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2022年09月14日

福岡の商売繁盛「十日恵比須神社」へ

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情報


名前:十日恵比須神社
住所:福岡市博多区東公園7-1
創始:1591年
社格:無格社
御祭神:事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
    大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)
御神徳:商売繁昌、家内安全、厄払い、縁結び、交通安全、漁業繁栄
御朱印:有


由緒


「福岡懸神社誌」(昭和19年刊)によると、「香椎宮社家の武内平十郎(後隠居して五右衛門と称す)が博多に分家し、神屋と号して商売を営んだ。

此の者天正十九年(一五九一年)正月三日、年始に当り香椎なる父の家に至り、香椎宮筥崎宮への参詣の帰途、浜辺潮先に於て、恵比須大神の尊像を拾い上げたる地に御社を建て氏の神と家運大いに栄えたと云う」とあります。

また、「明治参拾参年旧正月記録ヨリ写取者也」と添え書きのある武内文書「十日恵比須神社記録写」には

「香椎から箱崎に参拝途中の潮先で、恵比須二対を拾い上げて、持ち帰って奉斎した」「毎年正月十日恵比須ととなえて、自身でお供えして拾い上げたところで御神酒をささげた。これが知られて次第に参拝する人が多くなって繁昌した」

という意味のことが書かれています。

当時、社は崇福寺境内にあったようですが、博多に分家した香椎宮ゆかりの武内家の一族が、最初は自宅に祀り、のち千代の松原に一社を建立したのが始まりらしいとのことです。

(参考資料:十日恵比須神社HPより


十日恵比須神社は、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)の二柱をお祀りしています。

えびす様は、「事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)」で、だいこく様であるお父様は「大國主大神(おおくにぬしおおかみ)」の親子の神様をお祀りしています。

西宮神社のえびす様は蛭子神をお祀りしていて、同じえびす様でもお祀りしている神様が違う場合があるので注意が必要です。


また、だいこく様は、今では貴重な出雲大社からの御分霊です。

現在、御分霊をいただく事は、出雲大社に限らず全国どこの神社も行っておらず、大変珍しい事なのだそうです。







十日恵比須について


毎年1月10日前後になると、福岡の方は仕事の途中、もしくは仕事を早めに切り上げ早々に「商売繁盛」を願いに、十日恵比須神社に向かいます。

福岡では、ごく普通の光景です。


十日恵比寿の目玉といえば、何といっても「福引」です。

1 回 2,000円でハズレ無しの福引に参加することができます。

福笹や、張子の福起こし、福寄せ、干支、金蔵、そろばん等「縁起物」がもらえます。

何が当たっても嬉しいのが、「福引」です。


そして、この福引の他にも「えびす銭」というのがあります。

こちら、200円で「借りる」ことができます。

借りるというのは、来年この「えびす銭」は返さないといけないけません。

昔は、この十日恵比須では『縁起の良いお金を借りて、それを元金に商売をして翌年「倍にして返す」』という風習があったそうです。

お金を返したらまた、借りて行くのだそうですが、それを現代ではこの「えびす銭」で表現してます。


散策


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鳥居をくぐり、本殿の神域に入っていきます。

境内は綺麗にされています。








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十日恵比須祭りでは、両側にたくさんの露店が出店している通りを過ぎていきます。


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こちらは、手水舎です。

恵比須様にちなんで、縁起の良い鯛の像があり、その口から糸のように水が出ています。

可愛い飾りつけと共に和みますね。


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拝殿で、商売繁昌家内安全の感謝のお参りをしました。

金運アップのパワースポットとしても有名なので、金運アップの祈祷もしました。

額に「出雲大社」と書いてあります。大黒様出雲大社からの御分霊だからでしょうね。


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本殿の裏手には、奉納された「恵比須様」「大黒様」の像がたくさん並べられています。

癒され、愛される二柱の神様の像にも、手を合わせ、お参りします。








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十日恵比須神社の案内板です。


最後に


御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。

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金運アップのパワースポットで多くの方がお参りに参られます。

駐車場は近隣のコインパーキングしかなく、十日恵比須の時期は料金がかなり上がるので注意が必要です。



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2022年09月09日

古からの勅祭社「香椎宮」へ

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情報


名前:香椎宮
住所:福岡市東区香椎4丁目16−1
創始:200年又は724年
社格:官幣大社
御祭神:
   主祭神 
    仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
    神功皇后(じんぐうこうごう)
   配祀神
    応神天皇(おうじんてんのう)
    住吉大神(すみよしのおおかみ)
御神徳:世界平和、国家安寧、安産育児、子授け、芸能上達、厄除け開運、武運長久、成功勝利、
    清祓、外交、除災招福、海上安全、交通安全、土木治水
御朱印:有



由緒


日本書紀』『古事記』によると、仲哀天皇8年に天皇は熊襲征伐のための西征で筑紫の行宮の橿日宮(かしひのみや)に至ったが、仲哀天皇9年に同地で崩御したという。

香椎宮の社記『香椎宮編年記』によれば、その後養老7年(723年)2月6日に神功皇后の神託があったため造営を始め、神亀元年(724年)12月20日に廟として創建されたとする。

現在の香椎宮社伝では、仲哀天皇9年時点ですでに神功皇后の手で仲哀天皇廟が建てられたとした上で、さらに養老7年の皇后の託宣により神亀元年に皇后廟も建てたので、これら二廟をもって創建とし「香椎廟」と総称された、としている。


後述の通り、創建当初から10世紀中頃まで香椎宮は文献では「」すなわち霊廟として記され、他の神社とは性格を異にする。

参考資料:Wikpedia


天皇・皇后の神霊を祀るという性格から、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられ、現在も勅祭社として10年に一度天皇からの勅使の参向を受ける神社である。

境内の社殿のうち、特に本殿は江戸時代後期の再建時のもので、「香椎造(かしいづくり)」と称される独特の構造であり国の重要文化財に指定されている。

祭事としては、10年に一度勅祭が斎行されるほか、現在も仲哀天皇・神功皇后の命日に神事が行われている。








散策


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道路側の鳥居から参拝します。


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境内に入り、一番最初に出てくるのは、しょうぶ池です。

池の中之島、辨財天社の市杵嶋姫命は財運・開運招福・芸能上達の御神徳があると伝えられます。


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右手にあるお茶屋さんを過ぎると、立派な楼門が出てきます。


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こちらは、手水舎です。

身を清めます。


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階段を登ると空気が変わる感じがします。

神域なのでしょうか。

拝殿まであと少し。









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最後の階段と門が出てきました。

拝殿が見えてきました。


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拝殿にて、日ごろの感謝をお参りしました。

毎年お正月に、お参りに訪れる神社で、普通の日にお参りは初めてです。


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本殿を撮影したかったのですが、改修中でした。

残念。


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奉楽殿の太鼓です。

祭典奉仕、または演奏会(雅楽・香椎宮大神楽等)で御披露頂けます。


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本殿の案内板です。

本殿は724年に建立され、1801年に第十代福岡藩主黒田斉清(長頼)により再建された「香椎造」という名の日本唯一の建築様式です。

入母屋造平入に切妻屋根が複雑に連結し、正面の大千鳥破風、左右の車寄せなど、変化に富んだ造りとなっています。


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古代より朝廷の崇敬が極めて厚い神社に天皇陛下よりの御幣物を奉り、御祭文を奏上する方を勅使とよび、その勅使を迎えて執り行う祭儀を勅祭といいます。

香椎宮は全国に十六社ある勅祭社の一社です。当宮勅祭は十年毎に執り行われています。


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摂社・末社の巻尾神社。

仲哀天皇・神功皇后に仕えた五大臣の中臣烏賊津大連命(なかとみのいかつおおむらじのみこと)をお祀りし、勝負運向上 武芸上達の御神徳があるとされます。


これから、境内を一旦離れます。

理由は、香椎宮起源の地 古宮に向かうためです。










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香椎宮起源の地 古宮の入り口です。

境内を出て歩いて5分くらいです。


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地名となった御神木「香椎」は今もここに残ります。

案内板に詳細が書いてあります。


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仲哀天皇国家鎮護の拠点とした橿日宮の跡地。かつては香椎廟と呼ばれた神聖な場所です。

香椎宮起源の地 古宮の境内に入って、沢山のアゲハ蝶が舞っていて、囲まれてしまいました。

歓迎されているんでしょうか。

その中の1匹が私の方に止まってしばらく一緒に歩いてました(笑)


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香椎宮起源の地 古宮からさらに5分くらい歩いた先に、不老水が汲める神聖な泉があります。

この泉の水を汲み仲哀天皇・神功皇后の食事と酒を調えた家臣、武内宿禰は三百余歳の長寿を保ち得たと伝えられます。

今現在でも水を汲むことができ、飲むことが出来ます。

口当たり滑らかの軟水で、冷たくて、凄く美味しい水でした。









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香椎宮の境内に帰って参りました。

次は、御神木である綾杉

神功皇后が三韓より御帰還され剣・鉾・杖の三種の宝を埋め、そこに鎧の袖に挿していた杉枝を「永遠に本朝を鎮護すべし」と祈りを込め埋められたものです。

葉が綾の様に交互に生えているので綾杉といわれ、国家鎮護の象徴として古来よりその杉葉を宮中に献上しています。

本当に素晴らしい御神木で、神々しく感じ、見る人圧倒する美しさがあります。

参拝に来られたら、絶対に参拝して欲しい一つです。


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摂社・末社の稲荷神社と鶏石神社です。

稲荷神社は五穀豊穣・商売繁盛・殖産興業の御神徳があるとされています。

鶏石神社は修理固成(しゅりこせい)・五徳向上・養鶏・育児夜泣きの御神徳があるとされます。


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亀乃池です。

亀がたくさんいて癒しの空間です。

おばあちゃんが井戸端会議をしてました。


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300才以上の長寿だったと伝えられている竹内宿禰の像です。


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仲哀天皇・神功皇后に仕えた五大臣筆頭の大臣武内宿禰命(おおおみたけうちすくねのみこと)をお祀りし、健康長寿・病気平癒・知恵向上・学業成就の御神徳があるとされます。


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香椎宮の案内書です。









最後に


御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。

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この香椎宮は、パワースポットの宝庫としても有名なので、夫婦円満や愛情の交差がうかがえるエネルギーが高めとのこと。

神功皇后仲哀天皇を想っての聖地なので、愛情が強いかもしれませんね。




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2022年09月03日

宗像三女神の御祭神「名島神社」へ

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情報


名前:名島神社
住所:福岡市東区名島1丁目26-1
創始:4世紀頃
社格:村社
御祭神:田心姫神(たごりひめのかみ)
    湍津姫神(たぎつひめのかみ)
    市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
御神徳:交通安全、家内安全、無病息災、智徳伎楽、縁結び、安産、商売繁盛
御朱印:有


由緒


神功皇后の三韓御遠征の折、香椎の西にある黒津の岬より、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことから、その場所が「名嶋」と名付けられたと伝えられます。そしてこの地より宗像三女神を拝し、遠征の無事を祈られました。

御凱旋の後、神功皇后は再びこの地に上らせ給い、宗像三女神を勧請して御奉斎された事が名島神社の起源と伝えられています。

本殿は文政十三年(一八三〇)四月、黒田斉清公の再建に成り、神仏習合時代の名残をとどめ、華麗なる仏閣作りが加味されています。

拝殿は明治の神仏分離と共に宗栄寺に移され、現在の薬師堂となっています。現在の拝殿はその後の御造営であり、平成二十三年(二〇一一)に改修されました。

名島神社HPより)









散策


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海側に鳥居があり、そこからの参拝です。


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こちらは、手水舎です。

身を清めます。

手水舎の横には、魚の像があります。愛らしい姿です。


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拝殿で感謝のお参りを。

先日、宗像三女伸の総本宮である「宗像大社」に参拝した次の神社なので、繋がりを感じざる負えません。


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本殿も映したつもりでしたが、少ししか映ってなかった。

残念。


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本殿・拝殿の四隅の東西南北の方角には、神仏習合の名残である四神が描かれています。








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名島豊川稲荷神社です。

明治初期に勧請された五穀豊穣・商売繁盛の神で、毎年2月の午の日には、初午祭が執り行われています。


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名島城跡地は現在公園となっています。

昔、香椎の花火大会があった時は、この公園から見てました。

春には、桜がとても綺麗で、お花見を楽しむ方が多いです。

城跡の写真を撮ってたつもりでしたが、なかった。

すいません。


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庚申塚です。


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神社の鳥居の海側には、神功皇后の伝説の地があります。


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9個の円柱状石は、古代三紀漸新世前期(今から約3500万年前)に堆積した志免層群名島層の砂岩、礫岩層中に含まれる珪化木とよばれる樹木の化石です。

香椎宮の社伝には、3世紀ごろ、神功皇后が三韓出兵の際に使用した船の帆柱が化石になったものという言い伝えがあり、波打ち際の岩の上に並ぶその姿は、まさに帆柱を連想させます。


帆柱石の近くにある古宮があるんですが、残念ながら参拝をするだけして、写真を撮り忘れていました。

名島神社のサイトによると、

「天正十六年(1588年)名島城建築の際、名島神社は現在の丘(神功ケ峯) から海辺へと移されました。その後、福岡城築城に伴い名島城は廃城となり、元禄(1695年) に黒田綱政公の命により元の場所へ御遷座されました。この旧詞を古宮としてお祀りしております。」

このように書かれています。









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境内にある由緒書です。


最後に


御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。


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昔、名島水上空港が目の前にあり、神功皇后の伝説の交通安全にあやかったのかもしれませんね。

大昔は島で、現在埋め立てばかりで景観も変わってますが、香椎宮から近く船の発着に良い立地だったと考えれます。



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