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2021年09月26日

ピエール・キューリ
【1859年生まれ-9/26原稿改定】

「P・キューリ」の原稿を投稿します。私のサイトは外国からもアクセスがありますので文末に拙いながらも英訳を付けました。英語文章を作成していて確認出来るのは内容の正確さです。お恥ずかしい話として、文章に主語が無く文脈から判断させたりしていたりしましたのです。SEO効果を狙って単語を必要以上に入れたくないので、逆に文章が不正確になっていて逆効果だったのです。以後この点は改善します。原稿文字数は3615文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。

作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】

【1859年5月15日生まれ 〜 1906年4月19日没】

ピエール・キューリって有名

なマダム・キューリの旦那様ですが、

調べていけばいくほど良い男です。

ピエールはフランスのパリに生まれましたが、

学校に行きたがらず、お医者だった

お父様や家庭教師等に勉強を

教えてもらって自宅で勉強していました。

特に数学で優秀さを発揮して、

とりわけ幾何学で光る所を見せる

ようになっていき、

16歳でパリ大学に入学します。

そしてなんとピエールは18歳で

学士号を得てしまいます。

今の日本では現役学生が入学試験を受ける年齢ですね。

びっくりです。ご家庭の事情で博士号習得はあきらめて

物理研究室の助手として働きます。

原子に対して知見が集まりつつあった未開の時代に

数々の業績を残しています。




同じくパリ大学鉱物学助手

をしていた兄ジャックと協同で研究を

進めます。水晶等の結晶に圧力差が

生じた時に電位差が発生する現象を定理化して

「圧電効果」または「ピエゾ効果」と呼ばれる

法則を明確にして、公表しました。

更に、彼等はもう一つの現象も示します。

水晶に電界を加えた時に形が変わるという

現象を発表しましています。

現在の工業製品ではこの応用である

水晶振動子がデジタル回路で使われています。

固有周波数を持つので時計やコンピュータの回路で

時間(クロック)の基準となっているのです。




ピエールは磁性に関して

研究を進めています。その中で自差係数

を計測するための精密なねじりばかり

を使っていますが、その装置は後に精密計測で

世界中の研究者に広く使われています。

ピエール・キュリーは博士論文のテーマとして

強磁性、常磁性、反磁性について研究をおこないました。

特に常磁性への温度特性を「キュリーの法則」として

定式化しています。。その式に出てくる物質固有の定数は

「キュリー定数」と呼ばれています。更に

強磁性体の磁性損失も明らかにしています。

「キュリー点」です。キュリー天秤も作りました。

沢山の業績を残していますね。




そんな沢山の成果をあげていましたが、

ピエールは薄給に甘んじ出世に興味をもたず

教育功労勲章も断っていました。そんなピエールを

外国では高く評価していて、1893年には

英国のケルヴィン卿が訪問してきています。

その後ピエールはポーランド人のマリア・スクウォドフスカ

(後のキューリ夫人)と出逢い結婚しています。

何度もピエールは恋文を送っていたようです。

簡素な下宿で温かい時間を過ごしていました。

その後は夫婦共同で放射性物質の研究をしていて、

ポロニウムとラジウムを発見、放射能という

用語の提案を行っています。そして遂に

ピエールは学生と共に核エネルギーを発見します。

原子核の遷移は熱を生んでいたのです。

学生との発見は続き、アルファ線、ベータ線、

ガンマ線を見付けています。それぞれの

放射線の帯電特性に気付いた訳です。




こうした成果をピエールがあげていく中で、

過度の研究の中でピエールの心身のダメージは

徐々に蓄積していきました。リウマチの症状で毎晩

ピエールは激痛に襲われて悲鳴をあげていたそうです。

妻マリアとベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞

した際には体調不良で授賞式に出られませんでした。




そして運命の日が来ます。1906年4月19日木曜日です。

当時パリ大学教授になったばかりのピエールは昼

食後2時半頃に目的地に徒歩で移動していました。

パリの狭い道を多くの馬車が混走していました。

道を渡り損ねた彼は馬車にひかれてしまい、

頭蓋骨にひどいダメージを負って即死してしまうのです。

一瞬の悲劇でした。フランスは宝を失います。




彼の死後に妻マリアは2度目のノーベル賞を得ています。

また娘のイレーヌ・ジョリオ=キュリーとその夫で

研究所の助手だったフレデリック・ジョリオ=キュリーも

放射性元素の研究でノーベル賞を受賞しています。

もう1人の娘エーヴは、母の伝記を書き残しました。

孫の ヘレン ランジュバン ジョリオ は

パリ大学の核物理学教授で、同じく

孫の ピエール ジョリオ は生化学者です。




そして今ピエールとマリの魂はパリのパンテオンの

地下聖堂に眠ってます。他のフランスの産んだ

偉人達と共に。フランスの名誉と共に。

夫婦で深い安らかな眠りを続けています。






以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
この頃は全て返信できていませんが
頂いたメールは全て見ています。
適時、返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2021/01/21_初稿投稿
2021/09/26_改定投稿

 

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(2021年9月時点での対応英訳)

Pierre Cucumber is the famous Madame Cucumber husband

, but the more you look up, the better he is.

Pierre was born in Paris, France, but he didn't want to go to school and was studying at home with his father, a doctor, and a tutor. He entered the University of Paris at the age of 16, especially as he demonstrated his excellence in mathematics, especially in geometry.

And Pierre gets his bachelor's degree at the age of 18. In Japan today, it's the age at which active students take entrance exams. That's surprising. Due to family circumstances, I give up my PhD and work as an assistant in the physics laboratory. He has made many achievements in the undeveloped era when knowledge about atoms was gathering.

He works with his brother Jack, who was also an assistant in mineralogy at the University of Paris. The phenomenon that a potential difference occurs when a pressure difference occurs in a crystal such as quartz is theoremized, and the law called "piezoelectric effect" or "piezo effect" is clarified and published. In addition, they show another phenomenon. We are announcing the phenomenon that the shape changes when an electric field is applied to the crystal. In current industrial products, this application, the crystal unit, is used in digital circuits. Since it has a unique frequency, it is the standard for time (clock) in clock and computer circuits.

Pierre is researching magnetism




. Among them, he uses only precision torsion to measure the deviation coefficient, but the device was later widely used by researchers all over the world for precision measurement.

Pierre Curie studied ferromagnetism, paramagnetism, and diamagnetism as the theme of his dissertation. He especially formulates the temperature characteristics for paramagnetism as "Curie's law". .. The substance-specific constants that appear in the formula are called the "Curie's constant". Furthermore, the magnetic loss of the ferromagnet is also clarified. It is a "Curie point". He also made a Curie balance. You have a lot of achievements.

Although he had achieved many such achievements, Pierre was content with a low salary and was not interested in his career and refused the Order of Educational Achievement. Such Pierre is highly evaluated in foreign countries, and in 1893, Sir Kelvin of England visited. Pierre then met and married the Polish Maria Squadovska (later Mrs. Curie).

Pierre seems to have sent a love letter many times. He had a warm time in a simple boarding house. After that, my husband and wife were jointly researching radioactive materials.

He discovered polonium and radium and proposed the term radioactivity. And finally Pierre discovers nuclear energy with his students. Nuclear transitions were producing heat. His discoveries with his students continued, finding alpha, beta, and gamma rays. I noticed the charging characteristics of each radiation.

As Pierre achieved these achievements, Pierre's physical and psychological damage gradually accumulated through his excessive research. Pierre was screaming every night because of the symptoms of rheumatism. When he won the Nobel Prize in Physics with his wives Maria and Becquerel, he was ill and could not attend the award ceremony.

And the day of his destiny will come.

It is Thursday, April 19, 1906. Pierre, who had just become a professor at the University of Paris at the time, was walking to his destination around 2:30 after lunch. He was crowded with many carriages on the narrow streets of Paris. He fails to cross the road and is run over by a carriage, causing terrible damage to his skull and dying instantly. It was a momentary tragedy. France loses treasure.

His wife Maria has won the Nobel Prize for the second time after his death. Her daughter, Irene Joliot-Curie, and her husband, an assistant at the institute, Frederick Jorio-Curie, have also won the Nobel Prize for her work on radioactive elements. Another daughter, Ave, wrote down her mother's biography. Her grandson her Helen her Langevin her Jorio is a professor of nuclear physics at the University of Paris, and her grandson her Pierre her Jorio is a biochemist.

And now the souls of Pierre and Mali are sleeping in the crypt of the Panthéon in Paris. With other great men from France. With the honor of France. The couple continues to sleep deeply and peacefully.
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