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2022年09月01日
宗像三女神の総本宮「宗像大社」へ
情報
名前:宗像大社
住所:宗像市田島2331
創始:不詳
社格:官幣大社
御祭神:沖ノ島 「沖津宮(おきつみや)」 :田心姫神(たごりひめのかみ)
大島 「中津宮(なかつみや)」 :湍津姫神(たぎつひめのかみ)
田島(本土)「辺津宮(へつみや)」 :市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
御神徳:交通安全、恋愛成就、縁結び、夫婦円満、子孫繁栄、大願成就、金運アップ、商売繁盛、学問
御朱印:有
由緒
日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社です。
宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の娘の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。
伝えられる伝承では日本神話の話に起源を持つという。
天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神ということになっていて、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされています。
『日本書紀(720年)』には、天照大神から宗像三女神へ「歴代天皇をお助けすれば、歴代天皇が祀るでしょう」という言葉が残されています。
これは宗像が日本における最初の国際港であったため、海外との外交、貿易、国防的な機能を果たせば、天皇が祀るとされ、それは沖ノ島から出土した約八万点の国宝からも国家祭祀の痕跡が裏付けています。
宗像は『古事記』では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるが、元は水潟であったとする説もある。
古くから海の神として信仰を集めてきたが、神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされています。
宗像大社が「裏伊勢神宮」?
福岡県宗像市の「宗像大社」と三重県伊勢市の「伊勢神宮」は実は深い関わりがあり、宗像大社は「裏伊勢神宮」と呼ばれています。
なぜ「裏伊勢神宮」と呼ばれているかというと、御祭神の繋がりがあるからなんです。
上記で記載した由緒でもあるように、娘とされており、天照大神から宗像三女神へ勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めることになっているからです。
また、宗像三女伸は、「道主貴(みちぬしのむち)」と別称を持っており、「貴」は高貴な神にのみ贈られる尊称で、伊勢神宮の大日孁貴(おおひるめのむち)と出雲大社の大己貴命(おおむなち)だけとなっています。
宗像氏と皇室との関係
胸形君徳善(むなかたきみとくぜん)の娘、尼子娘(あまこのいらつめ)は、第40代 天武天皇の后となり、朝廷より特別の待遇を受けてきました。
天皇家と深い関わりがるとは、かなりびっくりしました。
昔から、力の強く由緒ある家系だったことが伺えます。
家系図等や資料は、宗像大社の管理する神宝館にもありますし、宗像大社HPに記載されています。
散策
鳥居をくぐると池が出てきて、橋を渡ります。
子供たちが恋の餌を与えてて微笑ましい光景です。
渡り終え、ふと後ろを振り返ってみました。
目の前が拝殿への入り口です。
手水舎にて、身を清めます。
大きいので、沢山の方と清めることが出来ます。
参拝客が雨に濡れないように屋根が付いております。
この気心が嬉しいですね。
拝殿にて、お参りをします。
この本殿は、辺津宮(へつみや)なので末女神である市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)様がお祀りになられています。
摂社・末社です。
右側の末社の写真を撮影出来てませんでした。
本殿を撮影したのですが、上空の空が少し神秘的でした。
本殿の上空の雲が、渦を巻いていて、穴が開いてたので、思わず撮影。
動画を撮影してればよかった…
本当に不思議なものとなりました。
見た瞬間、鳥肌が立ちました。
宗像大社で写真を撮ると不思議な写真が撮れることがあります。
本殿を先程の写真の反対側から撮影したものです。
御神木は、楢の木(ならのき)で、宗像大社の御神紋にもなっています。
こちらの御神木も何となく不思議な気がします。
私にそういった類の不思議な力はないのですが、何か目を奪われます。
本殿がある境内から、高宮祭場に向かう高宮参道の木々たち。
二枚目の写真のところがいつも気になっている場所です。
絶対に足を停め、その場所にお参りをします。
それが私自身不思議でもあります。
何かあるんでしょうか?
分かる方いたら、教えてください。
こちらの御神木は「相生の樫」です。
二本の幹から伸びた枝が、仲睦まじく交差し合った連理の樹木は、男女の絆を深め恋愛が実り、末永く夫婦円満の福徳が有ると言い伝えられています。
伊勢神宮の古い社殿を頂戴したもので、第二宮には沖ノ島の沖津宮である田心姫神(たごりひめのかみ)、第三宮には大島の中津宮である湍津姫神(たぎつひめのかみ)が祀られています。
詳しい第二宮と第三宮の説明はこちらの説明板よりどうぞ。
高宮祭場に行く高宮参道です。
少し小高いとこにあるので、登っていきますが全然きつくありません。
参道の木々が日常を忘れさせてくれるような神秘さを醸し出しています。
宗像三女神が降臨した場所である神聖な場所である高宮祭場です。
神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)を見られる珍しい場所です。
高宮祭場がある場所は宗像山の中腹で、高宮祭祀遺跡という遺跡の一部です。
高宮祭祀遺跡からは沖ノ島の祭祀跡から出土した奉献品と共通する物が、数多く発見されているそうです。
ですが、ここは、下高宮祭場とのこと。
下だということは、上があるということ。
私が感じる気になる場所を行くと「立ち入り禁止」の立て札があるので、そこが上高宮祭場に行く入り口のとこなのかもしれません。
説明板がありましたので、貼っておきます。
御朱印を頂き終わって、ふと上を見ると龍雲が見れました。
私が見た時は雲が繋がっていて、もっと龍の形をしていたんですが、スマホを取り出してカメラの準備をしている途中で、切れていって写真のようになっていきました。
写真にちゃんとした形で残せなかったですけど、見られたことは凄く幸運です。
神宝館に見学に行きました。
神宝館とは、沖ノ島神宝(8万点の国宝)を中心に、宗像大社に伝承されてきた重要文化財などが収蔵展示されています。
〇拝観料 (施設維持協力金)
800 円 一般
500 円 高校生・大学生
400 円 小学生・中学生
〇開館時間 9:00〜16:30 (最終入館 16:00)
〇休館日 年中無休
勾玉や、鏡などたくさんの重要文化財を見学することが出来ました。
写真は、ほんの一部なので、是非見学に行ってみてください。
宗像大社の由緒書です。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
パワースポットとしても有名な神社ですが、本物のパワースポットだと感じます。
高宮祭場だけでなく、所々感じる不思議な感覚は境内至るところにあると思います。
何もない空間・土地が気になったり、木が気になったりと、不思議な場所です。
1人で参拝に訪れ、神域を肌で感じながら散策すると感じられるはずです。
私の周りにも不思議な写真が撮れることが多いようです。
人生の道に迷って、人生の交通安全を祈願しに参拝すれば、神様からのメッセージが受け取れるかもしれません。
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2022年08月31日
日本三大八幡様「筥崎宮」へ
情報
.名前:筥崎宮
住所:福岡市東区箱崎1-22-1
創始:921年
社格:官幣大社
御祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
御神徳:勝運、厄除け、商売繁盛、学問芸術、安産、交通守護、家内安全、開運
御朱印:有
由緒
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。
創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)「現:大分八幡宮」より遷座したことになっております。
創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
(筥崎宮公式HPより)
地名の由来
この地は海外交通の要地であると同時に国防の要衝でもありました。
古く葦津ヶ浦(あしつがうら)と称されていました。
その昔、三韓征討から凱旋された神功皇后は、筑紫の蚊田の里(現在の粕屋郡宇美町)で応神天皇を御出産なされます。
その時の御胞衣(ごほうい)を「筥(はこ)」におさめて、白砂青松の葦津ヶ浦(あしつがうら)に御埋鎮(ごまいちん)され、御標(みしるし)として松を植えられました。
「標しの松」は「筥松(はこまつ)」と名付けられて以後、筥松のある岬(崎)ということで「筥崎(はこさき)」の名が起こったと伝わっています。
その由緒から「筥(はこ)」の字は畏おそれ多いとされ、人々の営みの場の名称には「箱崎(はこさき)」の文字が使われています。
散策
海から続く長い長い参道を通って、大きな鳥居を4回程くぐります。
結構歩くので、境内近くの駐車場を利用することをお勧めします。
手水舎にて、身を清めます。
大きいので、沢山の方と清めることが出来ます。
筥崎宮の楼門に掲げられている扁額(へんがく)には「敵国降伏」の文字。
『力でなく徳の力で勝つ』という壮大な言葉です。
拝殿にて、しっかりとお参りをします。
この時、たくさんの参拝客がいらっしゃったんですが、私が清めている時に誰もいなくなってしまい、独占でお参りすることが出来ました。「ありがとうございます」
社務所側から撮影した拝殿と御標である松(御神木)。
立派な建物で、見るものを圧巻する大きさです。
筥崎宮の神様である応神天皇の胞衣(えな)を納めた筥(はこ)を埋め、その目印に松が植えられたと伝わる聖地です。
有名スポーツチームの「戦勝祈願」の絵馬。
勝運の神として知られる筥崎宮では、福岡ソフトバンクホークスやアビスパ福岡などの戦勝祈願に立ち会うことができますよ。
楼門に向かって右側に亀山上皇奉安殿が、あります。
今からおよそ750年前に、博多の町は蒙古襲来により二度戦火にみまわれ、筥崎宮もご社殿を焼失しました。
この際、第90代天皇の亀山上皇様が「敵国降伏」のご宸筆を奉納され、博多の街は無事におさまりました。
その亀山上皇様の木彫の御神像が、楼門向かって右側に奉安されています。
西末社です。
西末社は以下の神様が祀られています。
龍王社 : 海と空の守り神
若宮殿 : 芸能文化の守り神
仲哀殿 : 八幡様の親神・家族の守り神
厳島殿 : 旅行安全の神
民潤社 : 火除の守り神
東末社の前にイベントのテント等があったので撮影していません。
東末社は以下の神様が祀られています。
池島殿 : 手足の守り神
武内社 : 不老長寿・健康の神
乙子宮 : 子育ての神
住吉殿 : 海上交通の守り神
稲荷社 : 商売繁昌の神・田畑の守り神
境内に中も綺麗にされてて、大楠が立派で大きい。
都会の中に癒しの空間。
「湧出石」は筥崎宮のパワースポットとしても有名です。
この石に触れると「運」が湧き出ると言われています。
誰も居なかったので、5回くらいナデナデしてきました(笑)
室町時代の古図「筥崎宮縁起絵巻」にも描かれており、古来より境内に存在する霊石です。
『君が代』の歌詞に歌われている「さざれ石」。
近くに「志賀海神社」に『君が代』の由来があるって言われているから関係してるのかな?
あじさい宛の入り口に、「花手水」がありました。
ちょうどあじさいの時期で凄く綺麗でしたよ。
筥崎宮の由緒書です。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
参拝後に結婚式があって、良い時にお参りに行けたなと思いました。
縁起が良い参拝でした。
さらには、凄く気が良い感じがします。パワースポットと言われるだけあって、
清々しい気持ちになり、気持ちが一杯になった神社です。
これから、新しいことへの挑戦や気合を入れたい時に参拝に上がるのを凄くおすすめします。
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2022年08月27日
海神様の総本宮・龍の都「志賀海神社」へ
情報
名前:志賀海神社
住所:福岡市東区志賀島877
創始:不明
社格:官幣小社
御祭神:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
御神徳:海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒、健康長寿、家内安全、子供守護
御朱印:有
由緒
福岡市の志賀島に鎮座する志賀海神社(しかうみじんじゃ)は、全国の綿津見神社(わたつみじんじゃ)、海神社(あまじんじゃ・かいじんじゃ・わたつみじんじゃ)の総本宮です。
志賀海神社の創建は明らかではありませんが、古くは志賀島北部の勝馬に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」の三社が建てられ、それぞれ「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」が祀られていました。
二世紀から四世紀の間に表津宮を勝山の麓である現在の場所に遷座し、併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀されたと伝えられています。
綿津見三神を祖神とする阿曇族が代々奉斎してきました。
志賀島は古代から、大陸とを結ぶ海上交通の要衝で、志賀島と海の中道を拠点とした阿曇氏(安曇氏)が、玄界灘の海上を制圧していたと考えられます。
天智2年(663年)の朝鮮半島・白村江の戦いで戦死したのも阿曇氏(安曇氏)の一族、安曇比羅夫(あずみのひらふ)なので、神社の創建は神代にまで溯り、平安時代には日宋貿易の拠点となり、室町時代には大内氏が独占した日明・日朝貿易も行なわれています。
散策
鳥居の前に「御潮井」が置いてあります。
禊祓いの神様であるために、ご参拝の前に御潮井を左、右、左と軽くふり清めて神域に入ります。
禊払いを終えてようやく入れます。
階段を登ると、平らな参道が現れました。
楼門の前に、今は柵があり、渡ることが出来ませんが15本の石を組んだ太鼓橋があります。
何となく気になり、何枚か写真を撮ってしまいました。
手水舎で、身をさらに清めます。
拝殿にて、感謝と今後の交通安全のお参りをしました。
私が手水舎で身を清め終わった瞬間、誰もいなくなってしまいました。
いつも人が多い神社なので、不思議な感覚を覚え、ゆっくりとお参りすることができました。
「誠にありがとうございます。」
拝殿の右側には遥拝所があり、雄雌2つの亀石(かめいし)が祀られています。
これは、志賀島に伝わる神功皇后伝説にちなんで奉納された霊石です。
神功皇后が三韓征伐の際に、無事凱旋できるように海の神様・阿曇磯良丸(あづみのいそらまる)を通じて祈願したところ、海から雄雌の黄金の亀に乗った神々が現れ、航路を守り導いたと伝えられています。
後にその亀が、石になって志賀島の海岸に流れ着き奉納されたものだそうです。
ちなみに、遥拝所の一直線上に伊勢神宮を向いているそうです。
参道の万葉歌碑です。
鳥帽子石、陰陽石が奉納されています。
参道の石造宝篋印搭です。福岡県で最古とのこと。
最後に
色んな言い伝えや、国家の「君が代」等の話も色々あり、興味深い古社です。
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
私が摂社・末社のお参りを終えるころ、人が雪崩のように参拝にやってこられました。
参拝客が多い神社では、不思議な体験でした。
もしかしたら、歓迎されていたのかもしれませんね。
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