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2016年03月31日
映画 仮面ライダー1号 感想〜藤岡弘、となった本郷猛〜
25歳当時。お世辞にも俳優に優しいとはいえない撮影環境において、全身打撲と左足の複雑骨折という大怪我を藤岡弘、は負った。長期療養を余儀なくされたものの、番組サイドの考えもあって番組への再登板は前向きに検討され、藤岡弘、自身も自分に鞭打つ形でリハビリを強いてそれに耐えたという。その結果として本郷猛は番組への復帰を果たし、その独特なキャラクター性は仮面ライダーを1970年代を代表する作品に押し上げ、その後も続いたシリーズは日本を代表する特撮番組として世界中の人々に知られることとなった。
もちろん藤岡弘、の活躍は仮面ライダーだけには留まらないのだが、本記事では割愛したい。
俳優業だけではなく、武道、バラエティと幅広く活躍する彼の姿を全て語りつくすのは不可能に近いからだ。
それでも彼を一言で表すとすれば、それは後世にも残る「伝説」として称して問題はないだろう。
そんな「伝説」の原点たる仮面ライダー/本郷猛のキャラクター像は、仮面ライダー45周年を迎える2016年現在、多岐に渡って描かれてきた。
テレビシリーズ1クール目の、改造人間にされてしまった悲哀に苦しむ本郷猛。
再登板を果たしてからの、どことなく明るさを得て仲間や子供たちの交流に勤しむ本郷猛。
テレビシリーズにおいても複数の脚本家によって様々な本郷猛が描かれ、そもそも石ノ森章太郎の漫画版仮面ライダーにおいても、テレビ版ではあまり見られなかった、青年らしい激情を持つ本郷猛を垣間見ることができる。
村枝賢一が描く漫画「仮面ライダーSPIRITS」では改造人間への悲哀がさらに掘り下げられ、2014年に公開された「仮面ライダー大戦」では戦い続けてきた戦士としての矜持を振るう姿が演出された。
上記のようなテレビシリーズや東映公認のコミカライズ以外にも、ファンの二次創作作品にも多数の本郷猛像が認められる。全てを網羅しているわけではないので具体的な例はあえて出さないが、半世紀に近い時間の中で生み出された「伝説」の姿は、ファンによって持っている像が微細に異なる。テレビシリーズの正当進化、あるいは石ノ森版や他の漫画家作品とのハイブリット、時代に即した設定の換骨奪胎……45年にわたる歴史の中で数多くの本郷猛が描かれたことにより、それを上回る数の本郷猛像がファンの中で生じたのは当然と言えよう。
前置きが長くなったので、そろそろ本題に入るとする。
今作、「仮面ライダー1号」は仮面ライダー/本郷猛を中心に添えた作品である。
そのアプローチは40周年記念作品である「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」や前述した「仮面ライダー大戦」とは異なり、「仮面ライダー」ではなく、本郷猛を中心に物語を描くことに力が入れられている。
特筆すべきは、今作で描かれる本郷猛像である。
「仮面ライダー1号」では改造人間の悲哀や戦士としての矜持はほとんど描かれていない。
他の仮面ライダーの存在を認めていること、仲間たちと共に戦ったこと、世界を舞台に長い間戦ってきたこと……といった過去作との繋がりを匂わせる発言はあるものの、それらについて深くは言及しない。せいぜい、「仲間に頼ったことはなかった」という発言がある程度である。
では何が描かれているのか。
この映画で描かれているのは確かに本郷猛である。
しかしそれ以上に、本郷猛を演じる藤岡弘、を感じさせる描写が多いのである。
物語冒頭。舞台はバンコク、治安の悪い村落から全てが始まる。
いかにも柄の悪そうな男たちが手狭な飲食店の中に踏み入り、食事中の男に物言いも悪く話しかける。
この食事中の男こそ、本郷猛その人である。
歴戦の猛者である本郷猛が負けるはずもなく、柄の悪い男たちをあっという間に片付けるわけだが、この男たちとの戦いに入る直前のシーンが何とも印象深い。
本郷猛は食事中に仕掛けてくる男たちの動向を批難し、手を合わせて「ごちそうさま」と告げてからその拳を振るったのだ。
この瞬間、「あぁ、これは藤岡弘、だ……!」と私は感じたのだった(同時に、下調べしてなかったが井上敏樹脚本に間違いないと確信した)。
その後も、私に本郷猛ではなく藤岡弘、を感じさせるシーンは何度も現れた。
寺で座禅を組んで無我の境地に入る本郷猛、生命の大切さを若者に説く本郷猛、「体を労われ!」と言って瀕死の敵から笑いながら立ち去る本郷猛……「これは本郷猛というより、藤岡弘、じゃないか!」という心の叫びを幾度となく抑えながら、私は90分の作品鑑賞を終えたのだった。
2016年のシリーズ最新作「仮面ライダーゴースト」のメンバーや新組織であるノバショッカー、仮面ライダーの宿敵であるショッカーの面々……と多数のキャラクターが登場するものの、今作における彼らは脇役と言い切って良い。ゴーストのメンバーは本郷猛の苦悩を視聴者に見せるためのカメラであり、ノバショッカーとショッカーは本郷猛の生き様を視聴者にうまく見せつけるための舞台装置である。
中心にあるのは本郷猛と彼の恩師である立花藤兵衛の孫娘・立花麻由の物語であり、さらに言えば本郷猛ではなく、藤岡弘、の物語を見せつけられたように私自身は感じた。
そう思わせるほどに、本作の藤岡弘、の演技には自分の想いを伝えようとする力強さがあった。
半ば宗教を思わせるほどに、有無を言わせずに正しい道理を悟らせる啓発的な熱意に溢れていた。
人によっては映画全体から滲み出てくる説教臭さに嫌気がさしてしまうかもしれず、この啓発的な熱意を受け入れられるかどうかがこの映画を「あり」か「なし」にする分水嶺になっているのは間違いない。
だが、この映画がただの説教臭い作品になっていないことは断言できる。
なぜかというと、それは劇中にあるシーンが挿入されることためだ。
そのシーンとは、生命の大切さを説こうとする本郷猛に対して、劇中の若者がその熱意をある者は一笑に付し、ある者は気味悪さを感じているという箇所である。ここを演出できるということはつまり、製作側も説教臭さを自覚しているに他ならない。
注目すべきは、若者たちの反応に対して、本郷猛が一切注意を行わない部分だ。その役割は彼と密接な関係にある立花麻由が担うわけだが、本郷猛自身は何も言わない。立花麻由が「慣れないことをして」とバカにするシーンで、ほんの少し苦笑いをするという程度にとどめてある。
そして、本郷猛のメッセージが同じ仮面ライダーである仮面ライダーゴースト/天空寺タケルには通じていることも押さえておきたい。
「仮面ライダー1号」では、物語全体を通して「生命」の尊さを説くというテーマが描かれている。
それは反面、説教臭さを内包してしまうため、人を選ぶ作品になってしまうことを意味してしまうのだが、「仮面ライダー1号」はそのことに対して自覚的である。
つまり、説教臭くなることを分かった上で、なおその説教臭さを強調してメッセージとして演出しているのだ。
主演である本郷猛を演じる藤岡弘、は言わずもがな、それを共に作り出しているスタッフもそうである。
仮面ライダー放送当時。藤岡弘、はあくまで本郷猛を演じる俳優であった。藤岡弘、を見て本郷猛を思う子どもたちは多かったにしろ、その逆はほとんどなかったに違いない。テレビ上で活躍するヒーローの方が圧倒的に魅力で、それを演じる役者自身に興味を持ってもらえないというのはよくある話である。
しかし、それから45年。藤岡弘、も芸歴を重ね、容易ではない苦労を凌ぎ、ボランティア活動で世界各地の戦地を巡るという経験を果たした。70年の人生を経る中で唯一ともいえる人生観を獲得し、今やその人生観を積極的に人々へと伝えていこうという年齢に達している。
そんな中で作られた本作「仮面ライダー1号」は、ついに本郷猛を藤岡弘、が内包する作品として公開された。
本郷猛と藤岡弘、がすげ替えられたという見方もできるかもしれないが、私は藤岡弘、の中にある本郷猛像が一際強く押し出された作品だと考える。本郷猛という存在が藤岡弘、という役者に覆い尽くされたのではなく、あくまで藤岡弘、という役者の持つ良さが本郷猛を通して映し出されたという形だ。分かりやすく言えば、藤岡弘、と本郷猛の共通項が色濃く出されていると言えばいいだろうか。
そして、制作スタッフも今の藤岡弘、だからこそ演じられる本郷猛を描き出そうと協力的である。
今作は藤岡弘、を思わせる要素も多く、それはむしろ意図的に描かれえている部分である。おそらく、プロデューサーと話し合い、藤岡弘、の考えを脚本段階まで反映させていると感じられた。特に生命についての考えは、藤岡弘、の意向を可能な限り汲んで反映させた部分なのではないだろうか。
藤岡弘、もスタッフも、今作が全ての人に受け入れられるとは考えてはいないだろう。劇中で描かれたように笑い飛ばされることも想定しているはずだ。しかし、どことなく滑稽にも感じてしまうテーマ性に変な脚色を加えず、視聴者に真正面から伝えようとする心構えをもってこの作品は生み出されている。45年の時を経て藤岡弘、が伝えようとしているものを、この作品に携わる人々が惜しみなく表現しようとしていることは間違いない。
仮面ライダー作品のファンとして、過度に俳優色が押し出さているものに対して難色を示す人は少なからずいるだろう。
私もどちらかというと、そちら側の人間である。
本作も藤岡弘、という個人が強く出ている作品だけに手放しで全てが良かったと評価するつもりはない。
しかし、仮面ライダーファンという側面から離れて、藤岡弘、のファンとしてはこの作品を良い意味で評価したいと思う。
ありていにいうと、「たまにはこういう作品もいいか」という気持ちになっているのだ。
色々と語ってきたし、賛否両論な作品となっているところは否めないが、藤岡弘、が伝えようとするテーマを惜しみなく表現している本作は必見である。できれば多くの人に見てもらい、藤岡弘、が画面の前に人々に伝えようとする熱い思いを共有していけることを願う。
余談である。
物語の終盤、一度は死んだ本郷猛がよみがえり、その心音を立花麻由が聞くというシーンがある。
「改造人間」である本郷猛の心臓を聞くというとどうしても機械的な音を連想してしまうのだが、ここでは血液音はおろか心臓音を想像させるようなSEは挿入されない。ただ麻由が本郷猛の胸に頭を当て、心臓の音が聞こえてくると語るだけである。
このシーンは前述した生命の尊さを若者に説くシーン以上に印象に残っており、あえて機械的な音を排しているのではないかと考えさせられた。改造人間としての本郷猛ではなく、人間として、つまりは藤岡弘、としての本郷猛を強調しておきたかったのではないかと徒然と思ったり。
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2016年03月24日
小説 仮面ライダー鎧武 感想〜空っぽの幽霊と『騎士』とを違えたもの〜
「鍵」や「鎧武者」や「果物」など、平成ライダーの中でも奇抜な組み合わせとなるコンセプト。
ハードなストーリーに定評のあるアニメ・ゲームのシナリオライター「虚淵玄」をメインに据えた脚本。
OPには湘南乃風(鎧武乃風)、仮面ライダーシリーズ歴代主演俳優で最も高いと称される佐野岳の身体能力、インタビューなどで次第に明らかにされる出演俳優のアイドル性、出来のいいフィギュア商品、ect……放映前から注目度の高かった今作は、
本編終了後もすぐに動きが止まることはなかった。
限定商品としてフィギュアや関連アイテムがプレミアムバンダイの商品欄に定期的に並び(2016年3月現在、つい先月までサウンドロックシードシリーズの限定商品が予約受付していた)、
限定玩具付のOVAが一般販売で2作品販売、放映終了から2年経過後の変身ベルト再販など、平成ライダーの中でも比較的長期に渡って商品展開が成されたのがこの仮面ライダー鎧武という作品である。
そして、おそらく最後の商業展開となる「小説 仮面ライダー鎧武」が講談社キャラクター文庫から2016年3月23日に発売された。
シリーズの時系列としては一番後ろの方になり、順番的には2作目のOVAのあとのお話となる。
以下からの文章はテレビシリーズ、鎧武が絡む劇場作品、OVA2作品、小説のネタバレを含むので、了解の上で読み進めて下さい。
物語はテレビシリーズ46話、葛葉紘汰と駆紋戒斗の最終決戦から始まる。
テレビシリーズの初めから争い続けてきた男二人の死闘。熾烈な戦いの末、勝利を掴んだのが葛葉紘汰であることはテレビシリーズを見た者にとって自明である。
だが、ひそかにこの戦いを観察していた者がいた。「狗道供界」なる男である。
OVAが初出となる狗道供界は、テレビシリーズ開始前に起こったロックシード暴走事件により、文字通り「消滅」してしまった男である。
だが肉体は消滅したもののその存在自体は世界に残留してエネルギー体となり、テレビシリーズに出てきた「オーバーロード」と近しい存在になった……と作中である人物によって説明されている。
人としての枠組みを超えた狗道供界は、二人の男の戦いの行く末を見届けると「これは救いではない」と言い切り、自分の『救済』を開始することとなる。
一度は戦極凌馬の手によってその存在の媒介となるドライバーを破壊される(OVA 仮面ライダーデューク)狗道供界であったが、彼の存在自体は消えていなかった。
狗道供界は自らが作成したロックシード(ザクロロックシード)で一部の人間を傀儡とし、「黒の菩提樹」を組織し、己が媒介となるドライバーを再び作り出したのである。
劇場作品とテレビシリーズ最終話で立ち塞がったコウガネを彷彿させる渋とさだが、狗道供界のその境遇を「人類にとってのコウガネ」と例える場面が作中にあることは面白い。
話が佳境に差し掛かるところで、狗道供界の企みが「黄金の果実を創り出し、自らが世界の王となる」ことが明らかになる。
狗道供界は神の力を得つつも地球を去った葛葉紘汰を「見捨てた」と論じ、悪とした。
葛葉紘汰が成しえなかったヘルヘイムによる人類の救済を成す――つまり、狗道供界自身と同じように全人類を「オーバーロード化」し、エネルギー体となった人々を総べてまとめあげようとしたのだ。
葛葉紘汰とはもちろん、人間の世界を滅ぼして新世界の王となろうとしたコウガネともまた異なる方法により、狗道供界は彼の『救済』を果たそうとしていたのである。
そんな狗道供界の前に、呉島光実たちが立ち塞がる。
家族や仲間、そして地球の生命を破滅させないがため、自らが「始まりの男」となり、遠く離れた異星に新しい世界を創り出した葛葉紘汰。
葛葉紘汰が守った世界を受け継いだアーマードライダーたちは、迷うことなく狗道供界の言う『救済』を否定する。
戦極凌馬が「三流」と評した狗道供界の底の浅さを、彼らも感じ取っていたのかもしれない。
曰く――
「戦極凌馬はお前の本性なんかとっくに見抜いていた。
何も生み出さないお前はただの亡霊だ。お前は全人類を、自分が堕ちた場所まで引きずり落としたいだけなんだ」
葛葉紘汰と肩を並べ、共にコウガネを打倒した呉島光実はそう語る。
狗道供界は哀れな男である。
自らが認めた戦極凌馬という才能に否定され、その存在は既に人間の領域のものではなくなってしまった。
世界に存在するためには媒介となるドライバーが必要となるが、ドライバーを破壊されたとしてもそれは狗道供界の死を意味はしない。
再びエネルギー体となり、世界にただひとりたゆたうだけなのである。
そんな彼に仲間などいるはずはなかった。彼の指示に従順な「黒の菩提樹」こそあれど、それは彼が世界に介入するために用意したの傀儡にしか過ぎず、道具にしかすぎない。
「なぁ。あんたが本当に救いたかったのは何なんだ?」
物語の終盤。呉島光実たちの危機に駆けつけ、ほとんど自我を失った狗道供界と対峙した『騎士』葛葉紘汰は問いかける。
葛葉紘汰には姉がいた。自分の悩みの相談に乗り、食事を共に摂り、生活を支えてくれた家族が。
葛葉紘汰には彼を慕うチーム鎧武のメンバーたちがいた。共にダンスを踊り、遊び、楽しんだ友達らが。
葛葉紘汰には彼と同じ境遇に陥った戦士らがいた。沢芽市の危機に共に向かい、時に仲を違えて争い、最後には世界を託した戦友たちが。
葛葉紘汰には、彼が救いたいと思う仲間たちがいた。
一方、狗道供界は最初から仲間を欲してはいなかった。
狗道供界はある時から、全人類を自らと同じ段階へと押し上げ、虚ろな理想郷を築き上げることで世界を『救済』するという理想を盲信してしまった。
世界に一人融けて消えてしまったという事実をうまく認識できないまま、彼は崇高な目的を果たすという行為を代替にしてしまったのだ。
おそらく、彼は単純に寂しかったのだ。そして、自分一人がその境遇に置かれることが悔しかったのだろう。
人間の頃から才能があると自負していた狗道供界のプライドは高い。自分が寂しがっているという孤独感を認め、なおかつ他の人々を自分と全くの同位に置いておくのは納得できなかったはずだ。
だから、他の人々を道ずれにするだけではなく、その上に君臨する神になろうとしたのだろう。
神になってしまえば、すべからく人々が崇めてもらえる。唯一無比であり、他に自分より上の立場に立つ者はいない。それが狗道供界の求めたものだった。
作中では明言こそされていないものの、そう推測することは難しくはない。
仲間たちの危機に『騎士』として葛葉紘汰は駆けつけた。
だが、それが葛葉紘汰の戦いの終わりではない。狗道供界を倒したあとも、彼の戦いは終わることはないのだ。
戦い続けることが地獄。それも事実であろう。狗道供界とはまた違う苦しみを、葛葉紘汰は背負い続ける運命を選んでしまった。
しかし、彼は今日も仲間たちのこと胸に想い、その力を振るう。
狗道供界が認められなかったものを。狗道供界とを違えてしまったものが存在するこの世界を、守るために。
余談であるが、狗道供界が仲間に唯一欲したのが、作中で最悪の人間であるとされる戦極凌馬だというのはかわいそうとしか言いようがいない。
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2015年09月07日
2015年02月16日
探偵歌劇ミルキィホームズTD第6話感想〜スターになろうとする者、それで終わらない者〜
まずは「歌ってみた」動画について説明しておこう。
歌ってみた動画とは文字面のとおり、投稿者自らが楽曲を歌って投稿した動画のことを指す。人気歌手が匿名で投稿したり、いわゆるカバー曲という形で投稿が行われることも例外としてあるが、基本的に歌ってみた動画はメジャーデビューをしていない一般人が個人活動の一環として投稿したものを指す。「歌ってみた」に代表されるアマチュアが作成した動画(中にはプロに比肩する技術を持つ者もいるのだが、ここでは割愛する)に興味がない方は意外に思うかもしれないが、動画配信もそう難しくない現代、趣味の一環として歌ってみた動画を投稿している人は案外多かったりする。ニコニコ動画では、動画投稿者が何かしらの行動を行った動画に対して「〜してみた」という風なタグが登録されることが多いが、この「〜してみた」に類する動画タグで最多の登録数を誇るのが「歌ってみた」タグである。2015年2月16日現在、約71万の動画に「歌ってみた」タグが登録されており、このあとに続く「演奏してみた」タグが約18万、「踊ってみた」タグが約11万であることを考えると圧倒的な数を誇っているのが分かる。
ニコニコ動画での「歌ってみた」動画の投稿数は2012年に1度ピークを迎えている。その頃と比較して勢いは落ちてはいるものの、2015年現在でも1週間に2000前後の「歌ってみた」動画が投稿されている。物語の題材になるには十分な題材といえる。
今回のゲストキャラ・天空城ネリマは、天城茉莉音のファンであり「歌ってみた」動画の投稿者である。彼女が茉莉音に扮して投稿した動画は数億再生を誇るほど評価が高く、遂には茉莉音の目の届くところとなった。「もう誰も、私のこと必要としていないのかな」とショックを受ける茉莉音のため、動画の削除を投稿者に進言しようとミルキィホームズが行動を開始した……というのが今回のお話である。
茉莉音の代わりにスターになるというネリマに対して、「偽物はどこまでいっても本物にはなれないわ」とコーデリアは言う。確かに本物、つまりは茉莉音自身にネリマがなることはできないわけだが、かつての茉莉音のようなスターになれないかというとそうではない。のちにネリマの投稿動画の再生回数が彼女自身のF5キー連打(F5は動画の更新、再読み込みを行うためのボタン。F5を連打することで再生回数が増加するが、当然本来の意味での再生回数とはならない)によるものだと判明するわけだが、動画自体に寄せられたコメント、評価数などが彼女によるものだったという説明はなされていない。素直に解釈するのなら、彼女が行っていたのは再生回数の水増しのみであり、彼女の動画自体への評価は決して低くなかったと考えるべきであろう。実際、茉莉音のプロデューサーはネリマの歌と踊りに対して「それなりに上手いけどね」という評価を下している。ネリマに対して起こっていたムーブメントは、ネリマの自演行為だけで形成されたものではなかったわけだ。
なぜ、ネリマの動画が人々に受け入れられたのか。それは恐らく、茉莉音のファンたちが求めていたものがネリマの動画の中にあったためだ。この第6話までに計4体(ハーモニーをばらばらにカウントすると5体)のエレメントが茉莉音の元に戻ったが、それでも奇跡の歌が歌えるようになったわけではなかった。ファンたちは奇跡の歌を聴きたくても聴けず、さぞ物足りない日々を送っていたことだろう。そんな中、かつてのスター・天城茉莉音の要素を持つ(茉莉音のエレメントが取りついていたので当然である)ネリマが登場したことは大変衝撃的だ。動画の中には奇跡の歌もあっただろうし(アニメのシーンとして奇跡の歌を収録している場面も描写されている)、それを友人や家族に勧めるうちに、ネリマは10億再生を誇る人気動画投稿主となったのだろう。ネリマは、茉莉音のファンたちにとって紛れもないスターになっていたのだ。
物語中盤、ミルキィホームズはネリマと対面して動画の削除を求める。対するネリマは、その要求を受け入れる条件として、1週間後にあげる動画とミルキィホームズのあげる動画による再生回数対決を提案した。
対決に負けた際には自身の動画を削除するという条件なわけだが、既に築き上げたネリマの評価は絶大なものである。ネリマの動画再生が10億を超えている一方、ミルキィホームズの再生回数は軒並み2桁どまりに終わっている。エリーの動画が1万再生と健闘している(「アダルト」タグが登録されているのが、また面白い)ものの、とうていネリマの動画に太刀打ちできるものではない。
それを打ち破ったのは、誰でもない茉莉音自身であった。
茉莉音の動画は9億の再生回数を超え、街角の様子から察するにまだまだ再生回数の伸びを伺える。一方、ネリマの動画再生回数は10億から数値が変動していなかった。ネリマは自室に戻ってF5キー連打で再生回数の水増しを試みるわけだが、ここでミルキィホームズの推理によって真相解明。恒例のエレメント対決へと移り、このお話は収束へ向かっていくこととなる。
茉莉音の投稿した動画の出来については、ネリマの「何これ。こんな初歩な動き、誰にでもできるじゃない」という発言から伺うことはできる。茉莉音のファンを公言するネリマである。ネリマが投稿してきた動画に比べれば、茉莉音の動画の出来は稚拙なものであったはずだ。しかし結果は違った。「さすが本物よね」「もう1回あの動画を見ようぜ」と街角で語られ、動画を見た瞬間にはネリマ自身も見とれてしまったように、エリーのいう「茉莉音さんが頑張る動画」が人々に評価されたのである。
茉莉音は言う。
「私、一度はファンの人たちを疑ってしまったけれど……今回の動画を気に入って、広めてくれたのもファンの人たちだった」
ネリマの動画を応援して茉莉音を傷つけたのは茉莉音自身のファンであったが、茉莉音の動画を応援してくれたのもまた茉莉音のファンたちであった。ネリマ自身の力が茉莉音に必ずしも劣っていたわけではない。茉莉音が終盤で認めるほど、ネリマは茉莉音のファンとして彼女を見つめ、それを動画として活かしていたのだから。異なっていたとしたら、それは奇跡の歌のエレメントの数であり、茉莉音がエレメントを失って始めて学んできた経験であり、第1話でも描かれていた「頑張り」という茉莉音の魅力である。
1話を見返してもらえれば分かるが、茉莉音は自分の実力に慢心しているようなアイドルではない。ライブ直前でもバックダンサーの子たちと一緒に踊りの練習をしているような向上心も持っている。彼女は奇跡の歌だけでスターの座を得ていたわけではないのだ。
今回のネリマの動画は、スターとして活躍していた頃の茉莉音の模倣に過ぎなかった。ネリマは「歌えない茉莉音」の「代わり」にはなったものの、茉莉音自身にはなれるわけではない。かつての茉莉音のようなスターにはなれたかもしれないが、それは茉莉音のファンたちが茉莉音に求めた一側面に過ぎず、茉莉音の頑張りを表現できていなかったのがネリマの敗因だったのだろう。ファンの求める存在になるだけではなく、新たにファンを魅了するような要素がネリマには必要だったのだ。
今回の事件を通して、茉莉音は奇跡の歌のエレメントを取り戻すと共に「ファンを信頼してこその、アイドル」ということを学んだ。スターであった頃の天城茉莉音の要素を取り戻す中で、彼女は新しくファンを魅了する要素を得たのであった。喪失したものを取り戻すと同時に、成長を果たす彼女がどんなスターとして返り咲くのか。実に楽しみである。
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2015年02月10日
探偵歌劇ミルキィホームズTD第5話感想〜ゲームとアニメの融合、うまくいった例〜
探偵歌劇ミルキィホームズTD第5話「キャロルの身代金」は、時勢に併せて、テレビ放送が見送られた不運の回である。空いた放送枠には同作の第1話の再放送があてられ、翌週以降には第6話が予定通りに放送された。つまり、製作遅延を理由とした番組そのものの延期というわけではなく、この回のみがリアルタイムでの放送を見送られたのだ。
これは同時期、イスラム国によって起こった日本人人質事件ならびに殺害事件を理由とする(同事件ではイスラム国が誘拐した日本人の身代金を日本政府に要求し、身代金が払われなかったために予告通り人質が殺害された)。今回のタイトルが前述の事件を想起されるためにとった製作側の自粛であり、ホームページにも「情勢に配慮をいたしまして、 今週の放送を見合わさせて頂くことになりました」という報告分が掲載された。この動きは同時期に放送されたアニメ「暗殺教室」にもみられ、時勢としては当然の流れだったともいえるだろう。
しかし、タイトルに身代金という単語は含まれてはいるものの、今回のお話にテロや殺害事件を想起させる要素は少なく、むしろお話としての作りも非常に良かっただけに、この自粛はもったいないものだったと言わざるをえない。幸い、ニコニコ動画をはじめとした動画サイトでの公式配信は予定通り行われたため、本回の視聴は円盤化まで待たなければならなかった……という事態は、少なくすんだ。
以上が事件の概略であるが、テレビ放送の自粛に対してネット配信という別の道が示されたことは一視聴者として素直に喜んでいいことであろう。事件そのものは悲惨なものであり、繰り返してはならない惨事である。しかし今回のお話が、場合によってはお蔵入りしていたかもしれないと考えると、何とももったいない話である。放送の自粛に関しては、様々な側面からの理由があるから今後も避けられないとして、時期を見てからネットの配信は行う……という形で、他の作品も今回のミルキィホームズのような処置をとってもらいたいと思う。
前置きが長くなったが、あらため、探偵歌劇ミルキィホームズTD第5話「キャロルの身代金」の感想である。
第5話の脚本を務めた伊神貴世はOVA作品「探偵オペラ ミルキィホームズ Alternative ONE & TWO」の脚本を務めており、他にも「輪るピングドラム」、「ユリ熊嵐」などに脚本として名を連ねている。第5話ではミルキィホームズでは珍しく(?)ミステリー要素が取り入れられていたわけだが、伊神貴世の名前を見てなるほどと得心した人は多かったようである。自分自身もそうだった。トイズを用いた推理はもちろん、Aパートでのミルキィホームズでのおふざけも伏線の一部とは実に感服した。
推理以外の部分についても、第5話は全体的に満足度が高い作りとなっている。以下、2点にまとめてあげてみよう。
1つ目はギャグとシリアスの配分である。
これは、いわゆるアニメ版ミルキィホームズとゲーム版ミルキィホームズの調和がうまくいっていると言い換えてもいいし、シーンごとのメリハリがうまくついているといってもいい。先にも触れたように今回のお話ではトイズを用いた推理パートが挿入されているわけだが、そのシーン直前までのダメダメなミルキィホームズの描写があってこそ光るシーンであった。ネロが今回のゲストキャラ「キャロル・ドジソン」にサインをねだっている部分も伏線一つであり、ミルキィホームズがふざけているように見えて探偵としての推理もきちんと行っていた……というところは、以前にゲーム版世界観で描かれた「探偵オペラ ミルキィホームズ Alternative ONE & TWO」の脚本を務めた伊神貴世だからこそできた描写であろう(同じようなことができそうなのは、ゲーム版のシナリオを担当した子安秀明や山根直樹といったところか)。そういったシリアスパートが描写される一方で、1期に登場したヨコハマ大樹海でミルキィホームズがコミカルなアクションシーンを見せたり、1期と2期ではおなじみのミルキィホームズ投獄ネタも盛り込まれている。悪くいえばこれまでのミルキィTDのギャグと比べてパンチが少ないところもあるが、作品内のパロディに終始した抑えめなギャグは今回のお話によくマッチしているので気にする必要性はないだろう。前作の「ふたりはミルキィホームズ」を含め、アニメ版とゲーム版がひとまとめにされた現在のミルキィホームズ世界観を最もうまく描写した回だったと評価できる。
2つ目は茉莉音についての描写である。
今回のエレメントバトルでは、ミルキィホームズだけではなく茉莉音自身も参加している。それだけにとどまらず、時間を止めてキャロルを子供のままで閉じ込めることを「キャロルのため」と語るエレメント「リズミック」に対して、茉莉音は自分の意見を示し、「私と奇跡の歌のように、キャロルさんとお芝居は二つで一つ」「演じる喜びを奪わないで」とリズミックの説得を試みていた。この5話までの経験を通して茉莉音自身が成長していると感じとれる1シーンである。
また、キャロルが「あなたを見ているとイライラするのよ!まるで未来の自分を見ているようで!」と語るように、今回のお話では過去の茉莉音=キャロルという構図をあてはめることもできる。冒頭で描写されているが、年をとることで子役でなくなったキャロルは、奇跡の歌をなくした茉莉音になるのではないかと強いショックを受けていた。このショックがエレメントの憑依と重なって今回の事件につながっていくわけだが、最終的には茉莉音とキャロルは和解を果たして友達同士となる。最後のシーンでは、完全に対応しているわけではないが、「どんなに辛くても惨めでも、きっと取り戻します。私の歌を」と茉莉音が過去の自分に対して決意を表明しているようにも見て取れる。
今までのお話ではミルキィホームズが茉莉音と関わり、ミルキィホームズとの経験を通じて茉莉音が成長していくという部分が主題にあった。つまりは茉莉音の成長劇である。第4話ではこの部分が弱く、私自身は若干物足りなさを感じてしまったところがあった。今回もミルキィホームズは茉莉音のために行動していたわけではない(今回のミルキィホームズの主な目的はキャロルについてである)のだが、第5話のような物足りなさを感じずにすんだ。なぜかというと、ひとえに茉莉音の成長がきちんと描かれているという点につきるであろう。エレメントバトルに参加し、エレメントに自分の考え、過去の自分と友達になることができた。キャロル独自の部分に学んだところもありはするが、茉莉音が成長しているのだと鑑賞する側に伝えられる描写が見れたことで物語に対する満足感を得られたのだ。
以上2つが個人的に気に入ったところである。それと同時に、今後のミルキィTDの脚本にぜひとも取り入れてもらいたいところでもある。パロディはアニメ版ミルキィの華でもあるので1つ目にあげた「ギャグとシリアスの配分」は多少破かれて仕方ないとして、「茉莉音についての描写」については力を入れていってもらいたい。
次の第6話で折り返し。こちらも先行視聴組の感想を見るに評価は良いので、期待していきたい。
それと別枠として書いておくが、異様に野宿慣れしたミルキィホームズの件のテンポはBGMも相成ってとても良かった。作画・演出班に最大の讃辞を送りたい。
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2015年02月09日
探偵歌劇ミルキィホームズTD第4話感想〜成長性のない物語に感じる不満〜
頒布本は「ラブライブ!×仮面ライダー鎧武」のクロスオーバー漫画。原案から漫画まで全て自分で行った処女作である。
開会11時から閉会15時30分までの間に10冊くらい捌くことに成功したので、まぁ可もなく不可もなくという結果であろうか。作業量と作品への自己評価的には、もうちょっと手にしてもらいたかったというのが本音ではある。
今回はラブライブ!のスペースにて頒布を行ったのだが、お金を出して入手してくれたうちの8人は仮面ライダーファンだった。不明の2人のうち1人はライダーファンではない知人、もう1人は未確認だが、おそらくはラブライブ!よりで来たのだと考えている。まぁスペースがラブライブ!なので当然ではあるのだが。)
メインキャラクターの占める割合からラブライブ!メインでの活動を予定していたが、コミケとかでは仮面ライダーで申し込んだ方が頒布の効率は良いかもしれない。次回はあと5部ほど頒布数を伸ばしたいものである。
以上、サンクリ2015Winterへの所感である。
掲載できていなかったアニメの感想を3本ほどあげていきたいと思う。
まずは探偵オペラミルキィホームズTD 第4話「一発屋シテミル」の感想である。
タイトル通り「一発屋」を題材に扱った回であり、現実の一発屋をモデルにしたキャラたちが画面内に散見される。
また、ミルキィホームズが挑戦するゲーム中、第2話で登場した花崎マミュがワイプ画面で登場しているのは面白い。彼女もまた、一発屋の一人である。流れている挿入歌も「パーフェクト ラブ」になっており、作中のネタをうまく拾っているのは個人的に好評価である。
話の大筋としては「一発屋認定された茉莉音が『一発屋の楽園・咲子ランド』の主である咲子によって彼女の屋敷内に囚われようとするも、ミルキィホームズと茉莉音自身の決意により無事咲子から解放される」といったところである。咲子の中に入り込んでいたエレメント・シャウトも無事回収し、ストーリーライン的な進展もきちんと済まされている。
しかし、今回はミルキィホームズの活躍と茉莉音の成長性があまり感じられない回となっており、2話と3話と比べると少し物足りない部分がある。理由ははっきりしていて、話の大半が一発屋の定義を勘違いしたミルキィホームズによって進展していくためである。2話では「エレメントを取り戻す」、3話では「茉莉音を助ける」というミルキィホームズの行動理由が描かれていたわけだが、今回のミルキィホームズの行動理由は「一発屋になりたい」というもので一貫してる。確かに「茉莉音と同じ存在になりたい」というところでは茉莉音の要素に重なってなくもないのだが、「茉莉音と同じような存在になって特別な扱いを受けたい」という部分に焦点が当たっているため、茉莉音のために行動してきた2話と3話と比べると動機づけの部分で説得力に欠いているように感じるのだ。いやまぁ、アニメ版のミルキィホームズらしいといえばらしいのだが。ただ、茉莉音が成長するという要素が不足しており、個人的には物足りなく感じてしまった。
お話の構造的にも問題はあったように感じる。今回、ミルキィホームズと茉莉音の認識は終始すれ違っており、結局は茉莉音が最初から抱いていた「一発屋では終わりたくない、歌いたい」という彼女の決意がエレメントの回収の決定打となっている。ミルキィホームズの活躍がほとんど必要ではなく、茉莉音の要素だけで問題解決に至っているのはいただけない。15分近く描かれていた一発屋ランドの件だが、今回のエレメント回収にはまったく役に立っていないので、不満を感じるのだろう。
次の第5話でもミルキィホームズの行動理由は茉莉音ではないのだが、この手の不満を感じることは少なかった。その理由は第5話の感想に回すとして、第4話に関してはもう少し手の施しようがあったように感じるところが強い。たとえば、「終盤でミルキィホームズが一発屋を正しく認識し、茉莉音に協力してエレメントを取り戻す」とかにできなかったのか。
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2015年01月26日
艦隊これくしょん-艦これ-第2話感想〜二次創作設定の扱いとゲーム内への流入の可能性について〜
TwitterのTLに流れてくる情報から察するに、第1話と第2話で描いてきたものとの温度差があったのかなぁと考えてはいますが、まぁ視聴を楽しみにしていたいと思います。
「艦隊これくしょん〜艦これ〜」は情報量が少ないゲームである。
主人公が「提督」となること、その指揮する少女が艦船型少女=艦娘(かんむす)と呼ばれる存在であること、彼女たちが「駆逐艦や巡洋艦などの旧日本海軍等の艦艇を擬人化した女の娘」であること……ゲームを始める前の提督がゲームのホームページだけで知りえる情報は、それくらいのものであろう。戦闘の際に発するセリフや彼女らの性格を示す図鑑の説明はあるものの、ゲーム内の世界情勢や敵である「深海棲艦」の正体、そもそも艦娘たちがどういう存在なのかを具体的に示すような情報はほとんど公開されていない。コンプティークなどに記載された各種開発者インタビューからは、ある程度の設定はあるような節も伺えるが、2015年現在では艦これの世界観全体像はおぼろげで、大半がユーザー側の予想の域を出るものではない。
とはいえ、艦これがここまで人気を博したのも、これらの設定の穴が理由の一つとしてあげられるだろう。「新世紀エヴァンゲリオン」の意図的に作られた設定の穴にファンたちがこぞって独自の考察をあてがい、数多くの考察本を生み出したことは有名な話である。艦これにおいても、こういった設定の穴を理由とした人気がある側面があると考えられる。
国内最大規模の同人イベントたるコミックマーケットでは、ゲームサービス開始から1年足らずで「艦これ」のジャンルコードが独立したものとして新設された。また、コミュニティサイト「Twitter」上では「艦これ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」のハッシュタグの元に多くの艦これファンが毎夜イラストを投稿しており、イラストコミュニティのpixivやニコニコ静画のランキングにおいて、その上位を艦これイラストが飾ることは決して少なくない。
これらのファンの二次創作作品には、自身の作品の完成度を高めるために独自の設定が盛り込まれることが多い。たとえば、ゲーム上では明確ではない提督というキャラクターに対して、作者自身を投影して若い男性として設定したり、あるいは手練れというイメージを先行させて初老の指揮官という風に描いたり、はたまた愛着を持たせるためにペンギンや猫といった愛嬌のある動物にしたり、といった具合である。作品を作る上で設定に空白の部分があるとどうしても脈絡がなくなってしまうし、話の流れを円滑にするために新しい設定を考え出すというのは、二次創作活動ではままあることである。
艦これの認知度が上がるたびに、設定の穴に対して様々な独自設定が考え出されていった。そういった中で、一人のファンが作り出した設定がその二次創作作品だけにとどまらず、ファンの間で共通認識となったゲーム外の設定もいまや多数存在する。詳しい説明は省略するが、公式設定としてファン側から逆輸入された設定も存在するので驚きである(分かりやすいところでは軽空母・鳳翔の居酒屋/小料理屋設定などが具体的な例としてはあげられるだろう)。
ともあれ、艦これの人気においては設定の穴に由来した二次創作活動の活発さは見逃せないことは、間違いない。
艦隊これくしょん -艦これ- 第2話「悖らず、恥じず、憾まず!」は主人公である吹雪の成長を描く回であった。同時に、吹雪が所属する第3水雷船隊の面々がその成長をサポートし、成長した彼女を鎮守府のメンバーが認める回でもある。第1話では失敗続きであった彼女だが、第2話では持前の根性と仲間たちの協力をもって秘書官・長門に自分の可能性を見せることに成功する。赤城と同じ艦隊になる、という吹雪の目標にはまだまだ遠い。しかし確実な一歩には違いなく、まだまだ未熟な吹雪に視聴者もまた可能性を見出すことができたのではないだろうか。
上記とは別の観点で見るに、アニメ艦これでは二次創作設定のいくつかがアニメ設定として流入されることが示された回ともいえる。ゲーム内でもおぼろげに示されているような設定もあるため、どこからが二次創作設定にあたるかは明確には区別しづらくはある。ただ、足柄の合コン失敗設定、赤城の大食い設定あたりは二次創作設定の影響が強く出たものとして捉えられるだろう。
アニメの設定として出す以上は何事につけて賛否両論があるわけだが、特に足柄の設定に関しては言及される機会が多いように感じられる。中には二次創作設定を逆輸入することで艦これというコンテンツそのものの衰退を招く、と主張している人もいるわけだが、個人的には懐疑的である。
そもそも二次創作設定を公式設定に逆輸入をして失敗した例はどれくらいあるのだろうか。有名なところでは「アイドルマスター」は二次創作設定を逆輸入しつつも大成功を収めているし、私自身は詳しくないが、MMORPGを舞台にしたファンタジー作品「ログ・ホライゾン」も二次創作作品のキャラクターやアイテムを逆輸入して世界観の拡大に一役かっているらしい。二次創作作品の設定を逆輸入して失敗したという作品について調べてみたが、そもそもそういった作品自体が少なく、私が探した範囲では見当たらなかった。
ただ、二次創作作品の設定を入れないで欲しい、という意見は理解はできる。公式設定ではない以上、それらの設定は認知性は高くはなく、ものによっては自分が思い描いていたキャラクター像と大きく剥離してしまっているものもあるためだ。そもそも足柄には実在した同名の艦に基づいた「飢えた狼」という設定はあるものの、これは戦場を渇望しているという部分がクローズアップされているだけであり、飢えた→男に飢えている→合コンで失敗している、という風に構築された二次創作設定との差は、結構大きいものだ。この差が他のキャラクターにも現れていくのなら、確かにコンテンツが衰退していくという意見も分からないものではない。
ただ、「二次創作設定の流入」だけに過剰な反応をしてしまうのも、また問題かなと考える。
多くの人が懸念しているのは、二次創作設定が「アニメ」だけではなく「ゲーム」へも流入してしまうことだと予想するが、これはおそらくないはずである。なぜなら、2015年までのメディアミックス作品の動きを見る限り、そういう例がないためだ。
艦これには二次創作作品に限らず、多くのメディアミックス作品が存在する。提督が存在する作品もあるし、艦娘以外の普通の人間が鎮守府内にいると描いている作品もある。それらは公式と強い関わりを持つ作品ではあるものの、あくまで艦これの世界観を描いた作品群の一つにすぎない。
アニメもまた、艦これのメディアミックス作品の一つである。二次創作設定の流入に注目がいきがちだが、赤城に憧れている吹雪、重巡が駆逐艦の教導をするという教育体制、艦娘と提督以外はいない鎮守府と、アニメオリジナルの要素が数多く盛り込まれている。「二次創作設定を多く盛り込んでいる」という点もアニメ艦これを構築する要素の一つであるし、何より、二次創作こそが艦これをここまでの知名度に至らしたものであるのだから、積極的に二次創作設定を盛り込んでいく姿勢も「あり」か「なし」かでいうと、私は「あり」だと考える。文句をつけるとしたら、足柄に対するフォローを入れられなかったところか。
話を戻そう。
メディアミックス作品の設定が将来的にゲーム内へと輸入される可能性がないとは言わないが、2015年までのメディアミックス作品の動きを見る限りその例はない。足柄の合コン設定が今後もお話として引っ張られるかは怪しいが、あくまで「アニメの艦これ」におけるお話として楽しめばいいと考える。もちろん楽しめないという足柄のファンもいるだろうから、そういう人ならアニメスタッフを糾弾してもいいだろう。私も電ちゃんがギャグとして昇華されずにプラズマ扱いされるような展開には文句もつけるし。
二次創作設定が必ずしもゲーム内に逆輸入されるとは限らないし、アニメはアニメの世界観で楽しめばいいんではなかろうか。
うまく言葉がまとまらないが、文章も長くなったのでそんな当たりさわりのない文でこの感想の締めとしたい。
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2015年01月25日
探偵歌劇ミルキィホームズTD第3話感想〜ネロは犠牲になったのだ、犠牲の犠牲に〜
終始パロディ満載でカオスなお話となった第3話ではあるが、それでもまとまった内容として見ることはできた。なぜなら、縦横無尽にパロディが暴れまわる中でも茉莉音の物語がきちんと進展しているためである。ミルキィホームズTDのストーリーラインであるエレメントの奪還もできたし、茉莉音自体も「仲間と共に歩むこと」を学んでミルキィホームズたちへの信頼を強く持つことができた。ゲストキャラであるガノターラ王子が茉莉音をさらった理由もエレメントが憑りついていたということで説明がついているし、茉莉音を中心とした設定がシリーズ構成にうまく作用できている一例として見ることができる。
ストーリーラインに関していえば、BKT10000の北条美樹の躍進が描かれている点には着目できる。第2話では元センターの千田元子の代役としてオーディションに出場したにすぎなかった彼女だが、今回は茉莉音と同じCMに出演し、茉莉音がガノターラに行っている間も着々と力をつけていることが描写されている。
ミルキィホームズTDのEDには、茉莉音、茉莉音の母親(あるいは育ての親)、そして美樹と思しき3人の過去の姿が挿入されている。第1話の冒頭に出た歌を盗む怪盗の姿は美樹の髪色に似ているし、彼女が歌を盗む怪盗と同一人物であるかはまだ定かではないとして、今後のキーパーソンとして美樹に焦点が当たるエピソードも出てくることだろう。
最後にネロについてだが、次回予告を見る限りは無事にミルキィホームズへと復帰できるようである。2話冒頭ではカズミが牢獄から釈放されるシーンを入れられていたが、それに相応するシーンが再び入れられるのだろうか。あるいは、ギャグものでよくあるように何事もなかったように復帰するのか。些末なところではあるが、個人的には気になるところである。
余談ではあるが、ゲーム「探偵オペラ ミルキィホームズ2」の主人公だったエラリー姫百合は、ゲーム本編終了後にある目的で世界中を行脚している。アニメ3期「ふたりはミルキィホームズ」では彼女がゲスト出演する会もあったし、「外国が舞台であるミルキィTD3話に、もしかしたらサプライズ出演するかも…!」とちょっとした期待していたのだが……現実はそう甘くはなかったようだ。残念。
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2015年01月18日
艦隊これくしょん-艦これ-第1話感想〜艦これアニメに見る登場キャラクターの絞り込み〜
当初は10万人の登録ユーザー、1〜2万のアクティブユーザーを想定した企画だったものの、同年7月には登録ユーザーが20万人を突破。その後も登録者は後を絶たず、2014年8月の段階で220万人の登録ユーザーを誇るブラウザゲームの最大手となった。2015年1月には艦これと同系統、あるいは類似のゲームシステムを持つ「御城プロジェクト」、「俺タワー」、「刀剣乱舞」が登場しており、またサービス開始より2年近くが経過したことから、アクティブユーザー数自体は全盛期から減少されていることは予想される。しかし、史実をモチーフとした期間限定マップ(海域)の解放は今も定期的に行われており、大日本帝国海軍に限らない海外艦をモチーフとした艦娘の実装、実装済みの艦娘の強化後の姿の追加など、その終着点はまだまだ見えておらず、その勢いが完全に途絶えるのはまだまだ先の話になりそうだ。
艦これの活躍の舞台はブラウザゲームに限らない。
サービス開始時と同時に連載が始まった4コマ漫画「艦隊これくしょん -艦これ- 4コマコミック 吹雪、がんばります!」をはじめ、艦娘の心情描写や成長劇に比重を置いた小説「艦隊これくしょん -艦これ- 陽炎、抜錨します!」、ブラウザゲームのBGMにアレンジを加えたボーカル曲を収録したCD「艦隊これくしょん -艦これ- 艦娘想歌」、自分自身が艦娘となって戦いを繰り広げるTRPG「艦隊これくしょん -艦これ- 艦これRPG」など、様々なメディアミックス展開が行われている。
そして、2015年1月。アニメ作品「艦隊これくしょん_-艦これ-」の放映が開始となり、艦これを遊んだことのない多くの人々にもその名前が認知されることとなった。
アニメ版艦これについてまず感じたのは、「艦娘」とその敵である「深海棲艦」以外の存在の徹底的な排除である。
装備品扱いである「連装砲ちゃん」やマスコット的扱いの「妖精」といった例外はあるものの、この排除の姿勢は凄まじい。「艦隊これくしょん -艦これ- 陽炎、抜錨します!」でおぼろげながらも描写されていた一般人市民が映らないのはもちろんのこと、漫画「艦隊これくしょん -艦これ- 水雷戦隊クロニクル」で艦娘たちに檄を飛ばしていた鎮守府の人間は見当たらないし、ブラウザゲームの分身である提督も影のみの出演である。艦これの世界観設定はメディアミックス作品ごとに異なるので安易な比較はできないが、これだけ艦娘の描写にだけ絞り切った作品というのは意図的にやらないと逆に難しい。
アニメ版艦これに登場する艦娘の一人・睦月は、「たいていのことはこの中(※舞台となる艦娘の拠点・鎮守府のこと)で済んじゃう」と切り出し、「任務や出撃に関することだけじゃなく、休日を過ごすための施設もある」という理由のため、「睦月もほとんど出ることがない」と鎮守府について説明する。この直前には鎮守府が陸地から離れた孤島であることが描写されており、前述した睦月の説明を合わせて考えると、艦娘以外の存在が画面上に見えなくても極力問題がないように舞台設定が施されているのは間違いなさそうである。
一般人や鎮守府の人間を描写しないのならまだしも、艦娘に強く関わる存在である提督まで画面内から排除しているのは作劇上では割と問題である。実際、第1話終盤で個人的にどうしても気になった場面が存在する。それは落胆していた主人公・吹雪が、影だけの描写にとどまる提督と何かしらの会話をして、憧れの存在である赤城と同じ艦隊になって共に戦うと決心するところである。彼女の決心を促した(らしい)提督の描写がごっそり削られているため、第1話の盛り上がりどころである吹雪の心境の変化についていきづらくなっているのだ。提督の像を多少なりとも動かしていれば自然になったと思う場面だけに、もったいなく感じてしまう。
しかし、作劇上では不具合となっている要素ではあるが、提督を描写しないことによるメリットはもちろんある。
アニメ版艦これ第1話にはかなりの数の艦娘が出演する。主人公である吹雪、そのルームメイトである睦月と夕立、同じ艦隊に所属する神通型3姉妹、鎮守府のエースである一航戦の赤城と加賀、提督の秘書官である長門にそのサポートをする陸奥と大淀、その他にも暁型4姉妹の、界隈でファンの多い北上と大井のペア、ect……一言だけ喋る艦娘や画面上にチラッと映る艦娘を合わせて、軽く30は超えている。ブラウザゲーム版に登場した艦娘の4分の1にも届かない数ではあるが、群像劇ならまだしも、主人公を一人に定めた作品としては破綻し兼ねないほどのキャラクター数である。そして、この数はまだまだ増えることが予想される。たぶん、倍近くにはなるのではないだろうか。
これだけ多くの艦娘が登場できたのも、徹底して艦娘の描写に絞ったことによる工夫によるものだ。もし提督を画面内に登場させて吹雪と会話をさせたのなら、少なくとも10人の艦娘の出番は削られたとみて間違いない。その後は1話以降にも登場させないといけないし、それに伴って艦娘の登場数も大きく減少したはずである。提督に限らず、艦娘以外を映さないという徹底した姿勢により、艦娘の登場回数が担保されている。これが提督を描写しないことによるメリットであり、製作陣が優先したことなのではないかと推測する。
推しの艦娘が登場しない……そういう悲しみを持つ提督を一人でも減らすための、あえての方針なのであろう。
アニメ化されたことによる一番の収穫は、アニメという統一された作画で動く艦娘たちが鑑賞できるという点であろう。私自身を例にとると、ゲーム中ではあまり興味の湧かなかった利根が体操着で走りながら僅かな言葉を喋るだけで興味が出てしまった。このようにあまり注目していなかった艦娘に目を向ける人もいれば、自分の好きな艦娘の良さを再認識、あるいは新発見するような人もいるだろう。全ての艦娘が出るわけではないだろうが、第1話での徹底した艦娘の描写から察するに、ひとりでも多くの艦娘を登場させようという製作陣の心意気は感じられる。ただ、劇中で唐突に挿入されるブラウザゲーム版のセリフには違和感を覚えるところがあったので、そこだけは改善してもらえるといいのだが。
艦娘以外を画面に映さないというデメリットはあるものの、吹雪を主人公に据えたことによるストーリーラインの土台は第1話で形成されているし、第2話以降の彼女の成長劇にも期待できそうである。ブラウザゲーム版の吹雪にはアニメ放映に合わせて改二(強化バージョン)が実装されているので、いずれアニメにも登場することが伺える。吹雪がどのような経緯で改二に至るのか。妄想を広げながら放送を見守りたいと思う。
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2015年01月17日
探偵歌劇ミルキィホームズTD第2話感想〜張られてた伏線のこと〜
だが2期とは異なり、TDには明確なストーリーラインが存在しているのがとても心強い。なぜなら、ギャグからシリアスへの切り返しとして茉莉音の物語を用意することが可能であり、視聴者にも物語の連続性を意識することができるからだ。
投げっぱなしジャーマンとばかりに放たれていた2期のパロディ要素の嵐には、辟易としてしまった視聴者が少なからずいたと記憶している。これは物語の連続性がなかった(あるいは「トイズを取り戻す」という要素では視聴者には物足りなかった)ところが大きいと私は見ており、そのあたりをカバーできているTDでは、アニメ最大の敵である視聴者離れを少なからず防げるのではないかと予想している。願望でもあるが。
TD第2話については、パロディ要素以外では複数の伏線が立てられた回だと見れる。
エレメントが絡んではいないためメインストリームでの進展はないが、今後の展開を楽しめそうな要素は散見できたので4点だけ列挙しておく。
まず第1には、茉莉音の歌に音が戻った演出である。
これはニコニコ動画のコメント見ていて気付いたのだが、小衣が劇中で見ている茉莉音のライブ映像にて、曲とは別の重音が聞こえてきている(ような気がする)。
この重低音が取り戻した茉莉音の歌声を意図しているのでは、なかなか面白い演出である。
本編でもネタにされているように、茉莉音のエレメントがあと何体いるかは現時点では定かではない。しかし、戻ってきたその数に応じて細かくこのような演出を入れていくのであれば、今後もチェックして比較してみるのも一興である。
第2には、事務所を辞めた千田ちゃんこと千田元子である。
BKT10000のセンターであった彼女は「より上を目指すためグループを脱退し、事務所も辞めて」おり、茉莉音の障害となって再登場することは予想に難くない。ツンデレとはまた違うが、茉莉音に対する典型的なライバルキャラとして位置付けられている。
一つ気にかけておくとしたら、彼女が茉莉音の現在について辛辣に言及した際、1秒に満たないが明らかに後悔しているカットが挿入してあるところであろう。向上心は人一倍強いものの、心根が曲がっているというキャラクターではなさそうだ。
個人的には好きなキャラクターなので、茉莉音と千田ちゃんが和解してデュエットする……ような展開があれば嬉しい限りである。
第3として、第2話にて直接絡んできた怪盗・麗しき破滅の桃である。
彼女は前作「ふたりはミルキィホームズ」に登場してきた怪盗グループ「カラー・ザ・ファントム」の一人であり、忘却のトイズという強力な能力を保有する実力者である。普段はトイズを用いて警察に潜入しており、刺激を求めて偵都ヨコハマを闊歩しているような姿が見受けられる。
今作ではエレメントを盗む力を狙って活動を開始しており、本人曰く「面白いことができるかも」という理由で行動しているようだ。公式ホームページによれば、エレメントは「素晴らしい作品に宿る不思議なエネルギー体」であり、どうも歌だけに存在するとは限らないらしい。麗しき破滅の桃がそこまでの認識を持っているかは定かではないが、確かにエレメントを盗み出す力を自由にできたのなら、彼女のいう「面白いこと」は起こせるのだろう。規模としては、ゲーム版の「フォーチュンリーフ事件」や「ロストトイズ計画」に匹敵する「面白いこと」が。
第4としては、茉莉音のトイズ発動についてである。
ミルキィホームズの世界観においては、トイズ発動の演出は統一されている。独特の効果音が鳴り、瞳に複数の光が灯るというものである。
TD第2話ではコーデリア、十津川こと麗しき破滅の桃らのトイズ発動にこの演出が用いられており、TDにおいてもトイズ演出に変化がないことは確かである。
しかし、このトイズ演出が全くないキャラクターがいる。天城茉莉音である。
エレメントを具現化するという彼女のトイズであるが、TD第1話、第2話を通してトイズ発動の演出は用いられていない。第1話では他にトイズを発動するキャラがいなかったので仕方ないとして、他にトイズを発動するキャラがいる第2話でトイズ発動の演出が適用されないのは若干不可解である。
正直、この4つ目の要素が個人的には気になって仕方ない。
演出が意図的に省略されているという前提のもと、3つの可能性を考えてみる。
まずは、茉莉音のトイズが特殊であるというケースである。確かに茉莉音のトイズはミルキィホームズの世界観でも特殊なものであり、「半自動的に可視化・擬人化させるトイズ」と公式ホームページには記されている。発動と未発動の境界線があいまいであり、常時発動と捉えても問題ないトイズであろう。意図的にトイズ発動をコントロールしているわけではなく、このことが理由でトイズ発動の演出が省略されている可能性は十分ある。
2つ目の可能性は、茉莉音のトイズにはまだ別の使い方がある、というケースである。つまり、まだ茉莉音は自身のトイズを十分に使いこなせておらず、真の力を行使したときのためにトイズ発動の演出を温存しているのではないか、という脚本的な理由である。麗しき破滅の桃が着目しているという伏線もあるため、十分にありえるお話だ。
3つ目の可能性は、そもそも茉莉音のあの力が茉莉音自身のトイズではない、というケースだ。これは特に理由もない思いつきであるが、あえて理由をこじけるのなら、幼い頃から歌ってきたという「奇跡の歌」自体にエレメントを具現化する力があるだけでそもそもトイズとは無関係……というところだろうか。
以上、第2話を見ていて気になった要素の列挙である。
自分で自覚できるくらいには楽しんで見れているので、ギャグ方面にもシリアス方面にもこのままの勢いで突っ走っていってもらいたい。
そして、願わくばエラリー姫百合ちゃんの出番を少しでもいただければと願う次第。
……まぁ、姫百合ちゃんがいれば茉莉音のトイズを自由自在に操作できるし、脚本的な理由で登場できないという線も十分に考えられて辛い。
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