たったスーパーカーカード入れ
なぜかこの時はポルシェだったらしいです
で、中身ポルシェとBMWとセリカシルエットとマセラッティボーラが入ってました
で、当たりのカードはこんなでした”大当たりラッキーカード”
”きみはついている!!”
”かったお店でけい品ととりかえよう”
と、書いてあります。
当たったその場でカード入れを貰うと、駄菓子屋のおばちゃんに当たりマークはマジックで消されるのでした。
あと、この頃にやっていたテレビ番組で忘れられないのは東京12チャンネル(現テレビ東京)でやっていた「スーパーカークイズ」ですね。
当時は何チャンネルでやっていたかなんて気にもしてませんでしたが、後で調べたらやっぱりテレ東でした(笑)
実際どれくらい続いていたのかと思い調べてみたら、なんだかんだで1年くらいは放送していたんですね。
懐かしいのはオープニング曲の、♪僕の憧れ、僕の恋人ス〜パ〜カ〜♪の歌詞と、番組後半の対決コーナーです。
でも、テレ東に映像が残っていないそうですね。(貧乏でテープの使い回しをしていたからだとか・・・)
楽しみで毎週欠かさず見てました。
が、そんな暮らしも1年ほどで収束に向かいます。
熱狂的に盛り上がりを見せていたスーパーカーブームも、あっという間に萎んでしまいます。
アレだけ日本中の子供たちが熱狂していたスーパーカーブームは、ほんの一瞬の出来事だったんですね。
あの頃は全国あちこちでスーパーカーショーのような催し物があって、当時自分の住んでいた藤沢の田舎町でも近くの農協の敷地で展示会のような事をやっていました。
どんな車が来るのかと期待していたら、一番有名なところでポルシェ928(笑)
あとは何だか忘れてしまいましたけど、忘れるくらいショボかったんでしょうね。
まあ、あの頃道でスーパーカーを見かけると、「うぉーーー!!」となってましたが滅多に見れるもんでもなく、たまに見れてもポルシェ911くらい。
ポルシェ914にいたっては「ワーゲンポルシェ」といって仲間に入れてあげていませんでしたから(可愛そうに)
あと、なぜかフィアットX1-9はギリギリなポジションでした(何故だろう?)
当時晴海等で大きなイベント等もやったみたいですが、そこまで世の中の事に敏感な年頃でもなかったのでやっていた事にすら気が付いていなかったので親は楽だったと思います。
代わりにトミカの1台でも買ってもらえば幸せでしたから。
(少し後の時期でしたが、トミカのスーパーカーもそれなりに持ってました)
気が付くとあれだけ騒いでいたスーパーカーのこともすっかりどうでもよくなって、いつもの暮らしに戻っていきました。
藤沢の田舎に住んでいたので、他にも遊びは腐るほどありましたからやる事には困らなかったです。
田んぼや用水路ではザリガニやオタマジャクシを取り、夏には上級生にくっついてカブトムシを取りに行き、秋には原っぱで虫かご一杯に殿様バッタを取り、冬には大山ゴマを回したり缶蹴りをやって遊んでました。
大山独楽(^^)
今はなかなかそういった遊びも難しくなってしまったようですが、たまに近所の田んぼでザリガニ取りをしている子供をみるとちょっと安心してしまいます。
小さいうちは家でゲームなんかしてないで、外で体を動かして遊んで欲しいですね。
などと、オヤジくさい事をいいながら今回は終わります。
ちなみに自分はこの後「ウルトラ怪獣」がマイブームとなるのでした。
ではまた
今回は少し子供の頃の話をしたいと思います。
昭和50年代初めの頃の事です。
小学校2年生頃のことだったでしょうか?
世間では空前のスーパーカーブームの真っ只中でした。
そんな中、当然のように自分もブームに乗っかってカードを集めたりメンコを買ったりと忙しい?日々を過ごしていました。
そんな中でも一番ハマッたのは「スーパーカー消しゴム」
それこそ小遣いを貰うと小学校の目の前にあった駄菓子屋の「ガチャガチャ」←(地域によってはガシャポンとも言うのかな?)でスーパーカー消しゴムを買って一瞬にして使い切っていました。
まあ、当時は100円くらいしか小遣いを貰ってなかったですが、消しゴムが当時1個20円だったので、5回やるとお終い。
それでお目当ての車種が出てくれれば御の字なんですが、なかなかどうして欲しいやつって簡単に出ないもんで、カウンタックとかフェラーリが欲しいのにBMW
(ベンベーって言ってた)とか出てきたりして・・・
そのうち文房具屋さんとかで直接選んで買えるようになったりしましたけど。
他に大きいガチャガチャもあって、そちらは1回100円で、スーパーカー消しゴムも大きいやつがひとつ入っていたんですね。
でもカプセルに対して中身のほうが少し大きかったので無理やり詰め込まれていて、中身を取り出すと見事に反り返っていて、そのままではとても鑑賞や実用に堪えない状態でした。
今ならお湯に浸して元に戻すとか色々考えられるんですけど、当時はひたすら逆にひん曲げてクセを付け直すくらいしか思いつきませんでしたね。
まあ、小さいやつが本命で大きいほうは滅多なことでは買いませんでした。(と言うか買えなかった)
何故小さいほうが本命だったかと言えば、ある程度の年齢層の方なら皆知ってる遊びの為に買っていたからですね。
あの消しゴムでレースをしたりするためです。
ノック式ボールペン(BOXYが有名)・・・通称”パッチンペン”と地元では言われていたボールペンの先で消しゴムを弾き飛ばして飛距離とテクニックを競い合っていました。
近所に住んでいた大工の息子の上級生のところに行くと、大きなベニヤ合板にサーキットコースが書かれていて、周りに住んでいたガキ共が連日集まってレースが開催されていたんですよ。
それ以外にもメンコもまだまだブームで、地域的には丸いタイプのメンコでスーパーカーの写真がプリントされていたものが沢山あり、10円面と言っていた10円で買える直径10〜15センチくらいのものが主流で、他に作りのしょぼい5円面というのも入手可能でした。(紙質が悪くて少し薄いし写真もちょっとダサい)
あと、たまに自慢したくて30円とかのデカイやつを買っても上級生と対戦してあっという間に取られてお終い(泣)
メンコのルールって地域によって違うんでしょうけど、自分の居たところでは相手のメンコの下に自分のメンコを少しでも潜り込ませれば自分のものに出来ました。
勢い余って下を通過しただけでは駄目で、あくまでも下に挟まっていなければ取れた事にならなかったですね。
あとはスーパーカーのカード集めですかね。
1枚10円とかで駄菓子屋の軒先に中身が見えない袋に入ってぶら下がっていて、裏に当たりマークがあるとカードを入れるアルバムが貰えたんですよ。
滅多に当たらなかったけど、なぜか昔のものを整理していたら消しゴムと一緒に出てきました。
両方ともかなり汚い状態ですけど、良くまあ何度も引越しをしたのに残っていたもんだ。
奇跡的に残っていた4台。左からフェラーリ308、512BB、ランボルギーニウラコ、BMW
こちらはクジで当たったスーパーカーカード入れ
で、中身ポルシェとBMWとセリカシルエットとマセラッティボーラが入ってました
で、当たりのカードはこんなでした”大当たりラッキーカード”
”きみはついている!!”
”かったお店でけい品ととりかえよう”
と、書いてあります。
当たったその場でカード入れを貰うと、駄菓子屋のおばちゃんに当たりマークはマジックで消されるのでした。
あと、この頃にやっていたテレビ番組で忘れられないのは東京12チャンネル(現テレビ東京)でやっていた「スーパーカークイズ」ですね。
当時は何チャンネルでやっていたかなんて気にもしてませんでしたが、後で調べたらやっぱりテレ東でした(笑)
実際どれくらい続いていたのかと思い調べてみたら、なんだかんだで1年くらいは放送していたんですね。
懐かしいのはオープニング曲の、♪僕の憧れ、僕の恋人ス〜パ〜カ〜♪の歌詞と、番組後半の対決コーナーです。
でも、テレ東に映像が残っていないそうですね。(貧乏でテープの使い回しをしていたからだとか・・・)
楽しみで毎週欠かさず見てました。
が、そんな暮らしも1年ほどで収束に向かいます。
熱狂的に盛り上がりを見せていたスーパーカーブームも、あっという間に萎んでしまいます。
アレだけ日本中の子供たちが熱狂していたスーパーカーブームは、ほんの一瞬の出来事だったんですね。
あの頃は全国あちこちでスーパーカーショーのような催し物があって、当時自分の住んでいた藤沢の田舎町でも近くの農協の敷地で展示会のような事をやっていました。
どんな車が来るのかと期待していたら、一番有名なところでポルシェ928(笑)
あとは何だか忘れてしまいましたけど、忘れるくらいショボかったんでしょうね。
まあ、あの頃道でスーパーカーを見かけると、「うぉーーー!!」となってましたが滅多に見れるもんでもなく、たまに見れてもポルシェ911くらい。
ポルシェ914にいたっては「ワーゲンポルシェ」といって仲間に入れてあげていませんでしたから(可愛そうに)
あと、なぜかフィアットX1-9はギリギリなポジションでした(何故だろう?)
当時晴海等で大きなイベント等もやったみたいですが、そこまで世の中の事に敏感な年頃でもなかったのでやっていた事にすら気が付いていなかったので親は楽だったと思います。
代わりにトミカの1台でも買ってもらえば幸せでしたから。
(少し後の時期でしたが、トミカのスーパーカーもそれなりに持ってました)
気が付くとあれだけ騒いでいたスーパーカーのこともすっかりどうでもよくなって、いつもの暮らしに戻っていきました。
藤沢の田舎に住んでいたので、他にも遊びは腐るほどありましたからやる事には困らなかったです。
田んぼや用水路ではザリガニやオタマジャクシを取り、夏には上級生にくっついてカブトムシを取りに行き、秋には原っぱで虫かご一杯に殿様バッタを取り、冬には大山ゴマを回したり缶蹴りをやって遊んでました。
大山独楽(^^)
今はなかなかそういった遊びも難しくなってしまったようですが、たまに近所の田んぼでザリガニ取りをしている子供をみるとちょっと安心してしまいます。
小さいうちは家でゲームなんかしてないで、外で体を動かして遊んで欲しいですね。
などと、オヤジくさい事をいいながら今回は終わります。
ちなみに自分はこの後「ウルトラ怪獣」がマイブームとなるのでした。
ではまた
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事実1977年の夏、東京は晴海で開催された「カロッツェリアイタリアーナ77」に親に連れられて行ったことを憶えております。
小生が強い印象を覚えたのはイタルデザインのコンセプトカー「マセラティメディチ」並びにフェラーリ512BB(ピニンファリーナ・デザイン)でしたが、会場と東京駅の間の足となった1973年型日産セドリック230型/2000デラックスの個人タクシー(色は青銀色メタ)の「ふんわりと腰がない代わりに、クラウンと違って不快な横揺れのない」特有の乗り心地と♪グルルル、ルワーン♪とも言うべき未対策L20エンジンのサウンドにも負けず劣らず印象付けられたということは、この幼時から意識の中心は国産車・欧州車を問わず量産乗用車に行っており、スーパーカーは「浮世離れすぎていまいち地に足がつかない∴親しみがわかずついていけない」という深層心理を持っていたと自己分析できる次第です―我ながら老成した「マセたガキ」だったのでしょうね(笑)。
余談の余談ですが、同ショーへ行く前に自宅では明治乳業「ピッツァ&ピッツァ」ミックスを昼食に食べて出かけたものです。
どうもです。
コンボイも懐かしいです。
小学2年生?くらいの頃、映画を観に行った記憶がありますよ。
小学校低学年じゃ内容なんて理解出来ませんでしたが、沢山のトレーラーが出てくるので興奮して観た覚えがあります。その後はシンセイミニパワーのトレーラーで遊んでましたね〜
どちらかというと、働く車が好きだったので、アメリカンサイズの巨大なトレーラートラックにしびれました(笑)