2022年09月03日
宗像三女神の御祭神「名島神社」へ
情報
名前:名島神社
住所:福岡市東区名島1丁目26-1
創始:4世紀頃
社格:村社
御祭神:田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
御神徳:交通安全、家内安全、無病息災、智徳伎楽、縁結び、安産、商売繁盛
御朱印:有
由緒
神功皇后の三韓御遠征の折、香椎の西にある黒津の岬より、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことから、その場所が「名嶋」と名付けられたと伝えられます。そしてこの地より宗像三女神を拝し、遠征の無事を祈られました。
御凱旋の後、神功皇后は再びこの地に上らせ給い、宗像三女神を勧請して御奉斎された事が名島神社の起源と伝えられています。
本殿は文政十三年(一八三〇)四月、黒田斉清公の再建に成り、神仏習合時代の名残をとどめ、華麗なる仏閣作りが加味されています。
拝殿は明治の神仏分離と共に宗栄寺に移され、現在の薬師堂となっています。現在の拝殿はその後の御造営であり、平成二十三年(二〇一一)に改修されました。
(名島神社HPより)
散策
海側に鳥居があり、そこからの参拝です。
こちらは、手水舎です。
身を清めます。
手水舎の横には、魚の像があります。愛らしい姿です。
拝殿で感謝のお参りを。
先日、宗像三女伸の総本宮である「宗像大社」に参拝した次の神社なので、繋がりを感じざる負えません。
本殿も映したつもりでしたが、少ししか映ってなかった。
残念。
本殿・拝殿の四隅の東西南北の方角には、神仏習合の名残である四神が描かれています。
名島豊川稲荷神社です。
明治初期に勧請された五穀豊穣・商売繁盛の神で、毎年2月の午の日には、初午祭が執り行われています。
名島城跡地は現在公園となっています。
昔、香椎の花火大会があった時は、この公園から見てました。
春には、桜がとても綺麗で、お花見を楽しむ方が多いです。
城跡の写真を撮ってたつもりでしたが、なかった。
すいません。
庚申塚です。
神社の鳥居の海側には、神功皇后の伝説の地があります。
9個の円柱状石は、古代三紀漸新世前期(今から約3500万年前)に堆積した志免層群名島層の砂岩、礫岩層中に含まれる珪化木とよばれる樹木の化石です。
香椎宮の社伝には、3世紀ごろ、神功皇后が三韓出兵の際に使用した船の帆柱が化石になったものという言い伝えがあり、波打ち際の岩の上に並ぶその姿は、まさに帆柱を連想させます。
帆柱石の近くにある古宮があるんですが、残念ながら参拝をするだけして、写真を撮り忘れていました。
名島神社のサイトによると、
「天正十六年(1588年)名島城建築の際、名島神社は現在の丘(神功ケ峯) から海辺へと移されました。その後、福岡城築城に伴い名島城は廃城となり、元禄(1695年) に黒田綱政公の命により元の場所へ御遷座されました。この旧詞を古宮としてお祀りしております。」
このように書かれています。
境内にある由緒書です。
最後に
御朱印を頂いたので、ご紹介しますね。
昔、名島水上空港が目の前にあり、神功皇后の伝説の交通安全にあやかったのかもしれませんね。
大昔は島で、現在埋め立てばかりで景観も変わってますが、香椎宮から近く船の発着に良い立地だったと考えれます。
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