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2016年03月31日

映画 仮面ライダー1号 感想〜藤岡弘、となった本郷猛〜

 「藤岡弘、」といえば、言わずと知れた一番最初の仮面ライダー/本郷猛を演じた怪傑である。

25歳当時。お世辞にも俳優に優しいとはいえない撮影環境において、全身打撲と左足の複雑骨折という大怪我を藤岡弘、は負った。長期療養を余儀なくされたものの、番組サイドの考えもあって番組への再登板は前向きに検討され、藤岡弘、自身も自分に鞭打つ形でリハビリを強いてそれに耐えたという。その結果として本郷猛は番組への復帰を果たし、その独特なキャラクター性は仮面ライダーを1970年代を代表する作品に押し上げ、その後も続いたシリーズは日本を代表する特撮番組として世界中の人々に知られることとなった。

もちろん藤岡弘、の活躍は仮面ライダーだけには留まらないのだが、本記事では割愛したい。
俳優業だけではなく、武道、バラエティと幅広く活躍する彼の姿を全て語りつくすのは不可能に近いからだ。
それでも彼を一言で表すとすれば、それは後世にも残る「伝説」として称して問題はないだろう。


そんな「伝説」の原点たる仮面ライダー/本郷猛のキャラクター像は、仮面ライダー45周年を迎える2016年現在、多岐に渡って描かれてきた。
テレビシリーズ1クール目の、改造人間にされてしまった悲哀に苦しむ本郷猛。
再登板を果たしてからの、どことなく明るさを得て仲間や子供たちの交流に勤しむ本郷猛。
テレビシリーズにおいても複数の脚本家によって様々な本郷猛が描かれ、そもそも石ノ森章太郎の漫画版仮面ライダーにおいても、テレビ版ではあまり見られなかった、青年らしい激情を持つ本郷猛を垣間見ることができる。
村枝賢一が描く漫画「仮面ライダーSPIRITS」では改造人間への悲哀がさらに掘り下げられ、2014年に公開された「仮面ライダー大戦」では戦い続けてきた戦士としての矜持を振るう姿が演出された。
上記のようなテレビシリーズや東映公認のコミカライズ以外にも、ファンの二次創作作品にも多数の本郷猛像が認められる。全てを網羅しているわけではないので具体的な例はあえて出さないが、半世紀に近い時間の中で生み出された「伝説」の姿は、ファンによって持っている像が微細に異なる。テレビシリーズの正当進化、あるいは石ノ森版や他の漫画家作品とのハイブリット、時代に即した設定の換骨奪胎……45年にわたる歴史の中で数多くの本郷猛が描かれたことにより、それを上回る数の本郷猛像がファンの中で生じたのは当然と言えよう。


前置きが長くなったので、そろそろ本題に入るとする。


今作、「仮面ライダー1号」は仮面ライダー/本郷猛を中心に添えた作品である。
そのアプローチは40周年記念作品である「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」や前述した「仮面ライダー大戦」とは異なり、「仮面ライダー」ではなく、本郷猛を中心に物語を描くことに力が入れられている。
特筆すべきは、今作で描かれる本郷猛像である。

「仮面ライダー1号」では改造人間の悲哀や戦士としての矜持はほとんど描かれていない。
他の仮面ライダーの存在を認めていること、仲間たちと共に戦ったこと、世界を舞台に長い間戦ってきたこと……といった過去作との繋がりを匂わせる発言はあるものの、それらについて深くは言及しない。せいぜい、「仲間に頼ったことはなかった」という発言がある程度である。

では何が描かれているのか。
この映画で描かれているのは確かに本郷猛である。
しかしそれ以上に、本郷猛を演じる藤岡弘、を感じさせる描写が多いのである。


物語冒頭。舞台はバンコク、治安の悪い村落から全てが始まる。
いかにも柄の悪そうな男たちが手狭な飲食店の中に踏み入り、食事中の男に物言いも悪く話しかける。
この食事中の男こそ、本郷猛その人である。
歴戦の猛者である本郷猛が負けるはずもなく、柄の悪い男たちをあっという間に片付けるわけだが、この男たちとの戦いに入る直前のシーンが何とも印象深い。
本郷猛は食事中に仕掛けてくる男たちの動向を批難し、手を合わせて「ごちそうさま」と告げてからその拳を振るったのだ。
この瞬間、「あぁ、これは藤岡弘、だ……!」と私は感じたのだった(同時に、下調べしてなかったが井上敏樹脚本に間違いないと確信した)。

その後も、私に本郷猛ではなく藤岡弘、を感じさせるシーンは何度も現れた。
寺で座禅を組んで無我の境地に入る本郷猛、生命の大切さを若者に説く本郷猛、「体を労われ!」と言って瀕死の敵から笑いながら立ち去る本郷猛……「これは本郷猛というより、藤岡弘、じゃないか!」という心の叫びを幾度となく抑えながら、私は90分の作品鑑賞を終えたのだった。

2016年のシリーズ最新作「仮面ライダーゴースト」のメンバーや新組織であるノバショッカー、仮面ライダーの宿敵であるショッカーの面々……と多数のキャラクターが登場するものの、今作における彼らは脇役と言い切って良い。ゴーストのメンバーは本郷猛の苦悩を視聴者に見せるためのカメラであり、ノバショッカーとショッカーは本郷猛の生き様を視聴者にうまく見せつけるための舞台装置である。
中心にあるのは本郷猛と彼の恩師である立花藤兵衛の孫娘・立花麻由の物語であり、さらに言えば本郷猛ではなく、藤岡弘、の物語を見せつけられたように私自身は感じた。
そう思わせるほどに、本作の藤岡弘、の演技には自分の想いを伝えようとする力強さがあった。
半ば宗教を思わせるほどに、有無を言わせずに正しい道理を悟らせる啓発的な熱意に溢れていた。
人によっては映画全体から滲み出てくる説教臭さに嫌気がさしてしまうかもしれず、この啓発的な熱意を受け入れられるかどうかがこの映画を「あり」か「なし」にする分水嶺になっているのは間違いない。


だが、この映画がただの説教臭い作品になっていないことは断言できる。
なぜかというと、それは劇中にあるシーンが挿入されることためだ。
そのシーンとは、生命の大切さを説こうとする本郷猛に対して、劇中の若者がその熱意をある者は一笑に付し、ある者は気味悪さを感じているという箇所である。ここを演出できるということはつまり、製作側も説教臭さを自覚しているに他ならない。
注目すべきは、若者たちの反応に対して、本郷猛が一切注意を行わない部分だ。その役割は彼と密接な関係にある立花麻由が担うわけだが、本郷猛自身は何も言わない。立花麻由が「慣れないことをして」とバカにするシーンで、ほんの少し苦笑いをするという程度にとどめてある。
そして、本郷猛のメッセージが同じ仮面ライダーである仮面ライダーゴースト/天空寺タケルには通じていることも押さえておきたい。


「仮面ライダー1号」では、物語全体を通して「生命」の尊さを説くというテーマが描かれている。
それは反面、説教臭さを内包してしまうため、人を選ぶ作品になってしまうことを意味してしまうのだが、「仮面ライダー1号」はそのことに対して自覚的である。
つまり、説教臭くなることを分かった上で、なおその説教臭さを強調してメッセージとして演出しているのだ。
主演である本郷猛を演じる藤岡弘、は言わずもがな、それを共に作り出しているスタッフもそうである。


仮面ライダー放送当時。藤岡弘、はあくまで本郷猛を演じる俳優であった。藤岡弘、を見て本郷猛を思う子どもたちは多かったにしろ、その逆はほとんどなかったに違いない。テレビ上で活躍するヒーローの方が圧倒的に魅力で、それを演じる役者自身に興味を持ってもらえないというのはよくある話である。
しかし、それから45年。藤岡弘、も芸歴を重ね、容易ではない苦労を凌ぎ、ボランティア活動で世界各地の戦地を巡るという経験を果たした。70年の人生を経る中で唯一ともいえる人生観を獲得し、今やその人生観を積極的に人々へと伝えていこうという年齢に達している。

そんな中で作られた本作「仮面ライダー1号」は、ついに本郷猛を藤岡弘、が内包する作品として公開された。
本郷猛と藤岡弘、がすげ替えられたという見方もできるかもしれないが、私は藤岡弘、の中にある本郷猛像が一際強く押し出された作品だと考える。本郷猛という存在が藤岡弘、という役者に覆い尽くされたのではなく、あくまで藤岡弘、という役者の持つ良さが本郷猛を通して映し出されたという形だ。分かりやすく言えば、藤岡弘、と本郷猛の共通項が色濃く出されていると言えばいいだろうか。

そして、制作スタッフも今の藤岡弘、だからこそ演じられる本郷猛を描き出そうと協力的である。
今作は藤岡弘、を思わせる要素も多く、それはむしろ意図的に描かれえている部分である。おそらく、プロデューサーと話し合い、藤岡弘、の考えを脚本段階まで反映させていると感じられた。特に生命についての考えは、藤岡弘、の意向を可能な限り汲んで反映させた部分なのではないだろうか。
藤岡弘、もスタッフも、今作が全ての人に受け入れられるとは考えてはいないだろう。劇中で描かれたように笑い飛ばされることも想定しているはずだ。しかし、どことなく滑稽にも感じてしまうテーマ性に変な脚色を加えず、視聴者に真正面から伝えようとする心構えをもってこの作品は生み出されている。45年の時を経て藤岡弘、が伝えようとしているものを、この作品に携わる人々が惜しみなく表現しようとしていることは間違いない。

仮面ライダー作品のファンとして、過度に俳優色が押し出さているものに対して難色を示す人は少なからずいるだろう。
私もどちらかというと、そちら側の人間である。
本作も藤岡弘、という個人が強く出ている作品だけに手放しで全てが良かったと評価するつもりはない。
しかし、仮面ライダーファンという側面から離れて、藤岡弘、のファンとしてはこの作品を良い意味で評価したいと思う。
ありていにいうと、「たまにはこういう作品もいいか」という気持ちになっているのだ。
色々と語ってきたし、賛否両論な作品となっているところは否めないが、藤岡弘、が伝えようとするテーマを惜しみなく表現している本作は必見である。できれば多くの人に見てもらい、藤岡弘、が画面の前に人々に伝えようとする熱い思いを共有していけることを願う。


余談である。
物語の終盤、一度は死んだ本郷猛がよみがえり、その心音を立花麻由が聞くというシーンがある。
「改造人間」である本郷猛の心臓を聞くというとどうしても機械的な音を連想してしまうのだが、ここでは血液音はおろか心臓音を想像させるようなSEは挿入されない。ただ麻由が本郷猛の胸に頭を当て、心臓の音が聞こえてくると語るだけである。
このシーンは前述した生命の尊さを若者に説くシーン以上に印象に残っており、あえて機械的な音を排しているのではないかと考えさせられた。改造人間としての本郷猛ではなく、人間として、つまりは藤岡弘、としての本郷猛を強調しておきたかったのではないかと徒然と思ったり。


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