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2024年06月21日

アンリ・ポアンカレ
6/21改訂【数学・物理学・天文学で独自の領域を開拓】

こんにちは。コウジです。
ポアンカレの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


ポアンカレ予想
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アンリ・ポアンカレ【1854年4月29日生れ ~ 1912年7月17日没】



 ポアンカレ予測


その名を書下すと、ジュール=アンリ・ポアンカレ


(Jules-Henri Poincaré)。多様体における考察である


ポアンカレ予想で、よく知られています。また、


小さなトリビア話なのですが、J・ポアンカレは


フランス大統領の従兄弟でもありました。


 

 ポアンカレの業績と評価


ポアンカレは数学、物理学、天文学において
名を残しています。残した業績は大きいのです。
しかし、


その数学的立場には賛否両論があります。


一般の見方ならば分からない程度の賛否両論のでしょうね。

ポアンカレは第一回ソルベーユ会議にも出席していて、
マリ・キューリとの写真は色々な所で紹介されています。
どんな話をしていたのか興味深いですね。
探せるものなら議事録探して分析したいです。


ポアンカレの思考方法で独自性を見出せるでしょう。


他、ポアンカレの業績としては


位相幾何学の分野でのトポロジーの
概念形成などもあります。ヒルベルト形式主義よりも
直感に重きを置くスタイルは、いかにも数学者らしい、
とも思えますが、特定の人からみたら
意味不明に思えたりするのでしょう。また、
とある数学的な発見時に、思考過程を詳細に残し、
思考プロセスの形で心理学的側面の研究に
影響を残したとも言われています。


 

また、以下の著作は何時か時間が出来たら


読んでみたいと考えているポアンカレの著作です。


個人的な課題ですね。


・事実の選択・偶然_寺田寅彦訳_岩波書店


・科学と仮説_湯川秀樹・井上健編_中央公論


・科学の価値_田辺元 訳_一穂社




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(2021年9月時点での対応英訳)



Poincare Prediction


The name is Jules-Henri Poincaré. Consideration in manifolds


Poincare conjecture, well known. Also, although it is a small trivia, J. Poincaré was also a cousin of the President of France.



Poincare's achievements and evaluation


Poincare has made a name for himself in mathematics, physics and astronomy. The achievements he left behind are great. However, there are pros and cons to his mathematical position. Pros and cons may not be understood by the general public.


Poincaré also attended the first Solbeille conference, and his photographs with Mari Cucumber are featured in various places. It's interesting what he was talking about. When I have time, I would like to find and analyze the minutes. You will find uniqueness in Poincare's way of thinking.


Other achievements of Poincare include the formation of the concept of topology in the field of topology. His style, which emphasizes intuition over Hilbert formalism, seems to be a mathematician, but he may seem irrelevant to a particular person. It is also said that at the time of his mathematical discovery, he left behind his thought process in detail and influenced the study of psychological aspects of the thought process.


In addition, the following works are Poincare's works that I would like to read when I have some time. It's a personal issue.


 Selection of facts ・ By chance _ Translated by Torahiko Terada _ Iwanami Shoten


 Science and Hypothesis_Hideki Yukawa / Ken Inoue _Chuo Koron


Value of science_Translated by Hajime Tanabe_Ichihosha


2024年06月20日

実験から超電導を示した
稀代の実験家・カメリー・オネス【低温物理学への道を】6/20改訂

こんにちは。コウジです。
カメリー・オネスの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)

物性物理学講義
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カメリー・オネス【1853年9月21生まれ ~ 1926年2月21日没】



 ライデン大学のカメリー・オネス


その名はより正確にはヘイケ・カマリン・オンネス


(Heike Kamerlingh Onnes)今日、 日本では


カーメルリング・オンネス、カマリン・オンネスや、


カマリン・オネスなど数パターンでカタカナ表記さ


れていますが、本稿ではカメリー・オネスとします。


 

ライデン大学実験物理学教授」この称号が


カメリー・オネスの人生をよく表しています。


彼は生涯オランダのライデン大学で教鞭をとり、


実験によって新しい世界を切り開きました。


また、ライデン大学には同じ年に生まれた理論家の


ローレンツ_が居ます。理論・実験で


ライデン大学は時代を切り開いたのです。


後に、ボルツマンの弟子のエーレンフェスト


アインシュタインがライデン大学に集います。


カメリー・オネスはドイツのハイデルベルク大学
に留学してキルヒホッフ等の師事を受けたと
言われていますが、特に帰国後にライデン大学
「ファン・デル・ワールスと出会い、彼との
議論を通じ、低温における物理現象に
興味を抱くようになった」【Wikipediaより】
と言われていて、ライデン大学での繋がりが
低温物理学に興味を抱く大きなきっかけ
だったようです。



低温電子物性の幕開け


特に温度を下げていく過程で電子の振る舞いが
どうなるか。それに対しての回答として
カメリー・オネスは超電導現象を示しました。
実験的に再現性のある現象を示す事で
更なる理論の土台を築いたのです。


格子間を運動する電子が電気的性質、磁気的特性を
温度変化に応じてどう変えていくか考えが異なりました。
異なる考えがあった時にカメリー・オネスは
事実を実験によって明確に示したのです。
絶対零度では抵抗はゼロになりました。
一つの予想を実験結果で証明したのです。




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To be more precise, the name is Heike Kamerlingh Onnes. Today, in Japan, it is written in katakana in several patterns such as Carmelling Onnes, Kamerlingh Onnes, and Kamerlingh Onnes, but in this article, Kamerlingh Onnes is written in katakana. will do.


"Professor of Experimental Physics, University of Leiden" This title is a good representation of Kamerlingh Ones' life. He taught at Leiden University in the Netherlands throughout his life and opened up a new world through his experiments.


Leiden University also has a theorist, Lorenz, who was born in the same year. Leiden University opened the era with theory and experimentation.
Then, Boltzmann's disciples Ehrenfest and Einstein gather at Leiden University.


Kamerlingh Ones is said to have studied at Heidelberg University in Germany and studied under Kirchhof and others. Especially after returning to Japan, he said, "I met Van der Waals and through discussions with him, physical phenomena at low temperatures. "I became interested in Cryogenics" [Wikipedia], and it seems that the connection at Leiden University was a big reason for my interest in cryogenic physics.



behavior of electrons


What happens to the behavior of electrons, especially in the process of lowering the temperature? In response, Kamerlingh Ones showed the superconducting phenomenon.
He laid the foundation for further theory by showing it as an experimentally reproducible phenomenon.


They had a different idea of ​​how electrons moving between lattices change their electrical and magnetic properties in response to changes in temperature.
Kamerlingh Ones made the facts clear through his experiments when he had different ideas.
At absolute zero, the resistance is zero.
He proved one conjecture with experimental results.


2024年06月19日

ローレンツ変換で名を残し、
6/19改訂‗アインシュタイン等と議論して育てたローレンツ

こんにちは。コウジです。
ローレンツの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


↑ Credit ; Wikipedea ↑


ドラえもんの理科面白後略
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H・A・ローレンツ【1853年7月18日生まれ ~ 1928年2月4日没】



ライデン大学のローレンツ


その名は正確にはHendrik Antoon Lorentz。


です。オランダに物理学で有名なライデン大学


がありますが、ローレンツはライデン大学の出身者です。


後にエーレンフェストがコロキウムを開いていきますが、


そんな大学を理論の面で育んでいった一人が


今回ご紹介するローレンツです。


 

この大学では他に、


エンリコ・フェルミ
西周(日本の哲学者)、
ヘイケ・カメリー・オネス_
アルベルト・アインシュタイン
クリスティアーン・ホイヘンス
フィリップ・シーボルト(博物学者)、
ポール・エーレンフェスト


が学んだり、教えたり、議論をしたりしていました。


他、オランダで個人的に関心があるのは


デルフト工科大学です。そこは現在、


低温物理学で有名な拠点ですので別途、


機会があれば取りあげたいと思います。



ローレンツの主な業績


さて話戻ってローレンツですが、


電気・磁気・光の関係を解きほぐしました。


手法としては座標系の変換を効果的に使います。


特にアインシュタインが特殊相対性理論


を論じる際に起点の一つとして使った、


「光速度不変の定理」はローレンツが導いた


変換に関する考察があって成立しています。


無論、アインシュタインは、


その人柄と業績を高く評価していて、


ローレンツを「人生で出会った最重要な人物」


であったと語っています。



ローレンツの人脈


ローレンツとアインシュタインはエーレンフェストの家でよく語り合っていたと言われています。時間が出来たら寄合って、その時々の関心のある議題について語り合っていたのでしょう。有益な夜の時間が過ごせたはずです。このブログで今ご紹介している写真はそんな中での風景です。きっと。


ローレンツの業績は、電磁気学、電子論、


光学、相対性理論と多岐にわたります。


弟子のゼーマンが電子に起因するスペクトル線


が磁場中で分裂する事実を示した時には


理論的論拠を与えノーベル賞を受けています。


荷電粒子を考えた時には


@静電場からの力が働き
A静磁場からの力が働き
B電場中で速度vで働くとき力が働き、


その総和としてローレンツ力が表現されます。


また、ローレンツ変換は相対論を語る時の


基礎になっています。更に、双極子の性質を表


すローレンツ・ローレンツの式などでローレンツは


名前を残しています。その中で


特に印象深い業績はやはり変換に関する物でしょう。



ローレンツの独自性


ローレンツは座標系の変換の中で局所時間
と移動体の長さの収縮を議論していきます。そこから、
「ローレンツ収縮」といった言葉も生まれてます。
理論への要請として、
マイケルソン・モーレの実験を理論から
説明するには光速度普遍の枠組みで
事実を組み立てなければなりません。
これが可能な理論的土台として
ローレンツ変換は秀逸だったのです。


最後に、そのご臨終の話を語りたいと思います。


ローレンツの葬儀当日は追悼の意を込め、


オランダ中の電話が3分間電話が止められました。


英国王立協会会長だったアーネスト・ラザフォード


お別れの言葉を述べる中で多くの人が


ローレンツを惜しみました。





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Lorenz of Leiden University


Its name is Hendrik Antoon Lorentz to be exact. Leiden University is famous for physics in the Netherlands, and Lorenz is from there. Ehrenfest will open the colloquium later, but one of the people who nurtured such a university in terms of theory is Lorenz. Besides at this university


Enrico Fermi,
Nishi Amane (Japanese philosopher),
Heike Kamerlingh Ones_
Albert Einstein,
Christiaan Huygens,
Philipp Siebold (naturalist),
Paul Ehrenfest


Was learning, teaching, and discussing. Another personal interest in the Netherlands is the Delft University of Technology. It is currently a well-known base for cryogenic physics, so I would like to take up it if there is another opportunity.



Lorenz's main achievements


Now back to Lorenz, I unraveled the relationship between electricity, magnetism, and light. His technique is to effectively use coordinate system transformations.


In particular, the "light velocity invariant theorem" that Einstein used as one of the starting points when discussing special relativity was established with consideration of the transformation derived by Lorenz. Of course, Einstein praised his personality and achievements and described Lorenz as "the most important person he met in his life."



Lorenz connections


Lorenz and Einstein are said to have often talked at Ehrenfest's house. When I had time, I would have come together and talked about the agenda of interest at that time. You should have had a good night time. The photos I'm introducing in this blog are the scenery in such a situation.


Lorenz's achievements range from electromagnetism, electron theory, optics, and theory of relativity. When his disciple Zeeman showed the fact that electron-induced spectral lines split in a magnetic field, he gave a theoretical rationale and received the Nobel Prize. When he thought of charged particles


@ Force from electrostatic field works
A Force from static magnetic field works
B When working at speed v in an electric field, force works,


Lorentz force is expressed as the sum. Lorentz transformations are also the basis for talking about relativity. In addition, Lorentz has left its name in the Lorentz-Lorenz formula, which expresses the properties of dipoles. The most impressive of these is probably the one related to conversion.



Lorenz's uniqueness


Lorenz discusses the contraction of local time and mobile length in the transformation of the coordinate system. From there, the word "Lorentz contraction" is also born. As a request to his theory, to explain Michaelson Moret's experiment from theory, we must construct the facts in the framework of universal light velocity. The Lorentz transformations were excellent as the theoretical basis for this.


Finally, I would like to tell you the story of the end.


On the day of Lorenz's funeral, telephone calls throughout the Netherlands were suspended for three minutes in memory. Many missed Lorenz as Ernest Rutherford, president of the Royal Society, said goodbye.


2024年06月18日

A・A・マイケルソン
6/18改訂【稀代の実験|エーテルを想定した干渉実験を実施】

こんにちは。コウジです。
マイケルソンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)




干渉実験(解釈)


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【1852年12月19日 ~ 1931年5月9日】



稀代の実験家マイケルソン


その名を全て書き下すとAlbert Abraham Michelson。


ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。


マイケルソンは物理学の中でも特に光学に対して


関心を示し、干渉計を発明しました。。その後、


有名な干渉実験を実現します。マイケルソンはその後も


様々な研究者と実験をしていきますが、光の干渉を原理


として使っていて光路が長い程、精度が高くなります。


そこで、マイケルソン達の装置は大がかりな物に


なっていきますが、結果として様々な外乱に晒され、


誤差との戦いが続きました。装置を据え付ける地盤、


微振動、感光装置、その他に様々な


配慮を払わねはならなかったのです。



実験の時代背景 


こうした実験が行われた背景としてはそもそも、


マイケルソンの時代にエーテルという光の伝播媒質


が論じられていました。光が波であれば当然、


媒質は考えていく物です。ローレンツの理論


での変換は干渉のずれを収縮が打ち消す、


といった結果をもたらします。エーテルを想定した


マイケルソンの実験結果は様々な議論に繋がり


媒質としてのエーテルは現在、否定されています。


この有名な実験が広く認められ、マイケルソンは


アメリカ人として初のノーベル物理学賞を受けます。


近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。
【参考.国立天文台のサイト】




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Exprimentist Michelson


Albert Abraham Michelson if you write down all the names. He is an American of Jewish descent.


Michelson was particularly interested in optics in physics and invented the interferometer. .. After that, he realizes the famous interference experiment. Michaelson will continue to experiment with various researchers, but he uses the principle of light interference, and the longer the optical path, the higher the accuracy. There, Michaelson's equipment became a large-scale one, but as a result, it was exposed to various disturbances, and the fight against error continued. We had to pay attention to the ground on which the device was installed, micro-vibration, photosensitive devices, and so on.



Backglound of the Experiment


n the first place, the light propagation medium called ether was discussed in Michaelson's time as the background to these experiments. Of course, if the light is a wave, it is something to think about. The transformation in Lorenz's theory results in the contraction canceling out the deviation of the interference. Michelson's experimental results assuming ether have led to various discussions, and ether as a medium is currently denied. This famous experiment was widely recognized and Michaelson received the first American Nobel Prize in Physics.


In recent years, Michelson's experimental methods have yielded other results. In September 2015, Michelson used two Michelson interferometers to directly observe gravitational waves. It can be said that the insistence of a rare experimenter came to fruition decades later.

2024年06月17日

ジョン・A・フレミング
【マクスウェルの弟子は真空管を発明しました】

こんにちは。コウジです。
フレミングの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


ミルスペック真空管
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ジョン・A・フレミング【1849年11月29日 ~ 1945年4月18日】



マクスウェル仕込みのフレミング


まず、イギリスに生まれたフレミングはケンブリッジで


マクスウェルの師事を受けました。フレミング曰く、


マクスウェルの講義は


「逆説的で暗示的な言い方」(Wikipediaより引用)


を含んでいて非常に分かり辛くて不明瞭であったそうです。


当然、そんな講義は学生に不人気で時には


講義を聴いていたのはフレミング一人の時もあったそうです。


物理屋さんにありがちな、とぼけた類のエピソードですね。


酷いと言えば酷い話です。こんな人達。でも、大事。


 

フレミングの業績


フレミングは左手の法則で有名です。簡単に言えば


「左手で直交3軸を作った時に、長い指から・
電(でん)・磁(じ)・力(りょく)です。


より、細かく説明すると磁場中に電気が流れていると


その電気導線に対して力が生じます。


電(でん)・磁(じ)・力(りょく)をそれぞれ
q(でん)・B(じ)・F(りょく)で考えて


荷電粒子の速度をvとすると、


外積:×を使ってF=q(v×B) です。


高校レベルの天下り的な覚え方ですが、
現象として実験事実に即していると考えると
非常に洗練された結果であるとも言えますね。


フレミングは実験で自然界から事実をひき出しています。


また、真空管の発明者としても有名です。
今日の電子工学の始まりだとも言われています。
工学の世界で色々な発明を重ねました。そんなフレミングは子供にこそ恵まれませんでしたが2度の結婚をして、アメリカテレビジョン学会の初代会長を務めたりしながら余生を過ごしました。原稿改定の際に気付いたのですが、
晩年ナイトの叙されています。更には
IEEE(アイ・トリプル・イィ)の前身団体で
評価を受けています。
そんな昔話でした。


 



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2020/09/23_初稿投稿
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Fleming prepared by Maxwell


First, born in England, Fleming studied at Maxwell in Cambridge. According to Fleming, lecture of Maxwell's lecture was very confusing and unclear, including "paradoxical and suggestive language" (quoted from Wikipedia). Naturally, such lectures were quite unpopular with students, and it seems that Fleming was the only one who sometimes listened to the lectures. It's a kind of blurry episode that is common in physicists. It is a surely terrible story.



Fleming's achievements


Fleming is famous for his left-hand rule. Simply put, "When you make three orthogonal axes with your left hand, it is from a long finger, electricity, magnetism, and force. To explain it in more detail, electricity flows in the magnetic field. If so, a force will be generated on the electric conductor.


Considering electricity, magnetism, and force in q (electrivity), B (magnetism), and F (force), respectively, and letting the velocity of the charged particle be v, the outer product: F = q (v × B) using ×. It's an AMAKUDARI way of remembering at the high school level, but it can be said that it is a very sophisticated result considering that it is in line with the experimental facts as a phenomenon.


Fleming is also famous as the inventor of vacuum tubes. He is said to be the beginning of today's electronics. He made various inventions in the engineering world. Fleming wasn't blessed with children, but he got married twice and spent the rest of his life as the first president of the American Television Society.

2024年06月16日

皆が知っている発明家トーマス・A・エジソン【実は「99%の汗と1%の才能」の人】

こんにちは。コウジです。
エジソンの原稿を改訂します。


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世界の伝記_エジソン
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アメリカ育ちのエジソン


エジソンはアメリカの発明家です。彼の逸話を聞くと、


閃きの喜びとか達成時の感動が沸き起こります。


エジソンの発明品は蓄音器、電灯、活動写真と


多岐にわたります。研究所はニュージャージの


メンロパークにありました。その街は


今では有名な発明家であったエジソンにちなんで


街の名前がエジソンと改名されている程です。


また、個人的な話になり恐縮ですが、


初めて私が買ったCDが


ボン・ジョビの「New Jersey」でした。


何となく私が想像してた同州の楽しそうで


何かを生み出す活気のある雰囲気は


エジソンが研究所を構え、活動する中で


生まれた部分もあるのですね。きっと。


そんなエジソンは幼少時代から苦労を重ねています。
彼が残した有名の言葉を改めて書き下します。


「天才は99%の汗と1%の才能(で出来ている)」


睡眠時間を削り、時に発想に浸り現実を忘れ
次から次へと発明を繰り返しました。図書館に籠り
独学で色々なことを学び正規の教育を受けずに
試行錯誤を繰り返します。例えば、算数で「1+1=2」
と教わっても「二つの粘土を混ぜた時に一つになるのに
何故この場合は1ではなく2なのか??」という視点
を持ち反論しています。こんな話が語りつかれている
自体がいかにもアメリカ的なのかな?と思いますが、
思考の柔軟性を保ち続ける為には
必要な吟味であるとも言えます。


 

発明家エジソン


その後、投票記録の機械、株式相場表示機、


電話、蓄音機、白熱電球と発明を続けます。


蓄音機を世間に広めた時は


「機械の中に人が居るわけがない!」と


驚きの反論を受けたほどです。


晩年は会社経営から身を引き、


霊界との交信が出来るか、といった


関心を持ち試行錯誤していました。


多くを残して84歳で亡くなっています。


まさに語り継がれ続けている偉人です。


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Edison raised in the United States


Edison is an American inventor. Listening to his anecdotes gives rise to the joy of inspiration and the excitement of achieving it. Edison's inventions range from gramophones, lamps, and activity photographs. His laboratory was in Menlo Park, New Jersey. Personally, I'm sorry to say that the first CD I bought was Bon Jovi's "New Jersey." Somehow, the lively atmosphere that I imagined in the state that seems to be fun and creates something was born while Edison set up a research institute and was active. surely. Edison has been struggling since he was a child. He rewrites his famous words he left behind.


"Genius is 99% sweat and 1% talent (made of)"


He cut down on his sleep, sometimes immersing himself in ideas, forgetting reality, and repeating his inventions one after another. He stays in the library, learns various things by himself, and repeats trial and error without receiving formal education. For example, even if I was taught "1 + 1 = 2" in mathematics, I argue with the perspective of "Why is it 2 instead of 1 in this case when two clays are mixed and become one?" Is it really American that such a story is told? However, it can be said that it is a necessary examination to maintain the flexibility of thinking.


Inventor Edison
He then continues his invention with voting machines, stock quotes, telephones, gramophones, incandescent light bulbs. When he spread the gramophone to the world, he was surprised to hear that "there is no one in the machine!" In his later years, he withdrew from company management and was interested in communicating with the spirit world through trial and error. He died at the age of 84, leaving much behind. He is a great man who has been handed down.

2024年06月15日

W・C・レントゲン
6/15改訂【第一回のノーベル賞受賞者・電子の蛍光現象を実用化】

こんにちは。コウジです。
レントゲンの原稿を改訂します。


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X線撮影技術
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レントゲンの発明者レントゲン


レントゲンと言えば、その人の名よりも


その名を使った装置が思い浮かぶでしょう。


以下ではレントゲンという言葉は


人の名前として使っていきます。


 

レントゲンはドイツ生まれの偉人です。
彼の時代にはハインリヒ・R・ヘルツ
によって真空放電や陰極線の議論が
なされていました。


今風に考えたら
対象は単なる粒子とか波ではなく、
2面性をもった「波動関数で記述される
電子の一団である」と言えますが。
レントゲンの時代には電子の実在は不明確でした。
数キロボルトの電圧を加えた真空管において
蛍光現象が見受けられるのが陰極線です。


一般の電流の知識からは+方向からー方向
(プラス方向からマイナス方向)へ電流が流れますが
陰極線は―方向から+方向に現象が
確認出来るのです。+と−の間に遮蔽物
を置くと遮蔽物から+方向で現象が見られません。
つまり電子はマイナス方向から出ていたのです。



レントゲンの業績


そして、レントゲンは遮蔽物の画像を研究します。


まずレントゲンは実験結果を重視してます。


X線が人体を透過した後の写真を


大衆に見せました。ネーチャやサイエンス


といった有名雑誌に投稿し、議論して


事実を明らかにしていきました。


その方法は先ず磁場に作用する


陰極線の実験を積み重ねます。


陰極、陽極、検出対象として
色々な物資を試し、X線の特性を極めて
鉛は通さずガラスは透過する
といった事実を明確にします。


説明が細かくなり恐縮ですが、
陰極線の陰極・陽極間に検出対象があり、
検出対象から放射されるのがX線です。


検出対象に蛍光物資を使った所が
レントゲンのオリジナリティですね。


また波長に着目すると波長が1pm ~ 10nm程度の
電磁波であるという事実も重要です。
そうした仕組みで磁場から力を殆ど受けない
X線を発見して、突き詰めていったのです。


 

レントゲンの人となり


その後の成果で原子が崩壊・融合する過程で


放射線が出てくる知見が集約されてくる訳ですが、


後の素粒子での議論につながる種が、


レントゲンによって沢山まかれていた訳です。


また、レントゲンを偲ばせるエピソード
を3つ、ご紹介します。


まず、レントゲンは自らの独自技術に
対して特許を申請しなかったと言われ
ています。科学の成果は万人が享受すべき
だというレントゲン独特の考えです。


また、レントゲンは第一回目の
ノーベル賞を受けていますが、
賞金に手を付けず、
全て大学に寄付しています。


そして愛妻家だったと思われます。
レントゲン自身はガンで亡くなりますが
年上だった奥様に先立たれてから
数年後の事でした。今でもよく
紹介されている写真は奥様の手を
X線が透過した姿でした。
皮膚を透過したX線が骨の形を
リアルに映し出し、その薬指には
はっきりと結婚指輪が見えます。





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X-ray inventor,Roentgen


Speaking of Roentgen in Japan, the device of that name comes to mind rather than the person's name. In the following, Roentgen will be used as a person's name.


In the Roentgen era, vacuum discharge and cathode rays were discussed by Heinrich R. Hertz and others. If you think about it in a modern way, it can be said that the object is not just a particle or a wave, but an electron described by a wave function with two sides. It was unclear in the X-ray era. It is the cathode ray that shows the fluorescence phenomenon in a vacuum tube to which a voltage of several kilovolts is applied. From general current knowledge, from + direction to-direction


The current flows in the (plus direction to minus direction), but the phenomenon can be confirmed in the cathode ray from the-direction to the + direction. If a shield is placed between + and-, the phenomenon will not be seen in the + direction from the shield. In other words, the electrons were coming out from the minus direction.



Roentgen’s achievements


And X-rays study images of obstructions. First of all, Roentgen attaches great importance to his experimental results. He showed the public a picture of what X-rays had passed through the human body. He posted to well-known magazines such as Nature and Science, discussed and revealed the facts. The method first accumulates experiments on cathode rays that act on a magnetic field.


He experimented with various materials such as cathodes, anodes, and objects to detect, clarifying the fact that lead does not pass and glass does.


Excuse me for the detailed explanation, but there is a detection target between the cathode and anode of the cathode ray, and X-rays are emitted from the detection target. The place where fluorescent materials are used as the detection target is the originality of X-rays.


Focusing on the wavelength, the fact that the wavelength is an electromagnetic wave of about 1pm-10nm is also important. With such a mechanism, I discovered X-rays that do not receive force from the magnetic field and pursued them.



Roentgen's portrait


Subsequent results will bring together the knowledge that radiation is emitted in the process of atom decay and fusion, but many species that will lead to discussions on elementary particles later were sown by Roentgen.


We will also introduce some episodes that are reminiscent of X-rays. First, Roentgen is said to have not applied for a patent on his proprietary technology. It is an X-ray peculiar idea that the results of science should be enjoyed by everyone.


Roentgen has also received his first Nobel Prize, but he hasn't touched the prize money and donated everything to the university.


And he seems to have been a beloved wife. Roentgen himself died of cancer, a few years after his older wife. The photo that is still often introduced is the X-ray transmission of his wife's hand. X-rays that penetrate his skin realistically reflect the shape of the bone, and his ring finger clearly shows the wedding ring.

2024年06月14日

L・E・ボルツマン
6/14改訂【エントロピー(S=k LogW)を考えていった男の葛藤と業績】

こんにちは。コウジです。
ボルツマンの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


 

L・E・ボルツマン【1844年2月20日 〜 1906年9月5日】


アホでもわかるエントロピー
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ボルツマンの生い立ち


その名はLudwig Eduard Boltzmann。


ボルツマンはオーストリア・ウィーン出身の


物理学者にして哲学者です。


カノニカルな(統計的な)議論の他に


電磁気学や熱力学、それらを扱う


数学の研究でボルツマンは業績を残しました。


ボルツマンは芸術の都ウィーンに生まれ、


子供時代にピアニストである


A・ブルックナーからピアノを学んでいます。


 

指導者としてのボルツマンの業績としては


エーレンフェストが博士論文を書く時の


指導が挙げられます。後程もう少し言及しますが


エーレンフェストの定理にはボルツマンの


信念が込められていると言えるでしょう。また、


科学史から見てもボルツマンの原子認識の流れ


は大きな一歩だったと言えます。ここでの一歩が無ければ


素粒子やブラウン運動のイメージは


湧かなかったでしょう。


 

ボルツマンの研究業績


そんなボルツマンの墓には


S=k LogWと書かれています。


そこでいうSとはエントロピーというパラメターで


対象系の乱雑さを表します。


k(またはkBと記載します)という


パラメターを定めて


ボルツマンが定量化した概念です。


クラウジウスが使ったエントロピーを


ボルツマンが再定義した、とも言えます


「乱雑さ」は統計力学において


温度T、容積V、圧力P等と関連して


ボルツマンの関係式として定式化されました。


 

ボルツマンの研究業績の中で特に


私が関心をもつのは


原子論に関しての現象把握です。


観測に直接かからない


「原子」は色々な見方をされていました。


そんな原子に対して


ボルツマンは「乱雑さ」または


「無秩序」の度合いという


新しい物理量である「エントロピー」を使い


原子の実在に近づいていったのです。


結果として


対立する考えが物理学会で生じていて


原子モデルを使うボルツマンと、


実証主義で理論を進める


エルンスト・マッハの間で論争が続きます。


原子論モデルを大きく進めるプランクの登場まで
その後、何年間も必要なのです。
もやもやした状態は続きます。 


そして、エーレンファストの定理で
「原子」と「量子」は見事に関連が示されます。


しかし、残念なことに、、こうした全体像を
ボルツマンが見ることは出来ませんでした。


ボルツマンは晩年に精神障害に悩み


自ら命を絶つという悲しい最期を遂げています。


ここで、暫し物理学は大きな


壁に突き当たっていたように思えます。


沢山の天才達が問題の大きさに畏怖したのでしょう。


 

ボルツマンはピアノが好きでした。


花を手向ける場所がありますよね。



〆最後に〆


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(2021年9月時点での対応英訳)



Boltzmann's upbringing


Its name is Ludwig Eduard Boltzmann.


Boltzmann is a physicist and philosopher from Vienna, Austria. In addition to canonical (statistical) discussions, he has made significant contributions to the study of electromagnetism, thermodynamics, and the mathematics that deals with them. He was born in Vienna. As a child, he learned the piano from pianist A. Bruckner.


Boltzmann's achievements as a mentor include teaching Ehrenfest when writing his dissertation. It can be said that Ehrenfest's theorem contains Boltzmann's belief. Also, from the history of science, it can be said that Boltzmann's flow of atomic recognition was a big step. Without one step here, the image of elementary particles and Brownian motion would not have come out.



Boltzmann's research achievements


S = k Log W is written on Boltzmann's tomb.


S here is a parameter called entropy, which represents the disorder of the target system. It is a concept quantified by Boltzmann by defining a parameter called k (or described as kB).


It can be said that Boltzmann redefined the entropy used by Clausius. "Randomness" was formulated as Boltzmann's relational expression in relation to temperature T, volume V, pressure P, etc. in statistical mechanics.


Among Boltzmann's research achievements, I am particularly interested in understanding phenomena related to atomism. Atoms that are not directly observed have been viewed in various ways.


For such an atom, Boltzmann approached the existence of the atom by using "entropy", which is a new physical quantity of "randomness" or "disorder".


As a result, conflicting ideas have arisen at the Physical Society of Japan, and controversy continues between Boltzmann, who uses atomic models, and Ernst Mach, who pursues positivist theory. It will take many years after the advent of Planck, which greatly advances the atomist model.


And, unfortunately, Boltzmann had a sad end in his later years, suffering from a mental illness and dying himself.


Here, for a while, physics seems to have hit a big wall. Many geniuses would have been afraid of the magnitude of the problem.


Boltzmann liked the piano. He has a place to turn flowers.

2024年06月13日

レイリー男爵
6/13改訂【「空は何で青いの?」という子供の疑問に答える理論を確立】

こんにちは。コウジです。
レイリー男爵の原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


光の物理
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レイリー男爵 ; J・W・ストラット【1842年11月12日~1919年6月30日】



 レイリー卿について


この原稿ではURLに爵位である


”Baron Rayleigh”を使っています。


その名を改めて書下すと、第3代レイリー男爵


ジョン・ウィリアム・ストラット


John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh


 

分かり易い業績で紹介していくと、レイリー卿は


晴れた日の空の青さを説明しました。


子供が、「空はなぜ青いの?」って聞いた時に、


どうこたえるか考えてみて下さい。。



その業績


専門的に言えば散乱光の研究をしていた訳です。


そんなレイリー卿は入射波と反射側の散乱波を考え、


それらの波長と空気中の分子の性質を考えたのです。


結果、昼間の空は青く、夕方は赤いのです。


レイリー散乱と呼ばれる考え方です。


別途、ご紹介している


クィーンのブライアンの研究とも関連しています。


そもそも、光を波長の観点から考え直して「赤く見える光の波長」や「青く見える光の波長」を明確にして議論していった事実と、地上との温度差の事実を関連付けて考えています。その関連を考えた時点で自然現象が物理的議論の枠組みで説明できたのです。


またその他のレイリー卿の業績は、


地震の表面波の解析(レイリー波)、


ラムゼーと研究したアルゴンの発見、


初期段階の熱放射理論である


レイリー・ジーンズの法則等があります。


 

その人柄


別の一面としてレイリー卿は量子論や相対論に厳しい立場をとっていたと言われています。実際の所レイリー卿は長い事、エーテルを考え続けていた様です。当時の考えでは否定する事は出来ない物だったとも言えるでしょう。実際にその何年後も実験的にエーテルを実証しようとしています。私はレイリー卿の肩を持ってしまいますが、実験事実の蓄積が無い状態で軽はずみに決断を求めるのは危険です。精査した考えを納得のいく説明で語っていかなければいけません。それだから、考えを育む時間も大切なのです。


またレイリー卿の素晴らしい栄誉を連ねていくと


コプリメダル受賞、ノーベル賞受賞、


第2代キャンデビッシュ研究所所長、


標準局(イギリス国立物理学研究所)の


運営理事会議長と続きます。何より


人材を育てた業績は大きく、ジョセフ・ジョン・トムソン


ジャガディッシュ、チャンドラ、ボースを育てました。


爵位としてのレイリーは彼の長男で物理学者だったロバート・ジョン・ストラが受け継いでいます。物理学者が受け継いでいる事実が好印象でした。きっと息子さんと御弟子さんが議論したりもしたんでしょうね。そう考えたいです。



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[2021年9月時点での対応英訳]



About Sir Rayleigh


In this manuscript, the URL "Baron Rayleigh" is used.


To rewrite the name, John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh.


Introducing his easy-to-understand achievements,


This Sir Rayleigh explained the blueness of the sky on a sunny day.


Think about how your child will respond when asked, "Why is the sky blue?" ..



 


Achievements made by Sir Rayleigh's 


Technically speaking, he  had studyed scattered light." Sir Rayleigh" considered the incident waves and the scattered waves on the reflecting side, their wavelengths, and the properties of the molecules in the air. As a result, the daytime sky is blue and the evening is red. This is a concept called Rayleigh scattering. It is also related to Queen's Brian's research, which is introduced separately.


Other achievements of Sir Rayleigh include analysis of surface waves of earthquakes (Rayleigh wave), discovery of argon studied with Ramsey, and Rayleigh-Jeans' law, which is an early stage thermal radiation theory.



 Personality of Sir Rayleigh


It is said that Sir Rayleigh took a strict position on quantum theory and relativity. Everybody knows Sir Rayleigh  had been thinking about ether for a long time. It can be said that he was an undeniable thing at that time. He is actually trying to experimentally demonstrate ether years later. He will carry Sir Rayleigh's shoulders, but it is dangerous to lightly seek a decision without the accumulation of his experimental facts. He must explain his scrutinized ideas with a convincing explanation. That's why time to nurture his ideas is also important.


In addition, "Sir Rayleigh's wonderful honors will be followed by the Copley Medal, the Nobel Prize, the 2nd Director of the Candevis Institute, and the Chairman of the Steering Board of the Standards Bureau (National Institute of Physics, England)". He has cultivated talent above all, and his achievements have been great, and he has cultivated Joseph John Thomson and Jagdish Chandra Bose. And Rayleigh's title is inherited by his eldest son and physicist Robert John Stra. I was impressed by the fact that physicists have inherited it. I'm sure his son and his disciples had a discussion. I want to think so.

2024年06月12日

お雇い外人のトマス・メンデンホール
6/12改訂【明治時代の創設期に東京大学で若者を育てました】

こんにちは。コウジです。
メンデンホールの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


トマス・メンデンホール【1841年10月4日〜1924年3月23日】


「明日の地震学(書籍)」
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メンデンホールはいわゆる「お雇い外国人」さんです。
工部省の475人に次ぐ296人を文部省が招へいしていました。
その中の一人です。
名前の綴りはThomas Corwin Mendenhallです。
アメリカのオハイオ州生まれです。


アメリカから先だって来日していた動物学者、
E・S・モースの推薦でメンデンホールは1878年に
東京帝大の物理教師となります。
黎明期の日本教育に先鞭をつけたのです。


メンデンホールは設立されたばかり東大理学部観象台の観測主任となり気候を観測しました。実際に1879年1月から2年間にわたり東京本郷で気象観測に従事したのです。メンデンホールは直接気象に関わるのみではなく日本で地震が頻発する環境に着目し、そうした事情を考慮して、観象台に地震計を設置を導入していきました。


当時の日本では一般にそうした観測環境に対しての知見が乏しかったかったのです。結果として地震観測に関する業績を残し、日本地震学会の設立につながっていきます。メンデンホールはこの側面でも日本の教育に貢献をしています。


こうしてメンデンホールは日本物理学の黎明期において 気象学。地震学を確立していきました。一方で単位系の確立をしていった人です。 また富士山頂で重力測定や天文気象の観測を行い、日本に地球物理学を広げていきました。


日本の物理学者では特に、田中舘愛橘がメンデンホールから力学、熱力学を学んでいます。師ともいえるメンデンホールとの出会いは田中館愛橘に多大な影響を与えたと言われています。


例えば、1879年(明治時代)にメンデンホールを通じてエジソンのフォノグラフの情報を得て、実際に田中舘は試作をしています。音響や振動の解析を試みてい定量的な解析が日本で始まったのです。また、田中舘はメンデンホールによる重力測定に参加し、東京と富士山で作業しました。


メイデンホールは2年の赴任の後にアメリカへ帰国をしましたが、海岸陸地測量局長時代にアメリカの州境と国境のを測定して定めました。緯度、経度で州境が引かれている現在のアメリカの州の形を作ったのです。


メイデンホールの業績は評価されていて、アラスカの氷河のひとつに今でもメンデンホール氷河という名前が残っています。メイデンホールの局長時代の仕事に関連して命名されています。



〆最後に〆


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(対応英訳)


Mendenhall is a so-called "hired foreigner" and the spelling of the name is Thomas Corwin Mendenhall. He was born in Ohio, USA. At the recommendation of E.S. Morse, a zoologist who had come to Japan earlier than the United States, Menden Hall became a physics teacher at the University of Tokyo in 1878. He pioneered Japanese education in the early days.


Menden Hall was just established and he became the chief observer of the Observatory of the Faculty of Science at the University of Tokyo, observing the climate. He actually engaged in meteorological observations in Hongo, Tokyo for two years from January 1879.


Menden Hall focused not only on the weather directly but also on the environment where earthquakes occur frequently in Japan, and in consideration of such circumstances, we introduced seismographs on the observatory. In Japan at that time, I generally wanted to have little knowledge about such an observation environment. As a result, he left behind his achievements in seismic observation and led to the establishment of the Seismological Society of Japan. Menden Hall also contributes to Japanese education in this aspect.


Thus Mendenhall was a meteorologist in the early days of Japanese physics. We have established seismology. He, on the other hand, is the one who established the system of units. He also expanded geophysics to Japan by measuring gravity and astronomical meteorology at the summit of Mt. Fuji.


Among Japanese physicists, Tanakadate Aikitsu is learning mechanics and thermodynamics from Mendenhall. It is said that the encounter with Mendenhall, who can be said to be a teacher, had a great influence on Aitachi.


For example, in 1879 (Meiji era), Tanakadate actually made a prototype after obtaining information on Edison's phonograph through the Mendenhall. He tried to analyze acoustics and vibrations, and quantitative analysis began in Japan. In addition, Tanakadate participated in the gravity measurement by Mendenhall and worked in Tokyo and Mt. Fuji.


Maiden Hall returned to the United States after two years in office, but he measured and determined the borders and borders of the United States when he was Director of the Coastal Land Survey. He created the shape of the current American state, which is bordered by latitude and longitude.


Maidenhall's achievements have been well received, and one of Alaska's glaciers still retains the name Mendenhall Glacier. Named in connection with his work as director of his Maiden Hall.