「テラー」の原稿を投稿します。原稿文字数は894文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1908年1月15日生まれ ~ 2003年9月9日没】
エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、
晩年のオッペンハイマーと対立します。
エドワード・テラーはハンガリーのブタペスト
で弁護士の父と4か国語を使う母から生まれ
ました。ユダヤ系であったエドワード・テラー
の父は職を追われ、ハンガリー・ドイツ・アメリカ
と移住を重ねました。ただ、学問の世界では良い出会い
に恵まれています。ハイゼンベルクの下で博士論文
を書き、ボーアの居たコペンハーゲンで有益な
時間を過ごします。そうした中で原子核物理学
や分子物物理で多くの業績を残しました。
ヤーン・テラー効果やBETの吸着等温式
はエドワード・テラーの業績です。
アインシュタインと共にエドワード・テラーは
原爆の研究をアメリカ政府に働きかけ、実際に
その計画は進んでいきます。政治的な思想では
ドイツ時代に資本主義の崩壊を目の当たりにした
テラーは共産主義に対して当初は関心を抱いて
いたようです。ところが、友人のランダウが
ソ連政府に逮捕された時期に反共思想を強め
ます。反共思想と新兵器の開発にかける熱意
が結びついていくのです。そしてまた、
その時期以降にエドワード・テラーとオッペンハイマーとの確執の始まります。特に兵器としての原爆の利用に関しては
エドワード・テラーとオッペンハイマーは
対極の立場をとります。
エドワード・テラーは原爆開発の推進派で、
オッペンハイマーは否定派でした。
実際に、
エドワード・テラーは原爆・水爆と
兵器の開発の中心に居ました。水爆を
「My・Baby」と呼んでいた
と言われています。その立場は変わらず、
生涯その事を悔いることはなかったと言われています。
エドワード・テラーはそんな研究人生を歩みました。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが
必ず返信・改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/09/22_初稿投稿
2021/09/16_改定投稿
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