2017年12月26日
向かうところは社会の「分断」のよう
グロ氏の大事な発言があります。初めの記事は
スウェーデン・アカデミーでの記者会見で述べ
たものです。「今、社会のあちこちで分断が深
まっている。・・・暗いムードを少しでも塗り
替え、世界の分断を埋める仕事ができればうれ
しい」。社会のどのあたりのことか、どう理解
するかなどはこのブログでは少々無理がありま
す。
従って、カズオ・イシグロ氏が今後の仕事の方
向を述べたと理解しましょう。「世界の分断を
埋める仕事ができればうれしい」ということで
す。どこの話だろうと思うのですが、マララさ
んの分野はどうでしょう。女の子は勉強しなく
ていい、学校教育はいらないという土地柄は分
断どころではないようにも思えます。ここの話
題の分断に適切ではないようです。
では、国境はどうでしょう。その昔はベルリン
の壁がありました。分断は分断なのですが、ド
イツ敗戦から始まりました。この例も極端です
ね。カズオ・イシグロ氏は現在進んでいる分断
を指しているようですが、推測は難しいです。
推測しないで期待するのがいいようです。
2番目の記事はノーベル賞授賞式の後の晩餐会
のスピーチということですが、カズオ・イシグ
ロ氏のノーベル賞についての記憶が語られ、
「ノーベルショウはヘイワを広めるために作ら
れた」とお母さんから聞いたこと。それから重
要なお話があって、「今、自分はノーベル賞の
精神が理解できていると信じています」となり
ます。分断という語が1つだけあります。どう
ぞ読んでみてください。
人類が進む方向なのか、カズオ・イシグロ氏の
進む方向なのかはっきりしませんが重要なこと
をサラリと話しています。「ノーベル賞は、人
類として立ち向かっていくべきものを思い出さ
せてくれます」。晩餐会の会場では分かりやす
いスピーチだったことでしょう。最後にはお礼
の言葉もあります。
◇ストックホルムのスウェーデン・アカデミーで記者会見
【ストックホルム鶴谷真】今年のノーベル文学賞を受ける日系英国人の作家、カズオ・イシグロさん(63)が6日、ストックホルムのスウェーデン・アカデミーで記者会見を行った。「今、社会のあちこちで分断が深まっている。ノーベル賞は、人間がいかにして高みに達するかと、人々が融合できるかどうかを問うものだ。暗いムードを少しでも塗り替え、世界の分断を埋める仕事ができればうれしい」と力を込めた。
ノーベル賞作家になることでの生活の変化については「今後、多岐にわたるテーマについて発言を求められるかもしれないが、自分の知っていることに専念していきたい」と、文学者の立場を守ると決意表明した。
イシグロさんは長崎市で日本人の両親の元に生まれ、5歳の時に海洋学者の父の渡英に伴って家族で移住した。日本への思いを問われると「私の母は長崎に投下された原爆を経験した。今回の受賞決定を日本の皆さんが喜んでくれたのはとても光栄」とほほ笑んだ。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞決定にも触れ「私たちは冷戦が終われば世界が平和になると思っていたが、実際はより危険が増している。だからICANの受賞は喜ばしい」と語った。
イシグロ文学の特徴は、記憶を都合よく改ざんしながら運命に流される人間の弱さを通し、歴史とは何かを問うのが基本姿勢だ。家族や芸術の力が失墜しつつある現代社会を、時代や場所をずらして比喩的に描き、簡潔な文体の奥にユーモアが漂う。
現在、注目しているテーマを問われると「例えば人工知能。その発展が人類にどのような意味をもたらすのだろうか」とした。代表作のひとつ「わたしを離さないで」(2005年)でヒトクローンの問題を問うたように、科学技術への根強い関心を示した
今後の抱負については「なかなか書き終えられない小説を完成させるべきだと思いつつ、一方で、米国の漫画家から提案があった共同の仕事にも取り組んでいる」と意欲をみせた。
★<ノーベル文学賞>イシグロさん「世界の分断埋める仕事を」
「ノーベルショウ」イシグロさんに刻まれた母の日本語
朝日新聞デジタル 12/11(月) 12:29配信
◆カズオ・イシグロさん ノーベル文学賞授賞式後の晩餐会スピーチ
今でもその外国人、私の本にカラフルにでかでかと描かれた西洋人の男の顔を鮮明に思い出すことができます。迫り来るようなその顔の背景には、一方に爆発によって巻き起こった煙とほこり、もう一方には空に飛び立っていく白い鳥たち。5歳の私は、日本の伝統的な「畳(タタミ・マット)」の上にうつぶせに寝そべっていました。
その瞬間が記憶に刻まれているのは、おそらく背後からきこえてきた母の声、ダイナマイトを発明したものの、その使われ方に心を痛めてやがて「ノーベルショウ」というものを創設したというその男について語るときの、その声が何か特別な感情をたたえていたからでしょう。
「ノーベルショウ」、その名を私は日本語で初めて耳にしたのです。「ノーベルショウというのはね」と母は私に語りました。「ヘイワ(平和や調和を意味する日本語です)を広めるためにつくられたものなのよ」。私たちの故郷である長崎が、原爆によって壊滅的に破壊されたわずか14年後のことです。幼かった私は、「平和」というものが何か大事なものだということを直感的に知っていました。それなしには、「何かおそろしいもの」が私の世界に迫ってくる、ということを。
優れた知見が常にそうであるように、ノーベル賞は、子供でも理解できるようなとてもシンプルなものです。そしておそらく、だからこそ、世界に影響を与え続けているのでしょう。自分の国の出身者がノーベル賞をとったときに感じる誇りは、オリンピックで自国のアスリートがメダルを獲得するのを目撃したときに感ずるそれとは質的に異なります。
わたしたちは、自分の同胞が他を優越しているということで誇りを感じるのではありません。そうではなく、われわれ人類の一員が、人類共通の財産となる偉大な貢献をなしたということに誇りを感じるのです。わき上がるその感情は大きく、人を結びつける力を持っています。
わたしたちはいま、異なる種族が互いに強く反目し、ばらばらに忌み嫌い合うような時代を生きています。私が生きる糧にしている文学という分野がそうであるように、ノーベル賞は、互いを分断する壁を越え、人類として共に何に立ち向かっていくべきなのかを思い出させてくれます。
ノーベル賞はまるで母が幼い子供に聞かせるような物語であり、世界中の母たちがそうしてきたように、子供たちをインスパイアし、彼らに希望を与えるのです。この栄誉を前に、私は幸せでしょうか。もちろんです。驚きのニュースを受け取った数分後、91歳となる母に電話をかけた際、自分でも気づかないうちにそう呼んでいたように、「ノーベルショウ」を受けたことを、たいへんに幸せに思っています。
ノーベル賞というものが持つ意味を、幼かったあの日の長崎で直感的に悟ったのと同じように、自分が今この賞の精神を理解できていると信じています。そしてその歴史の一つに連なることを許されたことに、畏怖(いふ)の念を感じながらここに立っています。ありがとうございました。(板垣麻衣子)
朝日新聞デジタル 12/11(月) 12:29
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